明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(480)疲れ・焦り・苛立ちにどう立ち向かうのか

2012年06月05日 23時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120605 23:30)

ここ数日、「明日に向けて」の更新をお休みさせていただいていました。連日、
講演や交流などがあり、時間が取れないからですが、にもかかわらず、「頑張
って書こう」としていないためでもあります。申し訳ないですが、今は、持続
可能な活動の樹立を優先しようと思っています。

こう思うのは、あちこちで、みなさん「疲れているんだなあ」と感じるからで
す。例えば、仙台を訪問したとき、仙台の地で、子どもたちを守ろうとしてい
る女性たちの長い苦労話を聞きました。仙台も線量が高めです。なので避難す
る人もいましたが、残った方たちは、週末などを利用し、子どもと一緒に保養
にでかけたそうです。

その際、南下することはできない。福島原発に近づいてしまうからで、そのた
めめざすのは北になったといいます。それで高速に乗る。仙台から北を目指す。
しかし岩手県に入ってもまだ線量が高い。いや一関あたりはかえって高くなり
すらする。そこをわき目もふらずに走り抜ける。1時間走ってもだめ、2時間
走ってもまだ線量が下がらない。3時間ぐらい走ったとき、ようやく線量が
下がってくれるのだといいます。

そうしてみなさんがたどり着くのは青森県。そこの保養地をみんなで借り、お金
をはらってそこでしばし過ごす。そして英気を養ってからまたもとの道を戻って
くるわけです。だんだん線量が高くなることを感じながら。

そんな生活を1年以上、続けてきたそうです。しかも4号機がずっと危険な状態
にある。だからそのためのシミュレーションもしておかなければならない。仙
台の方たちは、4号機に何かあったら、まっしぐらに秋田空港を目指し、とりあ
えず海外に脱出することを決めているといいます。そのために子どものパス
ポートもしっかりとってある。それをそろえておいて、いつでも持ち出せるよう
にしている。

それやこれやの体制をとりながらの1年間、みんな、「命の問題はお金より先」
「貯金はこんなときのためにしてきたんだよね」といいあいながら、交通費も
青森での滞在費も、そのつど自腹を切ってきた。補償などないからそうするしか
ないからです。それでもみんなできるだけ楽しく、この行き返りを続けてきま
した。しかし1年経って、そろそろみんな貯金が切れてきたといいます。それと
同時にいつまでこれを続けるのかという疲労感も濃くなってくる・・・。


これは一つの象徴的なありかたなのではないかなと僕には思えました。僕自身も
そうですが、原発事故が起こって、これはもう命の問題だから、すべてを度外視
してでも放射線防護に走らなければと思った。それはすぐに避難をしたり、何ら
かの防護行動に走った方たちと同じ思いの行動だったように思います。

しかもその行動は長く続きました。当初は社会全体が異変に気が付き、すべてを
度外視している自分のあり方が、社会に全体化していくのではと僕は思っていま
したが、少なくとも、この1年間はそうはならなかった。災害心理学にいうところ
の「正常性バイアス」にとらわれた大多数の人々は、わりとすぐに平常モードに
戻っていった。その中で、放射線防護に走る人々は、膨大な放射能の前に通常
生活に戻っていく社会のあり方に、何ともいえない異様さを感じながら、ここで
負けてはならないと、より一層、懸命に防護活動に走りました。

そこにはある種の悲壮感すらあったのではと思います。当初は追いついてくると
思った社会が追いついてこず、しばしば放射線防護活動が、孤立を強いられる中
での活動となったからです。しかししばらくするとようやく脱原発の声が国中で
高まりだした。そうして次第に原発が停まりだしました。放射線に対する危機
意識もだんだんに高まりだし、今日の全原発停止にいたっています。

ところが徐々に政府の巻き返しが始まりだしました。その一つが、放射性物質に
まみれた震災ででたさまざまな遺棄物(「がれき」)の広域処理の問題です。
さらに大飯原発再稼動にみられる、原発維持のための画策が繰り返されるように
なってきた。放射線防護に走ってきた多くの人々が、これを止めなくてはいけない
と懸命に動きまわっていますが、連日、連夜の努力が必要で、当然にも疲れが押し
寄せてきます。なにせ昨年3月からゆっくり休めない日々がずっと続いているのが
つらい。


