「こらあ、このガキー! まてえー」
こんな声を聞くたびに、次郎吉は幼い頃の自分を思い出すのが常だった。
近頃そんな思いをすることが多々あると、次郎吉は感じていた。
「不景気な話ばかりの、世間さまだ」と、誰にとはなく呟いている。
当時、歌舞伎役者の社会的地位は低かった。
ほんのvs
握りの役者は、今で言うパトロンを持つことにより金回りは多少良かったものの、殆どの役者は汲々としていた。
ましてその歌舞伎役者の下で働く出方を父に持った次郎吉は、極貧乏人という世間さまの偏見から抜け出られなかった。
盗みを働くなどは、日常だった。
育ち盛りの空腹を満たすには、八百屋からこっそりと大根などをかすめ盗らなければならない。
そして、自分よりも幼い子ども達にも分け与えていた。
そんな幼児たちから受ける尊敬の眼差し、次郎吉には誇らしく思えた。
今もそれは忘れていない。
しかしそんな次郎吉でも、身に覚えのない盗みを咎められることは我慢ができなかった。
次郎吉の盗癖が知れ渡っている状態ではやむを得ないことで、自業自得ではあるのだが。
「大人になったら大金持ちになって、あの八百屋のおやじに、小判を何枚もたたきつけてやる!」
棒きれで殴られながら、次郎吉はいつも反すうしていた。
『大人になったら…』
それが子供の次郎吉にとっては、万能薬のごとくに思えていた。
大金持ちになることも容易いことだと思えていた。
ただ、その為に何を為すべきかは分からないでいた。
毎日が空きっ腹の次郎吉は、『大人になったら』と、呪文の如ごとにつぶやくだけだ。
しかしながら、そんな夢のような呪文も、年を経るにつれ段々とすぼんでいった。
二十代半ばとなった今ではなんの夢もなく、子どものころの夢も忘れてしまった。
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