車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

竹渕諏訪社・西耕地諏訪神社 in 長野県松本市

2022年07月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市寿北に鎮座される「竹渕諏訪社」。御祭神は『建御名方命・稲荷大明神』。

「正徳六年(1721)の造営で、明治四十二年に稲荷社が合祀され石像の神狐が向き合っている。田の耕地が広い事を物語っている。末社に八坂大社・山神社・雷神社・疱瘡社・蚕玉社がある。」境内案内より

二の鳥居左右より神域を守護されるのは、天保十五年(1844)建立の神狐さん一対。

すでに表情もおぼろになり、どのようなお顔だったのか想像に任せるだけですが、全体を包み込む雰囲気は非常に柔らかく、また丁寧に補修された跡などからも大切にされている事がうかがえます。

「境内社:雷神社」。御祭神『火雷命(ほのいかづちのみこと)』は雷を神格化したもので、稲妻と共にもたらされる雨の恵みに対する古代日本人の信仰から生まれた神とされています。

ひょうたん池

「由緒碑  竹淵の地名は、牛伏川や田川の沢にある事に由来し、かってはしばしば、牛伏川の水害に苦しめられた。平安・鎌倉期は竹淵郷、戦国時代を経て安土桃山器から竹淵村と称された。江戸期は松本藩領から諏訪高島藩領、さらに旗本諏訪氏の所領となった。」

手水鉢

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松本市今井西耕地に鎮座される「諏訪神社」。御祭神は『建御名方命』。お日様の光を失いつつある神社参拝は何となく気が急かされ、拝殿への参拝のみとなりました。

「大正四年(1915)の神社合併において、諏訪神社に八坂神社、八幡神社の三柱を合祀。そのため、拝殿の裏にはそれぞれに本殿が設けられている。拝殿は昭和22年9月27日竣工で、正面6間、奥行き2間。これは三社の拝殿となっている為、正面は三部に分かれている。拝殿には、左右神様とよばれる随神像と紙張の狛犬が置かれている」Wikipediaより

拝殿褄下に、見事に羽を広げる鶴の彫刻

拝殿屋根の御神紋は「諏訪梶の葉」

御神木

参拝日:2010年10月17日

 

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沙田(いさごだ)神社 in 長野県松本市島立

2022年07月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市島立三ノ宮に鎮座される式内社「沙田(いさごだ)神社」。信州三ノ宮とも、また産の宮とも称されます。御祭神は『彦火火見尊(ひこほほでのみこと)・豊玉姫命・沙土煮尊(すいじにのみこと)』。『沙土煮命』は大地を鎮める盛り土の神、土砂を神格化した女神とも言われます。

由緒「孝徳天皇の御宇大化五年(649)六月二十八日、この国の国司勅命を奉じ初めて勧請し幣帛を捧げて以って祭祀す。其の後大同年間、坂上田村麿将軍有明山妖賊征伐にあたり、本社の御神力の効する所なりとて国司と謀り社殿を造営する。降って文徳天皇の仁寿元年(851)、勅評を蒙り社の造営あり同三年二条大納言有季を勅使として神位を賜る」境内案内より 

二の鳥居から真っ直ぐに、瓦葺きの入母屋:妻入の「御仮屋殿」

御仮屋殿前の左右より神域を守護されるのは、もはや旧知の間柄と言っても過言でない(笑)松本型狛犬さん一対。お行儀よく揃えた前足の爪が何気に凄い・・・😊 

)

「石工:田近勝之助(二代目)、正一(三代目)・製作年月:大正14年9月。六年に一度、例大祭にあわせて行われる御柱祭が松本市より無形文化財に指定されている沙田神社境内に佇む狛犬は、松本式狛犬の特徴である鬣(たてがみ)はやや小ぶりながら独特の表情でそそり立つ御柱を守る」田近石材本店HPより

御仮屋殿後方に瓦葺、入母屋平入の拝殿。拝殿屋根の御神紋は「三階菱」

拝殿褄下彫刻は「鷹に松」。松の一株一株が写実的で、とても力強く、鷹の飛翔をより引き立てて見えます。この鷹は、松の間に何を見つけたのでしょうか?鋭いくちばしで何を捕らえたのでしょう?

