(五)
束の間の休息をとる武蔵。
小夜子との語らいに、どれほどの安らぎを覚えることか。
これまでに幾多の女性と閨を共にしてきた武蔵。
無論その中には金員だけのつながりの女性も多々居た。
御手洗という苗字のために受けた数々の屈辱が、屈折した人間を育てた。
人に人として対する術を持たぬ武蔵。
それが為に、ある時は卑屈になりある時は傲慢さを剥き出しにした。
しかし又、人の心のあり方にも敏感になった。
うつろい易い心を引き止める術、怒り心頭に達する心を鎮める術、悲嘆に暮れる心を慰
める術、そして奈落の底に陥った心を奮い立たせる術。
それらの全てで、五平と共に富士商会を育ててきた。
鬼神の心でもって、戦後の混乱を成り上がりつづけた。
少しの気の緩みも持たずに、周囲すべてに気を配りつづけた。
その夜、五平を再度呼び出した。
一升瓶を座卓ではなく畳の上に置き、茶碗酒と決め込んでいる。
武蔵との出会いから彼是十年になる五平だが、これ程までに上機嫌の武蔵を見たことがない。
「八年だ、八年だぞ。
分かるか、五平。
富士商会を立ち上げてから、早や八年だ。
感慨深いじゃないか。
今まで猪突猛進してきたんだ。
藪だろうが瓦礫だろうが、突き進んだんだ。
列を作る奴らがいれば蹴散らして先頭にたち、罵声をあびせかける奴らをぼこぼこにして来たんだ。」
「そうですな、武さん。
今夜は、武さんと呼ばせてもらいます。
頑張りましたよ、武さんは。」
「何言ってる、五平だって頑張ったじゃないか。」
「いやいや、あたしの頑張りなんて。
武さんに比べリゃ、屁みたいなもんです。
いつも武さんの後ろに隠れて、小さくなってましたから。」
(六)
「怒るぞ、五平。
俺はお前が居てくれるから、どんな無茶もやってこれたんだ。
それにだ、何といってもGHQだよ。
これが、でかい。
物の調達もそうだが、後ろ盾みたいなものじゃないか。」
「そう言ってもらえて、あたしも嬉しいです。
あたしなんか、人間じゃありませんから。
人です、女衒なんてのは。」
畳の一点を見つめたまま、ぐいと飲み干す五平。
「それは言いすぎだ、五平。
そこまで卑下することはないだろうが。
正直、褒められたことじゃないにしてもだ。
以前にも言ったが、五平のお陰で救われた者が居るだろうが。」
空になった茶碗に酒を注ぐ武蔵。
「それに、五平。
お前だって、泥水をすすって生きてきたんだ。
お前は男だから女郎なんてものにはならなかったにしろ、似たようなものだろう。」
「はぁ、まあ。
そうなんですが、そう言われりゃ。
口減らしで、奉公に出されました。」
「いくつだったんだ?」
「えゝ、まぁ。
たしか、十いや十一だったですか?
そんなものでしたよ。
しかしまあ、あたしとおんなじ境遇の小僧ばっかりでしたよ。
みんなして、毎晩泣きましたわ。」
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