三嶋大社を参拝する。我が家は横浜であり距離があるが、父が三島出身で三嶋大社の近くで育った。父が晩年、介護状態になった時、なぜか三嶋大社へ参るようになった。
多分、父は、子供の時にここへ遊びに来ていたはずである。私は東横線の新丸子で育ったが、子供の時に近くにある日枝神社で遊んだ。神社は子供の遊び場でもあった。
鳥居をくぐると、参道があり、総門が正面に見える。
総門を通り過ぎると、今度は神門がある。
神門を通ると、正面に舞殿がある。
舞殿の後ろに社殿(拝殿)がある。
いつ見ても、立派な拝殿だと思う。なんといったらいいのだろう。重量感を感じる。金箔を張り付けているからそう思えるのだろうか。
本殿も大きい。由緒書きによれば、出雲大社に次ぐ大きさだそうである。
三嶋大社は伊豆国一の宮である。
2月に参拝したのは祖父の命日が2月だからというためもある。祖父は2・26事件の翌日、27日に亡くなった。2・26事件にショックを受けて脳溢血を起こしたためと父が言っていた。自由主義者だったのかもしれない。
反軍思想の持ち主だったのだろう。徴兵逃れのため北海道に戸籍を作った。父の最初の戸籍は北海道である。
相続のため父の戸籍を全部集めたが、行ったこともない北海道の戸籍があることを知り疑問に思った、従弟が説明してくれた。父はこの件について一言も言わなかった。
祖父についていえば、写真が一枚もない。三島の名士だったと聞いているのでこれは不思議なことである。写真を撮られると魂が抜けると信じていたのだろうか。だから、祖父の顔を知らない。
三嶋大社社務所の古札納め所に御札を納めた。ひょっとしたら、これが最後かと思う。新しい御札は求めなかった。毎年2回、お祓いはしてもらっているが、もう御札は要らない。先がないことを感じている。
<御朱印>
多分、父は、子供の時にここへ遊びに来ていたはずである。私は東横線の新丸子で育ったが、子供の時に近くにある日枝神社で遊んだ。神社は子供の遊び場でもあった。
鳥居をくぐると、参道があり、総門が正面に見える。
総門を通り過ぎると、今度は神門がある。
神門を通ると、正面に舞殿がある。
舞殿の後ろに社殿(拝殿)がある。
いつ見ても、立派な拝殿だと思う。なんといったらいいのだろう。重量感を感じる。金箔を張り付けているからそう思えるのだろうか。
本殿も大きい。由緒書きによれば、出雲大社に次ぐ大きさだそうである。
三嶋大社は伊豆国一の宮である。
2月に参拝したのは祖父の命日が2月だからというためもある。祖父は2・26事件の翌日、27日に亡くなった。2・26事件にショックを受けて脳溢血を起こしたためと父が言っていた。自由主義者だったのかもしれない。
反軍思想の持ち主だったのだろう。徴兵逃れのため北海道に戸籍を作った。父の最初の戸籍は北海道である。
相続のため父の戸籍を全部集めたが、行ったこともない北海道の戸籍があることを知り疑問に思った、従弟が説明してくれた。父はこの件について一言も言わなかった。
祖父についていえば、写真が一枚もない。三島の名士だったと聞いているのでこれは不思議なことである。写真を撮られると魂が抜けると信じていたのだろうか。だから、祖父の顔を知らない。
三嶋大社社務所の古札納め所に御札を納めた。ひょっとしたら、これが最後かと思う。新しい御札は求めなかった。毎年2回、お祓いはしてもらっているが、もう御札は要らない。先がないことを感じている。
<御朱印>