6日(日)。昨日の日経朝刊のコラム「文化往来」に「”レコード・アカデミー賞”半世紀の節目」という記事が載りました 要約すると、
「1年に1回、日本のレコード会社から発売されたクラシックのレコード・CDを顕彰する”レコード・アカデミー賞”(音楽の友社主催)が50回目という節目を迎えた この間、録音媒体のあり方が大きく変わり、クラシックでもCD不振が叫ばれてきたが、それだけに同賞の責任は重くなったといえるのではないか。同賞には現在の選定委員約30人のうち5人が設立当初から関わっているという・・・・・・最近の新譜が少ないCD事情を反映して審査環境は厳しさを増しているようだ
レコード会社の再編が進み、今ではオーケストラやソリストの自主レーベルが増えている。過去の名盤も高品質のCDや廉価盤として続々と再発売される。何を買うべきか迷う聴き手も少なくないはず。”レコード・アカデミー賞”の存在意義は確実に高まっている
」
記事にある通り、録音媒体のあり方は大きく変わってきました 長く続いたLPレコード時代(この時代に発刊された音楽の友社の「レコード芸術」誌が”レコード・アカデミー賞”を発表。さらにこの時代にモノラルからステレオへと変わった)を経て、CDの時代がとって代わります
同時に映像ではビデオ・テープ(β方式対VHS方式)からレーザー・ディスクへ、さらにDVDに変わっています
私もかつては「レコード芸術」誌の定期購読者でした。今でも玄関の靴箱の上には1995年から2000年までの「レコード芸術」誌が並べられています 世紀が20世紀から21世紀に代わり、所有CDも4,000枚を超えたのを機に、私は定期購読を止めました
このころから徐々にコンサート重視に傾きつつあったのです
”本当の感動はCDからは得られない。生きている限り、2度と同じ演奏が聴けない生のコンサートを1回でも多く聴くべきだ
”、”10枚のCDは1回のコンサートにしかず
という方針に転換していったのです
したがって、今では”レコード・アカデミー賞”でどのCDが大賞を取ったのかということにはまったく興味がありません CDが欲しくなった時は直接、新宿や渋谷のタワーレコードに行って、片っ端から”クルージング”して買うようにしています。それは楽しいひと時です
閑話休題
昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、モーツアルトの歌劇「皇帝ティートの慈悲」を観ましたキャストはティートにジュゼッペ・フィリアノーティ(テノール)、セストにエリーナ・ガランチャ(メゾソプラノ)、ヴィッテリアにバルバラ・フリットリ(ソプラノ)、アン二オにケイト・リンジー(メゾソプラノ)、セルヴィリアにルーシー・クロウ(ソプラノ)ほか、指揮はハリー・ビケット、演出はジャン=ピエール・ポネルです。昨年12月1日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演された公演のライブ映像です
このオペラの題材は紀元1世紀に実在したローマ帝国の伝説的名君、皇帝ティートをめぐる友情と寛大な心をテーマとするドラマです
前皇帝の娘ヴィッテリア(フリットリ)は、父から王座を奪ったティートを亡き者にしようと、自分を愛しているセスト(ガランチャ)に暗殺させようと企みます しかしセストは皇帝の部下であるとともに親友でもあったのです。ヴィッテリアに対する恋心を貫徹するため、セストは神殿に火を放ってティートの殺害を企てますが、驚いたことにティートはヴィッテリアを皇妃に選びます
セストは自らの罪を告白し、次いでヴィッテリアはセストをそそのかした罪を告白します
それを聞いたティートは寛大な心をもって二人を許します
オーケストラ・ピットの中で序曲を演奏するオケの面々が映し出されます。編成は左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置を取ります ヴァイオリン・セクションにはアジア人の女性奏者が目立ちます。いよいよMETにもアジア旋風が吹き荒れているのでしょうか
幕が開くと、中央にベッドが置かれ、ズボン役(男役の女性歌手)のガランチャとフリットリがそばにいます。一瞬、これはR.シュトラウスの「バラの騎士」と同じではないか、と思いました 同時に「皇帝ティートの慈悲」というオペラはこういう幕開けで始まったかな、と違和感を覚えました
よく考えてみると、私は、モーツアルトの晩年のもう一つの歌劇「イドメネオ」と勘違いしていたこと、さらに私がこのオペラを観るのは初めてであることに気が付きました。このオペラは滅多にマナで上演されることがないので、一度も観たことがなかったのです。CDは持っていますが、DVDなどの映像媒体は持っていないので、聴いたことはあっても観たことはなかったのでした
このオペラは「皇帝ティートの慈悲」というタイトルが付いているように、主役はティートなのですが、ストーリーの鍵を握る中心的な役割を果たしているのはセストなのです その意味で、セストを歌い演じたガランチャの歌唱力と演技力は他の追随を許さないものがありました
彼女は前シーズンで「カルメン」のタイトルロールを歌ってその存在感を示しましたが、このモーツアルトでも素晴らしいメゾソプラノを聴かせてくれました
幕間のインタビューで、スーザン・グラハムから「アリアを歌いながら階段を下りる時、足元を見ないで下りてきたわね」と言われ、”よくそこに気が付いてくれた”と言わんばかりに、その場で飛び上がって「そうなのよ、練習したのよ
」と答えているのが印象的でした
ティート役のフィリアノーティは、最初のうちは何とも頼りなげな感じがしましたが、後半にいくにしたがって”慈悲深い皇帝”に相応しい存在として認識するようになりました
ヴィッテリア役のフリットリは、幕間のインタビューで「この役は悪女の役だけど、どう思う?」と訊かれて「満足しているわ。ヴェルディのオペラのように刺されて殺されたり、首を絞められて死んだりしないで、最後まで生きているからね ヴィッテリアはたしかに悪女だけど、最後に悔悛するところがいいわね
」と答えていました。
前日観た映画「レ・ミゼラブル」に出演していたアン・ハサウェイによく似ている歌手がMETに出ていたと書きましたが、何とその歌手がこのオペラに出ていたのです 配役表を見て、ズボン役のアン二オを歌ったケイト・リンジーというメゾソプラノであることがわかりました
あらためて二人を比べると、そっくりとまではいかないのですが、よく似ています まだ若い歌手で、METへの出演もまだ5~6回といったところのようです。ただ、最後のカーテンコールではガランチャやフリットリに負けないほどの拍手喝さいを浴びていました
ケイト・リンジー・・・・これからの活躍が楽しみな歌手です
今回の公演が良かった要因の一つは極めてオーソドックスなジャン=ピエール・ポネルの演出です モーツアルトのオペラでは、演出でこねまわしてほしくないのです
もう一つ、古楽奏法の権威者でもあるハリー・ビケットの指揮はメリハリが効いていて素晴らしかったです
METライブビューイング、モーツアルト「皇帝ティートの慈悲」はインタビュー等の特典映像・休憩時間を含めて上映時間:3時間6分で、入場料は3,500円(事前に座席指定を!)。11日(金)まで新宿ピカデリー、東劇ほかで上映中です