人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

「虹」はなぜ「虫」と「工」でできている? / METライブビューイング「アグリッピ―ナ」の座席指定を取る ~ 新宿ピカデリー / ライブハウス / 連城三紀彦著「運命の八分休符」を読む

2020年07月06日 07時18分09秒 | 日記

6日(月)。昨日、都知事選の投票に出かけようとした時、電話が鳴り出しました いつもなら「留守番」ボタンを押して放っておくのですが、前日送った品物が実家に届いたという連絡かもしれないと思い、電話に出てみました すると世論調査会社からの調査への協力依頼でした 数週間前にも同様の電話があったのですが、その時は面倒くさいので電話を切ってしまいました 今回は都知事選投票日当日のタイミングということもあり、興味が湧いたので初めて協力することにしました 質問内容は「安倍内閣を支持するか、しないか」「現政権が続いた方が良いと思うか、現在の野党の政権に変わった方がよいと思うか」「支持政党はどこか」「都知事選では誰に投票するか」「都議会議員補欠選挙では誰に投票するか」(私は対象選挙区ではなので関係ない。聞くな!)などで、最後に男女別、年代別の質問がありました 嘘をついても何のメリットもないので思っていることを正直に回答しましたが、やはり、こういう調査には出来るだけ協力しないと、調査回答者が少なくなり、最近あったフジテレビ系列の調査不正みたいな、でっち上げ問題が起こる恐れがあると思います

回答を済ませた後、近くの小学校に投票に行きました コロナ感染対策のため、登録時に鉛筆を受け取り、候補者の名前を書いた後は、鉛筆を所定の位置に戻すようになっていました その後、地下鉄で新宿三丁目まで行き、新宿ピカデリーで7月7日(火)のMETライブビューイング「アグリッピ―ナ」の座席指定を取ってきました 予約モニター画面上では1つ置きに座席指定できるようになっていましたが、まだガラガラでした ひょっとして、METライブの上映が再開されたことを知らない人が多いのではないかと思いました

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2105日目を迎え、北朝鮮の崔善姫第1外務次官は4日、朝鮮中央通信を通じて「朝米対話を自分たちの政治的危機を切り抜ける道具としか見ていない米国と向かい合う必要はない」との談話を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプは 大統領選でプラスにならない 北朝鮮との対話は 眼中にないと思うよ

 

         

 

一昨日の日経夕刊第1面のコラム「あすへの話題」にジャズ・ピアニストの山下洋輔氏が初登場し、軽いエッセイを寄せています 超訳すると、

「一時は ”ライブハウスでクラスター” などと大変だった。ところで この『ライブハウス』と『クラスター』は私の生活にも密接に関連した言葉だ    演奏する場所が『ライブハウス』。もっともこの言葉、和製英語なので、英語国民に言うと『生きてる家とはなんだ?』と笑われるので注意を    『ジャズ・クラブ』『ロック・クラブ』などが無難だろう    もう一つの『クラスター』は音楽用語にある。ある程度の間をびっしりと音を埋めて出すことで、その手法はピアノだと、左右の肘でその場所をぴったり押さえて音を出す、ということになる つまり『肘打ち』『肘押し』である このやり方は私の音楽表現手法として長年実践しているものだ 私はライブハウスの中でクラスターを出し続けてきたキケンな男ということに今気がついた

山下洋輔を知らない人でもタモリを知らない人はいないでしょう 山下氏はタモリの発掘者です いつか忘れましたが、山下洋輔が  炎上するピアノを弾いているシーンをテレビで観ました たしかにキケンな人物です ソーシャルディスタンスをとった方が良いと思います

 

         

 

一昨日の朝日朝刊の「ことば/サプリ」コーナーは「虹」を取り上げていました 校閲センターの青山絵美さんの解説を超訳すると、

「『虹』はちっとも昆虫に見えないのに なぜ『虫』に『工』なのか。『広漢和辞典』によると、『虫』はもともと、ヘビをかたどった象形文字。昆虫や動物一般を表す『蟲』の略字と混同され、昆虫などの意味も持つようになった   このため、『虫へん』は昆虫だけでなく爬虫類なども表す。蛇、蛙も「虫へん」である 一方、『つくり』の『工』は貫くの意味。古代の中国では、虹は竜(大蛇)の一種とされており、『虹』は空を貫く竜を表す文字だそうだ  中国の『漢書』には、虹が宮中に下りてきて井戸の水を飲んで枯らした、という記述もある   明るいイメージの虹も、古くは恐れられていたようだ。所変われば虹のイメージも変わる。英語の rainbow が表すのは『雨の弓』、スフランス語の arc en ciel  は『空のアーチ』。ギリシャでは、虹の女神『イリス』は天と地を結ぶ使者とされる 虹は 近年では、多様性の象徴としても用いられるようになってきた。性的少数者のパレードで虹色の旗が掲げられたり、味方であることを示す虹のマークのステッカーが日用品に貼られたりしている。映画『オズの魔法使い』で、ドロシーが虹の彼方に素敵な場所があると歌うように、虹は希望の象徴でもある

