車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

有明山(ありあけやま)神社~其の二 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

神域と呼ぶにふさわしい空気の中、この場所に立てた事を感謝し尚且つ、素晴らしい匠の技を堪能できた事、まさに旅の醍醐味を満喫しています。御神体である有明山に見守られつつ、「有明山神社」のラストは~其の一で紹介しきれなかった境内のアレコレ😊

「裕明門」を潜った先、境内右手に立派な覆い屋根を持った土俵があります。例祭などで奉納相撲の神事が有るのかもしれません。何しろ御祭神の一柱は力自慢の『手力男命』ですから。

拝殿に向かう参道の右手に「開運・招福の石」なるものが。なんでもこの「口」の部分を潜り抜けると運が開けて福を授かるらしく、東面に「吾(われ)只(ただ)足(たる)知(しる)」「必要以上に欲張らず、今ある幸せをちゃんと見なさい」という意味と理解しています。京都の龍安寺にこの文字が彫られた「知足の蹲居(つくばい)」があり、実際に拝見させて頂いたことがあります。

西面には「吉(きち)呼(よんで)員(かず)和(わす)」。こちらは初見ですが「喜びを集めて和やかに」という意味のようです。

絵馬もあります。

『岡村阜一(ふいち)』像。「明治11年(1878)、有明山を御嶽山同様の信仰の山とすべく、3年間かけて巨額の私財を投じ有明神社里宮を復興。以後、約30年間にわたり、その付随施設整備のため一生を捧げました。明治13年には、御嶽教と同様に「有明講」を起こし、日夜伝導教化に務め、講数800、講員3,200、信仰者3万520余戸、信徒10万人となり、地方宗教界の一王侯の観がありました。」(安曇野市の先人たちより)

一間社流造りの境内社『有明講の社』

「有明山三十三度登山」記念の碑

神社由来の中で「大正昭和に至り多くの皇族方のご参拝を頂いた」とあるように、境内にはお手植えの木々が豊かに葉を茂らせています。「東久邇宮稔彦王殿下 御手植(大正十年八月八日)」。第二次大戦後、終戦処理内閣として内閣総理大臣を務め、後にGHQによる内政干渉に対し、抵抗の意志を示すため在任日数54日間で総辞職。並ぶ植樹は、その兄上に当たられる「朝香宮鳩彦王殿下 御手植(大正九年八月十五日)」。

秩父宮雍仁親王殿下 御手植(大正十二年七月二十四日)」。大正天皇の第二皇子で、昭和天皇の弟宮。

秩父宮勢津子妃殿下 御手植(昭和四十七年九月十二日)」。旧会津藩主・松平容保公の孫姫。「秩父宮雍仁親王」の御后。

山階宮武彦王殿下 御手植(大正十四年八月四日)」。昭和天皇の従兄弟に当たられる。皇族で初めて海軍航空隊に所属し、空の宮様と呼ばれた。

お手植えの木々の間に見つけたちょっと珍しい石灯籠。火袋の柱部分が輪っか状態に丸く刳り貫かれ、下部に波兎が彫り込まれています。波兎は縁起の良い題材として、留め蓋瓦や社殿彫刻などに見かける事はありますが、灯籠の柱というのは初見かもしれません。

石灯籠と言えば「妙見 里の瀧」に奉納された石灯籠の竿(柱)の部分も、なかなか興味深い形をしていましたが、あれは多分自然石を用いたのでしょう。

満開の桜の下、手を伸ばせばひらひらと舞い散る花吹雪が髪に・・肩に

有明のお山から下りて来たのか・・・・沢山の猿を見かけたけど、どの子も遠巻きに人の姿を見るだけで、若草の上に有る筈の何かをせっせと探している。どの子も・・本当に綺麗だった・・・。

そうそう、そう言えば一の鳥居の鳥居額は「有山神社」と書かれていたのだけど、あれには何か意味があったのかしら? 眀」読みは「べい・みょう」「みる」。とすれば何と読めば良いのだろう?。単なる間違いとは思えないし・・・二の鳥居は「有明山神社」だったから聞くのも憚られたけど・・やっぱり聞けばよかったな・・

