守田です。(20110629 02:00)
明日に向けて(171)で、原子力資料情報室での田中三彦さんの会見をノートテークしました。ただ一部が再生不能にだったのですが、その後、情報室でアップをし直し、そのことを伝えてくださいました。
そこで加筆し、校正したものを紹介しますが、長いので、要約をご案内します。
田中さんは、1号機において、地震による配管破断があった点と、メルトダウンしたという東電の発表を多くの人が信じているが、津波が事故の主要因だという説を押し通すために作られたシミュレーションで、信用ならない点を指摘しています。
配管破断について、田中さんはポイントが二つあると言います。一つは、地震直後から原子炉水位がどんどん下がっていったのが何故かということ。もう一つは、原子炉格納容器の圧力がどんどん上がって、8.4気圧までになったのは何故かです。
注目すべきは、1号機では原子炉圧力容器の圧力が高まった時に、これを逃がすための弁である主蒸気逃がし弁が開かなかった可能性です。これは1号機は事故後、圧力の上昇が少なかったことを意味している。
もう一点は、非常用の格納容器冷却スプレーが作動していること。格納容器の配管が切れたため、温度と圧力を下げるために、自動的にスプレーが働いたととれることです。
これらは、原子炉の圧力を下げるべく1号機だけについている非常用復水器が、せっかく作動したのに運転士が止めるという不可解な行動をとっていることからも推論されます。
これらを前提に、原子炉圧力容器についてみていくと、一気に圧力が低下していったことが分かる。ここから次の推論ができます。
まず原子炉系配管のどれかが破断する。原子炉圧力容器の圧力が高まり、高圧の蒸気が発生しますが、それが主蒸気逃し弁を経ないで、再循環系配管ポンプの側に出てきます。この場合、主蒸気逃し弁が働かなかったのは、最初は圧力が高くなかった、つまりどこかが切れていた。
その場合、蒸気は主蒸気逃し弁からの配管を通って、圧力抑制室内のプールに導かれず、格納容器からベント管を通してプールに導かれ、ダウンカマーを通じて、水の中に導かれます。
しかし地震の揺れで水面の大きな波打ちが起き、ダウンカマーが水面より出てしまう瞬間があった。このとき蒸気は水の中に噴きださず、圧力抑制室内に噴き、ここの圧力が高まってしまった。
そうなるとベント管の内部との圧力差ができるため、自動的に壊れる弁が作用するのですが、そのため圧力抑制室の破壊は免れても、圧力の抑制そのものには失敗してしまいます。
つまりこの現象は、地震による圧力抑制室の中の水の揺れを原因として起こったと推論されます。
続いて、田中さんが展開しているのは、東電のシミュレーション批判ですが、これは(171)を参照してください。
以上の田中さんの見事な解析ぜひ多くの人々とシェアしたいです。
再び足りなかった20分の分も付け加えたノートテークここに提示します。守田の独断で小見出しもつけています。
興味のある方は、ぜひお読みください。
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地震による配管破断の可能性と、東電シミュレーション批判
(田中三彦さん談)
http://www.ustream.tv/recorded/15539453
http://www.ustream.tv/recorded/15524200
東京電力が5月16日に公式のデータを出している。
それに基づいてどのような事故がどのように進行したのかということを私なりに推測してみたので、それをお話したい。
私は当初から一貫して、1号機は配管が、・・・原子力圧力容器から出てきている配管を、原子炉系配管とよばせていただくが、そのどれかが破損、あるいは破断したのではないかと思っている。
5月16日のデータを見ても、その想いは変わらない。その内容を話そうと思うが、私が1号機に話を限っているからと言って、1号機だけがあやしいのではなくて、2号、3号もその可能性があるのだが、そこまで手が回らないのが実情だ。
1号機は人の手が限られており、短時間で水素爆発までいってしまった。そのため割合、2号、3号より分析が楽であるということで1号機に集中している。