映画『オズの魔法使い』で主演のドロシーを演じたジュディ・ガーランド(1922-1969)は、60年代のアメリカで同性愛者に対して理解を示した数少ない著名人の一人でした その背景には父親がホモセクシャルで、彼女自身もバイセクシャルだったことがあるとされています。現在、「レインボー・フラッグ」が同性愛解放運動の象徴として用いられているのは、ドロシー(ジュディ)が『オズの魔法使い』で歌った「虹の彼方に」から由来していると言われています

参考までに、ジュディ・ガーランドの晩年の日々を描いたイギリス映画「ジュディ 虹の彼方に」の感想を今年3月13日付のtoraブログに書いています    興味のある方はご覧ください

 

         

 

連城三紀彦著「運命の八分休符」(創元推理文庫)を読み終わりました 連城三紀彦は1948年愛知県生まれ。早稲田大学卒。1981年「戻り川心中」で第34回日本推理作家協会賞を、84年「恋文」で第91回直木賞を受賞するなど多くの文学賞を受賞。2013年死去

 

     

 

本作は1983年に文藝春秋社から刊行された単行本を文庫化したもので、都内に住む25歳の青年、田沢軍平が、5人の美女と5つの事件に出会い、解決するさまを描いた連作短編集です

軍平は大学を出て定職にもつかずぶらぶらしている25歳の青年ですが、髪が薄く、眼鏡にどんぐり目、中肉中背だが 空手をやっていたので腕っ節だけは強いという、見た目は冴えないが、心優しく、事件が起こるとたちまち名探偵ぶりを発揮します 本書は「運命の八分休符」「邪悪な手」「顧客はただ一人」「紙の鳥は青ざめて」「濡れた衣裳」の5つの物語から成ります

「運命の八分休符」というタイトルを見て、私はピンときました 「はは~ん、ベートーヴェンの『第5交響曲”運命”』の冒頭の8分休符のことだな」と この交響曲の冒頭は、「音符」から始まるのではなく「休符」から始まるのです 読みは当たっていました 筆者はその事実を巧みにストーリーに取り込みながらミステリーを展開します

軍平はトップモデルの並木装子のボディガードを務めることになるが、ある時 装子のライバルの白都サリが東京のマンションで絞殺体となって発見され、装子は容疑者になってしまう   もう一人の有力な容疑者、人気デザイナーの井織レイジには犯行時刻に、ファッションショーのために大阪にいたというアリバイがあった    軍平はそのアリバイ崩しに奔走するーというストーリーです

「邪悪な羊」は、軍平の高校時代の級友であり歯科医の宮川祥子から、患者の曲木レイという女児が誘拐されたと聞く    しかしレイの家には金がなく、犯人はレイの父親が勤めるスーパーの社長の娘、剛原美代子を誘拐しようとしたものの、祥子の粗相によって、誤ってレイが誘拐されたのではないか、と考えられた 犯人はレイの親に3千万円の身代金を要求してきた。責任を感じた祥子とともに曲木宅を訪れた軍平は、誘拐事件に巻き込まれていくーという物語です

「顧客はただ一人」は、女優志望の宵子に連れられ、大女優・青井蘭子の舞台を観に行った軍平は、蘭子の半生を振り返る一人芝居に感動するが、そのラストで、影のように出てきた人物に小道具の拳銃で撃たれ、蘭子は舞台上で絶命する。軍平は事件の解明に乗り出すーというストーリーです

「紙の鳥は青ざめて」は、軍平は散歩中に偶然、織原晶子が手首を切っているところを救助する 晶子は、自身の妹とともに蒸発した夫の帰りを待ち続けているという。翌日、晶子は群馬県白根山中発見された男女の遺体を確認しに行くのでついてきてほしいと告げる。男の遺体のは夫なのか、女の遺体は妹なのか、軍平は意外な事実を突き止めるーという物語です

「濡れた衣裳」は、先輩に連れられてナイトクラブを訪れた軍平は、控室でホステスの毬絵が腕に怪我を負った状態で見つかり、彼女から暗闇で誰かに襲われたという証言を聞く 誰がなぜ彼女を襲ったのか、軍平はママやホステスの話を聞きながら推理を働かせるーというストーリーです

本作はミステリーなので、伏線が張りめぐされ、最後にそれが回収されるパターンをとるわけですが、読者は最後に筆者の巧みなミスリードに気づかされます

しかし、全体を通して感じるのは伏線回収の「くどさ」です 私が好きな作家に中山七里がいますが、彼の場合はその「くどさ」が全くなく、伏線の回収はすんなり頭に入ってきて、最後のどんでん返しには 「してやられた」といつも感服します    作家それぞれの個性に基づく文章構成や文章スタイルがあるのだと思いますが、その作家の別の作品を読んでみたいと思うか?と聞かれれば、中山七里に関してはYESと答えます

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