明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(498)飯舘村のこと、映画『内部被ばくを生き抜く』のことをお話します(6月30日)

2012年06月27日 22時30分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
明日に向けて(498)飯舘村のこと、映画『内部被ばくを生き抜く』のことをお話します(6月30日)

守田です。(20120627 22:30)

今宵は京都の自宅からです。今朝、広島をドイツのお二人らとたって新大阪につき、
そこで京都大学熊取原子炉実験所に向かわれたお二人とお別れしていったん自宅に
戻ってきました。少し英気を養いました。それで明日、再び京都でのお二人の講演
会に合流して、明後日の東京講演会まで同行し、30日の午前中に京都に戻ってきま
す。京都と東京の講演会・懇談会のチラシを以下に示しておきます。

http://acsir.org/0628.pdf
http://acsir.org/0629.pdf

さて京都に戻っての30日の午後と夕方ですが、二つの企画に参加します。一つは
飯舘村の長谷川健一さんのお話を聞く会です。コーディネーターとして参加します。
長谷川さんとは、昨年、やはり京都に長谷川さんをお招きしたときにお会いしました。
牛と共に暮らしていた飯舘村の豊かな話、それを牛と共に捨てなければならなかった
お話を聞いて、心の中にたくさんの涙が流れました。その長谷川さんが、絞り出すよ
うな声で、「放射能は危ない、逃げなけりゃだめだ」と言っていたのが印象的でした。

先月、福島を訪問したときに、その飯舘村を通過して南相馬市まで行きました。誰も
いない飯舘村は、一見、どこまものどかで田畑と山並みが続いていましたが、車中の
ガイガーカウンターの針はあがりっぱなしでした。悲しい訪問でした。そのことを先日、
長谷川さんに電話でお伝えすると「ああ、それはもう仕方がねえよ・・・」とおっしゃ
られていました。

今月で長谷川さんたちが飯舘村を離れてほぼ1年になります。その間、長谷川さんが
何を思い何を考えて過ごされてこられたのかを30日はお聞きしたいと思います。そして
飯舘村の痛みと、そこから見えてきたものをみなさんとシェアしたいと思います。
僕なりの思いを込めてコーディネーターを務めますので、ぜひお越しください。


その後、「ひとまち交流会館」に移動して、鎌仲ひとみさんの撮られた映画、
『内部被ばくを生き抜く』の上映会に参加します。映画の後に、僕が内部被曝に
ついて解説し、また肥田さんのことや、児玉さんの見解に関する僕なりの考え、
思いを述べてみたいと思います。いい映画です。ぜひ見に来てください。

以下、案内を貼り付けておきます。
(ECRR会長らの放影研訪問の下については、明日の朝に配信します!)

**********

京都市龍谷大学 6月30日

飯舘村の酪農家が語る、フクシマで起こったこと、そして今

6月30日(土)13:30~ 龍谷大学3号館101教室 
お話:長谷川健一氏 コーディネータ:守田敏也氏

長谷川健一さん談
6月10日、お隣の相馬市の酪農家―私の友人で55歳―が、自ら命を
絶ったのです。牛舎の中の黒板に白いチョークで書かれていた文字
は、「原発さえなければ」です。
これは、この一連の出来事を世の中に伝えてくれ、という彼の
メッセージだと私は受け取りました。ですから、呼んでくださる方
さえいれば全国どこにでも行って、すべてをお話したい。それが
私の役割だと今は思っています。

呼びかけ人
上西玄象(書家)紫野明日香(女優・「パパママぼくの脱原発ウォーク」代表)、
田中孝征(喫茶店うずら店主)、長谷川羽衣子(バイバイ原発3・10京都
呼びかけ人)、三島倫八(龍谷大学教授)、吉田眞佐子(弁護士)
六島純雄(深草の環境を守る会代表)

共催 龍谷大学教職員組合・龍谷大学原子力発電所問題学習会・
ふしみ「原発0」パレードの会

連絡先 ふしみ「原発0」パレードの会
(京都南法律事務所075-604-2133 吉田or溝江まで) 

詳しくは以下より
http://twitpic.com/9n93t7

**********

京都市ひとまち交流館 6月30日

内部被ばくの時代を私たちは
どうやって生き抜いていくのか?