問題は、配管が破損、破断しているとなると、津波以前の問題になる。津波で原発がやられたと言われているが、その前に原子炉中枢部が地震でやられている。そういう可能性があり、そうだとすると、他の原発に及ぼす可能性が高い。
もう一つ、後半で、もうほとんど世の中は、東京電力や国が行ったシミュレーションがあるが、それでメルトダウンが非常に早い勢いで起こって、どうのこうのということを、ほとんどみなさん、信じていると思うが、そのシミュレーション批判というのをやってみたいと思う。
ということでまず、どのように進行したと考えられるか、配管破損、あるいは破断が起きたのではないかと言うことを説明したい。
1 配管破断の可能性
A 原子炉格納容器の圧力はなぜ上がったのか
原子炉の構造を説明したい。今日の重要なポイントは二つある。一つは地震直後から原子炉水位がどんどん下がっていく。原子炉圧力容器の水がなくなっていくということは、どこかに出たということだ。その出先は二つしかない。それがどう漏れたのかが、今日の話の一つ目のポイントだ。
もう一つは、この原子炉格納容器というものが、通常運転中は大気圧と同じぐらいのものなのだけれども、これが事故のときに、絶対圧力、私たちの生活している1気圧を加えると8.4気圧まで上がっている。
普通は設計をするときは絶対圧力ではなくて、万人にかかっている1気圧を引いて7.4気圧かかっていたと考える。この設計圧力というのは、原子炉の一番大きな配管は、だいたい再循環系の配管なのだが、これが一瞬にして壊れたときにも、格納容器の中は4気圧にはならないと思われていたのだ。
それがマーク1型の格納容器といわれるもので、この福島の1号機から5号機まで使われていたものの設計圧力は4気圧前後だ。ところが事故の最中にこれは7.4気圧ととんでもないものになった。なぜそんな圧力になったのか。それが事故を考えていく上で重要なポイントだ。
B 主蒸気逃がし弁が開かなかった・・・
東京電力が5月16日に発表した地震直後の原子炉の水位と圧力の変動の図がある。主にこの二つを見ていくが、水位は全体的には地震直後の反応はあるが、14時46分の地震発生から、30分ぐらいの間を見ていくと、途中から少し下がって見える。
圧力は非常に特徴的で、運転中は70気圧ぐらいだが、地震が来た後に落ち込んでから少し上がった後に大きく下がっている。30分の間に20気圧ぐらい下がって、また上がっていくという大きな変動を経ている。
これが2号機の場合はどうかというと、原子炉圧力は、1号機のようにゆったり下がって上がって行くのではなくて、細かく上がったり下がったりを繰り返している。3号機も2号機と同じように、地震が来たように、パタパタと上下している。
1号機は大きな山なりを作っていて大きく違う。ここから先の記録は取れてないことになっている。ともあれ1号機はゆっくりと圧力が変動しているのだが、それがどうしてかということを説明したい。
2号機、3号機はおそらく崩壊熱で、スクラムを組んだ(制御棒が入った)直後に、核分裂はなくなるが、分裂時にできた生成物があるわけでそれが崩壊して熱が出る。
それで圧力がどんどん上がると原子力圧力容器が破損する可能性が出てくる。運転中が70気圧だが、止まった後に圧力が上がってくる。そうすると主蒸気逃し安全弁が開いて、蒸気が格納容器に出され、管を経由して、圧力抑制室の水の中に入っていく。
それで水の中に蒸気が噴かれると、蒸気が水になるので体積がぐっと減る。そのために圧力が低下する。あまり低下しすぎると蒸気が逃げて行くから、原子炉の中の水位が下がって、燃料が顔を出してしまう。
それは危険なので、ある程度下がり、68、69気圧まで戻ると弁がパタッと閉まる。そうするとまた圧力が上がり、弁が開いて蒸気が圧力抑制室に持っていかれる。そうすると圧力が下がり弁がパタッと閉まる。
そういうことを繰り返しているために、2号機、3号機は、原子炉圧力容器の中の圧力が上がったり下がったりしているけれども、なぜか1号機はこの動きをしていない。
これをどう説明するかだが、非常用復水器が作動して冷却をしているために、それの効果で圧力が上昇しなかったと考えれる面もあるけれども、それだけでは説明できない。
