明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1386)被曝の危険性は原爆から解き明かして行くと分かりやすい!(5日に草津市でお話しします)

2017年06月03日 10時30分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です。(20170603 10:30) 

6月5日に滋賀県草津市でお話しします。くらしとせいじカフェ主催の「原発と被曝@議員さん向け勉強会」です。
主旨が以下のように説明されています。
「原発のことをエネルギー政策だけじゃなくて被曝の観点からも語ってほしいー!と空に向かって叫んでるだけじゃぁ語ってなどもらえないことに気づいたので私たちが「原発」をどうみてどう考えているのか、「市民の声を国に届けることが政治家の役目です」と言ってくれる議員のみなさまに知っていただくことにした企画。(もちろん議員でない方も大歓迎)」
議員でなくても参加OKということで、実際、いろいろな方が集まってくださるようですが、今回は僕としても各議会でどうやったら話が通していけるのかなども考えながらお話ししようと思っています。
 
そのために二つのベクトルから「原発と被曝」に迫りたいと思います。
一つは何と言っても被曝の危険性についてです。原発を推進する国際原子力村は被曝影響を非常に軽くあつかうことで、事実上、たくさんの人々に繰り返し被曝を強制し続けています。
とくに福島原発事故後は膨大な放射能が環境中をさまよい続けているにも関わらず、積極的な防護策をとらず、避けられる被曝までもが放置されてしまっているとんでもない状況が続いています。
この非道性を暴いていくことが問われていますが、私たちがしばしば直面するのは、原子力村とは関係のない良心的な科学者や医師でも、被曝影響を軽んじているとしか思えない場面に繰り返し遭遇することです。
いや率直にいって原発ゼロを掲げる人々の中でも被曝影響を過小評価している方も見受けられます。しかもその数はけっこう多いのではないでしょうか。
 
このことが非常によく反映していることがあります。この国の政党や「進歩的」と言われる政治グループ、あるいは労働組合の中で、ただの一つも、福島原発事故に際して、避難をすることを打ち出したところがないということです。
何も2011年のことだけを言っているのではなくて、今も同じことが継続中です。福島をはじめいまも多くの地域が避難したほうが良いところです。しかしそれをいまも打ち出している政党も政治グループも(少なくとも僕の知る限りは)ありません。
僕自身は事故直後は本当に必死になって原発から離れることを提言し続けたので、一つの政党も団体も「逃げろ」と言わないことに正直なところ「面食らう」思いがありました。
暫く経って、災害対策の面から「正常性バイアス」=危機に直面した時に心理的に受け入れることができず、事実を歪曲してとらえ、心理的な平穏を保とうとする傾向に多くの人がはまっている事実を知り、「心理的ロック」の解除を目指すようになりました。
しかしそれにしても僕などが論陣をはらずとも、そのうち放射線に関する専門家が続々と出て来てきちんと危険性を喚起し、防護の徹底化を導いてくれると思っていたのですが、結局、そういう方はごくごく稀にしか出て来なかった。
 
そのごく稀な方であった被爆医師の故肥田舜太郎さんや、琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬さんなどに馳せ参じて教えを請いつつ、なぜなのだろう、どう考えたらいいのだろうと思って僕が教わったのは、放射線被曝の問題が広島・長崎への原爆投下と大きくつながっていることでした。その歴史を辿ることからいっぺんにたくさんのことが見えてきて、被曝過小評価のからくりが見えてきました。
例えば、どうして福島原発後に僕が期待したように「放射線の専門家」が民衆の前に現れ、「逃げろ」と連呼してくれなかったのかと言えば、これらの人々が学んで来た「放射線防護学」が広島・長崎への迫害の中で歪められて生まれて来ていたからでした。
端的に言って、いま放射線の人体への害の見積もりは、原爆による被爆者の調査データの蓄積の上に成り立っています。では誰がそれを作ったのか。あるいは誰がデータをとったのかと言えば、原爆を投下したアメリカ軍なのです。加害者のアメリカ軍が被害者の被爆者を調査した。そんな絶対にあってはならない調査が「放射線防護学」の成り立ちにまとわりついているのです。
 
だから私たちは、放射線被曝のことを考える時にもう一度、原爆に立ち戻って考え直すべきなのです。
私たちは原爆のことについてきちんと知っているでしょうか。「この国に生まれ、教育を受けてくれば一通りのことは知っている」と誤解してはいないでしょうか。とんでもない!私たちはずっと騙され続けて来ています。
例えばみなさんは広島への原爆投下時間をすぐに言えるでしょうか。時刻は午前8時15分。そこまでは言える方も多いでしょう。ではなぜその時間だったかをすぐに答えられるでしょうか。
8時15分に投下した理由は、それまでアメリカ軍が偵察機から撮った写真などから、この時刻に広島の人々が最も多く建物の外に出ていることが分かっていたからです。つまり最も「効率よく」熱線と放射線、爆風を浴びせる時間帯が狙われたのです。
 
要するに原爆投下は完全なる人体実験だったのです。アメリカはそんな大変な戦争犯罪を遂行したのです。大虐殺です。しかしながら私たちの多くはアメリカのこの戦争犯罪行為を正すべきことすら忘れてきているのではないでしょうか。
何も「愛国主義」を唱える右翼などに頑張って欲しいなどと思っているのではありませんが、しかしやれ靖国がどうだと叫ぶ人たちからアメリカの原爆投下や都市空襲という戦争犯罪を告発する人々が出て来ないのはどうしてでしょうか。
答えは単純です。みんな騙されてきたからです。僕は日本軍による南京大虐殺が許されないように、ナチスのユダヤ人大量虐殺が許されないように、アメリカの原爆投下も許されない戦争犯罪であると確信しています。
 