まもりたい!未来のために
4人の医師が語る経験・広島-チェルノブイリ-イラク-福島

『内部被ばくを生き抜く』上映&守田敏也さんのお話

☆-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*☆

●日時:2012年6月30日(土)
 午後6時40分上映(開場6時30分)

・午後6時40分~『内部被ばくを生き抜く』上映
(監督:鎌仲ひとみ/2012/カラー/デジタル/Hivision/約80分)

・上映後、守田敏也さんのお話

・質疑応答・感想、意見交流
     (午後9時10分頃終了予定)     

●会場:ひと・まち交流館京都 
      第4・第5会議室(3階)

 河原町五条下る東側 
  市バス「河原町正面」下車すぐ
  京阪「清水五条」駅下車 徒歩8分      
  地下鉄烏丸線「五条」駅下車 徒歩10分      
   TEL:075ー354ー8711
案内:http://www.hitomachikyoto.jp/access.html

●参加費:一般1000円 学生500円
●主催:ピースムービーメント実行委員会 
●問い合わせ先:
  TEL:090-2359―9278(松本)
  Eメール anc49871@nifty.com(山崎)

●上映作品の紹介
参考;http://www.naibuhibaku-ikinuku.com/
【未知なる危機に備えて・・・鎌仲ひとみ監督からのメッセージ】
2011年3月に起きた東日本大震災によって原発が4つも爆発してしまった、その後の世
界に私たちは生きている。大量の放射性物質が放出され、 広範囲に拡散したことは解
っているが、ではどれだけ出たのか実は正 確な情報がない。放射性物質は環境に溶け
込み、生態系に入り込んだ。 呼吸や汚染された水・食品を通じて引き起こされる内部
被ばくは、この時代に生きる私たち全員の問題となった。 これからいったい何が起き
るのか、正確に予測できる人は実はいない。 ただできることはありとあらゆる情報と
可能性を吟味して、「命」を守る努力をするということだ。放射能は様々な局面で「命
」の脅威となりえる。 私たちは生き抜かねばならない、そのためのささやかな助けに
なればとこの作品を作った。
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明日に向けて(497)ECRR会長、ドイツ放射線防護協会会長と放影研へ!!上

2012年06月27日 08時00分00秒 | 明日に向けて(401)~(500)
守田です。(20120627 08:00)

広島で二泊目の夜が明けました。
昨日は非常に濃い一日になりました。まず午前中10時に、広島市の比治山にある
放射線影響研究所を訪問しました。これは歴史的と言ってよい訪問でした。

同組織はもともと、太平洋戦争直後に、アメリカ軍が設置した原爆傷害調査委員
会(ABCC)を前身としています。要するにアメリカ軍による原爆調査機関で
す。その目的は、兵器としての原爆の威力を知ること。原爆が破裂した瞬間に
飛び出してきた中性子線とガンマ線の殺傷能力を知ることでした。それは原爆
が投下された際に、兵士たちがどれだけもつかの研究でもありました。

これを「初期放射線」と呼びます。原爆破裂後、1分以内に到達した放射線と定義
されていますが、もう一つの目的は、それ以外の放射線の影響、とくに原爆の破裂
によって生じたたくさんの核分裂生成物が放射性微粒子を形成して降下した問題、
それによる内部被曝の影響を完全に隠してしまうことでした。

なぜかと言えば、終戦後の早い段階で、ヨーロッパから遺伝学者を中心に、原爆
は遺伝的影響を与える非人道的な兵器で、使用を即刻中止すべきだという声が
あがりだしており、アメリカは核戦略の推進のために、この声を封殺してしまう
必要があったのです。そのために調査ではなく、実態隠しが必要となりました。

このためアメリカは、9月7日に、マンハッタン計画の副所長のファーレル准将を
東京に派遣して記者会見を行い、「原爆の放射線で死すべき人はすでに死に絶え
た」・・・つまりここからは放射線の被害者はもう出ないと公言するとともに、
9月17日にはプレスコードを発し、広島・長崎に関する報道を一切禁止してしま
いました。このため被爆者の苦しみは世界から隠されてしまい、1952年にアメ
リカによる占領が解けるまで、ほとんど伝えられることがない状態になってし
まいました。

こうした状態の中で、ABCCの「調査」が始まります。多くの被爆者が「調査」
されましたが、その手法はジープで乗り付けて強引に検査機関に連れて行くとい
うような強引なものでした。しかも調査はしても、治療はしない。治療をするよ
うな現実があることを証拠に残さないためでした。このためこの機関は長く被爆
者の怒りを買い続けました。

