車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

安曇野豊科の道祖神:石仏~其の二 in 長野県安曇野市

2022年06月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市豊科本村。本村地区公民館の隣り、大日如来堂の傍らに「文字碑道祖神」「祝言・酒器双体道祖神」「神代文字碑」「庚申仏塔」各一基。

「文字碑道祖神」は高さ205cm、幅180cm、厚さ63cm。「弘化丁未(1847)秋改建成相本村 極盤書」の刻があり、日本で一番大きい「文字碑道祖神」と言われています。

巨大な文字道祖神の隣に「祝言・酒器:双体道祖神」「弘化三午(1846)正月吉日 本村 帯代十五両集会所」の刻。いわゆる美男美女のカップルと言って差し支えない、整った顔立ちの二人。

その隣、覆い屋の中に大切に保存されているのは、安曇野市有形文化財「本村の神代文字碑」。現地案内に「神代(じんだい)文字の一つ「阿比留文字」でヤチマタヒコノカミ(八衢比古神 ヤチマタヒメノカミ(八衢比売神) クナトノカミ(岐神)と、三柱の神を刻んだ碑である。 もともと屋敷神としてあったもので、平田国学(ひらたこくがく)の影響下、江戸時代末に造立されたものと考えられる。その後、現在地に移転してから、「本村中」の文字が加えられ、道祖神として祀られている。 俗間の目に触れぬ文字が刻まれ、しかも信仰されているという貴重な民族資料である。」

ガラス越しである事、もともと文字そのものが薄れている事もあって、精一杯加工してこの程度。それでも確かに文字らしきものの存在は見て取れます。

神代文字碑の隣に「庚申仏と三猿の碑」

更にたくさんの文字碑・石仏が並べられています。

安曇野市豊科西原、新田神社社号標横に「文字碑道祖神」二基、「双体道祖神」二基

「握手:双体道祖神」「天保十(1839)己亥正月日 下堀金村下村中」の刻。女神の控えめに伏せた顔が何とも古風でいじらしく初々しさを感じさせます。

「握手:双体道祖神」「天保十二(1841)辛丑年正月吉日 下堀金下村中」の刻。こちらは随分と華やかな顔立ちの女神。多分ですが・・・カカァ殿下タイプ😄

安曇野市豊科、某てっぱん焼き店の近くに建立されていた「大黒天」一基。

安曇野市豊科成相に鎮座される「八坂神社」

その境内に「握手双体道祖神」二基。「二十三夜塔」「御嶽大権現碑」各一基。

かなり小さい双体同祖神ですが、石の摩耗が激しく表情等は全く判別できない状態。

もう一基は顔の部分に損傷が見られる双体道祖神。時の流れによる風化であれば致し方ないと思う・・そうであって欲しいと思う自分がいます。

八坂神社の記念碑二基

安曇野の道祖神~豊科編、明日でラストです。

撮影日:2016年4月19日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安曇野豊科の道祖神:石仏~其の一 in 長野県安曇野市

2022年06月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

信州安曇野の道祖神巡り、記念すべき最初の出会いは、安曇野市豊科南穂高「細萱洲波神社」境内入り口の「細萱双体道祖神」。裏面に「天保十二(1841)辛丑歳春睦月吉旦 細萱町中」の刻。「細萱型」の由縁となった「道祖神」です。

6度目の信州車泊旅ではこの双体道祖神に逢える事がとても楽しみだったので、感動もひとしお。170年前に作られたものとは思えない、想像以上に美しい姿であった事にも驚かされました。

互いに寄り添いそっと手を取り合う姿は、私たちが常にこうでありたいと思わせる、極上の優しさに満ちた姿。この先に出会える筈の道祖神への期待を更に膨らませてくれた記念すべき一枚です。

撮影日:2010年10月16日

------------------------00----------------------

安曇野市豊科成相、長野銀行豊科支店の一角に「握手双体道祖神」。「ながぎん 1992年11月」の刻。衣装とかお顔がまだ初々しくて新婚さんか、それともまだ恋人同士かな?