社殿左に鎮座される境内社五社。中央の「御子安神社」のみ社号標在り。

社殿右手に鎮座される境内社「神明社・熊野社・石尊神・秋葉社・火雷神・・他」

広い境内には面白いと言ったら叱られそうですが、興味深いものが色々と散りばめられています。まずはお諏訪さんでも無く、祭神も全く別の神様ですが、何故か「御仮屋殿」の周囲には四本の黒木の御柱が空高く屹立しています。山のない地区につたわる御柱祭りは、7年目ごとに、卯(うさぎ)と酉(とり)年の沙田(いさごだ)神社例大祭が行われる9月26日を目安に挙行されます。

波田町からの寄進とされる「沙田神社一之御柱~二之御柱」

「人を見るなら一之宮(諏訪大社)、綺羅を見るなら二之宮(小野神社)、衣装見るなら三之宮(沙田神社)」のフレーズ通り、各柱毎に衣装を凝らした氏子さんたちによって、諏訪大社の形式で行われる島立沙田神社の御柱祭。2000年6月30日に、松本市の重要無形民俗文化財に指定されました。

「沙田神社三之御柱~四之御柱」

御伽草子に登場する『ものぐさ太郎』再び登場😊  。本殿の裏手に建立された「ものぐさ太郎の塚」は古くより「ものぐさ太郎の墓」と伝えられてきたとか。新村地区には「ものぐさ太郎が寝そべって、地頭に餅を拾わせたとされる伝承地」もあるそうです。

社殿右手に「御手洗の池」。池とありますが水はありません。

二の鳥居から真っ直ぐに伸びる参道を進むと、左手に株だけとなった「御神木」が覆い屋の下に大切に保存されています。御神木に巻かれた縄は御柱に巻いた綱と思われます。

参道脇の灯篭には「明治三十七年・国威宣揚記念燈」の刻。同じく参道脇に「忠霊碑」

達筆すぎて全く読めなかった歌碑(^^;)、何かの記念碑二基。

自然石を用いた灯篭

手水舎

裏参道鳥居

一の鳥居

参拝日:2010年10月17日&2016年4月21日

 

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古宮(こみや)神社 in 長野県松本市島内

2022年07月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市島内小宮に鎮座される「古宮(こみや)神社」。御祭神は『建御名方命・事代主命』

由緒等の詳細は不明、長野県神社庁HPに「創立は寛徳2丁酉4年。明治5年11月に村社に列せられる。湯立行事。」の記載。

鳥居の左右より神域を守護されるのは、彫刻石工・高山 正良 昭和56年3月建立の狛犬さん一対・・・狛犬さんで良いんですよね😅  

・・・・何と言うか、例えば部屋の真ん中において背もたれ代わりにしている「クマのぬいぐるみ」のような・・例えて言うなら旅先で見つけた「クマの土鈴」のような😍   一言でいえば超・超・可愛い!!! 昭和56年生まれの狛犬さんに、まだこんなに個性豊かな仔がいる事に感激。石工さんに感謝、氏子の方々に感謝です。

拝殿左右に緑の葉を茂らせるのは、これも御神木ととらえて良いのでしょうか?

