車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

荒砂(あらすな)神社 in 鳥取県岩美町浦富

2017年07月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

岩美町浦富に鎮座される「荒砂(あらすな)神社」、御祭神は『大物主命』。因幡で「大物主命」を祀るのは当社と美取神社のみだそうです。

「草創は白鳳期(7世紀後半)とされ、浦富元宮町鈴見山に勧請したと伝えられる。大同元年(806)8月、蒲生川の氾濫で社殿を流失。同年11月に現在地に建立鎮座し、それより「大神社荒砂大明神」と称す。海上安全・豊漁の神として信仰されてきた。元亀3年(1572)、桐山城に居た『山中鹿之助』が当社に戦勝祈願に参詣したと伝わる。」

拝殿前より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんの顔はすっかり崩れていますが、これだけ潮風に晒される場所にあればそれも致し方ない事。

本殿は文化10年(1813)の再建で、左甚五郎の高弟の手になる五段の龍彫刻があるそうですが、足場の悪い立地に加えて、厳重な覆い屋の中。頑張って見ましたが・・・・ (^^;)

辛うじて隙間から見えた可愛らしい神殿狛犬さん一対。一方は相当のピンボケですが御亭主殿の頑張りに敬意を表して(笑)

本殿右手に鎮座される境内社群。おそらくは、漁業関連や海難防止を司る神々が祀られていると思われます。

境内から見下ろす神門。左右に並ぶ奉納燈籠の数が崇敬の篤さを伝えます。

「荒砂神社」の近く、海中にある向島に鎮座される「恵美須神社」。御祭神は『事代主神、豊玉姫命』。特に近隣の漁師の方々に崇敬されています。

神社の道路向かい、小さな松林の中に、昭和41年に建立された『谷口雲崖』句碑。 【 乱礁の 波やや荒き 遊び船 】

浦富海岸に面したポケットパークに、大正時代のジャーナリスト『国府犀東』の歌碑。【 天に明星 地に浦富乃 海にミューズの神が住む 】

参拝日:2016年10月21日


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御神名一口メモ

『大物主命(おおものぬしのみこと)』、日本書紀では「大己貴神の和魂(にぎみたま)」とする。蛇身であり、別名「三輪大神」「三輪明神」「倭大物主櫛甕魂命(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこと」。三輪氏・鴨氏の祖神。

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 鳥取県岩美町

2017年07月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

岩美郡岩美町(いわみちょう)は鳥取県の最東北端に位置し、東は兵庫県に、南西は鳥取市、北は日本海に面しています。町の中央を蒲生川が貫流し、川の周辺に農地、集落などが形成されています。日本海に面する東西およそ15キロメートルのリアス式海岸「浦富海岸」は「山陰海岸国立公園」に指定されており、また「山陰海岸ジオパーク」の一部を成しています。

「町の木:松」「町の花:カキツバタ」「町の海産物:松葉ガニ」を制定。

キャッチフレーズは「~“心・自然・恵み”豊かさを未来へ~」「人が輝(かがや)き 海輝(ひか)る きらめきつづけるまち岩美」

明治22年(1889)、町村制の施行により岩井郡大岩村・本庄村・高野村・新宮村・網代村・浦富村・牧谷村・田後村・東村・岩井村・蒲生村が発足。

1896年、 郡制の施行のため邑美郡・法美郡・岩井郡の区域をもって岩美郡が発足。

1917年、高野村・新宮村が合併、岩美郡小田村が発足。

1925年、浦富村・牧谷村が合併、改めて岩美郡浦富村が発足。

1927年、岩井村が町制を施行、岩井町となる。 浦富村が町制を施行、浦富町となる。

1954年、田後村・東村・浦富町・蒲生村・岩井町・小田村・本庄村・大岩村・網代村が合併、岩美郡岩美町が発足。

マンホールには、景勝地「浦富海岸」と、町の木「松」が鮮やかに描かれています。(浦富海岸沿いの国道に設置)