こちらはどこで見かけたのか忘れてしまった「握手・抱擁双体道祖神」。さしづめ熟年ご夫婦バージョン。

道祖神マップにも情報が無く、いつの年代なのかわかりませんが、一見したところ新しい時代の作成に見えます。

安曇野市豊科重柳、開道記念「酒器・祝言双体道祖神」寄贈 (有)山本組 渡辺部建設 渡辺工務店 昭和六十三年三月吉日」の刻

十二単の裾を広げて座る女神はまだ幼さの残る顔、そんな女神を優しい眼差しで見る男神。瑞雲の上で繰り広げられる平安絵巻の祝言の様子に頬が緩みます。

安曇野市豊科高家中曽根、「酒器・祝言双体道祖神」安政五午年(1858)正月吉祥日 下中曽根 連中 帯代金二十両」の刻。他、「念仏供養塔」・「二十三夜供養塔」

大きな瓢を持つ女神と盃を手にする男神。長く連れ添った夫婦は顔立ちが似てくると言いますが、祝言の時からこんなに似ている夫婦なら将来も安心ですね😊

安曇野市豊科南穂高重柳 、「酒器祝言双体道祖神」・「庚申塔」他一基。お日様をまっすぐに受けた「双体道祖神」は白く輝き、中区が無ければ気づかない程。

「天保十一庚子年(1840)正月吉日 等々力村新町中」の刻。覆い屋の無い双体道祖神はどうしても石の摩耗が進み、表情やしぐさの判別が困難になります。

安曇野市豊科南穂高細萱、「握手双体道祖神」・「庚申仏塔」二基・「大黒天」一基、他「文字碑」四基。 

「文政五壬午二月吉日 新屋中」の刻。摩耗が進み表情の判別はつけがたいのですが印象としてはとてもおだやかなお顔をされておいでです。

「庚申仏塔」二基

「大黒天像」。石のシミの加減で目が怖い・・😱

安曇野市豊科南穂高細萱、田屋集会所前に「握手双体道祖神」「享和元酉天(1802)十一月日 」の刻。何から何まで瓜二つ、まるで鏡の前の二人ですね。

安曇野市豊科南穂高細萱、殿村公民館近くに「握手双体道祖神」・「文字道祖神」・「二十三夜塔」各一基。

「天保十二丑年(1839)正月日 松下中 帯代八両」の刻。俯き加減の女神の仕草が何ともいじらしく、それを見守る男神の大人の雰囲気がまた良い感じ。

すでに表情を無くしかけた道祖神さま、時代に沿って新しく誕生した道祖神様。路傍の神である道祖神は何時の時代にも「そこ」に存在し、静に人々の営みを見続けているのです。豊科地区の道祖神、更に明日へ続きます。

撮影日:2016年4月19日

------------------------00----------------------

『道祖神(さえのかみ)=道俣神(ちまたのかみ)=岐の神』、伊邪那美命の死後の姿に恐れ、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐命が禊祓をした折、脱いだ袴から生まれた。道の分岐点を守り邪霊の侵入を阻止する神。旅人の安全を守護する神。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諏訪松尾神社:踏入八幡宮 in 長野県安曇野市豊科

2022年06月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市豊科南穂高寺所に鎮座される「諏訪松尾神社」。御祭神は『建御名方富命・大山咋命』

覆い屋の内に鎮まる御本殿。いずれにも由緒の類が見当たらず、創建等の詳細は不明。御祭神から察するに諏訪大社・松尾大社からの勧請と思われます。

鳥居の内より神域を守護されるのは、明治41年(1908)建立の「宝珠」と「角」を持つ狛犬さん一対。

台座には「為明治三十七八年戦捷紀念 正三位大勲位功一級 伯爵東郷平八郎書」の文字。日露戦争の勝利を祝っての建立。

重ねて書きますが「宝珠」ですよ。決して!間違ってもお団子でも饅頭でも無いですよ!!😣

それにしても何と巨大な角・・・こんなに立派な角を持つ狛犬さんって、そうそうお目にかかれるものじゃありません。

石工は諏訪神宮寺の『北原柳太郎』。素材は神宮寺区の裏山から産出する安山岩で「神宮寺石」と呼ばれるもの。「薄い小豆色で柔らかくて細工し易くしかも腐食することがない。粘りがあって石で叩くと乾いた快音を発する。」とあります。もちろん、叩いたりしません😅