こうした状況をみるとき、放射線防護を進めようとする私たちに、疲れ、焦り、
苛立ちが襲ってくるのは当然だと思います。何かをしなければならないと思いつつ、
一方でそろそろ度外視してきてしまった生活のことも振り返らなければいけない。
しかし今こそより頑張らねばという思いも強まる。その板ばさみが心の余裕をさら
に小さくし、ついつい近親者にきつい言葉を発してしまって、そのこと自身に自分
で傷ついてしまう・・・とそんな悪い循環に、私たちが今、入ってしまっているこ
ともあるのではないでしょうか。

あるいは僕と僕の周りで見られることを一般化しすぎなのかもしれませんが、僕
にはそうした「疲れ・焦り・苛立ち」が私たちの周りを覆っており、それとうま
く対処していくこと、ある意味では非常体制だったこれまでのあり方をうまく
持続可能なものに改めていくことがとても大事だと思えるのです。


ではその際、私たちが考えるべきことは何なのか。第一に、・・・この点がもっとも
重要ですが・・・私たちの国の市民の放射線に対する意識は、昨年3月11日に以前に
くらべて格段に高くなっているという事実をしっかりと認識することです。とくに
原発が非常に危険なものであり、事故の可能性を抱えているという事実にようやく
多くの人々が覚醒したこと、だからこそ今、すべての原発が停まっていること、
この歴然とした事実をしっかりと見据えることです。

その意味で、私たちは知らない間にかなり高いところまで登っている。頂上ははるか
先かもしれませんが、振り返ったときの私たちの歩みは非常に大きい。あえていいま
すが、大飯再稼動をめぐる攻防で、一喜一憂して、このことを見失ってはならないと
僕は思うのです。

先日、関西電力京都支店前で、ついに最後の一つの原発が停まり、多くの方たちが
それまではと頑張ってきたハンガーストライキをやりおえたとき、居合わせたドイツ
人の方がこうおっしゃいました。「私たちの国は脱原発を決めましたがそれでもまだ
8基の原発が動いています。日本は全部停まった。日本人の方が進んでいます」・・・
それは私たちを励ましてくれる温かい言葉でもありましたが、ともあれある見方では、
そのように映るのが事実なのです。そしてこうした成果は、日本中で多くの人々が、
・・・東日本の人も、西日本の人も・・・本当に一緒になって、放射線から互いを
守ろうと必死になって動いてきた、その行動の中で生み出されたものです。

だから私たちは私たち市民・住民が積み上げてきたこの成果をしっかりと認識する
必要があります。これこそは共同で生み出してきた財産です。何より、市民の中に
広がった、放射線で人を傷つけるなという強い思いが、これを可能としたのです。


だから第二に、私たちはそんな私たちの力を過小評価しないように注意しなければ
なりません。とくに犯してはならないのは、自分を除外して、「○○の意識は低い」
といいなすことで、私たち全体のポテンシャルを過小評価してしまうことです。
こうした言動はある意味で「実体化」もしやすい。本当に意識を低めてしまうという
ことです。例えば、一生懸命に頑張って前よりもいろいろなことができるようになっ
たこどもを、「なんでこれができない」と、高みからしかり飛ばしてばかりいたら、
萎縮させてしまい、せっかくの伸びが台無しになって、意識が後ろ向きになって
しまう。

「意識が低い」というならば、私たちは本当に全員が、昨年3月11日以前、大変、意識
が低かったのです。僕自身を振り返っても、原発の危険性はそれなりに理解している
つもりでしたが、内部被曝のことはほとんど分かっていなかった。放射線の危険性を
知っているつもりでいながら、その実、自分がまだまだICRPが作ったでたらめな
話の範疇にいることにすら十分に把握できていなかったのです。

もっと恥ずかしいのは、広島・長崎の被爆者がどのように生きてきたのか、本当に
まったくわかっておらず、てっきりもっと手厚く扱われて、救済されてきていると
思っていたことです。本当に意識が低かった。でもそれは僕だけのことではなかった
ように思います。もちろん、一部に非常に高い意識と志をもって、叫びを続けていて
下さった方がいました。肥田舜太郎さんのようにです。ごく一部にそうした方が
いればこそ、私たちは今日の歩みを作り出すことができたわけですが、しかし大多数の
私たちは、かなり意識が低かったのではないでしょうか。だから原発を止めることも
なかなかにできなかったのです。


