昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

[宮本武蔵異聞] 我が名は、ムサシなり! (九)

2023-06-09 08:00:46 | 物語り

(山寺 二)

体力の回復を待って長崎の地に送り届けるつもりの僧侶だったが、ごんすけにその旨を問い質した。
「いまさらなんばんにいっても、だれもおらん。おれは、ここのほうがいい。
大きくなってりっぱになって、お父をさがすよ。お父は、ひとりしかいねえ」
 涙ながらに訴えるごんすけに対し、僧侶の言葉は冷たかった。
「ごんたのことは諦めることだ。実を言うと、おまえは捨てられたのだ。
村から逃げ出すときに、村の子どもを痛めつけたであろう。そのことから、こっぴどくごんたは殴られてな。
それが元で、もう漁のできぬ体になってしまったのじや。分かっておる、おまえが悪いのではない。
ごんたも責めてはおらぬ。しかしもう一緒に暮らすことはできぬということじゃ」

 おいおいと泣きじゃくるごんすけの背を優しく撫でながら、
(嘘じゃ嘘じゃ、ごんたはお前のことを常に考えておる。じゃが、こらえてくれ。今は耐えることじゃ。
いつの日か、ごんたに会えることになるやもしれぬ)と、心の中で呟き続けた。
「いんや! うそだ、うそだ。お父はそんなことはしねえ。
まさか、まさか、死んじまったのか。かえる、むらにかえる。
そんでもって、お父のかたきをうつ。くそっ、むらのやつら」

 怒りにまかせたごんすけの言葉の中に、恐ろしいほどに燃え上がる怨嗟の炎を感じた僧侶は、
「ごんたは死んではおらん。生きておる、生きておるぞ。
お前が大人になったときには、人として一人前になった折りには、必ず会わせてやる。約束じゃ」
と、ごんすけの頭を抱きかかえた。

 昨夜のことだ。
 ごんすけの話を聞いた住職が「沢庵和尚さま、なぜにそこまで肩入れされるので」と、沢庵和尚に尋ねた。
「ごんすけという小童の行く末が楽しみでのお。とにかく利発なのじゃよ。
思いもかけぬ事を考えつきよる。
しかしまたそれが、逆に憂慮せねばならぬことにもなりかねぬ。
南蛮人では、村に溶け込むことはできまいて」
 相好を崩して話す沢庵和尚だったが、南蛮人だと言うことが気がかりでならぬと目を伏せた。

 毎朝のお勤め前に、住職が
「今日は佳き日よ。沢庵和尚がお見えになっておられる。皆も知ってのとおりに、行脚が大の好物という御仁じゃ」
と、本堂の入り口に飄々とした風貌で立つ沢庵和尚を指さした。
 仁王立ちしている沢庵和尚に、皆の目が一斉に注がれた。
背後の強い光が沢庵和尚を黒い物体として浮かび上がらせ、その斜め後ろに立つ棒きれのような物体もまた目に入った。
大きなどよめきと共に、訝しがる視線が向けられた。

「上がらせてもらうぞ」という声と共に、のっそりと沢庵和尚が歩を進めた。
後に続いたごんすけには、あちこちが破れたヨレヨレの着物を身にまとい、擦り傷だらけの手足に、「なんだこいつは」とでも言いたげな蔑みのこもった視線が向けられた。



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