5日(日)。昨日の朝日朝刊「オピニオン&フォーラム」のテーマは「『お疲れ様です』考」でした 同欄がこのテーマを取り上げたきっかけは、6月4日付の同欄にフジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さんが寄せた「疲れていなくても『お疲れ様です』を使う慣習」への違和感でした これについて、はがきやメールで意見が約40通寄せられたそうです 昨日の同欄には、旅行作家の哈日杏子(ハーリー・キョウコ・台湾)さん、社会言語学者の倉持益子さん、落語家の立川談修さんが、それぞれの立場から考えを述べています まず最初に 倉持さんの”解説”をご紹介します
「『お疲れ様』という言葉は、芸能界、例えば歌舞伎役者から広まったようだ。戦前から活躍した俳優がよく使っていたという証言が残っている 芸能界からメディア関係者のあいさつとなり、じわじわと一般社会にも浸透したと考えられている。それまで頻繁に使われていたねぎらいの言葉は『ご苦労』だった 江戸時代、家臣が殿に対して『ご苦労にござりまする』と言う。殿から家臣に対しては『大儀であった』である しかし、明治時代になると『大儀であった』は侍言葉だと敬遠されがちになり、時代が進むにつれて『ご苦労様』をどんな相手にも使うようになった ところが、1980年代ごろからマナー本などで、『ご苦労様は目上の人に使ってはいけない』という記述が増え、使いづらくなった 取って代わったのが『お疲れ様』だった。2000年ごろから若者が様々な形で使うようになり、爆発的に利用が拡大した。『おっつー』『お疲れサマンサ』のような省略形や発展系のほか、メールの普及で『乙』という超簡略形も登場した 『お疲れ様』が人気の理由は、仲間意識を表現できることだろう。『私もあたなも頑張ってるよね』という連帯感が生まれるから、職場や親しい間柄の人とのあいさつにはもってこいだ これを使っている限りひんしゅくは買いにくい。代わる言葉の候補も まだ見い出せない まだまだ『お疲れ』時代は続くのだろうか」
立川談修さんは次のように語っています
「『ご苦労様』は目上が目下に対して使う言葉と決めつけている方も多いようだが、落語界では高座に上がる人を送り出す際には『ご苦労様です』と声をかける 送り出される側は『お先に勉強させていただきます』と応じる。ベテランの師匠は『ご苦労さん』『お先ぃ』とくだけた言い方をする。『お疲れ様』は、落語界では仕事を終えた人にかけるあいさつだ 『お疲れ様』も『ご苦労様』も、どちらも相手をねぎらう言葉だ」
哈日杏子さんは次のように語っています
「日本語の『お疲れ様』という言葉にはたびたび『変だねー』と感じてきた 台湾の公用語である北京語でも同じような言葉があるが、日本人の友達と会った瞬間に『お疲れ様ー』と言われた時はびっくりした 日本の『お疲れ様』は、どちらかと言うと台湾語の『食飽未(ジャパーボエ)』と意味が似ていると思うようになった これは直訳すると『ご飯食べた?』という意味だが、相手を気遣う言葉だ。『ハロー』と同じように出会った時のあいさつで使う。もともとは日本の『お疲れ様』も、『大丈夫?』『疲れてても気分転換しよう!』というように、相手のことを考えていますよと示す言葉だったのかな~」
倉持さんの「『私もあたなも頑張ってるよね』という連帯感が生まれる言葉」も、立川さんの「『お疲れ様』も『ご苦労様』も、どちらも相手をねぎらう言葉」も、哈日さんの「相手のことを考えていますよと示す『食飽未(ジャパーボエ)』と同じ言葉」も、結局は同じことを語っているように思います 今日はちょっと引用が長かったようです。お疲れ様でした
ということで、わが家に来てから今日で2104日目を迎え、トランプ米大統領は3日夜、リンカーンなど歴代大統領4人が山肌に刻まれたサウスダコタ州のラシュモア山で、4日の独立記念日を祝う花火大会を強行したが、大勢が集まり、新型コロナウイルス感染拡大が懸念されている というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプの頭の中で花火が炸裂してんじゃね? 11月の大統領選で華々しく散れや
一昨日の朝日夕刊に「大型パイプオルガン 譲ります 兵庫・伊丹市、7000万円で設置 維持費高く」という見出しの記事が載っていました 超訳すると、
