人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

モーリス・ピアラ監督「悪魔の陽の下に」「愛の記念に」を観る~サンドりーヌ・ポネールの魅力

2016年02月19日 07時33分22秒 | 日記

19日(金)。わが家に来てから509日目を迎え、自分がいかに小さいかをアピールするモコタロです

 

          

             人間に比べて 僕がいかに小さいか 分かるでしょう?

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「すき焼き煮」と「生野菜と海藻のサラダ」を作りました レシピによると、炒めて煮るのは牛肉と玉ねぎのみで、シラタキもネギも春菊もシイタケも入れません。味付けは砂糖と醤油とだし汁です

 

          

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、読売日本交響楽団から2016-17シーズン定期演奏会(サントリーホール)のチケット10枚と共に、パンフレットと同じデザインのチケットホルダー(写真上)と特典CD引換券(同・下)が送られてきました 私は数種類チケットホルダーを持っていますが、主に来月以降のチケットを保管するのに使用しています 『今月分のチケット』は”財布の中”に入れて持ち歩いているので、月始めは財布がパンパンで 日が経つに連れて薄くなっていきます

 

          

 

          

 

  最後の、閑話休題  

 

昨日、早稲田松竹でフランスのモーリス・ピアラ監督・出演の「悪魔の陽の下で」と「愛の記念に」の2本立てを観ました「悪魔の陽の下で」は1987年公開の作品です

 

          

 

主任司祭スグレ神父(モーリス・ピアラ)は、自らに苦行を課す助任司祭ドニサン神父(ジェラール・ドパルデュー)が神秘的な能力を持つことを見抜いていた 一方、16歳の少女ムーシェット(サンドリーヌ・ポネール)は、親の目を盗んで公爵と情事を重ねていたが、妊娠を告げると逃げ腰になるので逆上して銃殺してしまう ドニサン神父は主任司祭の命により深夜ポーランクールに向かう途中、馬商人の姿をした悪魔に逢い、誘惑されそうになるが、それを退ける その明け方、彼はムーシェットに出逢い、彼女の瞳を見ただけで彼女の罪を理解するが、彼女は自殺してしまう ランブルの主任司祭となったドニサン神父は、男から死にかけた息子を助けてほしいと頼まれる。しかし、彼がその家に着くと息子は死んでいた。ドニサン神父が死体を聖体のように頭上に捧げると、息子は目を開き生き返った。奇跡が起きたのだ ドニサンはもう暫く自分を生かしてほしいと神に祈るが息を引き取るのだった

最初のうちは、ドニサン神父は「自分は聖職者に向いていないのではないか」としきりに悩んでいます。そして、自らの身体に鞭打って苦行を課します。しかし、旅の途中で出会った悪魔の誘惑を退けたことで、彼の知らない間に見えざる力が備わり、ついには死者を蘇らせることになるのです 自らを律し真剣に神に祈る者は、いつかは奇跡を起こすまでになるーということを主張しているようにも思われますが、結局ドニサンは死んでしまいました 子供は救われたけれど、ドニサンは救われなかった。ドニサンは子供の身代わりになったのでしょうか

2本目の「愛の記念に」は1983年公開の作品です

 

          

 

16歳のシュザンヌ(サンドリーヌ・ポネール)は夏の林間学校に来ていた そこに兄ロベールが舟遊びに来て、妹を自慢する。シュザンヌはボーイフレンドのリュックに対する気持ちが薄らいでいると感じ、港で出会ったアメリカ人青年と一夜を過ごす 兄ロベールは真夜中に帰宅したシュザンヌを叱り、母ベティも辛く当たったが、久しぶりに父ロジェと素直な会話を交わした しかし、父は家出をした。その後シュザンヌはジャン・ピエールと恋人同士になり婚約する 兄ロベールも結婚した。祝いのパーティーが開かれたが、そこに家出した父ロジェがひょっこり帰ってきた 場が白け、父と母の言い争いが始まる。シュザンヌはジャン・ピエールとの平穏な生活に疑問を抱き、兄の友人ミシェルと共に旅立つことを決心する。空港で見送る父親の優しい眼差しがあった

これは、シュザンヌを演じたサンドリーヌ・ポネールのデビュー作品です 

映画とはいえ、あまりにも次から次へと交際相手を変えていくシュザンヌの姿は、とても理解できません。われわれとはペースが違います  それにしてもサンドリーヌ・ポネールは魅力的です

