明日に向けて

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明日に向けて(2274)「人々が自由を差し出すこの現実!」に対して文化は何ができるのか?ー京都文連のみなさんと考えます(12月11日京都市)

2022年12月02日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2201~2400)

守田です(20221202 23:30)

近代社会を「自由」を視座に問い直す

12月11日(日)に京都文化団体連絡協議会のみなさんのお招きで、この問いのもとにお話することになりました。
「コロナでバラバラにされていく社会の中で文化は何ができるのか?人々が自由を差し出すこの現実!に対して」が正式なタイトルです。

これにどうお応えするのか、どう話すのかを考える中で、そもそもこのことは近代社会=資本主義社会の根本に関わる問題であることが見えてきました。
「人々が自由を差し出す」現実・・・実はそれは、近代社会=資本主義社会が、そもそも必要としてきた仕組みなのではないでしょうか?

近代=資本主義は生産力の時代です。生産性向上による利益拡大が至上命題で、そのため編み出されたのが中央集権制です。
「知は力なり」という発想のもと、近代科学の知恵をより多く持ったものが、全体がけん引する仕組みです。
この下に働くものの主導性、能動性、自己決定権が奪われてきた。それが近代社会なのではないでしょうか。



江戸末期から明治中期の「召使」は能動的だった!

これらのことを僕はこの間、『逝きし世の面影』(葦書房)という書に学んでいます。この時代に日本を海外から訪れた人々が書き残した膨大な随筆をまとめたものです。
例えばこの中に出てくる「召使」のことが面白い。西洋人が日本人を雇って驚愕するのです。なんとそのころの日本の「召使」が、主人の命令に度々背いたからです。

どういうことかと言うと、「召使」はプロ意識が高く、何が「主人」のためになるか、自己判断して行動している。そのためしばしば主人の命令とは違ったことをする。
例えば「山羊肉を買いなさいと命ずる。彼はすぐ出かけて、牛肉を買ってくる。彼は牛肉のほうが安価であることを知っており、あなたの出費をすくなくしようと考えているのである」(同書p232)という具合です。

読んでいて愉快になりました。「不服従が慣習になっている」とも書かれています。自分の頭で考え、行動している。能動性がある。
これを読んでご自分の職場の働き方を考えてみて下さい。「なんと羨ましい」と思うことが多いのではないでしょうか?
賃労働では労働者は指示に従うことが求められ、能動性、自己決定権が奪われています。なかなかこうは働けない。



自由、能動性の再獲得から社会を変えよう!

こう考えると「人々が自由を差し出す!この現実」を変える道は、たった今から自由、能動性を再度獲得していくことで進められるのではないでしょうか?
生産性という考え方から抜け出し、効率が悪かろうがなんだろうが、自分で考え、判断することを大事にし尊重していくこと、その流れをさまざまに作りだすこと、実はこれが近代社会を越えていく王道なのでは?

そのために大事なのは、社会の中から中央集権的なあり方を減らしていくこと。政治で言えば霞が関に集中している権力を地方に分散していくこと。都道府県の中でも市や町に。その中でも現場に。権限を移していくのです。
そうなれば現場の人が、少なくとも手の届く範囲のことの決定にもっと関与できるようになる。自分の意見の反映の余地が増えます。だからこそ能動的になれる!その仕組みをじわじわと下から増やしていくことが、革命につながるのではないか。

社会をそう変えていくのですから、社会運動からも中央集権制を減らしていきましょう。政党や政治団体など、あらゆるグループの中央の権限を弱めていく。現場に、さらには個人に決定権を委譲していくのです。
今になって気が付いたのは、宇沢弘文さんが、社会的共通資本の運営に仕方についてその点を強調していたことです。現場の当事者が集まって運営していこと、官僚や市場に任せてはならないことを、宇沢さんは何度も説かれていました。



文化こそがその先端に

さてそれでは文化は何ができるのか。その前に文化とは何かを定義しなくてはなりそうですが、この問いを発しているのは「京都文化団体連絡協議会」さんですから、そこからイメージできる文化活動のことと今は捉えましょう。
それならもう、それぞれの自主的判断と能動性による、活発な文化活動を繰り広げること、自由な表現をどこまでも広げることで、中央集権制というこの社会の檻を壊していくことが大事なのではないでしょうか?

社会・地域・組織・団体・・・などなどに決定をゆだねず、どこまでも能動的な自己判断を大切にするあり方を、ぜひさまざまな手段で自由に表現していただきたい。それは民主主義を文化的に開花すること、ラディカルデモクラシーの実現です。
同時に、正義、大義、美徳、などなどの名の下の「熱狂」の中での冷静な自己判断のあり方、社会的興奮にも自己決定権を奪われない能動性をも表現していただけたらと思います。

そもそも文化活動は、担い手の能動性によって担保されること。ぜひ人間の能動性、主導性を指し示す自由闊達な活動を、それぞれの団体で繰り広げていただきたいし、僕も文化的な発信を続けたいと思います。
それが実現できれば、「コロナでバラバラにされていく」ことなど、幾らでも、修復できるのではないでしょうか?僕にはそう思えます。ぜひ文化の力で革命を起こしましょう!12月11日の企画にご参加下さい。


#京都文連 #コロナ #自由 #逝きし世の面影 #自由を差し出すこの現実 #生産性向上 #河二ホール #社会的共通資本 #宇沢弘文

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