守田です(20161211 03:00 台湾時間)
台湾に来てから3日目の夜を迎え、報告を書く時間を捻出しました!
今日は今回のメインイベントであるアマミュージアムの開設式に参加してきたのでその報告を記したいと思います。
式典はアマミュージアムの近くの公園で行われました。ミュージアムにとても入りきれない人が世界中から参加したからです。
朝10時に会場に着くと、すでに公園内にさまざま人々が集まっていました。被害女性を代表して参加してくれたのは陳蓮華(チェンレンファ)アマと李容洙(イヨンス)ハルモニ。イヨンスハルモニは韓国から駆けつけての参加でした。 さらにおばあさんたちのサポートの中軸を担ってきた台北市婦女援助会の面々、この組織を支援してきたさまざまな社会団体や企業、そして新政府からも多くの方が参加していました。 世界からの参加も豊かで中国、韓国、アメリカ、日本から約60人が参加していたそうです。
式典はミュージアムのシンガーソングライターの素敵な歌のあとに、婦援会の黄淑玲理事長のスピーチで始まりました。黄さんは次のように発言されました。
婦女援助会理事長 黄淑玲 発言要旨
イヨンスハルモニ、アマ、国内外のお客様、セレモニーに参加していただきありがとうございます。
台湾では58人のアマが声をあげ、長い活動を展開してきました。女性のため、人権のために声をあげ、韓国、中国のおばあさんたち共に性奴隷問題の解決のための運動に取り組んできました。これは世界の女性の活動にとってとても重要なことです。
女性の人権と平和にアマたちは寄与しつつ、日本政府に謝罪を求めてきました。国連もアマたちを支持し、日本政府を譴責してきました。アマたちは二度とこんなことが起こらないようにと頑張ってきました。
そのアマたちを記念するミュージアムはカンパで成り立ちました。そのミュージアムが世界人権デーの今日、開設できた事は、アマたちの女性の人権への寄与を讃えることだと思います。
アマミュージアムは20世紀以来、女性たちが受けてきたあらゆる被害や現代の被害を明らかにする場です。世界の人権運動と連携しつつ、この場を、人権を守り抜く場として発展させ、台湾の外交にも寄与できるものとしたいです。また人々のエンパワーメントにも寄与したいです。
ここまで資金調達がとても大変でしたが支えてくれた全ての方に感謝します。政府関係者のみなさまや、前総統にも深く感謝します。
最後に、天国から見ているアマたちにこう報告したいです。「アマたちのミュージアムがついに開館しましたよ」と。
ありがとうございました。
続いて台湾政府を代表して、文化部長のチェンリーチェンさんが発言されました。(発言要旨)
台湾政府文化部長 チェンリーチェン 発言要旨
この場に出席できてとても嬉しいです。
第二次世界大戦の終焉から70年が経ちました。戦争は大変な被害をもたらしました。その中でアマたちは深い傷に耐えてきました。家族も涙を流し続けました。
幸い、みんなの力に支えられながら、アマたちはこの被害を忘れるなとアピールしてきました。その発言は女性の人権や世界の人々の人権に大きく寄与してきました。その勇気に感服するとともに感謝に絶えないです。
私たち文化部は、文化の力を用いて、歴史の教訓に学んでいこうと呼びかけたいと思います。これまでの婦女援助会の努力に感謝します。
私たちはホットラインを作ってさらに調査を行います。歴史の教訓を忘れない努力を続けます。
アマの家がオープンされ、資料が展示されています。そこには一人一人のアマの命の物語があります。私たちはここでアマたちの心の傷と向かい合い、考えていくべきです。二度とこのような過ちを犯さないために手を携えて努力すべきです。
本日は長年、アマを支えてきたみなさんの努力に感謝を捧げます。そしてこの場を女性の人権をサポートしていく場としたいです。将来に向けて、女性と男性の同権を実現していく拠点としたい。すべての暴力から解放された同権的社会の実現を祈ります。
この他、たくさんの発言が続きましたが、日本からの支援者を代表して東京から参加した柴洋子さんが、心あるとても素敵なスピーチをしてくださったのでご紹介したいと思います。
多くの日本からの参加者の気持ちを代弁するナイススピーチだったと思います。少なくとも僕は「そうなんだよな。そう思うのだよな」と終始、共感しながら聞きました。