エンドロールを見ていて気が付いたのですが、「音楽:ヘンリー・パーセル」とありました 17世紀後半に英国で活躍した作曲家ヘンリー・パーセルだろうか? そうであれば、映画の中のどのシーンで流されていたのか、まったく気が付きませんでした 同じクラシック音楽でも、英国の作曲家の作品を聴く機会は極めて少ないということを露呈してしまったようです

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村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む~リスト「巡礼の年~第1年:スイス」

2016年02月18日 07時39分23秒 | 日記

18日(木)。昨日は午前中に池袋の豊島税務署に行って確定申告をしてきました 9時半頃税務署に着いたのですが、待ち時間を含めて約2時間かかってしまいました。毎年のことですが、ウィークデーなのに税務署はいつも混んでいますね ということで、わが家に来てから508日目を迎え、税務申告の心配のいらないモコタロです

 

          

            ぼくの場合は おやつがもらえないのが 確定深刻だよ

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「鶏肉のソテー 香味じょうゆ」、「ホウレン草のお浸し」、「生野菜サラダ」を作りました 鶏肉のソテーはフランパンを使いたかったのですが、焦げ付くのがいやだったので魚用グリルで焼きました

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日の日経夕刊・社会面に「モーツアルトとサリエリ 共作曲、尊敬の証し」という記事が載っていました。超訳すると

「チェコ国立博物館で16日、モーツアルトとサリエリらが1785年に共作した曲が披露された この曲は共作であることが最近になって確認された。公の場での演奏は約200年ぶりとされる。サリエリを巡っては、モーツアルトの才能に嫉妬して毒殺したとの説があり、映画『アマデウス』でも取り上げられたが、音楽研究家の間では否定されている イタリアの詩人ダ・ポンテの歌詞にモーツアルト、サリエリらが曲をつけたとみられている 楽譜は印刷年が不明だが、1950年代に旧チェコスロバキアの社会主義化に伴う貴族財産の国有化で、国立博物館の所蔵品になった

共作されたとされる1785年は、モーツアルトが29歳、サリエリが35歳でした。1785年といえば弦楽四重奏曲「ハイドン・セット」を作曲した年で、翌86年にはオペラ「フィガロの結婚」や「ドン・ジョバンニ」を作曲しています 言わばモーツアルトの絶頂期だった頃です

記事にある「モーツアルトの毒殺説」については、サリエリではなく、モーツアルトの妻コンスタンツェが彼女の母親と共謀して毒を盛ったというのが最新のモーツアルト研究の結論のようです 新日本フィルのヴァイオリニスト篠原英和さんが室内楽シリーズのプレトークで語っていました

 

  最後の、閑話休題  

 

今年に入ってから「コンサート」と「映画」ばかりだったので、本の紹介は久しぶりです

村上春樹著「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文春文庫)を読み終わりました 言うまでもなく、村上春樹は1949年、京都生まれで、早稲田大学文学部演劇科を卒業。多くの作品を書いていますが、「芥川賞」と「直木賞」以外の多くの賞を受賞しています 翻訳を通じて世界でも広く読まれ、毎年のようにノーベル文学賞の候補だと騒がれています。この作品は2013年4月に文芸春秋社から単行本として発売されましたが、当時 神保町の三省堂に山積みになっていたのを覚えています

 

          

 

多崎つくるは鉄道の駅をつくる仕事に就いている。名古屋での高校時代に4人の男女と完璧な親友関係を築いていたが、大学2年の夏休みのある日、突然4人から何の説明もなく絶縁を申し渡される つくるには思い当たる節はない。いつ死のうかと悩みながら毎日を生きて来たが、30代半ばに達したつくるは新しい恋人・沙羅と出逢い、彼女に促されて4人に会って過去に何があったのかを追及することを決心する

なぜ「色彩のない」多崎つくるなのかというと、4人の親友の名前が赤松慶、青海悦男、白根柚木、黒埜恵里と、全員の名前に「色」が含まれているのに、つくるだけが名前に「色」が含まれていないからです もう一つは、つくるの次のような自己分析です

「自分の中には根本的に、何かしら人をがっかりさせるものがあるに違いない。色彩を欠いた多崎つくる 結局のところ、人に向けて差し出されるものを、おれは何一つ持ち合わせていないのだろう。いや、そんなことを言えば、自分自身に向けて差し出せるものだって持ち合わせていないかもしれない