神社を後にして走る事数分、有明山通りと山麓線との交差点で見かけた「めぐり愛の岩」。傍らの碑には「神が住まう山と崇められ「あずみ野高天ヶ原伝説」の中心となった、有明山の参道に位置する一対の大岩は古くから「夫婦岩」と呼ばれて当地の人々の間で大切に祭られてきました。当地が夫婦岩とよばれる所以ともなっています。神々の住まう山とされる有明山にあった大小二つの岩は中房川の流れにその仲を割かれ、別々にいく年を経てようやく寄り添うことの出来た“めぐり愛の岩”です。「月がこの岩の上空に掛かる時、岩の前で二人の愛を誓うと、その愛は神々によって永久に守られる」「中房川の小石に二人の名前を書き、奉納すると、遠く離れていてもいつか必ずめぐり合うことが出来る」という、ロマンチックな言い伝えも生まれています。」

参拝日:2016年4月18日

コメント (4)
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有明山(ありあけやま)神社:祐明門 in 安曇野市穂高

2022年06月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

明治35年(1902)、日光東照宮の陽明門に模して建てられた祐明門は、その華麗さから「信濃日光裕明門」とも称されます。豪華絢爛、華麗なる彫刻の数々、ご覧になって「この程度か」と思われたなら、それは私の写真の拙さ故。ぜひ現地に行ってご自身の目で確かめて下さい。

『清水虎吉』氏による彫刻は「龍」。その上には「粟の穂に鶉(うずら)」

瑞雲に包まれて褄を支える阿吽の「力神」

12支の「亥(いのしし)」「蝦蟇仙人」

12支の「午(うま)」「鉄拐先生」

通路の周囲に残りの12支、まずは「子(ねずみ)」

「丑(うし)」

「寅(とら)」

「兔(うさぎ)」

「辰(たつ)」

「巳(へび)」

「未(ひつじ)

「申(さる)」

「酉(とり)」

「戌(いぬ)」

毬で遊ぶ獅子の親子

子獅子に乳をのませる母獅子

ゆるやかに伸びをし

木立の陰からこっそりと顔を出す獅子

満開の牡丹を咥える唐獅子

むせかえる花の香りに酔いしれて

通路の内側には「二十四孝(にじゅうしこう)」4場面。「郭巨(かくきょ)」

「老萊子(ろうらいし)」

「唐夫人(とうふじん)」

「楊香(ようこう)」

ちなみに私はこの二十四孝の内容すべてが嫌いです😓。寺社の彫刻でこれを見ると、もっと他にましな話があるだろうと苦々しく思うのですが・・でも小心者なので口には出しません。と言いつつ書いてます😅

「松に鷹」

「鴛鴦」

そして何故か「菊花に眠り猫」。依怙贔屓満開で「カワイイ!」

格天井絵40枚。このうちの35枚は京都の画家『村田香谷』の筆によるものだそうです。

貫の獅子・・迫力ありすぎて怖い・・・😱

でもこの位置から見ると河童に見える😆

参拝日:2016年4月18日

有明山神社のラスト、明日は境内他の紹介です🌸

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有明山(ありあけやま)神社:手水舎 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

満開の桜を背景に、有明神社二の鳥居

参道から見上げる『山口権之正』作の「手水舎」

手水舎の鬼瓦

御神紋の下に、竹林に潜む虎

反対側は何だろう?

降り棟の左右より、勢いよく飛び跳ねる飾り瓦の獅子一対。

留め蓋瓦の上、竜宮城で貰った玉手箱を大事に抱える『浦島太郎』。開けてはならぬと乙姫様に言われていたのに・・心細さに負けて、開けてしまった玉手箱。

箱の中から出てきた煙に包まれた太郎はみるみる年老いて、あっという間に髪は白くなり、顎の下には長い長い白髭が・・・そうして木曽の寝覚めの床で、釣りに明け暮れましたとさ😊   ・・おいっ!😠!