全体として、1号機の圧力がパタパタと変動しなかったということは主蒸気逃がし弁が開かなかったということを意味している。少なくとも30分の間、開いていない。ということは2号機、3号機に比べて圧力の上昇分が少ないことが考えられる。
この後に開いたかもしれないけれども、その後は分からない。しかし崩壊熱は停止直後が一番高いから、そのときに開いてないというのはとても気になる。
私がよく配管が破断しているというと、反論として東京電力の方は配管は破断していない。圧力がちゃんと残っているではないかと言う。
けれども、それは相対的なものだ。例えば多きな配管がいっぺんに破れてしまうと圧力はいっぺんに下がって行くが、そうではなくて中規模、小規模の破損だと、崩壊熱が上昇する、抜けたことで圧力が下がる。
その足し合わせたところで、圧力が抜けたところで戻っているということが起きていたと思う。逃がし安全弁が開かなかったといことが1号機の特徴だったということを知っておいていただきたい。
C 格納容器スプレー系が起動
それでもう一つ、東京電力は、どういう操作を施したかというものを黒板に書いていたものなどなど、いろいろと書いている。その中で水素爆発までの操作で重要だと思うものを、私なりにピックアップして表にした。
これは東京電力が作った表ではなくて、提供してくれた情報をもとに勝手に私が作ったものだ。この中で非常に気になることが幾つかある。
15時04分、地震後18分すると、格納容器スプレー系Bというのが起動している。それから15時11分、7分後に格納容器スプレー系Aというのが起動している。これは格納容器の中にスプレーがあって、何か異常なことがあると、温度と圧力を減らすために、大量の水を噴霧するものだ。
これが何かというと、教科書的に言えば、これは冷却材喪失事故が起きる、原子炉圧力容器を出入りしている原子炉系配管のうちのどれかが切れる、あるいはキズが入って水が蒸気が出て来る。そういう状態になると格納容器の中に高い温度の水蒸気が飛び出してくる。
そういうときに格納容器の中でスプレーを大量に出すと、温度が下がる。そうすると圧力が下がる効果を持っている。つまり冷却材が喪失した時に、スプレーが出て、フラスコを冷やすのが目的だ。
本当かと言う方がいると思うので、次のものを用意した。1990年ぐらいに福島1号機に関して、東電が国に提出している文章だ。その中に今、言った、格納容器に対する説明がある。
その中に格納容器冷却系、スプレーのことだが、「冷却材喪失事故後、サブレッション・チェンバー(圧力抑制室)内のプール水をドライウェルにスプレイすることによって、格納容器の温度、水位を低減」することを目的にしているということが書いてある。
つまりサブレッション・チェンバーの水を使って中に噴き出すという役目を持っている。それが2系統あるのだけれども、動き出したということだ。
どれぐらい噴霧したのかも、東電が出したデータに載っている。A系とB系のポンプについて載っている。地震が来てからまずB系が先に起動している。
これを見ると1時間当たり、何リットル送り出しているかが載っているが、マキシマムで1秒間で200リットル。それが一瞬にしてばらまかれる。A系が動き出してからは2台が噴霧するので、1秒間に400リットルが出ている。
そういうことが地震後17、18分後から始まっている。これがいつ止まったかは分からないが、津波までずっといった可能性がある。
これが何で起動したのか、分からないことがある。自動で起動したのか、人が何かを考えて、起動させたのか。良く分からないけれども、あいまいな表現がある。
「サブレッション・チェンバーを冷やすために起動したと思われる」と書かれている。運転士が、サブレッション・チェンバーを冷却するために起動させたと読める。しかし自動的だったのかどうか良く分からない。
また圧力抑制室の温度を下げるために冷却したということなので、その温度は何度だったのかを調べてみる。そうするこれが、冷やすために起動したと言われる冷やされる方の対象なのだけれども、これを見ると2時46分ごろ地震が起きた時に絶対値は20度になっている。