さて、この作品は、タイトルにある「巡礼の年」が示すように、フランツ・リストのピアノ曲集「巡礼の年」の中の「第1年:スイス」の第8曲「ル・マル・デュ・ペイ」が重要なモチーフとして何度も登場します 作中のつくるの言葉を借りれば「Le Mal du Pays フランス語です。一般的にはホームシックとかメランコリーといった意味で使われますが、もっと詳しく言えば、『田園風景が人の心に呼び起こす、理由のない哀しみ』。正確に翻訳するのはむずしい言葉です」というものです

いま私の手元にこの作品に出てくるラザール・ベルマンによる「ル・マル・デュ・ペイ」のCDがあります(輸入盤。4枚組の1枚目)。実際にこの曲を聴いてみると、この作品の重要なモチーフとして使用する曲としては何か物足りなさを感じます 何かピンと来ないのです。どちらかと言えば、同じ「スイス」の中でも第2曲の「ワレンシュタートの湖にて」の方が、人の郷愁を誘う音楽のように思えるのです 同じ「巡礼の年」でも「第2年:イタリア」もあるし、「第3年」もあるのに、なぜ「第1年:スイス」の「ル・マル・デュ・ペイ」なのか?と疑問に思いました

 

          

 

疑問を持ちながら読み進めていくと、つくるがフィンランドに住むクロ(黒埜恵理=エリ・クロノ・ハアタイネン)に会いに行くための旅行支度を終えた、次のような場面に突き当たりました

「旅行の支度を終えたあと、久しぶりにリストの『巡礼の年』のレコードを取り出した。ラザール・ベルマンの演奏する3枚組のLP・・・・1枚目の盤をターンテーブルに載せ、二面に針を落とした。第1年の『スイス』。彼はソファに腰を下ろし、目を閉じて、音楽に耳を傾けた 『ル・マル・デュ・ペイ』はその曲集の8番目の曲だが、レコードでは二面の冒頭になっている。彼は多くの場合その曲から聴き始め、第2年『イタリア』の4曲目『ペトラルカのソネット第47番』まで聴く

この文章を読んだとき、「ああ、これか」と合点しました。なぜ著者が同じ「巡礼の年」でも、他の曲ではなく「ル・マル・デュ・ペイ」をモチーフに選んだかという理由です

CDしか知らない世代の人には分かりにくいかも知れませんが、LPレコードは表裏両面に音楽情報が刻まれているので、一面(表面)の再生が終わったら、盤をひっくり返して二面(裏面)を聴くことになります この小説では、1枚目の盤の二面(裏面)の『冒頭』に第1年「スイス」の第8曲「ル・マル・デュ・ペイ」が入っていることになります LPレコードを聴きなれた人なら分かってもらえると思いますが、一面にしても二面にしても、盤の冒頭の曲というのは強く印象に残るものなのです。同じ盤を繰り返し聴く場合はなおさらです その意味で、著者はLPレコードの二面の『冒頭』に刻まれたこの曲が、「ル・マル・デュ・ペイ」という標題の意味も含めて強く印象に残っていたのだと思います。さらに言えば、それに加えて、著者にはこの曲をめぐる大事な思い出があったのかも知れません。もちろん、これは私がそう思っただけの話です

この小説を読んでから、リストをよく聴くようになりました この作品が単行本で発売された時にはラザール・ベルマンの演奏によるCDが爆発的に売れて品切れの店が相次いだそうですが、私はベルマンに対してはあまり良い印象は持っていなかったので、あえて買おうとは思いませんでした その昔、リストの「超絶技巧練習曲集」のLPを持っていましたが、あまりにも「バリバリ」弾くので、反って反発を覚え、敬遠していました

今、CD4枚組で聴くリストの曲は1977年と1980年の録音による演奏ですが、「バリバリ」という感じはまったくありません。夜、本を読みながら静かに聴いています 

村上春樹の作品の多くは、一定のリズムで音楽が静かに流れているようで好きです

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沼尻竜典+小林美樹+東京交響楽団でブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」他を聴く

2016年02月17日 07時51分49秒 | 日記

17日(水)その2。よい子は「その1」から見てね。モコタロはそちらに出演しています

昨夕、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで東京交響楽団のコンサートを聴きました これは「2016都民芸術フェスティバル」の一環として開かれたものです。プログラムは①ワーグナー「楽劇”ニュルンベルクのマイスタージンガー”前奏曲”」、②ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」、③ブラームス「交響曲第1番ハ短調」で、②のヴァイオリン独奏は小林美樹、指揮は沼尻竜典です