手水舎の天井には、瑞雲逆巻く中に深紅の口中を見せて飛翔する龍の姿が。

龍神のお顔にライトを当てて、更にアップで(笑)

褄部分虹梁彫刻には阿吽の親子獅子

渦巻く波間の龍

鳳凰

麒麟

松に鷹

竹林の虎

参拝日:2016年4月18日

明日は有明山神社:祐明門の紹介です🌸

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有明山(ありあけやま)神社~其の一 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高有明宮城、「有明山」を御神体とする「有明山(ありあけやま)神社」。有明山の麓に本宮(里宮)があり、御祭神は『手力雄命・八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)・大己貴命』。有明山山頂(中岳・南岳)に「奥大宮」が鎮座されます。

由来「手力雄命が天の岩戸を投げ飛ばしたのが、戸放(とはなら)ヶ岳、又は有明山と呼ばれる霊峰と伝えられる。第八代孝元天皇の五年に社殿を造営「戸放権現」と称す。延歴二十四年(805)、東国平定途上の坂上田村麻呂が八面大王征討の際、戸放権現に祈願し、見事に成伐したという。後島羽上皇は領主仁科盛遠に国家安泰を祈願させ、建保三年(1215)「暁時雨」と題した御歌を奉納。江戸時代に一時衰退するも明治に入って豊科寺所出身の岡村阜一氏が再興のため尽力、現在地に社殿を増築し、神域を拡張、信濃日光と称され、大正昭和に至り多くの皇族方のご参拝を頂いた。日本海軍「有明」の艦内神社に分祀。また、海上自衛隊の護衛艦「ありあけ」の艦内神社にも分祀されている。」

境内入り口参道脇、橋上の上左右より神域を守護されるのは、「明治38年日露戦争戦捷記念」のブロンズ製狛犬さん一対。満開の桜の下、勇ましくも優しい眼差して参拝者を出迎えてくれます。

参道右手には市有形文化財で切妻瓦葺の「手水舎」。飛騨の匠『山口権之正』の作で、虹梁・天井には見事な彫刻が施されています。その数の多さは半端なく、どれを削るなんてとても考えられない程にどれも秀逸。という事で手水舎彫刻は~其の二で改めて紹介します。

参道正面に、明治35年(1902)に日光東照宮の陽明門を模して建てられた「祐明(ゆうめい)門」。和様に唐楼を混ぜ、精巧美麗を極めた切妻軒唐破風付八脚門で、同じく市有形文化財の指定。どの部分を切り取っても秀逸過ぎる彫刻の数々・・これも手水舎同様、改めて詳細に。

神門内左右より神域を守護されるのは『浜猪久磨・鑛一』作による、珍しいブロンズ製の随身様一対。アップで撮りたかったのですが生憎の花曇りの下の金網越し・・流石に何を写したのか良く分からない画像😅

神域では境内の外にあるもの以外、フラッシュは使わない事にしているのでこれもやむを得ません。金網の隙間から写した随身様の台座は、多分笑っておいでの虎。

境内側からみる「祐明門」、こちらには『清水虎吉』作による一対の御神馬が神域を守護されています。

漆黒の御神馬もやっぱり撮影失敗。右手の白馬のみ金網の隙間からアップで・・・😅

「祐明門」の先より神域を守護されるのは「明治二十三年九月十五日 松本町石工・伊藤幸太郎」作の狛犬さん一対。

久々に美しい狛犬さんに出会ったので、又しても特別扱い、まずは満開の桜を背景に阿形さん。

更にアップで!

有明山麓の緑を背景に端正な顔立ちの吽形さん。背中から胸にかけて流れる毛先が、まるで生きた蛇を連想させます。

更にアップで!

