25日(金)。昨日の朝、7階のパントリーにコーヒーを注文しに行くと、なぜかテーブルに醤油さしがあったので、「弁当屋さんが忘れていったの?」と聞くと、Mさんが「ショウユ―こと」と明石屋さんま風に答えたので、「キッコーマン・ユー?(ショウユーお前は?)」と返すのを思い止めて「そう来たか
」と並みの反応を示すと、そばにいたNさんが「そういう時は”ソースか
”と返さなくっちゃ」と言うので、二の句が告げられませんでした
朝から何やってんだか、この人たちは・・・・・・あっ、俺もか
閑話休題
昨日昼休み、飯野ビルのエントランスロビーでランチタイムコンサートがありました 出演はピアノンの川脇かれんさんです。昨日はスケジュールが立て込んでいたので、ドビュッシーの”花火”を途中から聴いてすぐにPCビルに戻りました
川脇さんは東京音楽大学2年在学中だけあって、さすがに若いなあと感じましたが、紡ぎ出される音はしっかりしていました
それにしても、このコンサートで演奏する出演者の多くはドビュッシーの”花火”を選びますが、聴衆受けする要素がたくさんあるのでしょうね
も一度、閑話休題
昨夕、東京文化会館小ホールで「ピアノ・トリオの夕べ」を聴きました これは2013都民芸術フェスティバル参加公演の一つとして開かれたものです。プログラムは①ハイドン「ピアノ三重奏曲第39番ト長調」、②ショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番変ホ短調」、③メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第1番ニ短調」の3曲
演奏はピアノ=小菅優、ヴァイオリン=大谷康子(東響コンマス)、チェロ=宮田大の3人です
自席は0列40番で、右側のやや後方席。会場は文字通り満席です 大谷は水色のドレス、小菅は黒の衣装の上に▽形のポンチョのような青のショールを付け、宮田はシルバーのシャツ姿で登場します
1曲目のハイドン「ピアノ三重奏曲第39番ト長調」は1795年出版の作品73(全3曲)に収められている曲ですが、古典的な様相を帯びた曲です モーツアルトは1791に死去しているので、それよりも後に作曲されたことになります。こう言っては何ですが、モーツアルトと比べてしまうと、ハイドンの曲から感動を得るのは相当困難です
3人の演奏は素晴らしいものの、曲自体の魅力の点でどうなのでしょうか
2曲目のショスタコーヴィチ「ピアノ三重奏曲第2番ホ短調」は、若い時から彼の理解者だったイヴァン・ソレルチンスキーの死去を悼んで1944年に作曲した曲です 第1楽章冒頭のチェロの弱音による高音の響きは独特の世界を描きます。悲痛な叫びのようです
第2楽章はスケルツォですが、遠心力で吹っ飛ばされそうです
第3楽章は悲劇の音楽、第4楽章は作曲者が怒っている楽章です
ショスタコーヴィチは何に対して怒っているのでしょうか?社会主義レアリズムを強要したジダーノフでしょうか?最大の理解者を失った運命に対してでしょうか?いずれにしても、3人のアンサンブルは見事です
この日の目的はメンデルスゾーンの「ピアノ三重奏曲第1番ニ短調」を生で聴くことです 最近、CDを中心にメンデルスゾーンの音楽をよく聴いていますが、彼の音楽の魅力は前へ前へという”推進力”だと思います
それでは、その音楽の特質は何かと言えば、プログラムに書かれているように「古典性とロマン性の融和」だと言えるでしょう
この曲は1839年、メンデルスゾーンが30歳の時に作曲されましたが、短調独特のロマン的な魅力に溢れています 第3楽章「スケルツォ」は、彼の弦楽八重奏曲などでも聴かれる軽快な”妖精風スケルツォ”です。これがまた大きな魅力です
大谷、宮田、小菅のコンビは、個々人の優れた表現力を背景に呼吸がピッタリと合っているので、聴いていて思わず身を乗り出してしまうような魅力に溢れています
終演後、4回舞台に呼び戻され、3人を代表して宮田が「今日は、ありがとうございました。素晴らしいお二人と共演できて光栄でした。アンコールにクライスラーの”ウィーン小行進曲”を演奏します」とアナウンスして、演奏に入りました
大谷のヴァイオリンを中心に、いかにもウィーン情緒たっぷりの演奏で、すっかり魅了されました メンデルスゾーンも聴けたし、アンコールでウィーン情緒も味わえたし、大満足のコンサートでした