歩道のタイル

昭和32年12月18日制定の町章は「ひらがなの『いわみ』を図案化したもので、円形は町の円満な発展と町民の和(輪)を表します。」公式HPより

ジオパークの町・岩美町をPRするキャラクター「いわみん」「みみ」「がんじぃ」「こじろー」

「いわみん」は浦富海岸にある奇岩「千貫松島」がモチーフ。網代港の北にある花崗岩に穴が開いた海食洞門で、頂上部には松が生えています。

撮影日:2016年10月21日

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2017年4月3日、第4弾として全国42自治体で50種類(累計151自治体170種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「岩美町」のマンホールカードは、「道の駅 きなんせ岩美」でいただけます。

1989年に設置開始されたマンホールには「城原海岸」と「町木の松」がデザインされています。

「岩美町は豊かな自然に囲まれ四季を五感で感じられる、海・山・温泉の町です。 山陰海岸国立公園及び山陰海岸ジオパークの中でも有数の景勝地として知られる「浦富海岸」は蒼く透き通った海に、洞門・洞窟・奇岩が風光明媚な景観をつくりあげています。 このマンホール蓋の図柄は、「浦富海岸」の中でも白砂青松の景観がひと際美しい「城原海岸」と町の木「松」をデザインしたもの。 日本海に浮かぶ島々は、春になると野生の菜の花によって黄色く彩られることから「菜種五島」と呼ばれています。 カラー版のマンホール蓋は海岸沿いの道路にしかなく、レアモノと言えます。」

展示マンホール

訪問日:2017年8月9日

 

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ご当地マンホール in 鳥取県旧関金町(倉吉市)

2017年07月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・鳥取県

旧東伯郡関金町(せきがねちょう)は大山の東麓、蒜山三山の北麓に位置した町です。町名は関金温泉に因んでおり、温泉名は明治10年(1877)に合併した金谷村・湯関宿の合成地名から名付けられました。「町の花:ツツジ」を制定。

約1300年前に開かれた山陰屈指の古湯として知られる「関金温泉」、その無色透明無味無臭のお湯は、古くから「白金(しろがね)の湯」と呼ばれ、日本名湯100選にも選ばれています。(国道313号線「湯の関トンネル」壁画)

明治22年(1889)、町村制の施行により久米郡矢送村・南谷村・山守村が発足。

1896年、郡制の施行により、河村郡・久米郡・八橋郡の区域をもって東伯郡が発足。

1953年、矢送村・南谷村・山守村が合併、東伯郡関金町が発足。

2005年、倉吉市に編入、倉吉市関金町となりました。

集排マンホールには、町章を中心に、全体に「町の花:ツツジ」が描かれています。

昭和37年3月23日制定の町章は「三角形で三か村の合併と、共に等しく発展することを意味し、中央の円形は円満なる融和を示し、飛鳥の形をしているのは勇飛する町の姿を表す。中央の突起は山を表し、伸びゆく町を表徴。全体で町の頭文字である「セ」を図案化している。」合併協議会資料より

国道313号を通る「湯の関トンネル」壁画「関の地蔵」。

  

古くから関金温泉で「関の地蔵」と呼ばれてきた、国指定重要文化財「木造地蔵菩薩半跏像」

道の駅「犬挟(いぬばさり)」は、関金町と岡山県の境「犬挟峠」にある道の駅。鳥取県倉吉市と岡山県真庭市が共同で運営する、全国でも珍しい道の駅です。「犬挟」の由来については諸説あり、神代の昔、日本武尊が西国平定のため国境の矢筈ヶ山(やはずがせん)から「この矢のとどく限りの的すべて従え」と言って矢を討ったところ、これが峠にささった事から 「矢ばささり」⇒「犬挟」となった。道の駅の方にお聞きしたお答えは、犬も通れないほど狭い道だったから。ロマンを求めるなら前説、真実らしさを求めるなら後説かな(笑)