「兵庫県伊丹市が『大型のパイプオルガン譲ります!』と希望者を探している バブル景気の余韻があった1993年、7千万円をかけて市の高齢者福祉施設『伊丹市立サンシティホール』に設置したが、維持・修繕費が高く手放すことになった 高さ約7メートル、パイプは1696本。ベルギー・ハッセルト市と姉妹都市関係にある伊丹市が、同国のメーカーに依頼し、ホールの形や日本の気候に合わせて造らせた 月2回の無料コンサートや無料体験教室などで市民に親しまれてきた ただ、パイプオルガンは定期的なメンテナンスに加え、15~20年に1回、大規模修繕が必要とされる 市は今年2月、維持・修繕の負担が大きいなどを理由に、パイプオルガン事業の廃止を決めた だが、高額な楽器を税金で買いながら、使い捨てにするかのような市の姿勢に批判もある 市はこれまで大規模修繕をしてこなかったことや、定期点検・修繕を任せてきた業者がパイプオルガンの専門ではなかったことなど、管理を疑問視する声もあった 2009年、市のパイプオルガンを調査した神奈川県横須賀市のオルガン製作工房は、パイプの傷みや落下の危険などを指摘し、『粗大ごみと化する前に適切な対応を』と警告した その後、18年には製作者のギド・シューマッハ氏が来日、『抜本的清掃と大規模修繕が必要』と提案したが、約2千万円かかるため市は踏み切らなかった 市は譲渡先について、当初は利用計画などを審査して決める『公募型プロポーザル方式』で募ったが応募はなかった 6月から随時募集に切り替え、SNSなどで発信しているが、具体的に話が進んでいるところはないという 市は、搬出や改修にかかる費用は全て譲り受け人の負担を条件にしている」
文中の「定期的なメンテナンスに加え、15~20年に1回、大規模修繕が必要とされる」というのは、ほとんどマンション管理と同じような内容です パイプオルガンというのはそれほど大きな買い物なのでしょう。しかし、伊丹市が1993年にパイプオルガンを発注した時点では、将来にかけてそれらの費用がかかってくることは分かっていたはずです マンションなら「修繕積立金」として定期的に積み立てて、20年に1回の大規模修繕に備えます。その時になって高額の修繕費を臨時徴収しようとしても住民の理解が得られないからです 伊丹市は、年末にパイプオルガンに”はたき”をかけてチリを落とせば良いくらいに甘く見ていたのでしょうか 7000万円の初期投資のうちいくら回収できるのか、その前にお金を払って引き取る者が出てくるのか、全く分かりませんが、市民に親しまれてきたパイプオルガンが可哀そうです まだ新型コロナが全国的に収束していない現状では、手を挙げる人や団体はいないかもしれません いずれにしても、二束三文で売り飛ばすのだけは止めた方がいいと思います
神楽坂のギンレイホールでジョナサン・レビン監督による2019年アメリカ映画「ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋」(125分)を観ました
2019年、チャンバース アメリカ大統領は国務長官シャーロット・フィールド(シャーリーズ・セロン)に再選を目指さない意向を伝えた。シャーロットはそれを好機と看做しチェンバースの支持を取り付けて大統領選に打って出ることにした。一方、ジャーナリストのフレッド(セス・ローゲン)は自分の職場がメディア王のパーカー・ウェンブリーに買収されたことに憤慨し、勢いで辞職してしまう。彼は親友ランスに誘われて参加したチャリティー・パーティで偶然シャーロットに再会した。3つ年上の彼女はかつて13歳のフレッドのベビーシッターだった。フレッドのコラムを読んだシャーロットは目前に控えた大統領選の選挙スピーチ原稿づくりを依頼することにした 常に世論から注目され、脚光を浴びるシャーロットと行動するうちに、彼女が高嶺の花であることは分かっていながら、フレッドは彼女に恋してしまう しかし、この恋には越えなければならない数々の高いハードルが待ち受けていた
この作品は、才色兼備の国務長官と、うだつの上がらないジャーナリストとの恋愛をシニカルに描いた映画です 服装のセンスから政治家としての行動力から高感度抜群の女性国務長官シャーロットと、いつもアディダスのロゴ入りジャンバーを着て どこに行っても浮いている冴えないフレッドの二人は、カップルとして成立する訳がない、と思ってしまいますが、外見は華やかなシャーロットは実は孤独であり、フレッドは外見によらず鋭い分析力と筆力があります しかも、フレッドがジャンバーを脱いでタキシードで決めて登場すると、まるで別人のいい男になっています 「馬子にも衣裳」ではなく、もともといい男なのです
チャンバースから環境保護政策の一部を撤回するように求められて苛立ったシャーロットはフレッドとマリファナを吸うことでストレスを解消するにしますが、その時、立てこもり事件が発生したため、シャーロットは犯人と人質解放について交渉することになります 薬でハイになったシャーロットが電話で相手を説得して人質を解放することに成功しますが、こんなストーリーはアメリカのコメディならではでしょう
原題の「ロング・ショット」には「勝つ見込みの低い候補者」とか「大穴」という意味があります 言うまでもなく、本作ではフレッドのシャーロットに対する恋を指しています これからの人生が長い人は、「大穴」を狙ってみてはどうでしょうか