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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1534)どうみる・どうなる・どうする!原発の危険性・放射線被曝・・・再生エネルギーを!(京都市山科区で9日にお話します)

2018年06月07日 23時30分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20180607 23:30)

明後日9日にNPO法人・山科市民共同発電所の第4回年次総会後に講演させていただくことになりました。
今回の表題がそのまま講演企画のタイトルです。

山科市民共同発電所は「原発ゼロ・山科の会」などの呼びかけのもと、太陽光パネルの設置による市民発電を進めてきた団体です。
2015年1月に厨子奥に第1号機、2016年10月に清水焼団地に第2号機。昨年11月に西野今屋敷町に第3号機を設置し、さらにいま4号機の設置を目指しているのだそうです。

9日の企画は午後1時30分から本願寺山科別院の西御坊研修会館にて行われます。
1時30分から2時までが第4回年次総会で「第3期事業報告及び活動決算・事業計画及び活動予算
第4号機設置の経過報告
役員の選任・その他・・・と進むそうです。

これを越えて午後2時から3時まで僕が講演。3時半まで質疑応答をします。
その後、懇親会も行われます。

連絡先 竹内さん(090-5156-8922) 田中さん(090-5093-8511)

さて今回は「原発の危険性・放射線被曝・・・再生エネルギーを」とのことですからエネルギーの面から原発と再生エネルギーを考えることにも触れたいと思います。
つまり原発の危険性をちょっと横において、エネルギーとしてどうなのかを考えみようと言うことです。
この際、僕が紹介したいのは以下の図です。

高レベル放射性廃棄物の放射能の減衰
出典 日本原子力文化振興財団「原子力・エネルギー」図面集2007
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/05/05010101/07.gif

これを見ると核燃料1トンが運転させると100億ギガ㏃の放射能が生まれることが分かります。
核燃料はまず「使用済燃料貯蔵」に移されます。各原発の燃料プールで実際に行われていることです。
その次に「再処理・ガラス固化」と書いてある。使用済み燃料からプルトニウムを取り出して「ガラス固化体」にするというのです。

しかし実際にはこの時点でもう技術的に行き詰っているのです。
再処理は六ケ所村の工場で行われることになっていますが、これがまったく完成しない。何度取り組み直しても失敗してしまう。
それで試運転の終了を2009年2月としていましたが、これまで23回延期しており、今後の見通しすらもたっていません。
要するにこの時点でもう計画が「絵に描いたモチ」になっている。技術的にまったく完成していないのです。

しかもその先に「ガラス固化体貯蔵」とありますが、これが何年かかるのかも明示されていない。
そもそも再処理の時点で見通しすら立たないのですから当然とも言えますが、ともあれ約100年近く経つと「地層処分」が行われることになっています。
ところがそれをどこで行うのかも決まっていない。要するにこれまた計画がまったく立っていない。

さらに放射能の減衰をみていくともともとのウラン鉱石の放射能レベル(鉱石750トンで約1000ギガ㏃)にまで落ちるに1万年以上かかる。
このグラフからでは正確な数値が読み取れませんが10万年とかいう数字であろうことが分かります。
要するにたった数年の運転で10万年も厳重管理しなければならない廃棄物を作ってしまうのが原発なのです。

これで原発の電力が「安い」などというのは大うそ、悪質きわまりない詐欺です。
なぜ「安い」値が出てくるのかというと、この「再処理・ガラス固化」から先がまったく実現の見通しもない中で予算計上されてないからです。

しかし数年の運転ででた廃棄物を10万年のオーダーで管理しなければならないと分かったら、「採算がどうの」なんて話ではまったくないことが見えてきます。
天文学的な数字が「まだ決まってないから」と隠されているだけなのですから。

この点で僕は原発は未来世代への巨大な暴力だと思います。
ここから発電された電気をまったく使うことのない未来の人々が延々と危険な高レベル廃棄物の管理を強制される。あまりにひどすぎます。

原発はあまりに危険で、惨い放射線被曝を起こすからやめなければならないのはもちろんですが、しかしそもそもエネルギーとしても安いとか高いとかが論外なしろものだということを私たちは明記しておかなくてはいけない。未来への暴力として倫理的に許してはならないものなのです。
9日にはこのところあまりできていなかったこんなお話もしたいと思います。ぜひお越しください。
 

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明日に向けて(1533)書評『野の仏が起つとき』-小浜の思いを分かちあうために

2018年06月04日 23時00分00秒 | 明日に向けて(1501~1700)

守田です(20180604 23:00)

今宵は一冊の本をご紹介したいと思います。昨年末に上梓された『野の仏が起つとき』です。A5版256頁 製作支援費1200円。
ぜひ読んで欲しいので書評を『人権と問題』2018年6月号で書かせていただきました。許可をいただいたのでここにも転載します。