倉吉を後にして岡山方面に帰る折、この道の駅で車中泊をさせて頂きました。思わず買い過ぎてしまうほど新鮮な野菜が豊富で、近くには美味しい湧き水もあり、また同じ方面に帰るお仲間とも偶然ご一緒になり、ゆっくりと休むことが出来ました。

車中泊をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めてその折には、本当に有難うございました

撮影日:2012年4月22日

 

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旧倉吉町水源地ポンプ室 in 倉吉市余戸谷町

2017年07月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

倉吉市余戸谷町。鉢屋川沿いの道を更に進むと川沿いに美しい鉄筋コンクリート造平屋建の建物が見えてきます。

1932年から58年間使われていた倉吉町初の上水施設「旧倉吉町水源地ポンプ室」。「切妻造、平入で、正面及び側面に櫛形欄間窓を左右対称に配し、腰を瘤出仕上の切石布積とする。正面中央のレリーフ付き三角ペディメント、平側のパラペットなどに洋風意匠を積極的に取り込み・・」と、文化財データベースからの引用で、実際のところ何処がどうなのかよく分っていません(笑)、良く分かっていませんが(笑)素敵なものは素敵です。

三角ペディメントに鏝で施されたレリーフは「水」。レリーフの下には「汲めども尽きぬ泉」の願いを込めた「萬斛泉(まんこくせん)」の文字が刻まれています。

こんな風景を見ているとついつい口ずさみたくなる、懐かしい唱歌の一節 「~春の小川はさらさらいくよ~♪・・・」

訪問日:2012年4月20日

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小川酒造(おがわしゅぞう) in 倉吉市河原町

2017年07月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

二日目の倉吉町歩きは倉吉市河原町「小川酒造」から。

小川酒造は酒造業を営んでいた旧家。明治期に建てられた主屋は町家に特徴的な低い軒を持ち、東側半分を占める店舗部分と西側の住居部分で構成され、いずれも登録有形文化財の指定。

店舗部分の東側には大正期に増築された洋館の応接間が続きますが、外からではこれが一杯。それでも僅かに見えるコリント式のオーダーなどは、流石にとため息をつかせる美しさ。

「小川酒造」の塀沿いに細い路地を抜けると、さらさらと心地良い水音が聞こえてきます。赤煉瓦のある一画が、多分、鳥取県指定名勝「還翆園」。

鉢屋川沿いに旧仕込蔵と連続して建つ土蔵造2階建の「小川酒造の槽場(ふなば)」

かつては鉢屋川を利用した水車が設けられていたそうで、煉瓦積みの壁体が残されています。これらの遺構は水力利用の様子を今日に伝える建物として他の建物と共に登録有形文化財となっています。

訪問日:2012年4月20日

 

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打吹(うつぶき)賀茂神社 in 鳥取県倉吉市葵町

2017年07月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

倉吉市葵町、打吹公園に隣接する保存林の中に鎮座される「打吹(うつぶき)賀茂神社」。御祭神は『賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)』

由緒・縁起に「往古、山城国上賀茂神社から分霊を勧請。寛政年代まで倉吉町の総氏神とされ、「賀茂皇太神宮」「賀茂大明神」と称した。明治維新の折「賀茂神社」と改称、郷社となり倉吉町東半分の氏神となった。」

石段参道の先に一の鳥居。その先より神域を守護されるのは昭和36年(1961)12月生まれの出雲丹後系狛犬さん一対。

境内参道の手前に「御神水・夕顔の井戸」。古来よりこの地には「打吹天女伝説」があり、この井戸で天女が水浴びをしたと言われています。多少の設定の違いはありますが、やがて羽衣を手にした天女は、この井戸の傍らに咲いていた夕顔の蔦をつたって天に帰った為と云い、以来この井戸を「夕顔の井戸」と称するようになりました。