沼尻竜典は1990年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、現在リューベック歌劇場音楽総監督、びわ湖ホール芸術監督を務めています 一方、小林美樹は2011年10月、5年に一度ポーランドで行われる第14回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで第2位に入賞しています

 

          

 

自席は2階B列3番、左ブロック左通路側席で、2階席では比較的ステージに近い位置にあります。会場はほぼ満席状態 ステージの後ろを見上げると、東京芸術劇場が誇るパイプオルガンの「バロック面」が威容を誇っています 現代音楽の時は180度回転して「モダン面」になります

コンマスの水谷晃をはじめ楽員が配置に着きます。オケは、左奥にコントラバス、前に第1ヴァイオリン、右にチェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります 指揮者・沼尻がいつものように指揮棒を持たずに登場し、さっそく1曲目のワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲の演奏に入ります ワーグナーにしては珍しい喜劇の前奏曲です。ワーグナーの場合、歌劇は序曲、楽劇は前奏曲でしたね

ブラスセクションの分厚い音が気持ち良く会場に鳴り響きます この前奏曲を聴くと、やっぱりワーグナーは金管楽器が大きな要だな、と思います

第1ヴァイオリンの位置が後ろにずれて、ソリストを指揮台の脇に迎えます。小林美樹がグリーンのドレスで颯爽と登場し、ステージ中央でスタンバイします 2曲目はブルッフの「ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調」です ブルッフは1838年~1920年、ブラームスは1833年~1897年です。ドイツの二人の作曲家はほぼ同時代を生きていたと言えます このヴァイオリン協奏曲を聴けば分かるように、ロマンティックな曲想はブラームスに通じるところがあります

小林美樹は、かなりヴィブラートをかけて美しい音を奏でます。あまり多用すると嫌味になってしまいますが、彼女はそうはなりません。自然に音楽が流れます プログラムには何も書かれていませんが、彼女の弾いているのはストラディヴァリウスではないでしょうか?小さな音でも力のある美しい音が遠くまで飛んでいきます 彼女の演奏を見ていて思ったのは、まだ若いけれど 随分貫禄が出て来たな、ということです 実に素晴らしい演奏でした

4回目のカーテンコールで、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」から「スケルツォ」を超絶技巧で弾き切りました

 

          

 

休憩後はブラームスの「交響曲第1番ハ短調」です 良く知られたことですが、ブラームスはベートーヴェンの9つの交響曲を過度に意識して、なかなか交響曲を作曲する決断が下せませんでした 重い腰を上げて第1番を作曲し完成させたのは彼が43歳の時でした 「ハ短調」はベートーヴェンの第5番「運命」の調性です

第1楽章の冒頭は、ティンパ二の連打が印象的です。たしか51回叩くのだったと思います。いつものことですが、全楽章を通じてフルートの甲藤さち、オーボエの荒絵理子の演奏には聴き入ってしまいます 最後の第4楽章の終盤では、沼尻はクライマックスに向けてオケを煽り立て、苦悩を乗り越えた”歓喜のフィナーレ”を飾ります

この日のプログラムは3曲とも”ドイツもの”ということで共通していましたが、一番印象深かったのは小林美樹のヴァイオリンでした

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シュールな世界「さよなら、人類」「人生スイッチ」を観る~ギンレイホール

2016年02月17日 07時26分54秒 | 日記

17日(水)その1。わが家に来てから507日目を迎え、狭い隙間を通り抜けて向こう側に行こうとするモコタロです

 

          

           向こうに行きたいけど行けない  道路工事じゃなくて袋小路?

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「ビーフシチュー」と「生野菜とワカメのサラダ」を作りました 見た目はカレーライスと変わらないですね

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、神楽坂のギンレイホールで「さよなら、人類」と「人生スイッチ」の2本立てを観ました 「さよなら、人類」は2014年スウェーデン・ノルウェー・フランス・ドイツ合作映画で、第71回ヴェネチア国際映画祭 金獅子賞(グランプリ)受賞作品です

 

          

 

面白グッズを売り歩くパッとしない中年サラリーマン・コンビのサムとヨナタンは行く先々で様々な人生と出会う 最初のエピソードはワインの栓を抜こうとして心臓発作で死んでしまう男とそんな夫の悲劇に気が付かない妻の話 次いで、臨終の床で、宝石の入ったバッグを頑なに離そうとしない老女の話 そうかと思うと、なぜか現代のバーに立ち寄るスウェーデン国王率いる18世紀の騎馬軍の話など、何をやってもうまくいかない人たちの39のエピソードをオムニバスで映し出していきます