屋根に七つの鰹木を持つ神明造りの拝殿は、明治二十一年(1888)の再建。有明山そのものがご神体である為、本殿は無く、拝殿が有明山遥拝所となります。

拝殿額の横には『天照大神』を岩戸からお出まし願う大役を担った『天鈿女命』と、天孫降臨の際に先導を勤められた『猿田彦命』。もう一方には「三宝に御神酒」の額。

裕明門と同時期の明治35年(1902)に建てられた神楽殿。内部を拝観する事はできませんが、格天井には51名の画家による81枚の板絵があり、安曇野市文化財の指定を受けています。

拝殿渡り廊下の下をくぐった先に、注連縄が張られた「妙見 里の瀧」が見えてきました。清らかな水が流れ落ちる音は、春とは名ばかりの冷たい空気と相まって思わず背筋が伸びるような不思議な感覚。

瀧は水の神が住まう場所。時に恐ろしく、時に人の命の糧をもたらす龍神は、天翔けて世の穢れを洗い流すと云われています。この地には『法壽(ほうじゅ)龍神』が祀られています。

瀧の傍らに奉納された灯篭の傘の上から私たちを見守るのは、なんとも優しい眼差しの瓦材の獅子と、小さな天狗さん。多分・・諸事情が有ってこちらに移されたのでしょうが、目があった瞬間に笑みがこぼれそうな優しいお顔をされています。

有明神社の境内、まだまだ紹介しきれないあれこれが有るのですが、続きはまた明日🌸

参拝日:2016年4月18日

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大王わさび農場:水車小屋 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

10月も後半、過ぎてゆく季節をひたすら惜しむように、羽を休める赤とんぼたち。このとてつもなく静かで穏やかな時間の中にいると、本当に旅に来たと実感します。

わさびの花は白く小さく・・

清らかな湧水は広大なわさび田を潤し

なおも枯れることなくゆるやかに流れ、水の道となる。

万水川(よろずいがわ)の流れをうけてゆっくりと回る三基の水車、それはまるで遠い夢のワンシーンに似て

4月半ば・・水面に写るのは、柔らかな芽吹きを見せて春の訪れを告げる「四手桜 」

10月も後半・・羽黒トンボは、名前通りの黒い羽を休めてしばし寛ぐ

やがて訪れる厳しい冬の寒さに耐えようと、固く樹皮をまとう木々

コトン・コトンと回り続ける水車

ここは黒澤明監督の映画「夢 第8話:水車のある村」のロケに使われた水車小屋。

季節によって様々に表情を変えるという、万水川の流れ・・ツララの宝石をまとう厳冬。(大王わさび農場百年記念館の「雪中の水車小屋」)

雪解けの地面から除く柔らかな緑、真夏の太陽に光る川面・・。全ての季節に神が宿り、全てのものに神を見出せる・・・ここはそんな日本の原風景。

清らかな水は安曇野の田畑を潤し、より豊かな実りを人々にもたらします。

訪問日:2010年10月16日&2016年4月19日

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大王わさび農場:道祖神 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

路傍の神様として、北は青森県から南は島根県まで分布する「道祖神」。それは寄り添いあう男女の姿が彫られた「双体道祖神」であったり、文字のみの「文字道祖神」であったりと様々で、特に長野県には約4000弱の道祖神が存在し日本一の多さを誇っています。中でも安曇野市には約400体以上の道祖神があり「道祖神の宝庫」ともいわれています。

万水川の畔、せせらぎに耳を傾け、互いに手を取り肩を抱く「抱擁・握手双体道祖神」。左右に並ぶのは馬頭観音かな?