そこから私たちは本当によくジャンプした。何せ、全原発を停める市民になったの
ですから。しかし私たちのジャンプにはかなりの個人差がある。この1年でものすごく
ジャンプした人もいれば、少しだけジャンプした人もいる。でも互いにジャンプは
したのです。だからより高く飛んだ人は、そうではない人をみて「意識が低い」と
言うのはやめましょう。次にはその人が、より高く飛んで、私たちを追い抜かすかも
しれない。いや次々にそういう人が出てきて、私たちがさらに刺激されればこそ、
私たちも今よりももっと高く飛ぶことができるのです。そうして私たちが歩みを
深めていけば、きっと今の私たちを、あんなに低いところにいたのかと、そう
振り返る日が来るでしょう。

その意味で、私たちは互いの労をこそねぎらいあい、互いの前進を評価し、ほめあい、
そうして私たちが共同で培っている力を慈しみあい、ともに育てあげ、さらに高めて
いくことをこそ目指そうではありませんか。


そしてそのためには、私たちが、この長いマラソンを走る中で、当然にも疲れを蓄積
もしていること、だから適度に休みつつ、上手に歩みを続ける時期にきていることを
自覚しましょう。その意味で、いろいろと大変なのですが、「無理は禁物」の精神に
たちましょう。というか、私たちが心の余裕をなくし、周りにきつくなってしまい、
寛容にあれなくなったら、それを「休むときがきた」というサインとみなすことが
大事なのではないでしょうか。

僕自身は何よりも、自分の体に対して寛容さを失ってしまった。そうしてかなり疲れ
させてしまった。だから今、そこからの回復のモードに入りました。それでもう結構
時間が経っています。あいかわらずハードなスケジュールの中にはいますが、少し
ずつ、免疫力の回復モードには入れているように思います。・・・この点はまたの
日にルポしたいと思います。

ともあれみなさん。やらなければならないことはたくさんある。でもあえて言いま
しょう。そんなもの、前からあった!のです。かつては私たちの意識が低かったから
認識できなかっただけなのです。今、私たちは目覚めてしまった。だから課題が
たくさん見える。でも人間、そんなに一気に変われるわけじゃない。だからおおらかに
前に進みましょう。私たち自身が変わりつつあることも楽しんでしまいましょう。

そうしていつか今はできないこともできるようになる。僕もそう確信して、自分を
大事にしながら、ゆったりと歩んでいこうと思います。

コメント (11)
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明日に向けて(479)三重県四日市市、京都市龍谷大学、ひとまち交流館でお話します。

2012年06月01日 06時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120601 06:00)

6月下旬のスケジュールです。5、6月は随分たくさんの話す機会を与えて
いただけました・・・。

6月24日午後7時より、三重県四日市市でお話します。

6月30日午後1時半より、京都市龍谷大学で、飯舘村の酪農家長谷川
健一さんをお招きした講演会で、コーディネーターを務めます。

6月30日午後8時ごろより、京都市ひとまち交流館で、映画『内部被ばく
を生き抜く』上映後にお話します。

お近くの方、ご参加ください!

**********

三重県四日市市 6月24日

東日本大震災の被災から遠く離れている三重県。
放射能汚染とも全く関係ないと思って暮らしている人がほとんどです。
そこで放射能について学ぶ講演会を企画しました。
瓦礫のことや放射能に関する知識を得た上で三重県の未来を考えましょう。

〈講演会〉まずは知らなきゃね!~放射能から身を守るには~
〈日時〉平成24年6月24日 午後7時より
〈場所〉四日市市文化会館第3ホール
〈講師〉フリーライター 守田敏也氏
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、
    現在フリーライターとして取材活動を続けながら、社会的共通資本
    に関する研究を進めている。311以降は原発事故問題をおいかけて
    いる。各地で講演を行いつつ、放射線被曝の恐ろしさを明らかにし、
    防護を訴えている。被災地に自転車を送るプロジェクトを担いつつ、
    三陸海岸の各都市を訪問・取材し、その現状を広く伝え続けてきた。
    10月からは福島における放射線除染プロジェクトにも参加。
    2012年3月に物理学者の矢ヶ克馬氏とともに岩波ブックレットから
    『内部被曝』を上梓。
〈主催〉一般財団法人 ハハプロジェクト
人と人がつながり、大きな笑顔になれる商品とサービスを通じて、
年齢性別人種を問わず誰もが参加できるプロジェクトを企画し公益化
する一般財団法人で、おもにイベントの企画・運営、様々なカルチャー、
寄付活動などを行っている。

