車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県旧関宮町&旧大屋町(養父市)

2023年08月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧養父郡関宮町(せきのみやちょう)は兵庫県中北部、円山川の支流である八木川の中上流域に位置した町です。村岡町、美方町、八鹿町、大屋町、県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。町域は豪雪地帯として知られ、兵庫県の最高峰でもある氷ノ山の北斜面に位置する「氷ノ山国際スキー場」は県の国体予選会、高校総体、中学総体のスキー会場となっています。「町の木 :キャラボク」「町の花 :ドウダンツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により養父郡関宮村、七美郡熊次村が発足。

1896年、七美郡が美方郡に変更。

1956年、養父郡関宮村・美方郡熊次村が合併、養父郡関宮町が発足。

2004年、養父郡八鹿町・養父町・大屋町と合併、養父市となりました。

マンホールには町章を中心に「鉢伏高原」「テントサイト」「町の木 :キャラボク」、周囲に「町の花 :ドウダンツツジ」がデザインされています。 

昭和32年4月1日制定の町章は「「せ」を極めて近代的感覚で図案化したもの」

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旧養父郡大屋町(おおやちょう)は兵庫県中北部、円山川支流の大屋川の中上流域に位置し、豪雪地帯として知られた町です。一宮町、波賀町、八鹿町、関宮町、養父町、朝来町と、県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。大屋町明延地区には平安時代初期の大同年間に採掘が開始されたと伝えられる明延(あけのべ)鉱山があり、日本一のスズ鉱山として栄えてきました。「町の木:モミジ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、養父郡口大屋村・大屋村・南谷村・西谷村が発足。

1955年、養父郡口大屋村・大屋村・南谷村・西谷村が合併、養父郡大屋町が発足。

2004年、養父郡八鹿町・養父町・関宮町と合併、養父市となりました。

マンホールには「但馬名三瀑」の一つで「日本の滝100選」にも選定された「天滝」を中心に、「町の木:モミジ」と「水芭蕉」「鮎」がデザインされています(マンホールは義姉から頂きました)

昭和30年5月20日制定の町章は「町の頭文字である「大」を図案化したもの」

撮影日:2014年11月16日

 

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養父(やぶ)神社~Ⅱ~ in 兵庫県養父市養父

2023年08月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

「養父神社」本殿後方に鎮座される「摂社:山野口神社」。御祭神は『大山祗神』。別名を「山の口のおおかみ」。流行り病を避け、憑き物を落とす神として広く信仰されていました。

切妻造の本殿は江戸時代末期の造営で、養父神社社殿と共に登録有形文化財の指定。場所的なものも有るのかも知れませんが、正面に向かい合った時の張り詰めた空気感。この一帯に満ち溢れる清浄な気、その独特の感覚はおいそれと経験できるものではありません。

静謐な神域を守護されるのは、建立年代不明の何とも不思議な表情の狛犬さん一対。鼻の周りの栓彫りは、獅子頭の口元をなぞった物なのか・・・阿形さんの上目遣いが妙にツボって、滅多に見られないお顔です。

社殿の細部に施された彫刻も非常に見応えのあるもの。斗栱の彫刻は「松に鷹」。吽形に相当する鷹は松の枝で羽を休めて

阿形に相当する鷹は、松の枝から羽を広げて身を乗り出し、今にも飛び立ちそうに・・

貫彫刻は獅子と龍・・・険しい視線に見つめられると思わずたじろぎそうになる迫力・・・阿吽ともに本当に怖いくらいの表情で参拝者を見下ろしています。

本殿の前方に鎮座される三間社流造の社殿は、同じく有形文化財に登録された「摂社:五社神社」『天熊人命(あめのくまひとのみこと)、天照大神、素戔鳴命、月讀命(つくよみのみこと)、五十猛命(いそたけるのみこと)』を祭神とします。

境内左の杜中に鎮座される「琴平神社」、御祭神は『事代主命』。拝殿の奥に屋根つきの渡があり、本殿と繋がっています。

本殿右側後方に鎮座する「迦遅屋(かじや)神社」、御祭神は『奥津彦命・奥津姫命・猿田彦命・表米親王(ひょうまいしんのう)』。別称を「猫の宮」と称し鼠除けの信仰があります。

【 おぼろ月 歩けばふれる 白れんげ 】『豊島明楽(養父市養父)』。

境内にあった「トキホコリの群生地」、トキホコリって初耳ですが、群生というからには植物?

