穴水町川島に鎮座される「長谷部神社」。御祭神は『長谷部 信連公(はせべのぶつらこう)』。
真新しい由緒書きに刻まれた御神紋は『長谷部家】の家紋「九曜」。「九曜」とは、七曜星に「羅睺(らご)・計都(けいと)」の二星を加えたものを言います。
由緒に【能登国大屋荘の地頭で、「平家物語」でも著名な鎌倉武士の『長谷部信連公』を祀る。信連公が建保六年(1218)の逝去に先立ち、自作の肖像を刻んで大町来迎寺の御影堂に安置したのが、当社の起こりという。江戸時代には「武健(ぶけん)大明神」と称し、昭和十年・由縁深い穴水城の麓の現在地に移転した。寛永二十一年(1644)建立の本殿は、神社建築に特異な禅宗様で、殿内の宮殿は漆塗に極彩色を施した唐破風の精緻なものである。】
本殿は雪囲いがされていて、外からでは由緒にある諸々は全く見ることは出来ません。 が、その殿内には御祭神が人であった時代に必要とした、生活用具一色が納められているとか。本殿の中にそんなに沢山のものが?と思いましたが、それらは皆、小さく誂えられた品だそうです。
拝殿前より神域を守護されるのは安政6年(1859)建立の狛犬さん一対。中々に味わいのある顔立ち。普通に「耳まで避けた口」と言うと、獰猛とか怖い!のイメージですが、こちらは全く例外(笑)
本殿の向かって左隣、祠の中に鎮座するのは「子宝石」。いわゆる「陰石・陽石」。子宝などを必要としない年齢になった私たち、すでに宝である者の幸せを願ってきました。
清冽な空気が漂う境内の一画に建立された「彰忠碑」。戦で命を落とされた方々を可哀想と言ってしまうのは、平和に慣れきった愚者の驕り。有史以来、人は我が身を守る為、様々な敵と戦い生き抜いてきました。我が身が家族になり一族になり、地域になり国になり・・その歴史のうえに私達が存在するのです。薄っぺらい「平和」を盾に、国の礎となられた方々を貶める愚者を、私は心底、軽蔑します。
入口近くに建立されていた句碑、【 八重桜 手まりのごとく 風にゆれ 】
こちらの「長谷部神社」ですが、実は御朱印を頂きたくて2015年に再度参拝しました。何度おとなっても社務所には人の気配が無いようで、残念ながら御朱印は諦めざるを得ません。そうそう、もと護摩堂として建てられていた拝殿、いつの間にか新しくなっていました。
参拝日:2011年10月17日&2015年5月22日
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