昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

高賀神社と円空記念会館 (三)

2014-08-31 09:59:55 | よもやま話
着きました! 
小さな(車が五、六台で満車?)駐車場に車を止めました。
先着一台があります。

五角形、いや六角形かな? の屋根です。
小ぢんまりとした会館でした。

玄関はガラス製の扉で、自動ドアではありません。
落ち葉が溜まっていまして、掃除が行き届いていないみたいですね。
ま、良いんですけどね。
おう! 玄関前の壁に、[円空]と書かれた看板です。

「うーん……」
このうなり声については、どうぞご想像下さいな。

ドアを押して入りますと、正面に、円空さんの立像でお出迎えです。
館内撮影はNGでしょうから、わたしの話でご想像下さい。

入って右手に、切符売り場です。
誰も居ませんでしたが、すぐに奥から出てみえました。

「こんにちわ」
人なつっこい方ですね、この声かけは。
田舎らしくて良いじゃないですか。
「お久しぶりです、また来ました」
どうやら顔見知りのようで、何やら話し込み始めました。

所在なくしていたわたしですが、
「父とよく来てたの」と、ようやく話が終わったようで。

では、洞戸円空記念館の説明を、少ししてもらいます。
------------
古くから神々の里として栄えてきた洞戸。
全国から山伏や信者が参拝に訪れた高賀神社は円空ゆかりの地としても有名です。

高賀渓谷のせせらぎに誘われるかのように村を訪れた円空さん。
この地で入定の決意を固め、最後の作品といわれる歓喜天を彫ったといわれています。

円空記念館(平成7年7月7日開館)には、
最高傑作といわれる一木作り三像をはじめ、30体近くの円空仏が展示してあります。

みなさんを優しさと慈愛に満ちた円空ワールドにご案内いたします。
(「たびものがたり in 関」より引用)
------------
続いて、円空さんについて。
------------
円空(えんくう、寛永9年(1632年) - 元禄8年7月15日(1695年8月24日))は、
江戸時代前期の行脚僧であり、
全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。

円空は生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5350体発見されている。
円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。
多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。

その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、
円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。

その内愛知県内で3000体以上、岐阜県内で1000体以上を数える。
また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。

多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。
円空仏以外にも、多くの和歌や大般若経の扉絵なども残されている。

円空仏はデザインが簡素化されており、
ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、
一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。

一刀彫というのは鉈一本で彫り出した事に由来するが、
実際には多数の彫刻刀によって丹念に彫られており、
鉈で荒削りで彫ったに過ぎないというのはただの宣伝である。

円空としては民衆が気軽に拝める、現代で言えば量産型の仏像として製作し、
野に置かれる事を望んでいたのだが、そのデザインが芸術的に高く評価されたため、
大寺院で秘仏扱いされる事もあった。

円空から後代の木喰も同様に日本各地で造仏活動を行っており、
柔和で穏やかな表情の微笑仏は円空仏と対比されている。

(Wikipediaより)
------------


最新の画像もっと見る

コメントを投稿