で、調べたところイラクサ科一年草の植物と判明。ちなみに「トキ」=時々、「ホコリ」=蔓延るの意味だそうですが、変わった名前ですね。

円山川に沿った小さな集落の一帯は、兵庫県下でも有数の紅葉の名所として知られています。御朱印を頂くべく二度目の参拝となったこの日は、「やぶ紅葉まつり」の開催中という事で、境内は燃えるような秋色の只中。

錦秋の赤に朱塗りの欄干は、別世界への入り口にも思えるような不思議な妖しさ。

参拝日:2011年3月31日&2014年11月20日

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御神名一口メモ

『天熊人命(あめのくまひとのみこと)』、天照大神の命令で、月夜見尊に殺された「保食神」の死体から生じた神。五穀、牛馬、蚕などを持ち帰ったとされる。

『表米親王(ひょうまいしんのう)』、彦坐王を出自とする但遅麻国造家の一族で、日下部氏の始祖とされる。

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養父(やぶ)神社~Ⅰ~ in 兵庫県養父市養父

2023年08月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

養父市養父市場に鎮座される「養父(やぶ)神社」。式内社(名神大社2座、小社3座)、旧社格は県社。天平9年(737)の「但馬国税正帳」に「出石神社」「粟鹿神社」と並び、但馬三ノ宮として知られています。

御祭神は『倉稲魂命・大己貴命・ 少彦名命・谿羽道主命(たにはみちぬしみこと)・船帆足尼命(ふなほそこねみこと』。「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として知られています。

由緒沿革「崇神天皇30年(皇起594年)御鎮座。仁明天皇承和十二年に無位養父神を従五位下に叙し清和天皇貞観十一年従五位上養父神を正五位下に叙され十六年正五位上を加う」公式HPより

石段参道の先に隋神門

隋神門の内より神域を守護される随身様。

隋神門からまっすぐに、銅板葺き入り母屋造の拝殿は、江戸時代末期:元禄9年(1609)の造営。拝殿額には「山野口大明神 養父大明神」の両神名が記されています。

拝殿に至る境内の左右より神域を守護されるのは、明治32年(1899)4月建立の出雲丹後系の狛犬さん一対。すっかり苔むしていますがその迫力はいまだ衰えを知らずです。

拝殿間近の左右より神域を守護されるのは、明治26年(1893)9月建立の日本狼さん一対。「兵庫県神社誌に、かって狼を使令(しれい)とする一対の大石があり、猪や鹿のため田畑が荒らされた際に、当社に参拝して「狼をお借りしたい」と願うと社人が、その石に繋いでいた鎖を解く。すると猪や鹿がに荒らされることが無くなったという。」今は、狛狼様がそのお役を継いでいるのかもしれません。

その昔、大切な田畑を荒らす猪や鹿から作物を守る益獣として大切に守られてきた日本オオカミですが明治38年にほぼ絶滅。その結果、原生林などの裸地化が進んでいるそうですが・・ともあれ、農村の守り神であった日本狼に敬意を表して画像追加(笑)

養父市のHPによると阿形さんが雌で、吽形さんが雄なんだそうです。百聞は一見にしかず・・是非とも現地で確認下さい(^^;)

桧皮葺入母屋造・千鳥破風の本殿も、拝殿と同時期の造営とされ、共に兵庫県登録文化財に指定されています。

本殿屋根の上から神域を守護する銅板細工の鬼達。銅板の緑と真っ赤な口元のコントラストは、魔除けには十分すぎる迫力。

約1800年前から伝わる養父神社の御渡祭「お走りさん」神事。昔、円山川一帯が泥海であった時、斎神社の祭神『彦狭知命』が、城崎の瀬戸の山を切り開き泥海を美田に変えた神恩に報いるため、五社明神の名代として礼参に赴いた事が起源とされます。神輿を担いだまま首まで浸かって大屋川を渡る「川渡御」は勇壮果敢といわれ、 但馬三大祭りの一つとされています。

