明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(2485)「被爆国」という表現は正しくない。「被爆国政府」論では日本政府を免罪することにしかならない・・・ノーベル平和賞のその先に-2

2025年01月01日 23時30分00秒 | 明日に向けて(2401~2600)

守田です(20250101 23:30)

あけましておめでとうございます

みなさま。新年を迎えました。おめでとうございます!今年もどうかよろしくお願いします。
2025年をみんなで核なき未来を力強く手繰り寄せる年にしたいです。もちろん戦争、暴力をできる限り無くしていきたい。力を合わせて進みましょう。

年末にそんな思いを込めて「ノーベル平和賞受賞を踏まえてその先にーいま現に進行している被爆(被曝)と立ち向かおう!」という記事を出しました。
今日は、ノーベル平和賞の先に進むための一つとして「被爆国」という言葉を越え出ていくことを呼びかけたいです。何回かに分けます。一緒にお考え下さい。



「被爆国」という言い方は被害を正しく伝えていない

これまでも述べてきたように、日本被団協へのノーベル平和賞授与は「二度と被爆者を作らないで」と訴えてきた被爆者の方たちに光を当てる行為でした。それ自身はとても大きなことです。
大事なのはこの被爆者の声を受け継ぎ、豊かに発展させていくこと。そのために核兵器にとどまらずあらゆる被爆(被曝)に抗い、核なき未来をたぐり寄せていくことです。

そのためにこれまでの枠をいろいろな意味で脱していくことが問われていますが、今回、取り上げたいのは「被爆国」という言い方のおかしさです。
そもそもアメリカ軍の原爆攻撃で被爆したのは、広島と長崎にいた人びとでした。被爆者は約70万人と数えられましたが(実際はもっと多い)そのうち約1割は朝鮮人でした。しかも爆死者を数えてみると朝鮮人の割合はなんと17%にもなります。日本人の僕には痛ましく、哀しく、恥ずかしく思えます。

しかし南北朝鮮は「被爆国」に数えられてはいません。当時は「日本」とされていたにもかかわらず。その点では台湾だって数えられていないことに注目すべきです。
反対に北海道は被爆したでしょうか。沖縄は?いや東京だって大阪だって、被爆したという認識を持ってはいません。でも被爆国にはこれらの地はみんな入り、南北朝鮮、台湾は除外されています。
これはおかしい。ここから分かるのは「被爆国」という捉え方では、被害の実相に迫れていないことです。とくに爆死者の17%も占めた南北朝鮮の人々が抜け落ちてしまうことは大きな問題です。

さらにそもそも戦中に核爆弾で被爆被害が生じたのは広島が初めてではありません。1945年7月16日にアメリカ軍はニューメキシコ州アラゴモード周辺のトリニティサイトで核実験を行い、周辺住民を被爆させています。
「被爆国」という言い方ではこの被害者たちも除外されてしまう。だから私たちは「被爆国」という言い方を脱していく必要があります。


守田講演スライドより 平信行さん使用のものに加工

「被爆国政府」という言い方は日本政府を免罪するだけ

そもそも原爆による攻撃は民間人の大量虐殺でした。当時の国際法から言っても明らかなる戦争犯罪です。なんとしてもこのことをアメリカ政府に認めさせ、謝罪させなくてはいけない。世界平和のためにです。
今回強調したいのは、同時に日本政府も、こうした虐殺攻撃を受けたことに大きな責任を負っていることです。にもかかわらず「被爆国政府」などという言い方は、この日本政府の責任を免罪してしまうことになりかねません。

そもそも日本政府は、国力があまりに違うアメリカを相手に、勝てないことなど分かっていながら無謀な戦争に突入したのでした。
しかも緒戦でこそ幾つかの「戦果」をあげたものの、アメリカ軍の猛攻にどんどん後退を強いられ、1944年秋のレイテ決戦で大敗北し、大きく抗戦能力を落としていました。軍隊対軍隊の戦闘ではもうここで決着がついていたのです。

にもかかわらずアメリカはサイパン・テニアン島を奪取し、その飛行場からB29戦略爆撃機を日本まで飛ばせるようになったことを受けて、何百という編隊で本土空襲を始めました。かくして1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに都市空襲が構造化されました。
日本政府はせめてこの段階で降伏すべきだったのです。まったく勝ち目がないし空襲も防げなかったからです。にもかかわらず天皇制の存続と支配層の自己保身のため戦争が続けられた。「アメリカに一泡吹かせる」とか言って、人々が大量虐殺されるがままに任せていた。

つまり政府は日本の国民・住民の保護義務を放棄したのです。1944年末に降伏すれば都市の大規模空襲だって、沖縄地上戦だって、硫黄島の戦いだって必要なかった。特攻も玉砕も必要なかったし、原爆攻撃だって受けずにすんだのです。
アメリカもまた日本がもう勝てないことも、降伏の意志があることも知っていた。でも原爆を落とすまで降伏させたくなかった。この両政府の犯罪的な思惑の中で、あたらたくさんの人々が死んだのです。その中にはたくさんの米兵も含まれています。

これらの歴史を踏まえ、どこか被害者のような響きのある「被爆国政府」などという言い方を「もうやめましょう」と提案したいのです。


守田講演スライドより

続く

#ノーベル平和賞 #被爆国論の再考を #空襲は戦争犯罪 #大日本帝国政府は国民住民を守らなかった #被爆国 #唯一の戦争被爆国 #核なき未来へ

*****

核なき未来に向けた歩みを強めるために、カンパで活動をお支え下さい!
振込先 ゆうちょ銀行 なまえ モリタトシヤ 記号14490 番号22666151

paypalからもお支払いできます。自由に金額設定できます。
https://www.paypal.me/toshikyoto/1000


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明日に向けて(2484)ノーベル... | トップ | 明日に向けて(2486)「被爆国... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

明日に向けて(2401~2600)」カテゴリの最新記事