昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

水たまりの中の青空 ~第一部~ (八十一)

2021-03-09 08:00:54 | 物語り

「俺の後継者は、五平、お前だぜ」
 突然の武蔵の言葉に、危うく酒を噴き出しそうになった。
「何を言い出すんですか、坊ちゃんを作ってくださいよ。今、その話をしたばかりじゃないですか」
「いや。運良く息子を授かったとしても、こんな商売はやらせられん。堅気の会社に勤めさせる」
 波々と注がれた酒を一気に飲み干し、また大きくため息を吐いた。
「タケさん! 怒りますよ、まったく。どうかしてる、今夜のタケさんは。
堅気の会社にすればいいじゃないですか! 
タケさんが頑張って、坊ちゃんに安心して継がせられる会社にすればいいんだ。
タケさん。あんた、今、何歳です? やっと三十を越えた若造ですぜ」
「そうだな、そういうことだな」
「まず、嫁さんですよ」
「分かった、分かった」

 五平のまくし立てる剣幕に閉口した武蔵は、早々に矛を収めた。
しかし本音の部分では、生き馬の目を抜くような過酷な会社経営を子どもにさせることには、武蔵も二の足を踏んでしまう。
「どうしてもやってみたい」。そう言い切る子どもならば反対する理由はない。
しかし、と考えてしまう。ヤミ市の頃は良かった。
朝早くから次から次へと繰り出される荷物をさばき続け、夜になると五平と二人で、カストリと称された称された密造酒を呷りつづけた。
工業用アルコールを水で薄めたバクダンと称された密造酒にも手を出したが、さすがに体を壊しかねないと知り、一度でやめた。
そして今では毎晩のように女給たち相手に酒を痛飲し、好きなときに気に入った女給を抱いてはいる。
「羨ましいことで」と周りからは言われるが、当の武蔵にはまるで達成感のないものだった。

 しかし男として生まれたからには、と思いはする。
50人近い社員を抱える一国一城の主となったことを自慢する己がいる。
テキ屋の間では、一目も二目も置かれる存在となった。しかし今……。
「入院をしていた時にな、色々と考えさせられたよ。
なんで刺されなくちゃならん? そこまでのあくどいことをしたって言うのか? ってな。
けど、黒幕があの女だったと聞かされたときに、正直、執念を感じたよ。
覚えているか、そりゃ覚えているよな。自殺にまで追い込んでしまったんだから」

口に運びかけた杯を膳に戻すと、改めて大きく息を吐いてから言葉をつづけた。
「山新商店だっけかな、屋号は。
ヤミ市時代のことを詐欺まがいの商売だとののしられて、ついカッとなってしまった。
それじゃ仕掛けてやるぜって調子で、あちこちに噂を広めちまった。
テキ屋連中のことば葉ってのは、意外にほんとにされるもんだと、あのときはじめて実感したぜ。
『うそも突きとおせばしんじつになる』ってな。こわいもんだ」

「そうでしたねえ、あれはこたえました。
けど、詐欺まがいってことばはまるで思いちがいだ。にせ物を売ってたわけじゃないんだ。
まあねえ、GHQの後ろだてがあるってことが、あの親父には信じられなかったんでしょう。
もっとも、将校たちに女をあたしが斡旋ししてたこと、案外のところ知ってたんですかね。
商品がにせ物ってことじゃなくて、仕入れの方法が汚え、そのことを言ってたのかもしれません。
タケさんのことじゃなく」



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