金刀比羅宮・太宰府天満宮
なんとなく気にはなったのですが、まさか金刀比羅宮と太宰府天満宮だとは思いませんでした。
ハワイ出雲大社すぐ近くにあったんですね、お参りしてくれば良かったです。
日本に帰ってから分かったのでは、まったく後の祭りですわ。
ずいぶんと下調べをしたつもりだったのですが、見落としていました。
ちょっと、お勉強しましょうか。
若い同僚との会話で、
「森の石松って誰ですか?」
「浪曲? なんですか」と、返ってきたものですから。
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社である。
こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。
概要
神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。
明治維新の際に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった。
全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。
海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。
時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。
境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。
金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある。
例大祭に合わせて毎年、石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれている。
由緒
金刀比羅宮の由緒についてはいくつかの説があり、一つは、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである。
もう一つは、もともと象頭山にあった真言宗の松尾寺[3]に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする。
別の説として、『生駒記讃陽綱目』の金刀比羅宮の條によれば、延喜式神名帳に名が見える讃岐国多度郡の雲気神社が金刀比羅宮という記述がある。
海上交通の守り神とされるのは、古代には象頭山の麓まで入江が入り込んでいたことに関係があるとされるとの説があるが、縄文海進での海面上昇は5m程度であり、大物主命が「海の彼方から波間を照らして現れた神」であったことに由来すると考えるほうが妥当である。-----Wikipediaより
*森の石松(もりのいしまつ)は、清水次郎長の子分として幕末期に活躍したとされる侠客。
森の石松が実在の人物なのか、それとも空想上の人物なのか、分かっていない。
浪曲師の二代目広沢虎造の十八番の演目である「石松三十石舟」の中で石松が、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と勧める有名な台詞は虎造の創作である。
その後、実はその江戸っ子はその人が石松である事に気づいており、「馬鹿は死ななきゃ直らねぇ!」と石松をからかう。
後世、1980年代にシブがき隊が歌って一世を風靡した「スシ食いねェ!」(作詞:S.I.S、岡田冨美子、作曲:後藤次利)はこの曲からヒントを得たとも言われるが、本来の浪花節の台詞はあくまで「寿司を食いねぇ」である。
(「石松三十石舟」=金刀比羅宮へ次郎長の命(確か、刀の奉納)を受けての道中でのこと)
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。
初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者がある。
現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
祭神 菅原道真公 学問の神として広く知られている。
*小説 住野よる『君の膵臓をたべたい』
主人公「僕」と桜良が福岡を旅行する中で太宰府天満宮に参拝するシーンがある。
2017年に映画化された際、実際に当地でロケも行われている。-----Wikipediaより
ハイ! 見えてきました、ハワイ出雲大社です。
右手のフェンスがありますよね、そこが駐車場への入り口でした。
まったく気がつきませんでした。
やむなく、橋を渡ってすぐの交差点を右折して、また次を右折して再度挑戦です。
(ノース・ククイ・ストリート→マウナケア・ストリート→ノース・ベレターニア・ストリート→アアラ・ストリート→ノース・ククイ・ストリート)
ここを右折です。
着きました、やっと。
えっ!? こんなに小さいんですか?
本殿だけですよね、これでは。
「岐阜県は岐阜市に住む、○○○○と申します。よろしくお願いします」
二礼二柏手一礼。
で、裏手にある社務所にて、お守りの購入です。
お願いしますよ、ハワイ出雲大社での購入だと証明できるように、ハワイの文字を入れておいてもらえませんかねえ。
なんとなく気にはなったのですが、まさか金刀比羅宮と太宰府天満宮だとは思いませんでした。
ハワイ出雲大社すぐ近くにあったんですね、お参りしてくれば良かったです。
日本に帰ってから分かったのでは、まったく後の祭りですわ。
ずいぶんと下調べをしたつもりだったのですが、見落としていました。
ちょっと、お勉強しましょうか。
若い同僚との会話で、
「森の石松って誰ですか?」
「浪曲? なんですか」と、返ってきたものですから。
金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社である。
こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。
概要
神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。
明治維新の際に神仏分離・廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人金刀比羅本教の総本部となった。
全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。
海上交通の守り神として信仰されており、漁師、船員など海事関係者の崇敬を集める。
時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。
境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。
金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。
長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある。
例大祭に合わせて毎年、石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれている。
由緒
金刀比羅宮の由緒についてはいくつかの説があり、一つは、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである。
もう一つは、もともと象頭山にあった真言宗の松尾寺[3]に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道の役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする。
別の説として、『生駒記讃陽綱目』の金刀比羅宮の條によれば、延喜式神名帳に名が見える讃岐国多度郡の雲気神社が金刀比羅宮という記述がある。
海上交通の守り神とされるのは、古代には象頭山の麓まで入江が入り込んでいたことに関係があるとされるとの説があるが、縄文海進での海面上昇は5m程度であり、大物主命が「海の彼方から波間を照らして現れた神」であったことに由来すると考えるほうが妥当である。-----Wikipediaより
*森の石松(もりのいしまつ)は、清水次郎長の子分として幕末期に活躍したとされる侠客。
森の石松が実在の人物なのか、それとも空想上の人物なのか、分かっていない。
浪曲師の二代目広沢虎造の十八番の演目である「石松三十石舟」の中で石松が、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と勧める有名な台詞は虎造の創作である。
その後、実はその江戸っ子はその人が石松である事に気づいており、「馬鹿は死ななきゃ直らねぇ!」と石松をからかう。
後世、1980年代にシブがき隊が歌って一世を風靡した「スシ食いねェ!」(作詞:S.I.S、岡田冨美子、作曲:後藤次利)はこの曲からヒントを得たとも言われるが、本来の浪花節の台詞はあくまで「寿司を食いねぇ」である。
(「石松三十石舟」=金刀比羅宮へ次郎長の命(確か、刀の奉納)を受けての道中でのこと)
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。
初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者がある。
現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
祭神 菅原道真公 学問の神として広く知られている。
*小説 住野よる『君の膵臓をたべたい』
主人公「僕」と桜良が福岡を旅行する中で太宰府天満宮に参拝するシーンがある。
2017年に映画化された際、実際に当地でロケも行われている。-----Wikipediaより
ハイ! 見えてきました、ハワイ出雲大社です。
右手のフェンスがありますよね、そこが駐車場への入り口でした。
まったく気がつきませんでした。
やむなく、橋を渡ってすぐの交差点を右折して、また次を右折して再度挑戦です。
(ノース・ククイ・ストリート→マウナケア・ストリート→ノース・ベレターニア・ストリート→アアラ・ストリート→ノース・ククイ・ストリート)
ここを右折です。
着きました、やっと。
えっ!? こんなに小さいんですか?
本殿だけですよね、これでは。
「岐阜県は岐阜市に住む、○○○○と申します。よろしくお願いします」
二礼二柏手一礼。
で、裏手にある社務所にて、お守りの購入です。
お願いしますよ、ハワイ出雲大社での購入だと証明できるように、ハワイの文字を入れておいてもらえませんかねえ。
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