二人が売る面白グッズというのは「ドラキュラの牙」「笑い袋」「歯抜け爺のゴムマスク」なのですが、これがちっとも面白くない 映画を観ているわれわれ聴衆からも笑いは起こらない。みな「こんなアナクロニズムの極致を象徴するようなグッズが売れるわけがない」と思っているのです その裏で、それを売ることに生活をかけている二人に同情させられているのです

39の小さなエピソードから成りますが、観ていて感じるのは「ブラック・ユーモア」、あるいは「不条理」です 昔 英国BBCが作った「モンティパイソン」のようでもありますが、あんな暴力的ではない  各エピソードは「だから どうしたのよ?」と言いたくなるのですが、答えがない。そういう意味でシュールです 私は、こういうの決して嫌いではありません       

2本目の「人生スイッチ」は2014年アルゼンチン・スペイン合作映画です 

 

          

 

ある日飛行機に乗ったら乗客全員がある共通の人物と関係があることが判明する まさか、こんな偶然があるのだろうか、と疑問に思っていると、飛行機が乗っ取られていることが分かる 果たして乗客の運命は・・・(おかえし)

女性がドライブインのレストランで給仕をやっていたら、昔の親の仇が立ち寄った 女主人は、復讐の絶好のチャンスだから料理に殺鼠剤を混ぜてしまえと言う 女性が知らないうちに女主人が料理に毒を盛ってしまう。女性が怖くなって男から料理を払い落とすと、男は怒る。すると女主人が包丁を持ってきて男を刺す(おもてなし)

ノロノロ運転のボロ車を追い越すとき「邪魔なんだよ」と罵声を浴びせた数分後、自分の車がエンストで止まってしまう タイヤ交換しているうちに、ボロ車が追い着いてきて、エンストした車の窓ガラスを割ったり屋根に上って小便をしたり、嫌がらせを始める お互いに反撃を加えている間に、2台の車は道から外れて川に落ちる寸前まで行く。一方がガソリンに火を点けたため二人はマルコゲの死体で発見される 警察官曰く「痴情のもつれでしょうかねえ」(エンスト)

いつどこでも車がレッカー車で持っていかれる男が、最後に取った手段は車に爆発物を仕掛けておくことだった 彼は建物解体の専門家だった。彼は刑務所でヒーローになる(ヒーローになるために)

息子が人をひき殺してしまった 父親は、使用人に罪をかぶるよう金で交渉する。弁護士も顧問料以外の特別料金を要求する。すると使用人は金額の増額を要求する どんどん吊り上がる金額に、父親は嫌気がさし愚息に自首するように言う。結局、使用人は罪をかぶることになり、カメラのフラッシュの炊かれる外に出るが被害者の身内から頭を殴られる(愚息)

結婚式に新郎の浮気相手が出席していることが分かり、新婦は怒って会場を出ていってしまう 屋上まで上がると料理人が慰めてくれたので、その気になってしまう。それを目撃した新郎は気分を害するが、新婦が、新郎の財産をもらうため絶対結婚して別れない、とうそぶくので吐き気を催す しかし、会場に戻った二人は結局仲直りすることに(ハッピー・ウェディング)

最後の「ハッピー・ウェディング」では、結婚式のパーティーで、ヨハン・シュトラウスの「美しく碧きドナウ」に合わせてワルツを踊るシーンがありました

以上6つのエピソードから成りますが、「あの時、押してはいけないスイッチを押してしまったために、とんでもないことになってしまった」という物語を描いています。この映画も「ブラック・ユーモア」を感じます

 

          

 

一連のエピソードを観て、一番「こんな時スイッチを入れたら大変なことになるぞ」と思ったのは、「エンスト」です。自分で蒔いた災難の種は自分に戻ってくるということです。そうしたことが、面白可笑しく学べる映画として傑作だと思います

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新日本フィルから「2016/2017シーズン」への会員継続案内届く~検討を開始