生茂る保存林に囲まれた参道の石段・・・町歩きの後にこの急な石段は流石にきつい・・

境内の入口に随神門。真っ直ぐ正面に、やっと(^^;)拝殿が見えてきました。

随身門の内より神域を守護される随身様。どれほどの時をこの地で過ごされたのでしょうか・・

参道正面に唐破風の拝殿

拝殿後方に妻入りの本殿

扉脇に施された彫刻は、「強きものだけが生き残れる」の例えとして知られる「獅子の子落とし」。

本殿唐破風には高く顔を上げ、身をくねらせる龍。

社殿の傍に「雷神降臨のもみの木」「2007年8月19日、この地に落雷があったが、被害は樅の古木二本のみで他に被害はなく、まさに「賀茂別雷神(雷を分ける神)」の御名の通り、災難除けに霊験あり。」現地駒札より

社殿近くに還座される境内社:東仲町「天満宮」・魚町「天満宮」

西仲町還座される境内社「天満宮」

朱の鳥居の内に鎮座される「稲荷舎」。

手作りと思われる沢山の「打吹流しびな」絵馬。4月の上旬、神事がとり行われたあと、ひな人形の絵馬を玉川に流し、子供の成長と玉川の浄化を願います。

境内を取り巻く保存林は豊かな自然に恵まれており「ほたる生育地」としても有名だそうです。夜の静かな闇にゆれる蛍の灯・・それはもしかしたら天に帰っていった天女の溜息かも知れません。

参拝日:2012年4月19日

 

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打吹玉川の町並み散策~Ⅲ~ in 鳥取県倉吉市

2017年07月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

気が付けば何度も行ったり来たりの玉川沿い、それでも見飽きないのが何ともすごい(笑)

心地よい水音を感じながら歩いていくと、何ともモダンな寺院に行き当たりました。これでもれっきとした浄土宗のお寺だそうで、豪商『淀屋清兵衛』歴代の墓もあるそうです。

「大蓮寺」の画像は寺紋に向かい合う一対の白蛇しか無いのですが(笑)、かわりに入口近くにあった「弁天堂」。目的は、池の中で陽気に尾びれを上げている石州瓦の鯱(しゃちほこ)さん。

多分何処かの屋根においでだったんでしょうが、どのような経緯で地上の池に降ろされたのか・・・でもその顔を見てると満更でもなさそう(笑)

そうそう、「弁天堂」の向かいのお宅の褄壁に素敵な鏝絵を発見!!。ルネッサンス風の美しいデザインは、明治大正時代の洋風建築に、たまに見かける事があります。

洋風建築と言えば、昭和六年に建てられた「旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店」。倉吉初の鉄筋コンクリート造の建物は、草木染のお店「ぎゃらりぃ和」として活用されています。

破風中央の「星」のマークは銀行章? それを包み込むように蔦の束。

明るく開放的なこの一角は、2003年に火災で焼失した建物の跡地に作られた「くら用心」。現在は地域の防災センターとして機能しており、この庭を抜けると再び玉川に出る事ができます。

町歩きの締めくくりは「倉吉ふるさと工芸館」

「絵をそのまま織り込んだ様な複雑な模様が美しい倉吉絣。約200年前『稲嶋大助』が花鳥山水の絵絣を織り、普及させたものです。明治時代、諸外国の万国博覧会で受賞するなど名声を博しました。現在、倉吉絣保存会が倉吉絣の伝統を受け継ぎ、倉吉ふるさと工芸館にて、自作の着尺、暖簾から鞄、財布、テーブルセンターまで展示販売しており、機織りの実演も見学できます。」公式サイトより

町歩きの時々に見かけた「打吹天女伝説」。湯梨浜の羽衣石でも羽衣伝説があり、そこでも最後に子供たちが鉦や太鼓を打ち鳴らした山として「打吹山」が出てきます。大方の設定は似たようなもので、ここでは羽衣を隠すのは倉吉に住む若い樵。近くの湧き水で水浴びをしていた天女の羽衣を見つけ、天女の頼みを無視して家に持ちります。仕方なくきこりの妻になった天女は、やがて二人の子供の母に。ある時、母親から、父親が何か隠していないかと聞かれた子供たちは、屋根裏から箱を見つけ出して母に渡します。母親は箱の中の羽衣をまとうと、もう子供たちの事もすっかり忘れて、井戸の傍の夕顔のつるを伝って空に舞い上がりました。