互いの頬の近さが涙ぐましいほど睦まじく、ああ、私たちもこうでありたいと思うのです。

酒器を持ちひざまずく女神、左手に盃を持ち、右手をそっと肩に添える男神の姿を刻んだ「祝言双体道祖神」

「抱き寄せ・握手双体道祖神」

珍しい「念仏双体道祖神」。文字通り、男女神共に、合掌の姿勢をとっています。

提(ひさげ)を持つ女神、男神は盃を持ち、互いに軽く触れ合う手が何とも優し気な「祝言双体道祖神」

少女漫画に登場しそうな整った顔立ちの「祝言・抱き寄せ双体道祖神」。男神は盃を持ち、右手を女神の肩に、女神は瓢(ふくべ)を持ち体を斜めに優しく寄り添っています。

土産物売り場の前に置かれた、「握手・抱き寄せ双体道祖神」新しい時代のものらしく、デザインも今風に綺麗です。

こちらは2016年の再訪の際に初めて見かけた「抱擁・握手双体道祖神」

大王わさび農場には双体道祖神以外にも沢山の神仏像が祀られています。例えば大王窟の隣にある「開運洞」

洞窟の奥には宝船に乗った「開運七福神」。そして・・何故か大量の小石がぎっしり。

大王さまの見張り台へと至る道は木漏れ日の中、手入れされた木々と緑のコントラストが美しく、ちょっとした森林浴気分。

見張り台の上に設置された「太陽の石」、そしてやっぱり大量の小石。

「大王農場の先駆者(開拓者)である初代深澤勇布(1886~1941)は運命のすべてを魏石鬼 八面大王に委ねたが、これを継いだ二代深澤勇布は大王農場の精神の拠りどころ「農場の心」を、まさしく太陽に求めた。二代勇布は晩年に「八面大王の見張り台」と称する石積みの頂上に球状の白御影石を荒彫りしたものを置いた。それは文字通り「太陽」を表している。崇拝した道元禅師像(細川宗英作青銅製)をこの見張り台の西側向かいの「アルプス展望の小径」の一角に安置したが、その際、道元大師の視線をこの「太陽の石」と結んでいる。二代勇布の心からなる着想であった。」由緒より

「アルプス展望の小径」より、太陽の石を見つめる『道元大師像』

左は「千手観世音菩薩像」、右は「・・・・」わかりません。

結跏趺坐の姿勢で白象に乗る「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」

美しい風景と、清らかな水と、神仏に見守られた大王わさび農場の「わさび」。これだけの条件下で育てられた「わさび」、食べなければ絶対に後悔する!!と言う御亭主殿たっての希望で、お土産用に生わさびをお買い上げ。クーラーボックス占領されちゃう・・・😅

訪問日:2010年10月16日&2016年4月19日

すっかり「双体道祖神」に魅せられた私。それから6年の歳月を経て、安曇野市はむろん、可能な限りの辻々を訪ね、双体道祖神を堪能してきました。その感動は、又いずれ折を見て紹介できればと思います。

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大王わさび農場:大王神社 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

大王わさび農場の敷地内に鎮座される「大王神社」。御祭神は『魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)』。「大王わさび園」の由来となった神社です。

「今を去る1200年前(延暦年間)安曇野平野に繁栄した原住民族の王を、人呼んで魏石鬼八面大王と称した。後に大王の偉業を顕彰して建てられたのが大王神社である。折しも南方より侵攻し来たる大陸族との間に激烈なる攻防戦が繰り展げられ、大王は一族を率いて勇戦敢斗大いに侵入者を悩ました。然し優勢を誇る大陸族の前には遂に抗し難く、大王は捕らえられ処刑された。 大王の復活を恐れる余り遺骸は分断され、その胴体を葬ったのが当大王山であると言われている。」由緒碑より

鳥居の内より神域を守護されるのは何とも不思議な表情の狛犬さん一対。焼き物の狛犬さんでこれとよく似た表情のものが有りますが、何タイプと言えば良いのでしょう。ちなみに吽形さんの頭には角の代わりに賽の河原の石状態で沢山の石が載せられています。これってどうなんでしょう?