更に台座には「常盤橋共一式」と刻まれており、拝殿の前に架かる神橋も『北原柳太郎』の作と思われます。

欄干横の装飾は、水を司る神獣:玄武

「御嶽座三大権現碑」・「有明山大神碑」

「秋葉神社碑」・「筆塚」

境内に至る参道の傍らに置かれた手水舎。

重い石の手水鉢を支えるのは四体の力士像。

ほぼ上半身だけなのは重さの所為で埋まってしまった為か、安定感を持たせるための形なのか・・仔細はわかりませんが、四体とも良い表情をされています。

今回も狛犬画像多めの特別バージョンになってしまいました(^^;) 「阿)お前、一貫性が無さ過ぎるにも程があるだろう!」。そんな事言ったって仕方ないです・・ by「人間だもの」

畦道を境にして踏入地区に鎮座される「踏入八幡宮」。鳥居の奥には、まだ木の香も新しい拝殿が見えています。

境内に置かれていた祭事用の舞台。かなりの大きさですが、説明等がない為詳細は不明。

「御嶽山大権現碑」・「御大典記念碑」

参拝日:2016年4月20日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新田(しんでん)神社 in 長野県安曇野市豊科

2022年06月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市豊科西原に鎮座される「新田(しんでん)神社」。御祭神は『天照大御神』

「慶長八年(1603)創立と伝えられている。由緒不明であるが新田町は江戸時代の初めは威相新田町村といい、上・中・下の三つの町から成り、上町は威相町村に、中・下の両町村が新田町村とされた。中頃からは単に新田町村と呼んだ。新田町が威相町と共に宿場として注設されたのは慶長13年(1608)と言われている。享保九年(1724)神明宮は拝殿(二間・三間と記している) 伊勢神明宮を勧請したと言われている」境内由来書より

神橋を渡り境内に

拝殿の二重注連縄は、これまでに見かけた事のない様式。

拝殿前左右より神域を守護されるのは昭和八年(1933)四月奉納「信州型獅子狛犬」と勝手に名付けた狛犬さん一対。美しいたてがみと流れるような尾が優雅さを醸しています。

〆柱の上より神域を守護されるのは大正十三年(1924)二月二十六日奉納の狛犬さん一対。この年の一月、当時皇太子であられた裕仁殿下(昭和天皇)と久邇宮良子女王(皇后陛下)のご成婚の儀が行われており、こちらの狛犬さんはそのご成婚を記念しての奉納。

それほど大きな狛犬さんではありませんが、流れるたてがみ、雄々しい口元、いずれを見ても素晴らしい一対。

尾がね、またかなり個性的で、魅力的なのです。

と言う事で素敵なお顔をアップで、「阿)えへへ、照れるぜ~」

「吽)こんな事してるから本殿の写真を忘れるんだよ」・・・って、それは言ってはいけないお約束😅

自然石の石灯籠、右手に沢山の境内社が祀られています。

『乃木 希典(のぎ まれすけ)』揮毫の「忠魂碑」

参拝日:2016年4月20日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

細萱洲波(ほそがやすわ)神社 in 長野県安曇野市豊科

2022年06月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

安曇野市豊科南穂高細萱に鎮座される「細萱洲波(ほそがやすわ)神社」。御祭神は『建御名方神・事代主命』

旧郷社・社地は鎌倉時代の豪族・細萱氏の館跡とされていますが創建は不明。「洲波」は「諏訪」を意味します。

参道鳥居の両脇より神域を守護されるのは、阿吽の位置が逆に置かれた明治26年(1893)建立の狛犬さん一対。一見して物凄く古い狛犬さんだと思っていたので、奉納年を確認したときには、思わず「え?!」と二度見したほど。

安曇野で一番最初に出迎えてくれた狛犬さんと言うだけでも印象が強いのに、さらにこの「優しさだけでできてます」的なお顔😄

特に吽形さん、頭の上の角はどう見てもお団子にしか見えないし、真ん丸でつぶらな目とか、キュッと上がった口とか、いやもう、本っ当!!!に可愛い。

でもって尾っぽも、芯の部分が育ちすぎた白菜みたいな😅。 基本的に神社のブログは画像が多くなりすぎるので、狛犬さん紹介は一組だけなのですが、何故か木曽路・信州に入った途端にお約束??何それ??美味しいの?😆 もっと色んな角度で見てみたい方は、「神獣・細萱州波神社」を是非!