運転中は20度だったのに、地震が来たらなぜか下がってしまっている。3時7分からポンプが動いているが、それより前から下がりだしている。いずれにせよ絶対温度は20度でその水を冷やすために、スプレーを起動するというのは意味が分からない。むしろ冷やす前から下がり気味なのに、冷やす意味が分からない。
だからここで何か運転士が感じたか、格納容器の配管が切れたために温度と圧力を下げるために、自動的にスプレーが動き出したともとれるわけだ。確実とは言えないけれども、冷却材喪失事故が起きた可能性が非常に高いと思える。
肝心の格納容器がどうなっているのかというと、次のグラフがある。地震があって、30度ぐらい温度が上がっている。地震が終わった時から突然、温度が上がって行く。
これは東京電力は、地震で交流電源がストップして、格納容器の中の換気装置が止まってしまったので、そのために温度が上がり始めたと説明している。冷却材が喪失したのではないと注意書きが入っている。
しかしこの過程で、1秒間に400リットルの水をかけているわけだ。それがなかったらもっと激しく上がったと想像できる。東京電力の説明では外部電源喪失のために、換気ができずに上がったと言っているけれども、スプレーが無ければもっと上がったと考えられる。
D 非常用復水器(アイソレーション・コンデンサー)の不可解な運転
もう一つ、事故のストーリーを話していくときに大事なものがある。それは非常用復水器だ。原子炉圧力容器の中の圧力が上がっていくと弁が開いて、蒸気が管を通して、圧力抑制室に持っていかれるということを先程言った。
そうなる前に、崩壊熱が圧力容器内の圧力を上げていくと、実は1号機では、別のものが圧力を吸い取るようになっている。これはなかなか面白いというか、いかにも古いのだが、福島の1号機にだけついているものだ。日本では福島1号機だけだろう。
非常用復水器にからむ弁は4つある。系列はAとBがあって、それぞれ4つの弁がついている。いつでも何かに対応できるように運転中は4つのうちの3つの弁が開いている。非常用の時は、残りの弁が開けば全体が動き出すシステムになっている。
原子炉圧力容器から、これ専用の蒸気管がある。まず1Aという弁がある。これは常時開いている。次に2Aがある。フラスコ型の格納容器を出る前と出た後に弁がある。その後、復水器本体があり、そこで蒸気が水になって冷やされる。
そしてそれを取ってから3番目の弁、3Aがある。これは通常は閉まっている。これが開くと、次の開いている4Aも通って再循環ポンプに入り、原子炉に戻る。冷たい水となって戻っくる。そのことで圧力も下がるし、温度も下がるという仕組みだ。B系統も同じような循環があり、3A弁があけば同じように戻ってくる。
実際に、地震が合ってしらばくして崩壊熱で圧力が高くなると、全体がグルグル回り始めて温度を冷やしている。これが面白いのは、この循環が電気を何も使っていないことで、津波で電源を喪失したというが、自然循環でこれは回って、自然に冷やしていた。
このように途中で復水器本体があって、そこで熱をとっているとやがてこの復水器自身が熱くなり、沸騰していって役に立たなくなる。それでスペックでは8時間ぐらいはもつだろうと考えられているものだ。
そういうものがあって、もう一度言うと、原子炉の運転が止まって、崩壊熱で内部の圧力が72気圧ぐらいまで上がってくると、まず先に非常用コンデンサー(非常用復水器)、アイソレーション・コンデンサー(IC)とも言うがこれが働く。
それでも間に合わないと、主蒸気逃し安全弁が開いて、管を通って、蒸気が圧力抑制室に入っていく。
アイソレーション・コンデンサーが回っている分には、循環しているので水位は下がらない。しがし主蒸気逃し安全弁が開くと、蒸気が他に持っていかれるので、水位が下がる。それを予備知識にして、配管破断ということが起きたのか起きなかったのかを考えてみたい。
事故というのは勝手に一人でに起こって行くのではなくて、運転士がその過程に入ってしまう。そういうことで、運転士がどういうことをしたか、それに対して機械がどういう応答をしたかが記録として出て来る。
私としては運転士がどう運転したか、機械がどう反応したか、このイベントを合理的に説明していくことが事故の調査の基本だと思う。