2016年02月16日 07時01分43秒 | 日記

16日(火)。最近 毎日の寒暖差が激しいですね 私はすでに風邪を引いてしまいましたが、風邪を引かないように毎日うがいと手洗いを励行しましょうね 

昨日は、午前中に「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン」のチケット代と「読響アンサンブル」の年会費をコンビニ経由で振り込みました システム上、チケットを1枚ずつ現金決済していくのですが、何しろ「チェンバーミュージック~」が15枚分あるので、2つあるレジの1つを長時間独占してしまい お店と他のお客様にご迷惑をおかけしてしまいました 深く反省しております ということで、わが家に来てから506日目を迎え、うがいも手洗いも必要のない気楽なモコタロです

 

          

                     気軽なんてとんでもないっす 食べていくのがやっとっす 

 

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「鶏の手羽元と大根の煮もの」と「生野菜とワカメとシラスのサラダ」を作りました 鶏肉を買ってきてから、レシピにあるのは「鶏の手羽元」ではなく「鶏の手羽先」であることに気が付きました。が、アフター・フェスティバル(あとの祭り)です いいでしょ?食べる分には同じようなものでしょ

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

新日本フィルから「2016/2017シーズン」への会員継続案内が届きました ダニエル・ハーディングとインゴ・メッツマッハーが退き、今年9月から上岡敏之が新音楽監督になる初めてのシーズンです 彼は現在ドイツのヴッパータール市立歌劇場インテンダント兼音楽総監督(~2015/2016シーズン)で、2016/2017シーズンからコペンハーゲン・フィルのチーフコンダクターに内定しています

 

          

 

新年度のパンフレットを開いてまず目に入るのは、宝石の名前を冠するシリーズ名が付けられたことです。トリフォニー・シリーズは「トパーズ」、サントリーホール・シリーズは「ジェイド(翡翠)」、アフタヌーン コンサート・シリーズ(従来の新クラシックへの扉)は「ルビー」となっています。私にとって、シリーズの名前はどうでも良いことですが、楽団側としては会員獲得のため いろいろと工夫を凝らしているのでしょう

まず、トリフォニー・シリーズですが、全8回の公演で次のようなラインナップになっています

 

          

          

          

 

ひと目見て分かるのは、マーラーの曲が1つも入っていないことです クリスチャン・アルミンク、ダニエル・ハーディングの時代に一通りマーラーは演奏し尽くしたということでしょうか 個人的には非常に残念です 8公演の中で面白いと思うのは10月のドヴォルザーク「スターバト・マーテル」、来年6月のハイドン「オラトリオ”天地創造”」、7月のサン=サーンス「ピアノ協奏曲第5番”エジプト風”」です

演奏者では、9月の公演でモーツアルト「ピアノ協奏曲第27番K595」を弾くアンヌ・ケフェレックが魅力的です

次にサントリーホール・シリーズですが、同ホールが2017年2月~8月の間ホール改修工事のため使用できないため、全8回の公演のうち同ホールでの演奏は9月から1月までの5公演で、残り3公演はオーチャードホールまたは東京オペラシティコンサートホールでの演奏となります ラインナップは次の通りです

 

          

          

          

 

このシリーズでも、マーラーの曲は1つも入っていません  大曲という意味では、来年5月公演でブルックナー「交響曲第3番」が取り上げられるくらいです

次に、これまで「新クラシックへの扉」と呼んでいた「アフタヌーン コンサート・シリーズ」ですが、トリフォニーホールで次の全8公演が予定されています

 

          

          

          

 

このシリーズはもともとマーラーは取り上げられていません 曲目で面白そうなのは来年5月のぺキネル姉妹によるプーランク「2台のピアノのための協奏曲」です 演奏者では2月の公演でヴァイオリンを弾くレイ・チェンが良いと思いますが、「メンコンよ、またしてもお前か!」という感じです

さて、私は前年度までトリフォニー・シリーズ会員だったのを、マーラーの曲が多いという理由で今年度サントリーホール・シリーズに鞍替えした経緯があります それが次年度はどのシリーズも1曲もマーラーがないプログラミングになっているのです 新日本フィルは長い間会員になっており、他のオーケストラよりも演奏者の顔と名前が一致する数が一番多いオケだけに愛着があります しかし、どうしても聴きたいという曲があまりないというのは辛いところがあります

ここは冷静に、他のオケのプログラム・出演者とも比較しながら慎重に検討して、会員継続するかしないか、継続するならランクをどうするか、といったことについて結論を出したいと思います

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原田美枝子主演「青春の殺人者」「絵の中のぼくの村」を観る~トークショーに出演も