「御神輿の前面一部」

大屋川に架かる「大屋橋」の高欄にあった「お走りさん」の写真。

「神輿庫」

境内左手に鎮座される「御霊神社」。御祭神は『伊弉諾尊、伊弉冉尊』。社殿は元の御本殿であり、応安二十年(室的時代)の建立。この方向から皇居、神宮が遥拝できます。

神社建築・狛犬ファンには必見の境内社など見所はまだまだ在りますが、続きは明日のブログで。

参拝日:2011年3月31日&2014年11月20日

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御神名一口メモ

谿羽道主命(たにはみちぬしみこと)』、四道将軍の1人。第9代開化天皇の皇孫で、彦坐王の御子。

『船帆足尼命(ふなほそこねみこと』、彦坐王五世の孫で、但馬国造。

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧養父町(養父市)

2023年08月08日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧養父郡養父町(やぶちょう)は兵庫県中北部に位置し、北流する円山川の中流域を占めた町です。出石町、八鹿町、大屋町、和田山町、朝来町に隣接。養父市場地区は良い水に恵まれた事、養蚕が盛んで副産物の蚕のサナギがふんだんにあった事などから、鯉の養殖が盛んに行われてきました。「道の駅やぶ」のウエルカムモニュメントは、旧キャッチフレーズの「鯉の里 やぶ」と、巨大な錦鯉のモニュメント。「町の木:山茶花」「町の花:紫陽花」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により養父郡広谷村・建屋村・養父市場村が発足。

1927年、 広谷村が町制を施行して広谷町となる。

1940年、養父市場村が町制を施行、改称して養父郡養父町となる。

1956年、広谷町・建屋村が合併し、養父郡明神町が発足。

1957年、明神町が養父町を編入のうえ改称、養父郡養父町となる。

1959年、朝来郡和田山町大字堀畑の一部を編入。

2004年、養父郡 八鹿町・大屋町・関宮町と合併、養父市となりました。

マンホールには左上に町章、囲い飼いで知られる「錦鯉」と「円山川:大屋橋」がデザインされています。

錦鯉のタイル画

昭和34年10月27日制定の町章は「「やぶ」を図案化したもの」

「鯉の里 養父」

養父市場地区の鯉の養殖の歴史は古く、江戸時代からとも、それ以前からとも伝えられています。もとは宿場町の郷土色豊かなごちそうとして供する為、食用の黒鯉を中心に鯉養殖が栄えました。その後、昭和12~13年ごろに新潟県から錦鯉を移入、鑑賞鯉の養殖も盛んになりましたが戦争の混乱期に一時衰退。その後、養殖は復活し、再び改良や増殖が盛んに行われるようになりました。

道の駅「やぶ」の記念スタンプ

円山川:大屋橋の錦鯉のレリーフ

撮影日:2011年3月31日&2014年11月16日

 

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甘棠亭(かんとうてい)&青谿(せいけい)書院 in 兵庫県養父市八鹿町

2023年08月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

養父市八鹿町伊佐に残る「甘棠亭(かんとうてい)」「延宝4年(1676)3月3日、時の出石藩主『小出英安公』が伊佐の新田開発の視察に赴くことになり、藩主を迎える休憩所として建てられたのが甘棠亭です。」但馬の百科事典より

一重入母屋造で茅葺、内部は上段の間と下段に分けられており、藩主を迎える格式を持つ建物。向かって左隣に見えるのは築200年以上と言われる「小出家本宅」

甘棠亭が建てられた際、庭の一角に「九思の松」という黒松が植えられ、県の文化財にも指定され、長らくシンボルとなっていましたが、昭和52年に滅失。現在は石碑が建立されています。

