蒲郡市形原町八ヶ峰、大沢山の東麓に鎮座される「形原(かたはら)神社」。三河国宝飯郡六座ノ内で延喜式内社。御祭神は『埴安大神(はにやすのおおかみ)・朝廷別命(みかどわけのみこと)・品陀別命 ・豊受姫命 ・天児屋根命』。
社伝によると「欽明天皇(630~641)の時、東夷鎮定の大将藤原千方公がこの地に駐屯し、将校以下士卒をして荒地を開拓し山麓に埴安神を祀る。千方公、都に帰った後も例年祭料二石を奉献する。皇極天皇の時、形原神社の社号を賜り村落を雲見宮内の庄と称した。」公式HPより
『朝廷別命』は今回の参拝で初めて遭遇した御祭神。第9代開化天皇の皇子である『日子坐王(ひこいますのきみ)』の子で、四道将軍として丹波に派遣さ れた『丹波道主命(たにはみちぬしの みこと)』の父。「古事記」にも「三川の穗の別(わけ)の祖」として登場します。」
拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和8年奉納の岡崎型狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を、阿形さんは毬の上に手を重ねた姿勢。頭に置かれた手が重いのか、仔狛さん・・かなりのブーたれ顔(^^;)
境内末社「白山社」、御祭神は『天照皇大神・白山姫命』。丁度この神社をお世話される方がおいでになり、色々な話の流れから、社殿内に入らせていただき、直接参拝させていただく事が出来ました。
白山社とありますが、実際には「護国社」、もしくは「招魂社」とお呼びする方が正しい気がします。
拝殿の壁一面・・許可を頂いて残させて頂いたお写真はいずれも若く凛々しく・・理屈も何も無く、私たちはただ頭を垂れて現状の幸せを感謝し、殉国の御霊の安らかをただ偏に願います。
境内の一画に建立されていた忠魂碑。この高台からだと青く美しい三河の海がきっと良く見えますね。
神社の西側に建立されていた「わすれじの碑」。昭和20年1月13日 に発生した三河地震 から33年目を迎え、「犠牲者の霊を慰め、且つまた、後の世の戒めともしたい」との願いをこめて昭和52年の同日に建立されました。
社殿左手、「昭和天皇」が昭和32年に蒲郡に行幸された折にお読みになられた御製碑。
【 引き潮の 三河の海にあさりとる あまの小船の 見ゆる朝かな 】
参拝日:2011年9月22日
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御祭神一口メモ
『埴安大神』、田畠の土の神、陶磁器の祖神とされる。男女神に分けて『埴安彦神』『埴安姫神』と称される事もある。
『朝廷別命』、穂国(三河国東部東三河)を支配した国造の祖とされる。
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