2016年02月15日 07時27分51秒 | 日記

15日(月)。東日本大震災の起こった年(2011年)2月15日にこのブログを立ち上げ、今日で丸5年が経ちました。月日の流れは速いものです 最初の1年間は登録読者が2人でしたが、その後 毎日休まず継続してきたこともあってか、年々増え続け、現在では765人に達しています これも当ブログをご覧いただいている皆さまのお陰です。あらためてお礼を申し上げます。これからもtoraブログをご愛読くださるようよろしくお願いいたします 

ということで、わが家に来てから505日目を迎えたモコタロが 口上 を述べます

 

          

            読者が増えたのは ぼくの登場が大きいと思うよ これからもよろしくね!

 

  閑話休題  

 

いつもはテレビを観ないのですが、昨夜たまたまEテレを点けたら午後9時から「クラシック音楽館」を放送していて、シャルル・デュトワの指揮でN響がマーラーの交響曲第3番ニ短調を演奏していました 昨年12月11日にNHKホールで開かれたN響定期演奏会の録画でした。コンマスは昨年4月から1年契約でコンマスになった伊藤亮太郎です。弦楽器を見ると左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという態勢です。デュトワは対向配置はとらなのですね。コンマスの対面にはチェロの首席・向山佳絵子が構えています

画面に大写しになるデュトワの顔を見て「今までの人生の悲喜こもごもが 顔の皺に刻まれているなぁ」と思いました。別の言葉で言えば「デュトワも随分歳をとったなぁ」ということです。ところで、演奏が終わってから デュトワは コンマスより先に向山佳絵子に握手を求めていませんでしたか? よほどデュトワは彼女に信頼を置いているのでしょうね

マーラーの交響曲の中で一番好きなのは第3番です。これまで十数種類のCDを聴き比べてきましたが、マイ・ベストはクラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルによる演奏です。とくに最後の第6楽章は天上の音楽が聴こえます

 

          

 

ところで、昨日はバレンタイン・デーでした。娘からGODIVAのチョコをもらいました 日頃の夕食作りに対する感謝の気持ちでしょうかねぇ?  そういうことにしておこう

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で原田美枝子主演映画「青春の殺人者」と「絵の中のぼくの村」の2本立てを観ました 「青春の殺人者」は、長谷川和彦監督による1976年のデビュー作です。この映画で原田美枝子が日本映画優秀賞を受賞しています

 

          

 

22歳の斉木順(水谷豊)は成田空港近くで親から与えられたスナックを経営している 幼馴染のケイ子(原田美枝子)が店を手伝っている。順の両親は身持ちの悪いケイ子と別れろと迫っている 母親(市原悦子)が外出中に、父親(内田良平)と口論になり刺し殺してしまう そこに母親が帰ってくるが、最初は狼狽えていた母親だったが、時効が来るまで事件を隠して肝を据えて二人で暮らそうと言い出す。そこで、ケイ子と別れろと迫る母親を刺し殺してしまう そして二人を海に沈める。スナックに戻った順はガソリンを撒いて火を付け店を燃やしてしまう しかし、死にきれない順は、そこへ訪ねて来たケイ子とともに外に逃れ、ケイ子から離れた順は一人トラックの荷台に乗り、去っていく

映画の後で「トークショー」があって原田美枝子さんが当時の思い出を次のように語っていました

「当時は17歳の高校生で、学校から帰ってくると電車で成田に行って撮影して、また帰ってきて寝て、起きて学校に行って、というハードな生活をしていた 長谷川監督を含めて、出演者、スタッフの平均年齢が若く何が起こるか分からない雰囲気があった 撮影の終盤などはとにかくお金(制作費)が無くて、弁当も出なかった 最後にスナックが激しく燃えるシーンがあるが、警察にも消防にも無届けで、道路の交通渋滞も消防自動車の出動もシナリオにはなく、ゲリラ的な撮影によるものだった

現在ではとても考えられない撮影風景ですね この時の原田美枝子は17歳というだけあって、初々しさがいっぱいです。どちらかというと 幼いと言った方が相応しいかもしれません 

映画の前半は順が両親を殺すシーンが続くので、気分を悪くした観客が席を立って外に出るということもありました 水谷豊が迫真の演技ですが、もっと恐ろしいのは母親役の市原悦子です。その冷静さがとても怖いです

 

          

 

2本目の「絵の中のぼくの村」は、東陽一監督による1996年の作品です。原田美枝子が日本映画優秀賞を受賞しています

 