甘棠亭の向かって右に建つのは「旧小出医院」。1918年(大正7)に『小出揚』によって完成。建設に際しては、地元大工『斉藤文次郎』を使わして、「東京帝国大学の付属病院」を実見させたと言う逸話が残されています。建物は木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺きで、布基礎石積みの上に外壁は大津壁塗り。1998年まで現役で使用されていました。

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養父市八鹿町宿南、静かな山間の一画に残る「青谿(せいけい)書院」

文化10年(1813)に八鹿町宿南の農家に生まれた『池田草庵(そうあん)』は、10歳で母を、12歳で父を亡くします。広谷村の満福寺に入山して6年間修行を続け、その後18歳で寺を出て京都の相馬塾に入門。わずか1年足らずで塾頭になり、30歳にして帰郷、この地に私塾「青谿書院」を開塾しました。

建物は自宅兼塾舎を兼ねたもので、茅葺2階建の主屋に瓦葺の平屋が付属。

塾舎内の様子

陽明学を学ぶ学者であった草庵は、「慎独(しんどく)」という教えを説き、門人たちと寝食をともにして、弟子の教育に没頭。 明治11年に亡くなるまで、教えを慕って入門した門人の数は全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を育成しました。

「青谿書院記」碑。明治11年(1878)に草庵が65歳で亡くなったとき、門人たちは先生の死を悼み、その2年後に「青谿書院記」の文章を石碑に刻み庭の端に建てました。石碑の文字は、明治時代の3大書家と言われる『長三州(ちょう さんしゅう)』の揮毫によります。

「青谿書院池田緝(しゅう)読書之處也(青谿書院は池田緝の読書する処なり)で始まる碑。

「但馬聖人」と称された池田草案が開いた私塾「青谿書院」。江戸時代の私塾が現存するのは全国的に見ても珍しく貴重である事から、昭和45年に県史跡に指定されました。

訪問日:2014年11月21日

 

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八柱(やはしら)神社 in 兵庫県養父市八鹿町

2023年08月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

養父市八鹿町八鹿に鎮座される「八柱(やはしら)神社」。御祭神は『天穂日命、天忍穂耳命、天津彦根命、活津彦根命、多岐津主命、多岐津姫命、熊野樟日命、市杵島姫命』「八大荒神」とも称されます。

創建は不明。八大荒神は八台龍王とも称され、地域の歴史における様々な禍いを払う神として数々の奇瑞を顕し、人々の暮らしを守って来た神として今日まで守り伝えられてきました。

「県登録有形文化財指定・本殿。桁行一間、梁間一間の入母屋造で、屋根は柿葺。建立年代を示す資料は残っていませんが、建築様式から文化年間(19世紀前期)とみられています。装飾性に富んだ建築で、獅子、木鼻の象、波と兎など、繊細で精巧な彫刻がみられます。また、屋根は複雑で丁寧なもので、入母屋造の本殿には、正面に千鳥破風を付け、さらに軒唐破風を重ねています。当初の部材が状態の良いままで多く保存されており、地域の歴史や文化の特徴を示すものとして、貴重な建築物です。」現地案内より

覆い屋の中、本殿前左右より神域を守護されるのは、出雲構えの獅子一対。場所的にもそれほど大きな作品ではありませんが、丁寧に彫り込まれた台座も含めて、良い顔立ちをされています。

本殿向拝には親子と思われる獅子の彫刻。彩色が元々の物なのか、最近の物なのか不明ですが、目を引く事は確か。

貫の彫刻は阿吽の兎。目と口中の色付けも、向拝の獅子同様いつの時代の物か不明。

脇障子の彫刻は「梅に孔雀」。反対側は場所的な制約があって、きちんと画像に捉えられませんでしたがかなり凝った構図でした。

本殿:向かって左に鎮座される「境内社:天満宮」。

本殿:向かって右手に鎮座される「境内社:粟島神社」。

隣の赤い屋根の祠にはお地蔵様が納められています。

道路元標を探しに来て見かけた神社でしたが、思いがけなく素敵な神社に出会え、朝からご機嫌なスタートとなりました。

参拝日:2011年3月31日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧八鹿町(養父市)