お問合わせ先 一般財団法人 ハハプロジェクト
四日市市鵜の森1-15-9-3F
TEL 059-350-6788 FAX 059-350-6789
チラシが以下から見れます。
http://www.haha-project.com/88events/88pro_jun/2012_06_24l.jpg

**********

京都市龍谷大学 6月30日

飯舘村の酪農家が語る、フクシマで起こったこと、そして今

6月30日(土)13:30~ 龍谷大学3号館101教室 
お話:長谷川健一氏 コーディネータ:守田敏也氏

長谷川健一さん談
6月10日、お隣の相馬市の酪農家―私の友人で55歳―が、自ら命を
絶ったのです。牛舎の中の黒板に白いチョークで書かれていた文字
は、「原発さえなければ」です。
これは、この一連の出来事を世の中に伝えてくれ、という彼の
メッセージだと私は受け取りました。ですから、呼んでくださる方
さえいれば全国どこにでも行って、すべてをお話したい。それが
私の役割だと今は思っています。

呼びかけ人
上西玄象(書家)紫野明日香(女優・「パパママぼくの脱原発ウォーク」代表)、
田中孝征(喫茶店うずら店主)、長谷川羽衣子(バイバイ原発3・10京都
呼びかけ人)、三島倫八(龍谷大学教授)、吉田眞佐子(弁護士)
六島純雄(深草の環境を守る会代表)

共催 龍谷大学教職員組合・龍谷大学原子力発電所問題学習会・
ふしみ「原発0」パレードの会

連絡先 ふしみ「原発0」パレードの会
(京都南法律事務所075-604-2133 吉田or溝江まで) 

詳しくは以下より
http://twitpic.com/9n93t7

**********

京都市ひとまち交流館 6月30日

内部被ばくの時代を私たちは
どうやって生き抜いていくのか?

まもりたい!未来のために
4人の医師が語る経験・広島-チェルノブイリ-イラク-福島

『内部被ばくを生き抜く』上映&守田敏也さんのお話

☆-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*☆

●日時:2012年6月30日(土)
 午後6時40分上映(開場6時30分)

・午後6時40分~『内部被ばくを生き抜く』上映
(監督:鎌仲ひとみ/2012/カラー/デジタル/Hivision/約80分)

・上映後、守田敏也さんのお話

・質疑応答・感想、意見交流
     (午後9時10分頃終了予定)     

●会場:ひと・まち交流館京都 
      第4・第5会議室(3階)

 河原町五条下る東側 
  市バス「河原町正面」下車すぐ
  京阪「清水五条」駅下車 徒歩8分      
  地下鉄烏丸線「五条」駅下車 徒歩10分      
   TEL:075ー354ー8711
案内:http://www.hitomachikyoto.jp/access.html

●参加費:一般1000円 学生500円
●主催:ピースムービーメント実行委員会 
●問い合わせ先:
  TEL:090-2359―9278(松本)
  Eメール anc49871@nifty.com(山崎)

●上映作品の紹介
参考;http://www.naibuhibaku-ikinuku.com/
【未知なる危機に備えて・・・鎌仲ひとみ監督からのメッセージ】
2011年3月に起きた東日本大震災によって原発が4つも爆発してしまった、その後の世
界に私たちは生きている。大量の放射性物質が放出され、 広範囲に拡散したことは解
っているが、ではどれだけ出たのか実は正 確な情報がない。放射性物質は環境に溶け
込み、生態系に入り込んだ。 呼吸や汚染された水・食品を通じて引き起こされる内部
被ばくは、この時代に生きる私たち全員の問題となった。 これからいったい何が起き
るのか、正確に予測できる人は実はいない。 ただできることはありとあらゆる情報と
可能性を吟味して、「命」を守る努力をするということだ。放射能は様々な局面で「命
」の脅威となりえる。 私たちは生き抜かねばならない、そのためのささやかな助けに
なればとこの作品を作った。

