昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[舟のない港](十七)

2016-03-21 16:01:26 | 小説
麗子との付き合いは、半年ほど前からのことだ。
営業の補助役として配属された新入社員たちの中に、麗子がいた。
エキゾチックな顔立ちで、「ひょっとしてハーフか?」と噂される美女だった。
そつなく仕事をこなしはするが、公私の区別をしっかりと付ける麗子に声をかける者はいなかった。
役員の愛人だという悪意ある噂が流れ出しても、毅然とした態度をとり続けていた。

そんな中、人気のない会議室で一人泣く麗子に男が出くわした。
私物を置き忘れた男が取りに戻った折のことだった。
「誰にも言わないで‥‥」と哀願する麗子に、男の胸がときめいた。
「食事に付き合ってくれたら忘れるよ」
冗談のつもりの言葉に、麗子が頷いた。
それ以来の交際だった。

「コン、コン」
ドアをノックする音に、今ごろ誰だと、ベッドから気だるく立ち上がった。
「どなた?」 
「私よ、開けて!」とげのある声に、男は慌ててドアを開けた。
「どうしたの! 待ってたのよ、ずっと。雨はひどいし、びしょ濡れよ」
と、両肩を指さしながら憤然としていた。

男はとりあえずタオルを渡し、詫びた。
「悪かったよ、仕事が片付かなくて。一人で見てるだろうと思っていたよ。あんなに楽しみにしていたから」
「ひどいわ!」
ひと言だけ言うと、男の手からタオルをひったくり濡れた髪を拭いた。
そんな麗子のうなじが、今夜はいつにも増して艶めかしい。
淡いスタンドの灯りが洩れる中で、男は麗子の肩に手を置いた。

「悪かった、大丈夫かい」
軽いキスを受けた麗子は、男の胸を軽くこずきながら言った。
「せっかくの切符だったのに。中に入ろうかと思ったけど、私が二枚持っているし。
それに、初めての映画だし、二人で見たかったのよ」
初めて見せる拗ねた仕種が、男の欲情に火をつけた。

画期的な新商品の開発に成功したメーカーからの申し出で、海外のバイヤーとの交渉前の今、徹夜の日も多々あった。
麗子とのデートの約束を破ったのも、これで何度目だろう。
男にしても、一人の部屋に戻ると悶々としていた。
「ホントに悪かった。だけど一人で観てくれば良かったのに」と、肩を抱きながら優しく声をかけた。
「だって、今夜の映画だけは二人して見たかったの。どうせ中は、アベックばかりでしょうし、帰りも恐いし」

今夜の麗子は、いつもの麗子ではなかった。
ひょっとして、誰かにからまれたのかもしれない。
隣の市まで出かけての映画鑑賞だった。
いつものことではあるが、男のエスコートがあっての安心感だったのかもしれない。


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