ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

3月の猿払

2015年03月29日 11時54分20秒 | 旅行
宗谷岬から猿払に行く。何もないところだけど。何もないのがいい。

みんな、退屈して、何かを求め過ぎ。そして、疲れちゃう。

あとに残るのは虚しさ。















都会人は、何もない豊かさを知らない。









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3月末の宗谷岬

2015年03月29日 11時53分57秒 | 旅行
3月下旬の宗谷岬。暗いし、寒いし…。





間宮林蔵像。ここまで来たとはエラいものだ。


こういう所に育ち、住めば、別の人生観を持っただろう。

結局、自分は、都会の人生観しか持てなかった。今さら変えることは不可能である。

他の生き方、他の考えに思いが及んだ。










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お墓

2015年03月29日 11時35分34秒 | 日記
四国八十八カ所霊場を巡ったのは、父が死んだ年である。父の死が促したのである。

霊場廻りから戻ったあと、お墓を改築した。そういう気分だった。

人が死ぬと、生き残った者は、何か、負い目を感じる。負い目を払拭したい気になる。周忌はそのためにある。



お墓を改築したが、この墓がどうなるかというと、見通しがない。

私は未婚で、子供がない。父と母と私の3人で終わりそうだ。

今思えば、父と母は仲が悪かった。父は小心で、それが母には不満だった。

母は自爆するように若くして死んだ。もっとも母の姉妹もいずれも若死にで、血統的なものかもしれない。

いずれにしても、父は生活能力がなく、母の死後に病んだ。入退院の繰り返しだったが、最終的には93歳まで生きた。

私は父以上に生活能力がなく、自堕落生活であけくれ。昔なら、40歳までに死んでいたことだろう。

その3人が同じ墓に入る。皮肉である。

今は、あとに何も残したくないと思っている。樹木葬とか、散骨の方がふさわしい。

墓地、霊園というが、数百年後に残るものはほとんどないだろう。

自分の人生をすべて抹消したいと思う人も多くなるだろう。

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