周防大島町久賀、ゆったりとした時間が流れる山間の一画に残る、西日本最古の石積み式蒸し風呂「久賀(くか)の石風呂」。
「治承4年(1180) 平重衡の南都焼討によって焼失した東大寺再建の大勧進に任命された『俊乗房重源』は、後白河法皇の知行国であった周防国から用材を求める為に、国司として防府へ下った。佐波川上流の徳地保で用材を求める一方、長い兵乱と飢饉により荒れ果てた国土の平定と布教活動の為領内を巡回した。その間この地へ立ち寄り、諸病に悩む民衆の為に石風呂を創建したと伝えられている。」
「花崗岩と粘土で築造された石積式蒸風呂で、庶民の湯治場として親しまれ、昭和の初め頃まで日常的に使われていた。この石風呂は、資料で存在が確認できるものとしては日本最古のもので、昭和三十三年に国の重要民俗資料(重要有形文化財)として認定を受けた。」太色字-現地案内より
もう少し全体像がわかる画像があれば良いのですが、柵の中に展示されている状態ではこれが限界。でも大切な文化財、実物を間近に見られるだけで良しとしなければ😊
SSサイズの私に変わって、精一杯腕を伸ばして石風呂の撮影をしてくれたj🐣さん。有難うね~😀
「『俊乗房重源』が当地に石風呂を造ると共に、庶民の病平癒と仏の加護を祈り薬師如来を安置たのが薬師堂の創建であると伝えられており、信仰と入浴が結びついた当時の風俗をうかがわせる。江戸時代後期に発生した安政の大地震で、東郷山中腹から大岩が落下したが、薬師堂を飛び越えて堂前の水田に落ちたとも伝えられており、明治二十二年周防大島八十八ヶ所霊場創設で第五十二番目札所となった。」現地案内より
2008年の夏、職場で倒れて緊急搬送され、大手術を経て三か月後に無事私のもとに帰ってきたご亭主殿。以来、神仏の加護を願い続けた私に倣い、神妙に真言を唱えています。
さらにお薬師堂の周辺には、地元の豪商や豪農の方達によって奉納された、三十三体の観音石像が安置されています。「無病息災で一生を幸せに。老後も家族の手を煩わせる事なく極楽往生が叶う」の案内。ああ、そうであれば、きっととても幸せですね。
久賀の石風呂の近くに併設された「久賀歴史民俗資料館」。諸職用具、歴史文化財15,000点(内2,707点重要有形民俗文化財)が展示されているとの事。
ところがご亭主殿ときたら、建物の壁際にずらりと並べられた飾瓦に夢中。いや、その気持ち・・充分に理解できるので、構わないんですけどね😅
何と表情豊かな二体の「恵比須様」
向かい合う「伊勢海老」の細かい細工に思わず見惚れ・・
いくつもの時代の中で、それぞれの建物を見守ってきた沢山の細工瓦たち。思いがけない出会いに感謝🙏
訪問:参拝日:2017年11月27日
以前貴方が紹介されていた「阿弥陀寺の湯屋(ゆや)」も、たしか重源さんが、東大寺再建のための木材伐り出しに従事する人夫たちのため作られた石風呂でしたね。
ここでは病に悩む庶民のため、重源さんが作られたのですか。東大寺の再建がどんなに大きな工事だったのか、当時としては国家的な大事業だったことが窺われます。
「SSサイズの貴方に変わり、精一杯腕を伸ばして石風呂の撮影をしてくれた〇〇さん」に、感謝したくなります。
飾り瓦も魅力的で、tononeko殿も喜ばれたことでしょうね。
東大寺再建の成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠、夢に現われた天照大神より「寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」と告げられ、20年の寿命を得、見事東大寺を再建させました。報恩謝徳のため当社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝えられます。
日本各地に丁寧に残される偉人の足跡
何世紀を経てもそれを見聞きできるこの国の奥深さ
もっと大事にしなければ・・大事にしてほしいと願っています。