それだけではありません。十万を越える人々を広島でも長崎でも殺害し、それを何倍も上回る人々に深刻な傷害を負わせたアメリカ軍が、その後に広島や長崎を占領し、ジャーナリストを追い払って独占的かつ排他的な「調査」を行ったのでした。
加害者が被害者を調査して、どうしてそれできちんとした事実が明らかにされるでしょうか。繰り返しますがそもそもそんな調査は絶対にあってはいけなかったのです。第三者による調査でなければ被害の実相など解き明かされるはずがないからです。
しかもアメリカにとって広島・長崎での原爆による大量虐殺は、核戦略の始まりだったのでした。その後にアメリカは急ピッチで核実験を繰り返しました。1954年のビキニ環礁における核実験では広島原爆の威力を1000倍上回る水爆ブラボーを炸裂させました。この過程でアメリカは太平洋の島々の人々や多くの漁船を深刻に被曝させましたが、それだけでなく自国民をも激しく被曝させ続けました。
太平洋での炸裂で生まれた放射能雲がアメリカ本土まで届いたこともあれば、アメリカ国内でも核実験が繰り返されたこともありました。さらに兵士を実験材料として動員し、原爆のキノコ雲=放射能の固まりに向けてを突撃させたりしたこともありました。
 
それだけではありません。アメリカはそもそものインデアンの人々を使ったウラン鉱の採掘から、核兵器製造の過程でのプルトニウム火災=膨大な量の漏れ出しなどを繰り返しており、さまざまな形で多くの人々を被曝させ続けてきました。
アメリカ軍はそれを核戦略を進める上で避けて通れない道と認識していた。そのために、被曝影響を徹底的に小さく見積もり、反対の声が上がらないようにすることが必要だったのです。
かくして大気中に放射能をばらまき、地球全体を激しく汚染する大気中核実験を、アメリカはなんと200回以上も行っています。地下核実験を含めれば回数は1000回に達します。
そのために本当にたくさんの放射能がばらまかれ続けました。健康に良いはずがない。いま日本では「2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで死ぬ」と言われていますが、そんなもの自然状態であるはずがない。私たちはみな被曝させられているのです。
 
みなさんは第五福竜丸の名を知っているでしょうか。ビキニ環礁の核実験で被曝したマグロ漁船です。ではそのときに同じ海域におよそ1000隻もの漁船がいたことはご存知でしょうか。多くの方が知らないと思います。これまた騙されて来たからです。
この漁船はどれだけの汚染された魚を持って帰ってしまったでしょう。しかも漁船は日本の太平洋側の主立った港のすべてから出港していたことが分かっています。全国に汚染された魚が水揚げされていたのです。
1954年の核実験のあと、魚が放射能計測され、捨てられることもありましたが、それもこの年の暮れまででしかなかった。大気中核実験は1963年まで続けられたのにも関わらずです。
この頃、日本は漁業を主要産業の一つとしていました。住民の生活も多く魚介類に依拠し、肉は贅沢品とされていました。日本中の人々が毎日のように魚を食べて暮らしていましたが、その魚が核実験で汚染され続けていたのです。
いやここでもそれだけではないことを強調しなくてはなりません。太平洋を覆った放射能雲は時には日本全土を覆ってしまっていたのです。魚を介してではなくてもこの国は幾重にも被曝している。
最も深刻な影響が考えられるのは沖縄です。戦後にアメリカに長く占領されていた沖縄では雨水を飲料水に使っていました。そこに大量の放射能雲が来ていたのです。それを沖縄の人々は飲み続けてしまいました。
 
私たちがいま、しっかりと目を向けなくてはならないことは、私たち全員がヒバクシャだということです。がんが多い事実をけして自然状態と受け取ってはなりません。いやいま多発している精神疾患なども被曝との関連を疑って当然です。
もはや騙され続けてはなりません。現代の放射線防護学が被曝を強制してきた側が自らの非人道的犯罪を隠すために作り上げて来たこと、だから被曝影響の過小評価が体系の中に埋め込まれていることをしっかりとつかまなければなりません。
同時にそこに目をやれば事実は単純に見えてきます。だから5日の勉強会の前半ではこの歴史的事実をきちんと掘り下げたいと思います。
 
これ以上の被曝を拒否するために、これ以上騙され続けないために、一緒に学びましょう!
 
 
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原発と被曝@議員さん向け勉強会 主催 くらしとせいじカフェ

原発のことをエネルギー政策だけじゃなくて被曝の観点からも語ってほしいー!と空に向かって叫んでるだけじゃぁ語ってなどもらえないことに気づいたので私たちが「原発」をどうみてどう考えているのか、「市民の声を国に届けることが政治家の役目です」と言ってくれる議員のみなさまに知っていただくことにした企画。(もちろん議員でない方も大歓迎)

この機会を是非活かし街宣、駅立ち、スピーチに展開くださいねー。市民のこころに響くのはリアリティのある言葉です。外部被曝は燃える石炭に手をかざすようなもの。内部被曝は燃える石炭をそのまま飲み込むようなもの。わたしたちにの身近にある「命」や「くらし」の観点から原発をどうか訴えていただきたいと思っています。様々な場所でお世話になっている守田敏也さんが今回もお力添えくださいます。

そして…お願いごと。手弁当で動いています。参加費は1000円以上のカンパということでチカラをかしてください。カンパは全て講師代と会場費にさせていただきます。

時:6月5日(18時30分から)場:草津まちづくりセンター306 尚、参加される方は申し込みをお願いします。09082080423 にしむら

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