子供たちは泣きながら母の後を追いかけ、山の上で母の好きだった鼓を打ち、笛を吹き鳴らして母を呼び求めました。けれど優しかった筈の母は一度も振り返る事なく彼方に消え去ってしまいました。子供たちが打ち鳴らす音は何時までも鳴りやむことがなく、その時から人々はこの山を『打吹山』と呼ぶようになったと云います。

泣き叫ぶ我が子の存在も眼中に無く、一切の情愛を持たない天女。実は天女には親子という観念が無いのかもしれません。羽衣を無くした時点で天女は人間と同じになり、夫婦として、人の親として存在します。が、ひとたび天女に戻ってしまうと、人間界のすべては霧の如く消え去ってしまうのです。天女にとって人間界で過ごした時間は、おそらく瞬きの一瞬よりも短い時間だったのでしょう。三保の松原、峰山の天女、余呉の天女・・幾つかの伝説の地を巡って出てきた私なりの答えです。

訪問日:2012年4月19日

 

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打吹玉川の町並み散策~Ⅱ~ in 鳥取県倉吉市

2017年07月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

玉川沿いに並ぶ白壁土蔵群と連続して玉川に架かる石橋の情景、倉吉の代表的な景観として観光案内やその手の番組にも頻繁に登場します。

この日も多くの観光客が絶好の撮影ポイントを求めて、石橋を行ったり来たり。もちろん私たちも行ったり来たり(笑)

元「高田酒造」の酒蔵だった建物内部を改装した、創作工房「アートハウス夢扉」。登録文化財の建物は、地元芸術作家の創作工房として活用されています。

「高田酒造」の建物は、天保14年(1843)の建築で、県指定保護文化財。倉吉の商家を特徴づけている格子や低めに押さえられた軒など、貴重な町家の姿を伝えます。御亭主殿、ここでも地酒の銘柄に釘付け(^^;)

宝暦10年(1760)の建築で、倉吉市に現存する最古の町屋建物「旧牧田家住宅・倉吉淀屋」。こちらでは貴重な町屋の内部が一般公開されており、係りの方の詳しい説明と共に、洗練された町屋の内部が見学できます。

代々呉服屋を営んでいた「豊田家住宅(久米郡倉吉驛)」。現在の主屋は明治33年(1900)築で、昭和5年(1930)に増築された離れとともに、登録有形文化財の登録。正面軒は出桁造とし、壁面は鼠漆喰塗とする等当時の町屋の様式がよく残されています。

明治10年創業の老舗「桑田醤油」、歴史を感じさせる商家造りは県指定保護文化財。

寛延~文政年間の建築とされる「山陰民具」。明治年間に幾つかの改修が行われたものの、茅葺町家建築の歴史を伝える貴重な建物として、登録有形文化財の指定。

「○○家」と書かれた案内が無くても、思わず足を止めて見入ってしまう建物。一足ごとに、角を一つ曲がるごとにそんな素敵な佇まいが幾つも続きます。角地にある建物は、かって医院だったのでしょうか? それとも現役?壁に「婦人科」と書かれた看板が見えます。

「犬矢来」の中で仲良く並ぶ「双体道祖神」、傍らにはこれもやはり「双体道祖神」が三体揃って並んでいます。多分、どこか別の土地から運ばれてきたのでしょう。「犬矢来」に収まる姿が、まるで菰に包まれているようでとても暖かい。

少々歩きつかれました。このあたりで、美しい町並みを見ながら美味しいコーヒーでも頂く事にしましょう。白壁土蔵群にある「赤瓦五号館 久楽」。1階の民芸品ショップには楽しいお土産が一杯で、あれもこれもと目移りしそう。

