昨日いつものカフェ青山で。サラダバーでのこと。初老の上品な女性がサラダを取られていた。
その方は取り終えると、後で待っていた私の方を向いて、「失礼ですが、地底人さんですか」、と。「東公民館にいらっしゃいましたよね」と。
失礼なのは私で、そのお顔に見覚えがなかった。申し訳ない限り。第一の現役時代を終えて、3年間働かせていただいたのが東公民館。私にとっては、とても楽しい3年間だった。
あれからもう10年が経過する中で、私のことを記憶していただき、かつずいぶんと老いた私の顔を識別していただいたこと、とても嬉しかった。
それに次の言葉が追い打ちをかけた。「いつもブログを拝見しています」。感動したなんてものではない。感謝、感激だ。舞い上がった私は、ちゃんとご挨拶もできなかった。
この場を借りて、改めてお礼を言わせてください。「公民館時代は、お世話になりました。そしてお声をかけてくださったこと、とても嬉しかったです。ありがとうございました。またお目にかかれることを楽しみにしています。これららも、お元気でお過ごしくださいね」。
先週末から、畑仕事を頑張った。まずはお野菜を育てるのに欠かせない籾がらを、親しくしていただいているお家にいただきに。そしてまた、乾燥させるため稲わらを3本に組み立てにも行った。
畑では300本のタマネギを植えた。ホーレンソウも種を植えた。こう書けば簡単なのだが、300本をタマネギを植えるためには、土づくりから含めて重労働。いただいたいて籾がらもかぶせて、毎朝水やりも必要。
この間、ナスも抜き、草抜きも。結構頑張った。でも、植える予定で買っているチューリップの球根をまだ植えてはいない。
中庭は草も伸び放題、はなみずきの下のパートナーに、「どうすりゃーええか、ようわからん。わしにゃー無理で」といっても、返事はない。ガンバルしかない。これまで咲いていた花々がずいぶんと消えている。情けない。トホホ、だ。
この豪華絢爛さをどう表現したらいいのだろう。目の保養、心に水やり。ボキャブラリーが貧困で、感性も貧しい私であり、言葉にできない。ご一緒したステキな女性も、感動しきりで言葉はなかった。ともあれ、生涯で何度かの希有な贅沢な時間であったことは間違いない。
それは過日見に行ったやかげ郷土美術館での「本手描き友禅 秋山章の世界展」でのこと。チラシには「贅を極めた最高級のうちかけ」と書かれている。
どのうちかけも、まさに素晴らしかった。こんな表現しかできない私であり、それが悔しい。
ともあれ、こうした展覧会がやかげの地で開催されることは驚異でしかない。関係者の方々の並々ならぬ努力があればこそ。心からの敬意を表させていただく。会期は10日(日)まで。絶対に見逃すことのなきように。
毎日自堕落な日々を送っているのだが、時には本を読んだりもしている。しかし、読めるのは児童書程度。 昨日、いつものスタバでページをめくったのは、写真集『土門拳の室生寺』(クレヴィス刊)。
土門拳の写真には、ずいぶんと魅せられてきた。ミュージアム時代には、土門拳の子どもたちを撮った写真だけの展覧会も開催した。
そんな土門拳が撮影した室生寺、室生寺には一度だけ行ったことがある。長谷寺の牡丹、そして室生寺の石楠花を見に行った。ステキな季節のステキ思い出。
さて、「土門拳記念館」が日本で最初の写真美術館として、土門拳の故郷・酒田に開設されている。いつか訪れたいと考えており、「私の終活」メニューに入っている。いつか、きっと。