拝殿に刻まれた御神紋は「剣片喰(かたばみ)」「梶の葉」

留め蓋の上では、高く足を上げて飛び跳ねる飾り瓦の獅子。流れるような鬣が躍動感を感じさせる一対です。

境内社群

参拝日:2010年10月17日

 

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四柱(よはしら)神社 in 長野県松本市大手

2022年07月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市大手に鎮座される「四柱(よはしら)神社」。地元では、10月の例祭「神道祭」から「しんとう(神道)さん」とも呼ばれます。御祭神は、『天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かむみむすびのかみ)・天照大神』

由緒「明治5年(1872)に筑摩県松本に設立された神道中教院で、明治7年から四柱の神を祀ったことに始まる。明治12年(1879)に現在地に社殿を造営し、村社の四柱神社として遷座。明治13年、天皇の行幸にさいし行在所に定められる。明治21年(1888)、松本大火で社殿を焼失。大正13年(1924)に再建。」公式HPより

拝殿左右よりを守護されるのは、すっかり顔なじみになった松本型狛犬さん一対。

「石工:田近勝之助(二代目)、田近正一(三代目)・製作年月:大正十三年四月。願いごと結びの神として全国各地から信仰が篤いこの神社で参拝者を迎える狛犬は、大きさや鬣(たてがみ)、表情など他の松本式狛犬と同様の特徴を持つ。」田近石材本店HPより  台座には「書者:関野杳雲」の名も刻まれています。

「境内社:松本市招魂殿」

「西南の役から日清日露の戦役に至るまで国家のために殉難された旧松本市出身戦歿者の神霊を、靖国・護国の神と称え齋(いつ)き祀(まつ)るべく大正八年に創建されました。その後、幾たびかの各戦役戦病死者の神霊の合祀を重ね、大東亜戦争に至るまで国難に際して、ひたすら国を守るために尊い生命を捧げられた一三六三柱の御英霊をお祀り申し上げております。」境内案内より

社殿左右より神域を守護されるのは、昭和32年10月1日再建の刻がある岡崎型狛犬さん一対。

2016年の二度目の参拝では社殿が新造されていました。

記念碑

「神皇産霊神」にあやかった絵馬。優しく暖かい「むすびの神」が描かれています。

手水舎

参拝日:2010年10月16日&2016年4月21日

 

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松本(まつもと)神社 in 長野県松本市丸の内

2022年07月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市丸の内に鎮座される「松本(まつもと)神社」、地元では「ごしゃ(五社)さん」とも呼ばれています。御祭神は『松平康長・松平永兼・一色義遠・戸田宗光・松姫』。

「前身は、縁結びおよび郷土発展の神として信仰を集めた暘谷(ようこく)大神社で、松本城主松平康長と松姫の子の虎松(孫六郎永兼)を祀る社として知られていた。寛政9年(1797)に、今宮八幡宮(戸田氏の先祖戸田宗光)、片宮八幡宮(戸田氏以前の三河国田原領主一色義遠)を勧請して合祀。天保2年(1831年)に共武大神社(松平康長)、淑慎大神社(松姫)と合祀し五社とした。1953年の若宮八幡宮(松本城の前身深志城の築城者島立貞永)との合祀を期に、名称を松本神社と改めた。」Wikipediaより

拝殿幕には松平家「三つ葉葵」と、戸田松平家「六星」の家紋が染め抜かれています。

拝殿左右より神域を守護されるのは大正14年9月吉日建立。もうすっかりお馴染みになった松本型狛犬さん一対。

「石工:田近正一(三代目) 寛永13年建立の由緒正しいこの神社から松本城を望むように佇む狛犬は、他の松本式狛犬と共通点の多いものである」田近石材本店HPより

阿形さんの小さく丸い目と対照的な、吽形さんのくりくり目。仲の良い兄弟獅子を連想させる「可愛い」一対です。ちなみに私たちはこの松本型狛犬さんを「ほっぺキュッ型」と命名 😍。  小さめの鼻の下の太い丸みとか、下顎の細い線とか、流れる鬣とか・・・いや、ホント、可愛い。