動画をFacebookのタイムラインにUPしましたが、ここでは文字起こしして紹介します。ぜひお読みください。
阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会 柴洋子
日本の東京でアマたちを支援してきました柴と申します。
最初にレンファアマ、シュウメイアマの家族の方々、そしてたぶんここに来ているであろうたくさんのアマたち、それから長い間、苦労なさってきた婦援会のみなさま、台湾のみなさま、今日のアマの博物館、アマミュージアムのオープン、本当に嬉しく思います。おめでとうございます。
私たちがアマと知り合いになったのは1999年にアマたちが裁判を提訴したときのことでした。私自身はもう少し前からアマたちに会う機会を得ていましたが、そのときは「アマたちは誰もカムアウトしない」と聞いていましたし、私も「そうかもしれない」と思っていました。
だから99年になってから裁判を起こすと聞いた時は本当にびっくりしました。あれほど顔も名前も出さないと言っていた人たちがなぜ裁判を起こすのだろうと思いましたけれども、裁判を起こす以上は、それまで台湾の慰安婦問題を考えるという勉強会をちょっとずつやっていたのですけれども、裁判を支援する具体的なことをしなければいけないと考えて、「裁判を支援する会」を立ち上げました。
その中でアマたちと具体的に知り合ってくる中で、台湾のアマたちのなんと言うのでしょう、心の穏やかさ、深さ、そして強さを感じて、私たちも知り合った事を大変嬉しく思っていました。
台湾のアマたちの裁判が起きたのは99年ですが、実は日本では韓国やフィリピン、あるいは在日の人たち等、もっと前から裁判が起きてきまして、敗訴してしまって、もう裁判の運動はこれで終わりだろうというころに台湾のアマたちが遅れて提訴したのでした。そのためそれぞれの裁判を支援したグループが「もう終わりだ」と思っていたのにもう一度、元気になりました。
それでそのあと、台湾のおばあちゃんたちの行った裁判も、東京高裁、最高裁と全部、敗訴になりました。フィリピンの裁判と同じで、事実も認定されなかった。とても過酷な、弁護士に言わせると「血も涙もない判決」が出されました。
それでもチンタオさんが「自分たちはまだやるし、負けていない」とおっしゃって、その後も私たちを受け入れてくれて、今日、現在にいたりました。
裁判は終ったけれども私たちは「裁判を支援する会」という名前はそのままにアマたちとの交流を重ねてきました。
実は婦援会が96年からワークショップを開いて、アマたちの心理治療を行っているということは、最初は知らなかったのですが、途中からワークショップに参加させてもらえることになりました。それで私はアマたちがなぜみずから裁判に名乗り出たのか、提訴すると決意したのか、アマたちが本当に強くなっていく経過を知るとともに、婦援会の長い間の働きかけがあったからだということを本当に強く感じました。
婦援会のスタッフの力強い支えが会って、アマたちも少しずつ、少しずつ自分のことを隠さずに元気になって、自分たちが悪くないということを、みんなの前でアピールすることができるようになり、やがて人々の先頭に立ってきたのだと思います。
そういう意味で私たちは、長い間の婦援会の働きは、地味だったはずなのに凄いことをしてきたんだなと感じています。ありがたいことだと思っています。私たちもいろいろなことを学びました。
日本では、みなさんご存知だと思いますけれども、政府はけして「慰安婦問題」を認めようとしません。解決しようとも、謝罪しようとも、賠償しようともしないで、完璧に無視しようとしています。けれどもアマたちがこうして闘っていますし、さらに婦援会の人たちの努力の賜物で、いまここにアマたちを記憶し、記録していくアマミュージアムができました。中国、韓国、日本等に、幾つかのこうした博物館ができていますけれども、それに続くもので、アジアの中でこのように被害を記録していくことがこうしてどんどん広がっていくことがとても大事だと思っています。
日本では情けない状態が続いていますけれども、私たちも最後まで諦めることなく、みなさんの気持ちを受け止めながら、そして連帯しながら、学びながら、今後も一生懸命にやっていきたいと思っています。
今日は本当におめでとうございました。
続く
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