まだまだ続く打吹玉川の町歩き、続きは明日の町並み散策~Ⅲ~で

 訪問日:2012年4月19日

 

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打吹玉川の町並み散策~Ⅰ~ in 鳥取県倉吉市

2017年07月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

年間50万人以上の観光客が訪れる「重要伝統的建造物群保存地区・倉吉市打吹玉川」。黒板塀に白い土蔵造りの建物が並ぶ町並みは、パンフレット等でもすっかりお馴染み。

江戸初期から大正時代まで商業都市として栄えた打吹地区。本町通りや玉川沿いには、江戸時代末期から昭和前期までの伝統的建造物約100棟が現存し往時の面影を偲ばせています。

有名な建物やお店が目当てでない町歩きは、ある意味とっても自由で気まま。そうして一足ごとに出会う各々の佇まいに魅了されます。紫の暖簾に染め抜かれた「餅一筋 清水庵」。餅一途に商ってきた餅屋ならではの名物「餅しゃぶ」が有名だそうです。

魚町通りの「倉吉大店会」。明治41年(1908)に第三国立銀行倉吉支店として建設された擬洋風建築の建物は、複数の金融機関を経て、現在はカフェ、事務所として使用されています。

歴史のある町並みには歴史のある寺社も多く存在し、慶長十年(1605)に開創された曹洞宗の名刹「大岳院」もその一つ。

もと駿河沼津城主 中村彦左衛門一栄公の菩提寺で慶久寺と称していましたが、一栄公の移封とともに伯耆八橋に移転。 一栄公の没後、嫡子の倉吉城主 中村伊豆守が一栄公を開基とし、その法名から「萬祥山大岳院」と名づけ、父の実兄で慶久寺十世 孝山智順禅師をむかえて開創しました。

境内には、江戸幕府によって伯耆国に配流され、元和8年(1622)にその地で没した安房国(千葉県)館山城最後の城主『里見安房守忠義』と主君への忠義に殉じた8人の家臣が葬られています。家臣につけられた戒名には、共通して「賢」の字が入る事から八賢士と称され、この「八賢士」を『南総里見八犬伝』に登場する「八犬士」のモデルに求める説もあるそうです。

また同じ境内には、『明治天皇』の高祖母にあたられる『大江磐代』の母君『お林の方』の墓所もあります。

参詣を済ませたら再び町歩き。こちらの建物は江戸時代の嘉永年間から酒造りを続ける「元帥酒造」。石州瓦の赤と白壁のコントラストが美しく町並みに溶け込んで、思わずウットリ。

御幣の巻かれた杉玉。心惹かれるラベルの名前・・ご亭主殿、町歩きは始まったばかり!帰りに寄りましょうね!

まだまだ続く打吹玉川の町歩き、続きは明日の町並み散策~Ⅱ~で

訪問日:2012年4月19日

 

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上井(あげい)神社 in 鳥取県倉吉市上井

2017年07月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・鳥取県

JR倉吉駅を下に見下ろす高台、倉吉市上井に鎮座される「上井(あげい)神社」。御際神は、天地開闢の際に出現した初めての神とされる『国常立尊(くにとこたちのみこと)』

由緒に「当神社は寛文(1661)の頃「床大明神」と称し、貞享二年(1685)に「常大明神」、さらに寛永(1624)の頃には「常宮大明神、常磐大明神」等の社名があったと伝えられている。明治維新の頃「上井神社」と改称され、明治44年に神饌幣帛料供進神社に指定。」境内由緒より

急な石段を上がった先より神域を守護されるのは、明治41年(1908)生まれの出雲丹後系狛犬さん一対。阿形さんのあご先が少し欠けているのが少々気がかり・・・

拝殿前左右より守護されるのは、2010年奉納の護国タイプの狛犬さん一対。

境内社「荒神稲荷社」

境内社「若宮八幡社」

 

参拝日:2012年4月19日

 

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