鳥居を潜った先の拝殿前左右より神域を守護されるのは、これも独特の風貌の狛犬さん一対。阿吽の区別が感じられず、やはり陶器系の狛犬さんを想像させる顔立ち。

それにしても、先の狛犬さんの頭の上を見た時も同じように感じたのですが、流石に口中に詰め込まれた石は・・・あまりにも無神経に思えていただけません。可能であるなら全部取り出して差し上げたいと思いつつ、もしやこの地方独自の意味のある事かもしれないと・・辛うじて思いとどまりました。どなたかこれに関しての意味をご存知の方、是非、ご教授ください。

石置きされた狛犬さんの後方、拝殿の左右に掛けられている大きな草鞋は、大男だったという八面大王の為に、農場のスタッフの方が手作りされたものだとか・・・でも、幾ら何でも大きすぎません?😅

奉納絵馬

本殿は禁足地となっており、ここから先は進入禁止。

奉納:親子蛙

何処からが石で何処までが灯篭なのか判別し難い程、隙間なく石が積まれた灯篭。

「大王神社」の向こう側には『八面大王』が最後に立て籠もったといわれる宮城(みやしろ)の岩屋を再現した「大王窟」があります。

洞窟の奥には二基の石仏。

「その昔、桓武天皇の頃、魏石鬼(ぎしき)八面大王という、世にも優れた怪力無双の首領がこの地「安曇野」を治めていました。全国統一を目指す中央政権は、東北侵略をすすめるにあたって、信濃の国を足がかりとし、沢山の貢ぎ物や無理難題を押し付け住民を苦しめました。大王は坂上田村麻呂の率いる軍勢に刃向かうつもりは無かったものの、戦いは太刀や矢を持つ男ばかりか、女、子供まで巻き込み次々と村々は焼き払われていきます。追い詰められた大王は、わずかばかりの部下をともない有明山の麓の岩屋にこもって力の限り戦いましたが、ついに山鳥の三十三斑の尾羽で作った矢に当たり、倒れてしまいました。八面大王はあまりにも強かった為再び生き返らぬようにと遺体はバラバラにされ埋められました。」現地案内より

歴史も物語も・・常に勝者によって書き換えられ、そうしてその時々の英雄が生まれます。どちらが悪でどちらが善かなど、今に生きる私たちが軽々しく決められる筈もありません。けれども少なくともこの安曇野の大王わさび園においては、「坂上田村麻呂」は侵略者であり、「八面大王」はそれに抗って戦った英雄とされています。

「アルプス展望の小径」からは、わさび田と「有明山」や「北アルプス」が一望出来ます。

大王わさび園の一画で観光客を出迎えてくれる三人は「金太郎」と「山姥」。そして二人の父であり夫である「八面大王」。何がどうなってこの親子関係が産まれたのか😅 とりあえずここではそういう事らしいです。

安曇野市穂高有明には「八面大王足湯」なるものがあり、まさに八面の大王さまが足湯を楽しむ人たちを見守って(脅して)おいでになります😊

訪問日:2010年10月16日&2016年4月19日

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大王わさび農場 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市穂高「信州安曇野に広がる日本一のわさび園」のキャッチコピーで知られる「大王わさび農場」。観光パンフレットの説明には「北アルプスからの湧き水を利用した安曇野わさび田湧水群の一角に広がる、日本最大規模のわさび園です。」とあり、信州にきたら絶対に訪ねたい場所。その願いが叶って大満足 😄

15ヘクタールの広さを持つわさび園。ゆっくり満喫コースで1時間30分」園内案内図の第一印象は「ひ・・・・広すぎる・・大丈夫かワタシ?😱」

想像以上の広さに度肝を抜かれつつ、まだ園内のお掃除をされている方に挨拶をしながら早速お邪魔させて頂きます。通路で見かけた碑の文字は【激義氣以虹貫,發精誠而石開  幽州紀聖功碑銘】後でご亭主殿が調べてくれたところによると、唐代の人『李裕』の文の一節とか。漢字の字面から何となく言いたい事は理解できます😅

園内に入った私たちを出迎えてくれるのは、広大なわさび田を背景に立つ巨大な「わさびのオブジェ」。言わずもがなの撮影スポット😍

年間約120万人もの人たちが訪れる安曇野随一の観光スポット「大王わさび農場」。眼下に広がる一面の緑が、普通の日常に見られる野菜畑とかで無く「わさび田」という・・この何とも素敵な非日常感。