2023年08月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧養父郡八鹿町(ようかちょう)は兵庫県の中北部、円山川と八木川が合流する盆地に位置した町です。日高町、出石町、村岡町、養父町、大屋町、関宮町に隣接。舟運が物流の主役だった時代は船着場として栄え、江戸時代後期に但馬で養蚕が盛んになると、繭や生糸の集散地として発展してきました。町域には財を成した八鹿商人を偲ばせる建物も残されています。日高町、出石町、村岡町、養父町、大屋町、関宮町に隣接。「町の木:杉」「町の花:ツツジ」を制定。現養父市の中心地であり、養父市役所が置かれています。

明治22年(1889)、町村制の施行により養父郡八鹿村・高柳村・伊佐村・宿南村が発足。

1913年、八鹿村が町制を施行、養父郡八鹿町となる。

1955年、養父郡八鹿町・高柳村・伊佐村・宿南村が合併、改めて八鹿町が発足。

2004年、養父郡養父町・大屋町・関宮町と合併、養父市八鹿町となりました。

マンホールには、町章を中心に、町の花「ツツジ」が描かれています。

仕切弁にも、「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和30年4月1日制定の町章は「「八」・「カ(鹿)」を円形にして図案化したもの。」

 

八鹿町道路元標

町屋の卯建屋根に施された波乗り兎の細工瓦。兎は月、波は水に結びつくことから火除けの呪いとして、倉や家屋の飾り瓦によく見られる意匠です。

こちらの仕切弁は、上記の仕切弁等と同じ旧八鹿町域に有ったものですが、ツツジの下のデザインが他の自治体の知章に見えます。詳細をご存知の方、是非とも情報をお寄せください。

撮影日:2011年3月31日&2014年11月21日

2011年3月の但馬方面の車泊旅では「道の駅・ようか 但馬蔵」にて車中泊をさせて頂きました。直売所の野菜はどれも新鮮で、お土産用のスィーツはどれもお洒落、ついついお財布の紐が(^^;)

車で旅をする私たちにとって、こうした場所は本当に有難く大切な場所です。改めて、その折には有難うございました。

 

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ご当地マンホール in 兵庫県養父市

2023年08月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

養父市(やぶし)は兵庫県の北部、但馬地域の中央に位置する町です。2004年4月1日、養父郡八鹿町、養父町、大屋町、関宮町が合併して発足。豊岡市、朝来市、宍粟市、香美町、また県を跨いで鳥取県若桜町に隣接。市域の西部には県下最高峰の氷ノ山や鉢伏山、ハチ高原、若杉高原、北部には妙見山がそびえており、豪雪地帯としても知られています。「市の木:ブナ」「市の花:水芭蕉」を制定。

キャッチフレーズは「響きあう心 世界へ拓く 結の郷 やぶ」

2004年7月4日制定の市章は「三角形は、兵庫県最高峰の「氷ノ山」を象徴したもので、向かい合う2本のラインは、氷ノ山を源流とする大屋川、八木川の流れで養父市の「Y」を表し、大自然と融和、協調し、養父市の掲げる「響きあう心 拓く明日 但馬中央の郷」を明快な形で表現している。」公式HPより

養父市のイメージキャラクターとして2010年に誕生した『やっぷー』。氷ノ山のブナの森に住む「妖精」で、ブナやどんぐり、くるみなど木の実が大好き。のんびり屋でおっとりした性格だけど、スキー・スノボはプロ級の腕前! 町中のいろんな場所に出没しています。

消防署の看板ボーイも『やっぷー』

道の駅但馬楽座記念スタンプは、市の花ミズバショウと『やっぷー』

撮影日:2011年3月31日&2014年11月16日

 

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粟鹿(あわが)神社 in 兵庫県朝来市山東町

2023年08月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

朝来市山東町粟鹿に鎮座される「粟鹿(あわが)神社」。式内社(名神大社)で但馬国一宮。御祭神は天美佐利命(あめのみさりのみこと)・日子坐王命(ひこいますおおきみのみこと)・日子穂穂手見尊(ひこほほでみのみこと)』