昭和28年に合祀された「若宮神社」。御祭神は『島立貞永(しまだてさだなが)』。拝殿幕には、長野県より発生した代表的な家紋としても知られる「三階菱紋」。

手水舎

松本神社西門

境内御神木の大欅

境内の外、道路の中央分離帯上にある御神木の大欅。その向こうに国宝:松本城が見えます。

2009年に整備された「松本神社前井戸」。井戸辺に祀られているのは「暘谷水神」。「まつもと城下町湧水群」の井戸巡り、こういう事ができる環境って羨ましい😊  

「堀内桂次郎先生の碑」 明治29年大柳町の自宅に郁文学舎を始め、地方青年のための英語・ 数学・漢文を教授した人物らしい・・

参拝日:2010年10月16日&2016年4月21日

 

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岡宮(おかのみや)神社 in 長野県松本市旭

2022年07月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市旭に鎮座される「岡宮(おかのみや)神社」。本殿主祭神に『健御名方命』・左座相殿神に『伊邪那美命』・右座相殿神に『誉田別命』

重厚な造りの御神門

由緒「『健御名方命』は信濃の国を切り開らいた国づくりの神、郷土開拓発展の神であり、松本城築城以前よりの氏神として信仰を集め、松本城築城後は信府鎮護の社として崇敬されてきた。寛文三年(1663)には松本藩主水野忠職公による社殿の再建。三間社流造り、銅板葺。用材には上質のヒノキを使用し、松本地方としては、数少ない江戸時代初期の建造物で繁雑な組物や彫刻がなく簡潔な力強さを感じさせるものであり、市重要文化財に指定。昭和14年(1939)に県社に列格。」公式HPより抜粋

神門を潜り参道正面に破風屋根付きの拝殿。社前幕には「梶の葉紋」

拝殿前左右より神域を守護されるのは、チャーミングな頬っぺキュッの松本型狛犬さん一対。

「石工:田近勝之助(二代目)、田近正一(三代目)。鬣や大きさなど他の松本式狛犬との共通点が多く標準的な松本式狛犬といった雰囲気。境内入り口の巨大な石の鳥居も当社の先祖が製作したもの。」田近石材本店HPより

田近石材より奉納された大鳥居の画像が何故か行方不明😥  鳥居額しか見つからない・・・

御本殿は装飾を持たない簡潔な造りですが、拝殿向拝には見事な彫刻の数々。鮮やかに羽を広げる鳳凰、装飾的な唐草、そして隙間から身をくねらせる龍。

持ち送り彫刻は流麗で華やかな「波に千鳥」

拝殿屋根留め蓋には、高く後ろ足を蹴り上げて参拝者たちの様子を眺める、飾り瓦の獅子一対。

境内社「事代主社」。御祭神は『事代主命』。豊葦原水穂国を天津神に譲れと迫られた『大国主神』は二人の御子神に判断を委ねます。で・・あっさりと国を譲る事を承知しちゃった『事代主命』と、異議を唱えた結果、信州の諏訪に鎮まられ、そうしてこの地を豊かに潤された『健御名方命』・・・感慨深いものが有ります😊

摂社群

手水舎・・・隅にさり気なく、我が家の初代車泊車。

参拝日:2010年10月16日

 

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塩竈(しおがま)神社 in 長野県松本市蟻ヶ崎

2022年07月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市蟻ヶ崎に鎮座される「塩竈神社」。御祭神は『塩土老翁命(しおずちおじのみこと)』。「塩土」とは「潮の霊」を意味するとも言い、人々に塩作りを教えた神と伝えられています。

「奥州一宮である「鹽竈神社」の分社。勧請年月日は不詳(江戸時代初期と推定される。)現在の本殿は明和五年(1768)の造立。古来より博学の神、交通安全、厄除け開運の神、武の神、寿命長久、安産守護の神として人々の崇拝も篤い。」境内案内より

拝殿幕には「諏訪梶の葉」「塩竈桜」の御神紋。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、立派な鬣(たてがみ)が特徴の松本式狛犬さん一対。台座には昭和?年11月建立・石工:田近勝之助