落ち着いたたたずまいの和室は「茶室」。こちらでは、環境庁名水百選の湧水で点てたお抹茶が頂けるそうで、これはかなり心惹かれます。

茶室の横に設けられた通路を下ると、一面のわさび田と「幸いのかけ橋」が見えてきます。【カップルで渡ると幸せになれる!】との事ですが、私たちのこれ以上の幸せってどんなんだろう😄

ああ!、こんなに美しい景色を二人で一緒に見られるという「幸せ」、私たちはたった今、手に入れた🍀🌸。

何処までも続くわさび田。大切に大切に育てられた一面の緑の世界はまるで極上の緑のじゅうたん。

「父の聲は開拓の鍬の響き 母の聲は湧き出る沢の音」

でもってそんな丹精込めた「わさびを摘む少女像」。巨大な「わさびのオブジェ」に負けないインパクトを発揮してくれてますが、実際問題として少女と言うにはちょっとばかり(///ω///)・・・。でもって何故に裸体?! う~~~ん、芸術って正直良く分かりません😅

優雅にベンチに体を預ける女性。何をしているのかと思えば積んできたわさびをしっかりと握りしめて・・・う~~~ん、芸術ってやっぱり良く分かりません😅

広大なわさび田の一画に設けられた親水広場。運が良ければ突然変異した黄金のニジマスが見られるかも・・と言うので待つ事しばし・・・デジカメを構えて待つ二人の陰に割り込む様に、確かに黄金のニジマスが!!何というタイミングの良さ😲

六年後の再訪の折にも姿を見せてくれた黄金のニジマス。その後方には朱色の縦帯を持つ普通のニジマスの姿も。こんなに澄んだ水の中を優雅に泳ぐニジマスを見られるなんて、もうそれだけで幸せになった気がする💕

私が立っている場所は黄金のニジマスの出現率が高い場所として有名らしく、観光バスが付くたびにカメラを構えた人で溢れ、そして10分前後で誰もいなくなります。

2015年8月にオープンした「大王わさび農場百年記念館」。館内では古い写真や道具が展示され、またパネルや映像を用いて農場開拓の歴史が紹介されています。

何かを成し遂げるというのはいずれの事業であっても生半可ではないと聞きますが、この「大王わさび農場」もむろん例外ではありません。初代経営者が扇状地の豊富な湧水を利用したわさび畑の開拓を志したのは大正4年(1915)の事。二年の歳月をかけて土地を入手し、砂利主体の荒地であった土地の開拓に着手。それから6年後、大正12年(1923)に古畑完成。さらに大正15年に大王畑が完成し、農場地の一画に「大王神社」を奉祭。昭和10年(1935)新畑の開拓が終わり、約20年にわたる開拓が終了しました。公式HPには更に詳しい歴史が紹介されています。

「わさび田の石」・・・「アプライト(半花崗岩)。岩石にマグマが貫入して冷えた物が帯状になったもので「はちまき石」とも呼ばれている。(約七千年前のもの)」記念館見学の際にお土産にいただいた「はちまき石」。今でも小さな人形たちの膝の上でふんぞり返っています。

訪問日:2010年10月16日&2016年4月19日

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ご当地マンホール in 長野県旧穂高町(安曇野市)

2022年06月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧南安曇郡穂高町(ほたかまち)は長野県の北西部、南安曇郡の北端に位置した町です。松本市、大町市、東筑摩郡明科町、南安曇郡豊科町・堀金村、東安曇郡池田町・松川村に隣接。松本盆地の中央部、北アルプスの前山である常念山脈の東麓、梓川と高瀬川などの扇状地上に町域があり、中心集落穂高は近世には糸魚川街道の保高宿として発展。近世から用水路による開拓が行われ、県下第一の米作地となりました。

また高瀬川と梓川の合流点付近は地下水が豊富な事からワサビ栽培が行われており、日本一の規模を誇る「大王わさび園」が有名。更に、日本アルプスの総鎮守とされる「式内社:穂高神社」など、多くの観光資源を有しています。「町の木:シャクナゲ」「町の花:ワサビ」を制定。