参道中央に神楽殿

拝殿

「境内社:五神社」 御祭神『天照大御神・木花開耶姫命・素盞嗚命,・宇迦之魂命・菅原道真』

境内社

境内入り口左右に建立されていた「平和協定記念碑 」「戦慄(戦勝)記念碑」

参道入り口、双代道祖神の左手に境外社。「三女五男神社 秋葉神社」の社号額が架けられていますが、実はこの鳥居は双体道祖神を撮影した際、たまたま横に鎮座されていたもの・・

参拝日:2010年10月16日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール in 長野県旧豊科町(安曇野市)

2022年06月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧南安曇郡豊科町(とよしなまち)は長野県の中西部に位置した町です。松本市、南安曇郡穂高町・三郷村・堀金村、東筑摩郡明科町に隣接。町名は明治7年(1874)に合併した「鳥羽・吉野・新田・成相」の頭文字をとって「とよしな」としました。町域は梓川扇状地の中央部に位置しているため地下水が低く、灌漑用水である真鳥羽堰(成相古堰)も梓川の流末にあるため、田用水に苦しんできました。近年では糸魚川道沿いに新産業都市計画に基づき、工場が多く建てられています。「町の木:コブシ、ケヤキ、ドウダンツツジ」「町の花:アヤメ、シバザクラ、スズラン」を制定。

毎年10月中旬頃にシベリアから犀川のほとりにある「白鳥湖(ダム湖)」に飛来するコハクチョウは、町のランドマーク的存在として知られています。

旧キャッチフレーズは「自然と人にやさしい未来を創造するまち」

明治22年(1889)、町村制の施行により、南安曇郡豊科村・南穂高村・高家(たきべ)村、東筑摩郡上川手村が発足。

1915年、豊科村が町制を施行、南安曇郡豊科町となる。

1955年、豊科町、南穂高村、高家村および東筑摩郡上川手村田沢・光地区の一部と合併、改めて南安曇郡豊科町が発足。

2005年、南安曇郡穂高町・堀金村・三郷村・東筑摩郡明科町と合併、安曇野市豊科となりました。

マンホールには「雪化粧の常念岳」と「犀川白鳥湖の白鳥」が描かれています。(ショッピングセンター「スワンガーデン安曇野」付近に設置)

アクアピア安曇野:展示マンホール

昭和6年(1931)2月1日制定の町章は「豊科町の「ト」と「ヨ」を図案化し、町が円満に発展するよう互いに組み合わせ、日本アルプスの象徴「スズランの花」を表わす。」合併協議会資料より

旧豊科町域で見つけた親子マンホール・・中央の知章が何処の物なのか不明。御存じの方、是非コメント欄に!!

安曇野市豊科真々部区南部の史跡案内にあった「おしゃが様」。これがいくらググってもヒットしません。勝手に「おしゃれなカフェ」と変換したり「お釈迦様」と言い直されたり😓 分からないと気になって、気になって。ああ、それ知ってるよという方、是非コメント欄に!!

撮影日:2010年10月16日&2016年4月19日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード第14弾 in 長野県安曇野市

2022年06月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

安曇野市(あづみのし)は長野県の中央部に位置する市です。2005年10月1日、 南安曇郡豊科町・穂高町・堀金村・三郷村・東筑摩郡明科町が新設合併して発足しました。松本市、大町市、北安曇郡池田町・松川村、東筑摩郡筑北村・生坂村に隣接。西部は雄大な北アルプスなどの山岳地帯で海抜3,000メートル級の山々が連なり、東部は「安曇野」と呼ばれる海抜500から700メートルの概ね平坦な複合扇状地。扇端部には豊富な湧水がありワサビの栽培が盛んで、日本最大規模のわさび園である大王わさび農場があります。また市街地域の大部分を占める扇央部は河川の地表流量が減少するため、かつては耕作に不向きでしたが、拾ヶ堰をはじめとした多くの用水路が開発され、地域全体が現在のような水田地帯となりました。

