下郷町大内、会津若松から今市に至る会津西街道(下野街道、南山通り)の宿場として栄えた「半農半宿」の宿場「大内宿」。
江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ重要な道の宿場町として栄えた宿場町は、今も往時の面影そのままに、茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並びます。
私たちは県道131号線から薬水の駐車場に車を置き、おおよそ観光地らしからぬ道を辿って宿場内に向かいます。
生憎の雨予報で右手には傘、左手に自作の街道町歩き図。七月初めと言うのに七分丈のジーンズが寒そう😥
そうして見えて来た集落の佇まい。生憎のというより、雨模様の下だからこそ見られる、しっとりと水を含む茅葺屋根はまた格別の風情。
大内宿の入り口ともいえる場所に建てられた鳥居は『弁財天』が祀られる「厳島神社」。申し訳なくも、鳥居下からの拝礼で失礼いたします🙏🙏
石段の横、山際に沿って建立されていた幾つもの石碑。読み取れたものは「辨財天」「白湯山」・・・
宿場に入った二人を迎えてくれた茅葺の大きな建物は「扇屋分家:浅沼食堂」さん。庭先左手には「湯殿山」の碑。
弁財天への石段よりも更に急な石段の先は「子安観音堂」。「大内宿見晴台」に至ると言う事で、ご亭主殿の他にも沢山の人が石段を上っていきます。
ところが茅葺の御堂に参拝者の姿は皆無。その分、ゆっくり二人分のお参りが出来たと、これはご亭主殿の弁。
私の為にとご亭主殿が写してきてくれた境内の写真、どれも静謐に満ちて感動でした。
では、先ほど石段を登っていた方達は何処へ?。もちろん、見晴らし台から見るこの景色がお目当て。
福島県の車泊旅最終日、感動と根性で頑張ってはいるものの、流石に処方された痛み止めも「無理」を押し通すには力不足。いや、薬の所為じゃないのは十分承知しております😣 そんな訳で、私は指をくわえ、否、傘をさし、碑と並んで下界で待機・・😭
感動に満ちた大内宿・宿場歩きはこれからですが、続きは明日のブログで
訪問日:2015年7月3日
おはようございます!
昨晩はかなり雪が降りまして
ひさびさに道路も真っ白になりましたよ!
いつも二人仲良く出かけて素晴らしいですよね!
今日はこちらもとても冷え込みました
北海道とは比べ物にもなりませんが
それでも小雪が舞い散って
家でこたつのお守りをしてます😊