こうした「調査」の中で、ABCCは被爆者を非常に狭く限定していきました。
放射線の影響を、原爆が破裂したときに飛び出した初期放射線に限ったので、
それが届く範囲(半径2キロ)以内に放射線被曝が限定されてしまいました。とく
に周到に排除されたのが、大量に降下した放射性微粒子を吸い込んだり、食べ物
から採ってしまった内部被曝でした。まさに内部被曝隠しが、ABCCの最大の
目的だったと言えます。

さてこのABCC、アメリカがベトナム戦争にのめりこみ、戦費を浪費する中で
財政的に支えきれなくなりました。このため米日共同の運営期間への転換が
提起され、このもとで新たに生まれたのが「放射線影響研究所」でした。といっ
ても相変わらず研究方針を握っているのはアメリカであり、核戦略を支える組織
としての性格は変わっていません。

ところがここが重要な点なのですが、アメリカはこうした歴史を持つABCCと
放射線影響研究所が蓄積してきたデータと、その恣意的な解析にもとづく放射線
に関する「研究」成果を、放射線が人間に与える影響を考察する際のスタンダード
として世界に発表し、世界中のあらゆる機関にこれを受け入れさせることに成功
しました。このため世界中の放射線学の教科書が、この、初期放射線だけを研究
した内容によって書かれることになってしまいました。このため内部被曝の影響
がすっぽりと欠落した「放射線学」が世界に横行することになったのです。

したがって放射線被曝の真の恐ろしさを把握するためには、こうして放射線影響
研究所の「研究」の中で、排除されてきた内部被曝の問題を解き明かすことが
最重要になりました。これと誰よりもはやく格闘し始めたのは、私たちの国の中
でいえば、肥田舜太郎さんであり、アメリカでは、肥田さんにたくさんのことを
教えられたアーネスト・スターングラス教授であったわけですが、放影研の研究
内容に即した科学的な批判を、世界で初めて行ったのが、今回来日した、インゲ・
シュミッツ-ホイエルハーケさんなのでした。

彼女は放射線影響研究所の研究をつぶさに調べ、その一つに、被爆をした人々の
状況を把握するための比較対象群に、内部被曝をしている人々が選ばれているこ
とを発見し、この点を批判しました。比較は原爆の影響をまったく受けていない
人々との間で行わなければならず、そうでなければ被爆の影響を正しくつかむこ
とはできないわけですが、もともと被爆の影響を小さくみせたいABCCは、
比較対象に、内部被曝をしている人々を、その被曝を認めることなく、影響を
こうむってない人々とした上で選んだのです。

そのためこの比較は、被爆者とそれ以外の人々の間で行われたのではなく、
実際には被爆者同士の間で行われたものに過ぎなかったため、被ばくの影響が
小さく見積もられてしまいまいた。内部被曝を隠してきたことをさらに利用
した被ばくの実態隠しでした。シュミッツ-ホイエルハーケさんはこの点に
非常に鋭く切り込んだのでした。画期的な科学的批判でした。


さて前置きがどうしても長くなってしまいましたが、こうした批判を行ってきた
彼女と、同じく、放射線影響研究所が積み上げてきたデータの中から、爆心地
からの距離と脱毛の関係を導き出し、放影研が無視してきた放射線の影響を
解き明かしてきた、沢田昭二さん(市民と科学者の内部被曝問題研究会理事長)、
これにドイツ放射線防護協会会長の、セバスチャン・プフルークバイルさんが
加わって、放射線影響研究所への訪問を行うことになったのでした。

これを聞きつけたマスコミのある方は、興奮して「いよいよ敵の本丸に殴り込み
ですね」と言っていました。私たちは殴り込みなどという暴力的なことなど
もちろん行いませんが、非常に重要な訪問であったことは間違いありません。

かくして私たちが放射線影響研究所の正門前に立ったのは午前10時少し前。
参加者はドイツからのお二人と、沢田昭二さんの他、私たちの会の副理事の一人
である高橋博子さん(広島平和研究所)、国際・広報委員長の吉木健さん、
そして高橋さんの同僚でドイツ人のヴェール・ウルリケさん(広島市立大学国際
学部教授)、ドイツ語通訳を行ってくださった三崎和志さん(岐阜大学准教授)、
そして守田でした。こうしていよいよ歴史的な会見が始まりました・・・。

続く

(すみません。時間切れです。これから急いで朝食を食べて、みなさんと
一緒の新幹線で大阪に向かいます。続きは今宵、書かさせていただきます!)


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