「鬣(たてがみ)が横に広がっている獅子の姿が特徴的な松本式狛犬として狛犬マニアの中でも知られた存在となっている。他の松本式狛犬との相違点として鬣は横に大きく広がり顔の大きさを引き立てている。阿形の狛犬は玉を、吽形の狛犬は子どもを腹の下に抱えた形となっている。」田近石材本店HPより

建立年と石工の名前が一部不明だった為、検索して見つけた田近石材本店さんのHP。これもやっぱり「神様・狛犬様」のお導きかも  😊 、おかげで松本市内の狛犬さんの事を色々と知る事が出来ました。感謝です。

「獅子と牡丹お子様バージョン」・・顔より大きい牡丹😅 

「鞠の紐を咥えて遊ぶ仔狛」・・丸いお尻が可愛すぎる😍

拝殿屋根、留め蓋の上で元気に飛び刎ねる飾り瓦の獅子一対。いわゆる獅子舞の獅子頭タイプ。

本殿横に鳥居があり、その奥に「境内社:八坂神社」が鎮座されます。

御祭神は『素戔嗚尊(すさのおのみこと)』。御祭神の御子は「大国主命」、その御子が諏訪神社の御祭『建御名方神』・・ここでやっと拝殿幕の「諏訪梶の葉」紋が繋がった・・・のか?(笑)

「御神木」「御嶽大権現碑」

注連縄の結界の中に鎮座する・・これは?? 上部に金網が載せられているのはここで何かを燃やすのでしょうか?前面には歌のようなものが刻まれていますが、歌碑? 分からない事が無性に悔しい 😓

手水舎と吐水蛙

境内入り口には双体道祖神と歌碑が寺建立されていますが、それは「松本市の道祖神」で改めて紹介します。

参拝日:2010年10月16日

 

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猿田彦(さるたひこ)神社 in 長野県松本市宮渕

2022年07月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

松本市宮渕に鎮座される「猿田彦神社」。御祭神は『猿田彦大神・大田命(おおたのみこと)』。

車のまま靖国鳥居を潜り境内へ、車を停めるのに難儀しましたがそれでも軽自動車なので何とかクリア。何しろ周りは住宅街。ヘタに路駐なんてして何かあったら、神様に八つ当たりしかねない罰当たりな性格なのでまずはホッと胸を撫でおろし😅

境内にご由緒等の記載が無く、創建・由来いずれも不明。

褄部分の懸魚は「花」でしょうか?これまで見た事のない強いて言えば「バラ」のような形ですが現代的で洒落たデザインです。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、彫刻『伊藤 重造』:昭和5年6月10日建立の・・例えて言うなら獰猛な山猫風味の狛犬さん一対。狛イヌなのにネコに例えるのは如何なものでしょう😅 

松本市に入って最初の狛犬さんなので更に別角度から。流れるような尾のラインとか、テニスボールを張り付けたような巻き毛がかなり特徴的です。

拝殿屋根には「藤輪に違い角」の紋。神社の神紋としては初めて見るものです。

境内を出て右手、一弾高い場所に祀られている神像は『蚕玉(こだま)大神』。蚕玉様は「お蚕さん」の神様。農家にとって養蚕は、貴重な現金収入源であり、蚕は「お蚕様」と呼ばれ、信州の各地には「蚕玉神」「蚕神」などの文字碑が数多く残されています。

蚕玉大神が大切に胸に抱いておられるのは「蚕さんと桑の葉と繭玉」。それらは養蚕農家の人たちにとっては、命の糧であった宝物。

参拝日:2010年10月16日

 

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ご当地マンホール~規格蓋~ in 長野県松本市

2022年07月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

昨日に続いての松本市のマンホール紹介ですが、規格蓋はどうしても地味になる為、タイトル画像は華やかに、国宝指定の「旧開智学校校舎」

昭和13年(1938)1月6日制定の市章は「外側の円は陽春の若松をあらわし、市の将来の円満な発展を象徴しています。円の中心は「本」の字によって六合をあ らわし、宇宙に本市の光輝発揚をねがい、形は雪の結晶をあらわしています。また突起の部分は北アルプスの山岳を意味し、六角は松本藩6万石の歴史的意味、あるいは旧藩主戸田氏の六星紋所の意味もふくまれています。」公式HPより

