自分自身の終末期をどう過ごすか、『いのちの砂時計』を読みつつ考えた
12月も今日で1/3が過ぎた。「師走」、まさにみなさんが走るが如く、時間が流れていく。そして何より、とても寒い。日本海側を中心に大雪となっている。まさに年末の風景だ。少しだけ、心も寒くなってくる。
そうした中で、今自分自身の老いを認めつつ、終末期をどう過ごすのかを見つめている。その一環として、少しだけ以前に発行された本だが、共同通信社社会部編『いのちの砂時計 終末期医療はいま』(日本評論社刊)を読んだ。
この本は「2006年春に富山県の射水市民病院で表面化した人工呼吸器の取り外し問題は、届け出を受けた警察が捜査に動いたことから゛センセーショナルに取り上げられ、医師の行為が殺人に当たるかどうかがクローズアップされた」ことから、取材が開始された。
さまざまなシーンでの「人が死ぬってどういうことだろう? 幸せな最後ってどういうもの?」という問いかけが、現実社会での事実に裏打ちされて報告されている。それが事実だけに、心を打つ。
私自身の「いのちの砂時計」も、ずいぶんと砂が追ちている。自分がどのような終末期を過ごすことになるのか、それは当然のことだが今からは描けない。ともあれは、今を精一杯に生きるしかないと考えている。
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