安曇野は路傍の神である道祖神の中でも、特に双体道祖神の多いことで知られており、様々な場所でその優しい姿に出会える事ができます。「市の木:ケヤキ」「市の花:ワサビ」を制定。

キャッチフレーズは「自然を愛し、水と緑の薫るまち 安曇野」

梓橋駅から見た「梓橋」と「雲と雲の間に見える北アルプス」

2005年10月1日制定の市章は「安曇野の「安」の字を図案化し、色彩については自然をモチーフにした緑色を基調に、デザインの中央上部の輪は、安曇野市民を輪でつつみ、団結をイメージしています。」公式HPより

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました

2021年4月25日、第14弾として全国41自治体で41種類(累計575自治体758種類)の マンホールカードの無料配布が開始されました。「安曇野市」のマンホールカードは、「安曇野市役所2階下水道課窓口」でいただけます。

2020年に設置開始されたマンホールには「雪解け水をたたえる田んぼ」「残雪の北アルプス・常念岳」「道祖神」が「リンゴ」の中にデザインされています。

「安曇野市は北アルプスの麓に広がり、美しい田園風景と緑に包まれた自然豊かな産業都市です。 市のいたるところから見える常念岳の姿は場所により様々な表情を見せてくれます。 冬は大変寒く、春の訪れを皆が待ちわびます。 デザインでは、雪解け水を湛え田植えを待つ田んぼに常念岳が鏡のように映し出されています。 春の到来を告げる一場面です。 また、市内にはいくつもの道祖神が点在し、夫婦和合や縁結び、子孫繁栄を願うものだとされています。 特産物はわさびの他にりんごもあります。 このデザインでは5月に咲くりんごの花をあしらい、りんごの形状の中にこれらの風景を収めたものになっています。」

------------------------00----------------------

前回の木曽路に続いて6度目の車泊旅に選んだのは憧れの信州。あそこもここもと欲張った計画をたてたけれど、結局回り切れない場所が多すぎて6年後に同じ地区を再訪するといういつものパターン😅 。そんなこんなで、2016年春の安曇野~信州の車泊旅を交えての紹介です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール~企業蓋とご当地キャラ in 長野県

2022年06月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

長野県章が中央にある「電気:マンホール」。地下に埋設された電気ケーブルと地上を結ぶように開けられた縦穴用で、 地下設備の点検・修理などの為、地上と地下を行き来する為に作られています。似た用途に「通信」「電話」「信号」などが有ります。

「長野都市ガス株式会社」小型蓋。ガス中圧の文字

中部電力のマンホール。2007年以降の社章は、イニシャル「C」と5つの「花弁」がモチーフ。愛知県名古屋市に本店を置く電力会社で、供給区域は愛知県・長野県。さらに静岡県の富士川以西と岐阜県・三重県の各一部をカバーします。コーポレートスローガンは 「時代の先へ。ひとりのそばへ。」

旧社章は、名古屋市出身の画家『杉本健吉』氏によるもので、「電」の文字を図案化しています。

県の鳥:雷鳥をモチーフに誕生した長野県警察のシンボルマスコット『ライポくん』。雷鳥の「ライ」とポリス(警察)の「ポ」から命名されました。

梓川SAの施設で見た「県の鳥:雷鳥」のイラスト

長野県PRキャラクターは、「りんご」を頭にかぶったクマがモチーフの『アルクマ』。信州をクマなく歩きまくり、信州の魅力を世の中にクマなく広めるのが生きがいです。

何とも愛らしい旅鳥さんは、2018信州総文祭のマスコットキャラクター『信州なび助』。元は長野県公式観光携帯サイトのキャラクターでしたが、「さわやか信州旅.net」と統合されたことで、旅.netの『アルクマ』にその座を譲り、北アルプスに帰っていました。後に文化祭のキャラになって再び蘇ったのは、地元に密着したキャラを愛する私としては嬉しい事です😊。

