車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

会津若松市~史跡巡り in 福島県会津若松市

2024年10月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

東山温泉を後に、湯川大町線(県道325号線)をテクテク👣。市内のメイン道路になるのでしょうか?中央分離帯を挟んで二車線道路が一直線に続いており、よほどでない限り、道に迷う心配はなさそう😊 そして最初の立ち寄り地は「松平家廟所」

白壁造りの建物に挟まれた細い路地を真っ直ぐに行くと「松平家廟所入口」の碑。

初代『保科正之公』の廟は猪苗代の土津神社にある為、こちらには『二代:正径公』から『九代容保公』までの歴代藩主と、藩主の御正室、側室、子女の方々の廟が並んでいます。

この「松平家廟所」は大名家の神式墓所の代表的なものとして、昭和62年(1987)に国の史跡に指定されています。失礼とは存じますが、私たちは廟所門の前で合掌礼拝をさせて頂きました。

大通りに出て直ぐに、唐破風屋根の気になる建物を見つけ、近くまで。「ネパール博物館」と書かれていますが何でしょう??。近くの案内によれば、「建物は大地主の豪邸を移築した「会津料理: 鶴井筒」。屋根裏を利用した2階~3階が、エキゾチックな資料館になっているようです。

次なる目的地「会津武家屋敷」に着きました。

手持ちの資料によれば、戊辰戦争で消失した武家屋敷のうち会津藩家老「西郷頼母邸」を復元した観光スポット。他にも代官所の旧中畑陣屋、茶室麟閣を再現した茶室領南庵、坂本龍馬を暗殺した張本人ではないかとされる『佐々木只三郎』の墓などなど、歴史的構造物や武家に関する資料が展示されているそうです。

もっと大幅に時間が有れば寄り道も悪くは無いのですが、取り合えず記念写真だけでお茶を濁します😓 

武家屋敷から5分ほどで「地蔵清水」に来ました。一角にはピンクや紅の「舘葵(タチアオイ)」が優しく色を添えています。舘葵は、梅雨の始まりと終わりを告げる事から「梅雨葵(つゆあおい)」とも呼ばれます。

「お秀茶屋」は300年ほど前、峠の腰かけ茶屋として暖簾をだしました。当時、店のあたりは河原になっており、会津藩士専用の処刑場として使われていました。処刑場に向かう罪人を不憫に思ったここの茶屋のお秀婆さんが、味噌をつけて焼いたモチを与えたと言う話や、今生最後の食として罪人たちに田楽と清水を与えたという会津藩の慈悲は今でも語り継がれています」東山温泉瀧の湯HPより

お秀茶屋の横手、細い路地を入った右手に「奴郎ヶ前(やろうがまえ)の地蔵様」。罪人として処刑された会津藩士達の供養のために建立された念仏碑や地蔵様が、塵一つない一画で整然と供養されています。

地蔵様の交差点を右折。「萱野父子奥津城入口」の碑。天寧寺の裏手の墓地には、藩主松平容保が京都守護職にあった際の国家老で、戊辰戦争の責任者となり明治2年に切腹した「萱野権兵衛、次男:郡長正」の墓があります。また会津小鉄の異名を持つ『上坂仙吉 』 が、京都三条河原に晒された近藤勇の首を夜陰にまぎれて奪い取り、愛刀「阿州吉川六郎源祐芳」と共に会津に送り届けた「近藤勇」の墓もあるとか。こちらは時間的に余裕が無く、参拝できずに終わりました。

ここから再びハイカラさんに乗車し、おおよそ5分で飯森山下停留所に到着です。ここから先は明日のブログで。

訪問日:2015年6月29日

 


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