防火水槽

減圧弁

仕切弁

消火栓

「自治体」と表示されたマンホール

松本ガス

「松本市市制施行100周年のマスコットキャラクターだったアルプちゃん。2008年4月からは、松本市のマスコットキャラクターとして再出発しました。帽子は北アルプス、服は豊かな自然を表す緑色、楽都イメージしたバイオリンを持って、花いっぱい運動の発祥地であることから花の飾りを頭につけています。」公式HPより

「花いっぱい運動発祥の地」

ヒマラヤ杉に囲まれた「あがたの森公園」のキャラクター『あがた森ちゃん』。ヒマラヤ杉のドレスに、頭には重要文化財「旧松本高等学校」の髪飾り。いつも箒をもって園内を綺麗にしています。

撮影日:2010年10月16日&2016年4月21日

合併した旧奈川村・旧四賀村は未訪問の為、マンホール画像はありません。

 

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ご当地マンホール~デザイン編~ in 長野県松本市

2022年07月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

松本市(まつもとし)は長野県のほぼ中央、中信地方に位置する市です。塩尻市、安曇野市、大町市、岡谷市、上田市、下諏訪町、山形村、朝日村、筑北村、長和町、青木村、木曽郡:木曽町、木祖村に、また県を跨いで岐阜県:高山市に隣接。平安時代には信濃国府が置かれ、中世には信濃守護の館の所在地として、また、江戸時代には、松本藩の城下町として栄えてきました。市のHPの概要に「日本アルプスを擁して多くのアルピニストを迎える『岳都』。まちかどにバイオリンの調べを聴く街、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの街『楽都』。古くから学問を尊び、学生を大事にする都、進取で議論好きの市民気質から『学都』、これらをもって、「『三ガク都』まつもと」~岳都・楽都・学都~」と呼ばれています。」とあります。

合併によって市域には「国宝・松本城」や「旧開智学校」等の歴史的建造物を始め、上高地、乗鞍高原など幅広い分野の観光地を有する事となり、国際会議観光都市にも指定されています。

キャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡松本町、東筑摩郡松本村・島内村・中山村・島立村、新村・和田村・神林村・笹賀村・芳川村・寿村・岡田村・入山辺村・里山辺村・今井村・片丘村・本郷村が発足。

1907年、松本町が市制を施行、松本市となる。

1925年、東筑摩郡松本村を編入。

1943年、東筑摩郡中山村神田区を編入。

1954年、東筑摩郡島内村・中山村・島立村、新村・和田村・神林村・笹賀村・芳川村・寿村・岡田村・入山辺村・里山辺村・今井村を編入。

1960年、東筑摩郡片丘村北内田区を編入。

1961年、東筑摩郡片丘村南内田区欠の湯を編入。

1974年、東筑摩郡本郷村を編入。

1982年、塩尻市洗馬の一部を編入。

2005年、南安曇郡梓川村・安曇村・奈川村、東筑摩郡四賀村を編入。

2010年、東筑摩郡波田町を編入、現在に至っています。

マンホールには「松本手まり」で遊ぶ、着物姿の女の子二人が描かれています。(旧開智学校近くに設置)

彩り豊かな色糸で絡げた「松本手まり」は、江戸時代中期頃、松本藩の士族の子女を中心に身近な玩具として手作りされたのが始まりで、マンホールのデザインにも使われています。(松本城付近、本町商店街などに設置)

松本手毬をちりばめた側溝蓋(縄手通り商店街)

🌸明日はコアなファン向けの規格蓋、上水道関連マンホールの紹介です。

撮影日:2010年10月16日&2016年4月21日

 

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