*****

『野の仏が起つとき』という本が昨年5月末に上梓された。「やのほとけがたつとき」と読む。著者は中嶌哲演・武藤類子・井戸謙一・安斎育郎・柴野徹夫の各氏と「福井・福島・沖縄 民主主義の旗手たち」。60人近い人々によって編まれた書だ。
軸をなすのは福井県小浜市を中心になされてきた長い抵抗史である。そこに原発労働と福島原発事故による被曝への、そしてまた沖縄の基地への嘆きと怒りが流れ込んでいる。
中心になって編集・執筆を担ったのは元福井新聞記者の永田康弘さん。その永田さんが記した冒頭の文は「小浜市民の会 これこそ草の根 ~小浜原発を三度つぶし、中間貯蔵施設を二度阻止~」と題されている。
そう。小浜の人々はなんども原発計画をとん挫させ、中間貯蔵施設建設も許さなかったのだ。その市民の会が発行してきた『はとぽっぽ通信』への無数の寄稿が本書の素材ともなっている。

さて評者にとってこの書はなかなかに手ごわい。たくさんの人々が魂の声をあげ、一つ一つが鮮烈かつ温かみに溢れていてなかなかに抽出を許してくれないからだ。どれもが紹介したいものばかり。だからぜひ本書を手に取って欲しいと最初にお伝えしたい。
本書は小浜における魂の活動の記録としての位置も持っている。
その中であえて二人の方を紹介したい。第八章に「敦賀の二人の菩薩」と紹介された故太田和子さんと故杉原厚子さんだ。ともに敦賀市に住まわれ90代前後で亡くなられたが、後に続く人々が菩薩と呼ぶのだそうだ。

太田和子さんは敦賀原発3、4号機増設が取りざたされだした2003年7月から2011年11月まで、敦賀市の繁華街にある日本原子力発電事務所前で、「埋め立てないで、阿弥陀見の浜」「原発必要ならば、まず東京へ」と掲げて立ち続けた。
土日をのぞき毎日午前10時から1時間もである。
いま全国の電力会社前などで毎週金曜日に脱原発を掲げた人の輪ができており、その多くが300週になんなんとしている。日本民衆史に残る抵抗だが、太田さんの行動こそ、その原型の一つだろう。
しかも太田さんは原発立地地域の人々への誤解もはらそうとしていた。「幾百年の間、命がけで獲った魚を売る権利もなく、運ぶ権利もなく、町の商人に、ただ同然で取り上げられてきた非情の歴史」があったことを人々に伝え続けたという。

もう一人の菩薩は杉原厚子さん。元養護教諭で退職後も障がい者の面倒を自宅で見ていた。その杉原さん宅に原発で働かされた教え子たちがやってくる。知的障がいのある人々が鉛色の顔をし、生活に困ってお金を貸してくれと言ってくる。
原発での労働時間は1日3分という人も。高線量被曝とともに、3分でお金を得る生活のせいで普通に働けなくなってしまうのだろう。一部を手記から引用しよう。
「『先生金を貸してくれ』って。『何でっ』と言ったら、『ぼくな、もういっぱいな』ちゅうんです。放射能がいっぱいらしいんですね。『もう20年も勤めとって・・・もう誰も使こうてくれんもん』・・・気の毒でしょうがないんです」。
人々は「ぼく、ここえれぇんじゃ」とお腹を押さえたり、甲状腺に病を抱えたりしていたという。それでも「ようけもらえるやないけ。ううん、ビール飲めるやろ。その方がいいもん」と働いていた教え子は、ガンで亡くなり、悲観した母親が自殺してしまった。杉原さんは慨嘆する。「原電って言うのは、人間をだめにするんだなあ」・・・。
この二人を取り上げたのは、本書に集う人々がこの思いを共有していると感じたからだ。人々はこの嘆きと怒りを胸に、原発と対峙し続けてきたのだ。

もう一人、紹介しておきたいのは小浜市民の会結成時からこの輪の中心で奮闘してきた明通寺住職・中嶌哲演さんである。第一章「あとから来るものへ」で『はとぽっぽ通信』毎号の巻頭に寄せられた中嶌さんの緒言がピックアップされている。
その中で中嶌さんはある集会でこう発言を締めたと書いている。
「『第二第三のフクシマ』の続発が危惧される今日、まだ辛うじて残されているふるさとの美しい海や山を守り、『あとからくる可愛い者たち』のために広く、強く、深くつながりあい、幾百千万人と共に前進しましょう」・・・。

「野に仏が起つ」とは仏教の言葉だそうだ。哲演さんは「野仏たちとは、百姓、民衆、庶民のことでしょう」と述べている。そう。いまや野に仏が大挙して起ち「核の炎」を止めつつある。その流れの源の一つである小浜の思いをみんなで分かちあいたい。

***

お買い求めは以下から!

「野に仏が起つとき敢行委員会」
電話 08030483931
FAX  0778225718 

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