【グラデーションの世界】
「内部被ばく」に関しては、低線量の放射線は安全であるからに始まって、どんな微
量でも身体の中に入った放射性物質は危険である、まで異説、異論がこの世界には存在
する。それはまさしくグラデーションのような世界に見える。放射能汚染もまた、まだ
らなグラデーションを地上に描い ている。私は放射能汚染を受けた現場で生きる世界
中の人々の取材を通して、データにはならないが、現場には確実に被害を受け苦しんで
いる人々がいることを身をもって経験した。そんな現場で実際に被ばくに関する医療活
動を継続してきた4人の医師にこれからどう対処していけばいいのか、問いかけること
にした。

年齢も経歴も違う4人の医師がこれまで内部被ばくに関して積み重ねてきた体験や研究
は重なるところもあれば重ならないところもある。内部被ばくの影響は複雑で未知の部
分も多い。それでも、この4人の医師の声に耳を傾けることで情報が混乱する中でも、
自分にとっての立ち位置を見定めていただきたい。福島・二本松に生き続けることを決
めた一家も登場する。現場の声を聞くことをまず一番に大事にしたいと思ったからだ。
暮らし、家族、地域、など生身の人間の未来を配慮することなしに被ばくは語れない。
どうやったらこの「内部被ばくの時代」を私たちは生き抜くことができるか、最前線で
格闘する人々の声に耳を傾けた。

【4人の医師】
肥田舜太郎(被爆医師)
内部被ばくに警鐘を鳴らして66年。
広島で27歳の時に軍医として原爆に遭う。以来、内部被ばくの実相を追い求めて今年
で95歳。戦後、一貫して被爆者医療に尽力し、世界で最も多く被爆者を実際診察してき
た実績を持つ。今も請われて日本中で講演を行っている。
4/7よりアップリンク、他にてドキュメンタリー映画『核の傷:肥田舜太郎医師と内部
被曝』公開。

鎌田實(諏訪中央病院名誉院長/チェルノブイリ連帯基金代表/日本イラク医療支援ネッ
トワーク代表)
白血病やがんの子ども達のために働き続ける医師。
チェルノブイリへこの20年で94回も医師団を派遣した。2004年からはイラクの白血病
やがんの子ども達に特化した医療支援を開始。 福島事故を受けて活動を福島へと展開
中。

児玉龍彦(東京大学アイソトープ総合センター長)
福島の現場で動き発信する医師。
ゲノム科学の専門家。福島原発事故の後、国会に参考人として招聘され、政府の対応
を厳しく批判したことで注目された。目下、福島の自治体と連携して除染活動を進めつ
つ、内部被ばくが細胞に与える影響を独自に研究し始めている。

スモルニコワ・バレンチナ(小児科医)
チェルノブイリで臨床医45年。
チェルノブイリ原発から100キロほど離れたゴメリ州で45年間、小児科の臨床医として
働いてきた。チェルノブイリ事故の影響を受けた子ども達の医療に献身してきた。

●鎌仲ひとみ監督のプロフィール
早稲田大学卒業後ドキュメンタリー制作の現場へ。
フリーの映像作家としてテレビ番組、映画を監督。
2003年ドキュメンタリー映画『ヒバクシャ─世界の終わりに』以降、
2006年『六ヶ所村ラプソディー』、
2010年『ミツバチの羽音と地球の回転』の3部作で
放射能汚染、被ばく、原発やエネルギーの問題を追い続けてきた。

●守田敏也(もりた・としや)さんのプロフィール【トーク】
1959年生まれ。京都市在住。「市民と科学者の内部被曝問題研究会」常任理事。
同志社大学社会的共通資本研究センター客員フェローなどを経て、
現在フリーライターとして取材活動を続け、社会的共通資本に関する研究を進めて
いる。
ナラ枯れ問題に深く関わり、京都の大文字などで害虫防除も実施。
東日本大震災以後は、広くネットで情報を発信し、関西をはじめ被災地でも講演を続け
ている。
また、京都OHANAプロジェクトのメンバーとして、被災地に中古の自転車を整備し
て届ける活動をおこなっている。
原発関係の著作に、『内部被曝』(矢ケ崎克馬氏との共著、岩波ブックレット2012年)
があり、雑誌『世界』などで、肥田舜太郎医師へのインタビューを行ったり、
福島第一原発事故での市民の取り組みや内部被曝問題
についての取材報告をして話題になっている。
東日本大震災以降、インターネットではブログ「明日に向けて」で発信を続け、
本年5月末までに約520本を超えるレポートなどを発表している。 
参考:「明日に向けて」http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011








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