御神紋は「抱き茗荷」

『阿波奈岐尊(あはなぎのみこと)・伊弉奈岐尊・天照大日孁尊・籠神(このかみ)・鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)・月讀尊・素盞嗚尊・豊玉姫尊』を配祀。

創祀年代は不詳。「一説には、崇神天皇の御代、粟鹿山の麓に創立されたといい、また、景行天皇十二年、天皇が筑紫の熊襲を征圧した時に勅して天皇の祖を祀ったとも。神功皇后三韓征伐の際に神助ありて凱旋後に奉幣使を立てたという。天正九年(737)の「但馬国正税帳」にも「朝来郡粟鹿神戸祖代六十六束二把」とある古社。粟鹿の名は、昔、粟鹿山の洞穴に住む一頭の鹿が、粟三束をくわえ、村に現われ、人々に農耕を教えたという。その鹿を祀ったのが、当社であるという。」

約600年前に建てられた市指定文化財「勅使門」。本柱間の両開きの唐戸には透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれています。

「日の出門」と称される隋神門。

「粟鹿神社木造著色随身倚像:一対二体」。江戸時代初期頃の作。寄木造による彫刻で、2011年3月16日・朝来市指定有形文化財に指定。

「粟鹿神社木造著色狛犬像:一対二体」。江戸時代頃の作で、寄木造による彫刻。吽形像は角を有する。2011年3月16日・朝来市指定有形文化財に指定。・・・阿吽ともにものすごい迫力、お日様の下でなければ見る自信がありません(^^;)

拝殿

拝殿前より神域を守護されるのは、昭和9年(1934)1月3日建立の出雲丹後狛犬さん一対。呉市の石工『白井三次』氏の刻。

阿形さんの前足の間にすっぽりと収まる仔狛。きかん気そうな顔で参拝者を見つめ返してくれます。

綺麗に整えられた土俵。奉納相撲があるのでしょうか?

社務所に展示されていた全国一宮の絵馬。これだけの絵馬を奉納されると言うのも凄いですし、それを見る機会を得た私たちは実に幸運でした。

境内には他にも沢山の摂社・境内社が鎮座されていましたが、時間的な制約に急かされて、本社のみの参拝で終わってしまいました。

参拝日:2014年11月20日

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御神名一口メモ

天美佐利命(あめのみさりのみこと)』、『大国主命』と『天止牟移比賣(あめのとむいひめ)』の子供。

『日子坐王命(ひこいますおおきみのみこと)』、『崇神天皇』の弟、『丹波道主命(たにはみちぬしのみこと)』の父。

『阿波奈岐尊(あはなぎのみこと)』、黄泉国へ赴むいた伊弉諾尊は阿波岐原(宮崎市)で禊ぎを行っている。この事と関連があるのかもしれないが詳細は不明。

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ご当地マンホール in 兵庫県旧山東町(朝来市)

2023年08月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧朝来郡山東町(さんとうちょう)は兵庫県の北東部に位置した町です。丹波市、生野町、和田山町、朝来町、県を跨いで東は京都府夜久野町と隣接。
町の中央部で山陰地方と丹波地方への街道が交わり、古くは山陰道の宿場町として栄えてきました。迫間の古墳からは金環や勾玉、柿坪の中山古墳からは、土器や鉄剣などが出土しており、古代勢力がこの地に存在したことを伺わせます。「町の木:木犀」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により朝来郡梁瀬村・粟鹿村・与布土村が発足。

1926年、梁瀬村が町制を施行し、朝来郡梁瀬町となる。

1954年、朝来郡梁瀬町・粟鹿村・与布土村が合併、朝来郡山東町が発足。

2005年、朝来郡生野町・朝来町・和田山町と合併、朝来市となりました。

マンホールには左上に町章、「町の木:モクセイ」「町の花:菊」の間に「鹿」がデザインされています

昭和29年9月8日制定の町章は「中央の三角形は「山」を表し、左半分は「と」・右半分は「う」を図案化したものです」

「山東町和賀未歳」地区

「山東町矢名瀬磯部」地区

CCBマンホール

撮影日:2011年3月31日&2014年11月16日

 

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