旧キャッチフレーズは「人と自然が奏でるシンフォニー・21世紀穂高」

明治22年(1889)、町村制の施行により、南安曇郡東穂高村・有明村・西穂高村・北穂高村が発足。

1921年、東穂高村が町制を施行・改称して南安曇郡穂高町となる。

1954年、穂高町が有明村・西穂高村・北穂高村と合併、改めて南安曇郡穂高町が発足。

2005年、南安曇郡豊科町・堀金村・三郷村・東筑摩郡明科町と合併、安曇野市穂高となりました。

マンホールには、「冠雪の北アルプス」と、「町の木:シャクナゲ」が描かれています。(駅前商店街や、大王わさび園近くに設置)

アクアピア安曇野:展示マンホール

昭和38年(1963)10月29日制定の町章は「穂高町「ホ」の図案化で、円形の部分で町民の団結と平和を示し、左右の翼及び上下の鋭角で産業文化の発展向上を表わし、躍進する穂高町の姿をたくましく象徴している。」旧穂高町HPより

町の花:わさびの花

撮影日:2010年10月16日&2016年4月19日

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安曇野豊科の道祖神:石仏~其の三 in 長野県安曇野市

2022年06月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市豊科南穂高踏入、覆い屋の下に「彩色・笏巻物双体道祖神」。上部に「月天・日天 」の装飾。「慶応三(1867)卯年踏入村 看之人延命 帯代金百両」の刻。

女神は「看之人延命」 の巻物を広げ、男神は女神の背をそっと支えている。大切な誰かの、命の長らえる事を願っての奉納と思われます。

隣にもう一基、多分文字碑の何かがあったのですが、ず~~~っとこの状態😥 流石にいつまでも待っていられなくて潔く退散。

安曇野市豊科南穂高寺所「諏訪松尾神社」境内。「握手肩抱き双体道祖神」「文字碑道祖神」

女神・男神の少しとがらせ気味の唇が何ともユニークで可笑しく、更に女神の肩に置かれた男神の遠慮がちな手がちょっと好印象。

互いに手を取り合い肩を抱く「抱擁・握手双体道祖神」「明治三庚午年(1870)二月之吉旦寺所村原 村中 帯代五拾両」刻。円輪の周囲に彫られた文字が飾りのように華やか。

安曇野市豊科南穂高寺所、覆い屋の中に納められた「彩色・祝言双体道祖神」

円輪の外に「正月吉日  明治二巳年(1869)」「西之側中  帯代拾五両」の刻。写す角度で全く異なった表情を見せる男女神。おそらく彩色のなせる業だと思いますが、見下ろす角度の方が美形😄。

安曇野市豊科南穂高、植え込みの一画に「笏扇双体道祖神」・「文字碑道祖神」

石の劣化が進んで表情等はかなり見辛いですが、女神は扇を、男神は笏を手にしています。「文政九戌(1826)十月吉日 木戸中」の刻

安曇野市豊科南穂高吉野梶海渡(かじかいと)、のどかな田んぼの一画に「握手双体道祖神」・「二十三夜塔」

「弘化三丙午年(1846)二月吉日吉野村梶海渡中 帯代十五両」の刻。男女神が立つ円輪下部は波模様に似た座。

伏し目がちな女神。労わるように見守る男神。アップで見る二人の表情には何とも言えない優しさが溢れています。

「庚申仏塔」・「二十三夜塔」・「文字道祖神」

安曇野市豊科吉野荒井、荒井集会所近くに「酒器・祝言双体道祖神」「庚申仏塔」他文字碑二基。

「天保十四卯(1843)正月吉日 扇町中 吉野村荒井中 帯代五両」の刻。堀金の扇町から招来されたと伝えられています。

「青面金剛像」

安曇野市豊科吉野、「安曇野市天然記念物:吉野荒井堂の大イチョウ」「供養塔」三基。

撮影日:2016年4月19日~20日

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