今、言ったように、自動的に起動したかどうか。14時46分に地震が起こった。14時52分に非常用復水器A系B系とも、自動的に起動したと書いてある。6分後には圧力が上がってきたので動き出したと言うことだ。
ところがここで不思議なことがある。せっかく自動的に起動したのだがなんとその11分後、15時03分に弁を閉じてしまう。わずか11分間、動いて閉じてしまった。3A3B弁を中央制御室から止めてしまった。
一番圧力が上がって、それで壊れないようにするものが、せっかく動いたのに運転士が閉めてしまっている。
東京電力は記者会見でこんなことを言っている。温度と圧力が変化し、温度が急激に下がってしまった。下がりすぎた。1時間あたり55℃以上の温度変化があり、運転時は1時間あたり55℃以上の温度変化を起してはならないというマニュアルがあったので、運転者がそれによって止めたという説明をしている。
1時間あたり55℃の温度変化というのがどういうことかと言うと、鉄などに、冷やしてすぐに温めることを何度もやって急激に温度変化を与えると、熱疲労と熱応力というのが出て、ガラスだったら一瞬に割れてしまう。
そのために1時間に55℃以上変化させないでくれというマニュアルがあるので、それに従ったいう説明をしている。
これはほとんどウソと断言していい。この説明は意味がない。なぜかというと55℃というのは1.8倍かけてFにすると100度Fになる。1時間あたり100度Fの温度変化をさせてはいけないというのは、これはボイラーの世界、化学プラントの世界は常識だ。
原子力発電所も起動や停止のときに、これをちゃんと守っている。これは経験値だ。何のためのものかというと、激しい熱の変動を何回も繰り返すと材料が痛む。熱疲労的な要素の多い経験値だ。これを守っていれば長く運転できるというものだ。
それをこの非常時に守るなどという事態がナンセンスだ。もしそういうマニュアルがあるのならば、もうそれだけで欠陥だ。だからこれは方便、ウソで別の判断があって運転者は止めたのだと思う。
さっき言ったように、非常用復水器が8時間しかもたないことを考えた。電源が復旧しなくてこれしか使えないとなると、必要がない時は止めたいと運転士は考えたのだと思う。
先程、55℃というマニュアルはウソだと僕は言った。例えば緊急炉心スプレーといものがある。あれば285℃ぐらいの原子力圧力容器の中に40℃ぐらいの水をいきなり噴くわけだ。あれは凄い熱衝撃を起す。1時間あたり55℃などというものではない。そういうことを非常時にはやる。
一生の耐久性に関係するときと非常時のことは違うのだから、1時間あたり55℃以上の変化をさせたくなかったので止めたという話はまったくナンセンスで、ウソだ。それでは運転者は何故止めたのかというと、もっと重要なときに温存したいという考えがあったのかもしれない。
いずれにせよ、そういう運転者の考え方を、早くレポートにして聴取してまとめていく必要がある。これを国や東電がどこかでやっているのだろうか。この55℃という話は今後も出て来ると思うが、もしこれがマニュアルに書いてあったのだとしたらそれはもう不備だ。おそらくそれは書いてない。何の意味もない話だ。
それで止めてしまったということはある。わずか11分しか動いていない。ではいつ次にICは動いたのかと言うと、3月11日の夜の18時10分、3時間後に弁を開いている。しかし夜の18時25分にはまた止めている。結局、ここで15分、初めに11分、合わせて30分も使ってない。
崩壊熱が高くなって、圧力がどんどん高くなっているときに、これを止めているという異常なことが起こっている。それが何だったのかをはっきりさせていく必要がある。
次にこれが大事なことだが、その非常用復水器を全開にして使うときがきた。21時30分に3A弁を開いている。3B弁は開いていない。これは余裕があるとも取れるし、3B弁が壊れたともいえる。
その後、3月12日1時48分、およそ4時間何分かこれを開きっぱなしにしている。それでとうとう温度が上がってこのラインも使えなくなってしまった。しかし4時間はがんばった。これが後で見るがチャートの中に出ている。
だいたい以上のようなことを予備知識にして説明をしたい。
2に続く
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