------------------------00----------------------

木曽路の旅に続いて6回目の車泊旅となった2010年10月の信州では「梓川SA下り」にて車中泊をさせて頂きました。目覚めて初めて見た北アルプスの山々は白く雪化粧が施され、その美しさに胸が震えるほど感動した事が昨日の事のように思い出されます。

車で旅をする者にとってこのような施設は本当に有難く大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました🙏🙏

------------------------00----------------------

木曽郡玉滝村、下伊那郡阿南町・下條村・根羽(ねば)村・平谷(ひらや)村・大鹿村・天龍村・泰阜(やすおか)村・売木(うるぎ)村、北安曇郡小谷(おたり)村、東筑摩郡筑北(ちくほく)村の11町村は未訪問の為、マンホール画像はありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホール~規格蓋 in 長野県

2022年06月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

佐久・上田・諏訪・上伊那・南信州・木曽・松本・北アルプス・長野・北信長。長野県は、以上の10広域に区分され、それぞれに独自の文化や景観があります。また、木曽駒ヶ岳を最高峰とする中央アルプスや、長野県・富山県・岐阜県・新潟県の4県にまたがる北アルプス、長野県・山梨県・静岡県の3県にまたがる南アルプスを望むことができ、それらは総称して日本アルプスと呼ばれています。

さらに県域には全国トップクラスの数を誇る温泉や、広大な諏訪湖などの自然遺産、諏訪大社や中仙道など多くの歴史的遺産を有しており、観光客の誘致も盛んに行われています。

昭和41年12月26日制定の県章は「長野県のかしら文字の「ナ」を円形に図案化し、勇ましく盛んに飛んでいる鳥の姿を作り、さらに「ナ」の横棒を中心に、上半分が山と下がそれを湖に映す姿を表しています。これは、長野県の自然と県民の友愛と団結により、あらゆる難関を切り開いて未来に向かって飛躍し、発展する姿を象徴しています。」公式HPより

汚水弁室

地味なマンホールが続いたところで、1998年2月7日から2月22日まで開催された「長野オリンピック」を記念して作成されたマンホール。開催記念マンホールは「野沢温泉村」に設置されています。

仕切弁

長方形の角蓋:二枚合せの空気弁

明日は長野県だけに限らない電気、ガス等の企業マンホール・・だけでは味気ないので、一部の可愛いファンの方に好評の「ご当地キャラクター」等を紹介します。😊 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご当地マンホールとマンホールカード第11弾 in 長野県千曲川流域

2022年06月01日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

新潟県および長野県を流れる一級河川「信濃川(しなのがわ)」。信濃川水系の本流であり、新潟市で日本海に流入。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域で、長野県に遡ると「千曲川(ちくまがわ)」と呼称が変わります。全長367kmのうち、千曲川は214 km。名前の由来については諸説があり、文字通り、川が千の数ほど曲がっている様子から名付けられたといわれています。が、水源地域である長野県川上村の伝説によれば、大昔に高天原に住む神々の間で大きな戦いがあり、この時に流された血潮によってできた川とされており、その血潮があたり一面隈なく流れた様子から「血隈川」と言うようになったと言い伝えられています。

長野県のデザインマンホール其の三は、千曲川流域のマンホール。マンホールには「千曲川を泳ぐ鮭と里山」がデザインされています。

------------------------00----------------------

マンホールカード、頂きました

2019年12月14日、第11弾として全国63自治体で66種類(累計502自治体605種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「千曲川流域」のマンホールカードは、「千曲川流域下水道事務所上流処理区終末処理場」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「鮭」と「千曲川と里山」がデザインされています。

「千曲川流域下水道を構成する3市2町1村の美しい里山と遠くに見える北アルプス、善光寺平を流れる千曲川を背景に、日本海から遡上してきたサケを、中央に配置しています。 かつての千曲川流域は、日本海から多くのサケが遡上し、サケ漁も盛んでした 現在でも地域の皆様により毎年サケの稚魚が放流されていますが、今のところ遡上はわずかしか確認されていません。 サケが再び遡上してくることは長野県民の願いです。 下水道事業の推進と共に、地域が一体となり千曲川をきれいな状態で守り続けることにより、多くのサケが再び遡上してくることを願ってデザインしました。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする