守田です。(20130724 08:30)
昨日の続きです。肥田さんが繰り返し訴えておられるのは、現代社会に支配的になっている「はたらきバチ」的な生き方・・・生活の仕方からの離脱です。仕事優先でご飯をきちんとかまずにさっと飲み込むように食べてしまう。深夜まで労働し、休息に入ってもテレビを見ていて夜ふかししてしまう。食べるのもにも気を使わない。
医師の側からみて、それでは病気になって当然だという生活の仕方が横行している。「そんなことをしていたらガンに一直線です」と肥田さんは言われます。「そんな生活を送っていてはいけない。朝起きたら、今日一日、どうすればより命を長らえることができるかを考えなくてはいけない」とも。
とくに被爆者に対して、肥田さんは繰り返し、免疫力をあげて長生きしようと説かれてきました。平成に入ってから20年近く毎年ナンバーを重ねていった『被爆者ハンドブック』の中で、肥田さんは「被爆者はガンで死んではいけない。ガンで死ぬのは原爆に負けることだ」とまで言い切っています。
そのためには何が必要なのか。徹底した健康生活を守ることと、がん検診をきちんと受け続けて、ガンが出てきたら早期治療で退治してしまうことだと肥田さんは何度も被爆者の方たちに述べています。さらには生きがいを持つこと。では被爆者にとって生きがいとは何か。「生きていることそのもの。被爆の生きた証人として少しでも長くこの世に居続けること」と肥田さんは語られます。
こうした肥田さんの胸を熱くうつ観点は、肥田さんが戦後医療の領明期に、戦争で十分な医療的トレーニングを受けたとはいえない軍医あがりの医師でありながら、貧しい人々の中にわけ入り、あるいは被爆者の中にわけ入って、奮闘する中でつかまれてきたものです。
前回の書評1ではそんなエピソードの一つを紹介しました。気胸を治すために十分に空気を入れてあげることができなかった娘さんの父親に、看護婦さんにいざなわれて謝りにいくお話ですが、肥田さんはそうした実践を一つ一つ経ながら、目線を、社会的には医師よりも低く見られている看護師のもとへ、さらには患者自身のもとへとどんどん接近させていくのです。
そうして患者の側から病を見るようになっていく。そして患者の視点にまで合一した上で、専門家として医療行為を施し、アドバイスや励ましを与えていく。そうして患者の自己回復力、免疫力を引き出し、病の治癒を目指すようになっていくのです。
これをあえてヘーゲルの弁証法になぞらえるなら、当初は医師の視点(正の立場)にあった肥田さんが、その反対物である患者の視点(反の立場)に移行するわけです。その際、そこには医師としての己の自己否定というシビアな階梯があります。そして患者の目線から、患者とともに、医療的視点に止揚(アウフヘーベン)していく。患者の自己回復力の引き出しのもとでの医療の達成という合の立場に至るのです。
僕が『ヒロシマを生きのびて』に深く感銘したのは、この本の中には、従って肥田さんの歩みの中には、こうした己の捉え返し(自己否定)による飛躍の場面がたくさん出てくるからです。そうして肥田さんは医療に支配的だった「患者を治してやる」という立場を越え出ていく。
患者が自らを治す。それを助ける・・・そういう視点に立ったとき、現代では患者が自らを治す側面が社会的に阻害されていることに肥田さんは気づいていきます。最大の要因は、身を滅ぼしても働いてしまう価値観ですが、しかし医師の立場から言えば、現代医療が患者の主体性を引き出せず、しばしば受動的になるように「しつけてしまった」ことに原因があると肥田さんは見ていくのです。
今宵、紹介したいのは、そんなことに肥田さんが開眼していった場面のお話です。あるとき患者(17歳の女の子)に赤痢の疑いがあり、保健所で細菌検査をしていたところ、翌日になって腹痛を発症。ところが親は、赤痢で隔離されることを嫌い、違う医師のもとに駆け込み、その場で急性盲腸炎が発覚、すぐに病院に搬送されて手術を受けるのですが、赤痢を隠してしまったために、あやうく病院が感染しかかるという事態が発生しました。
このとき、この病院の医師と肥田さんが会話を交わすのですが、まさにその会話の中で、肥田さんは自らのうちに芽生えてきつつあった新たな医療観に気づいていくのです。その場面を引用します。なお本文にはありませんが、わかりやすいように対話をしたF医師の部分だけ「F医師」と名を入れます。
F医師「患者はどうして医者に正直にものを言わないのか、先生はどう考えます」
「あなたは院長と違ってざっくばらんだから、患者はものを言い易いんだろうと思っていましたが」
F医師「ため、だめ、なかなか本当のことを言わない。本気で心配しているのに、腹が立つことがある」
「患者をそうしたのは医者だは思いませんか」
F医師「医者が?医者がどうして」
「医者だけじゃなくて、医者を含めた古い封建社会の仕組みでしょう。素寒貧(すかんぴん)の庶民から見れば、身分のある者、金のある者は雲の上の存在で、うっかり本心を言えば必ず不幸な目にあうことを、徳川と言わず明治から今日までいやというほど味わってきています。
医師はうっかり口など利けない偉い人で、何か聞かれたら『はい』と『いいえ』だけ答えるようにしつけられてしまったのです」
F医師「それじゃ病気はなおせない」
「患者は、黙ってからだをみせれば医者は病気を治してくれると思いこまされてきました。そうしつけたのは医者です。以前、なんでも正直に言ってくれなきゃ困ると言うと、正直に話したら『患者のくせに生意気だ』『黙って医者にまかせればいいんだ』と叱られたと言われました」
F医師「しかし、ほかのことは別にして、自分の命にかかわることなんだから」
「じゃ、先生が高名な教授に診てもらい、『あの薬をのんで、かえって悪くなった』と言えますか。素人の患者にはおそれ多くて言えないのが普通だと思いませんか」
F医師「あなたは不思議な人だ。いつからそんな風に考えるようになったんです」
「原爆からかもしれません。何百、何千という放射能患者を診て医学医療の無力さを体験して、命を守るのは病人自身の心とからだ、医師は医学と医術で手伝うだけ。その医学、医術も不完全で分からないことばかりです。
謙虚に学ぶことが一番と思うようになりました」
思わぬ長居を詫びてF宅を辞したが、話し合っているうちに自分の医療観、患者観のようなものがいつの間にか形を整えていることに気がついて驚いた。
・・・同書p105,106
続く