          

 

初めて合作する絵本の打ち合わせのため、絵本作家の田島征三が双子の兄・征彦のアトリエを訪ねるところから物語が始まり、二人の思い出が描かれる

昭和23年、高知県の田舎村で、絵が好きで悪戯好きな双子の征三と征彦は、教師をしている母親と、家に滅多に帰らない父親、思春期の姉とともに自然に恵まれた環境の中で暮らしている 川でナマズを取り、ウナギを取るための仕掛けを作り、鳥を取るための罠を作る 時に他人の畑を荒らしたりして母親が農家に詫びに行く事態になる いつも一緒の二人だったが、扁桃腺の手術は別々だった。あの当時の川も村も今では二人が描く絵の中にしかない

この映画で見る原田美枝子は円熟期を迎えた大女優という感じです 落ち着いていて大人の美しさがあります

トークショーで原田美枝子さんは、この映画の思い出を次のように語っていました

「撮影当時、35歳から36歳になる時で、自分自身も映画の役の様に3人の母親という立場だった 監督から出演のオファーをもらってから1週間悩んだが、引き受けることにした 暑いさなか監督からスタッフまで本当に良くやってくれたので、出演して良かったと思っている この作品はベルリン映画祭銀熊賞を受賞し、監督、2人の子役とともに授賞式に出たが、2人の子役がステージに上がると物凄い歓迎の拍手が起こった 子供たちは「グーテンターク」とドイツ語であいさつしたりしたので おさら人気者になった ところで、昭和23年当時の風景を撮るのには苦労があった。映画は1996年、今から20年前の制作だったが、その当時すでに、電柱がない一本道を撮影するのさえ難しかった。そういう風景は探しても見つからなかった

原田美枝子さんのトークショーは14時半から40分間、満席の中、ステージの中央で行われました 青緑のワンピース姿の原田さんに毎日新聞の鈴木隆記者がインタビューする形で進められました 鈴木記者から「女優としての転換期を迎えるような作品があると思う。それまでの役柄とは異なる傾向の役柄をオファーされることがあったと思うが、どういう作品が転換期となったか?」と質問され、

「20代では黒澤明監督の『乱』がそうだったし、30代ではまさに『絵の中のぼくの村』がそうだった 同じような役しかオファーがないということは、本人が変わらないからだと思う。違う役をやりたいのなら、自分自身が変わらなければならないと思う

と語っていたのが印象に残りました

 

          

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寺島しのぶ主演「キャタピラー」「赤目四十八瀧心中未遂」を観る~新文芸坐

2016年02月14日 09時08分14秒 | 日記

14日(日)その2.よい子は「その1」から見てね

昨日、池袋の新文芸坐で「キャタピラー」と「赤目四十八瀧心中未遂」を観ました 現在、新文芸坐では「毎日映画コンクールに輝いた女優たち」というシリーズを上映していますが、その中の2本です

パンフレットには2回目の上映時間が「キャタピラー」13:50開始、「赤目~」15:55開始となっていたのが、実際に行ってみたら「キャタピラー」が30分繰り上がって13:20となっていました 私はいつも余裕をみて早めに会場に着くようにしているので十分間に合いましたが、当初の時間通りに来た人は2回目の「キャタピラー」上映が観られなかったはず 上映時間を繰り上げるのは(しかも30分も)常識では考えられません。観られなかった人に成り代わって、映画館側に猛省を促したいと思います

さて、「キャタピラー」は、若松孝二監督による2010年の作品で、寺島しのぶが女優主演賞を受賞しました

四肢を失って戦地から帰還した夫に対し戦時下の日本は「軍神」という名誉を与えた しかし、実際に手も足もない夫を”食べさせて、下の世話をして、寝かせる”妻としては、何も出来ない夫に対し「何が軍神だ」と思っている。彼女は「軍神」である夫に軍服を着せ、勲章を付け、リヤカーに載せて村中を引いて回る。それが「軍神」に対する抗議であるかのように

 

          

          

この映画は寺島しのぶがすごい。まさに体当たり演技です 「軍神」と崇められた夫に対する葛藤を見事に演じています

 

          

 

2本目は、車谷長吉原作、荒戸源次郎監督による2003年の作品です。寺島しのぶは女優主演賞を受賞しています

この映画を観たいと思ったのは、原作が車谷長吉だったからです 本当は本で読んでから映画を観たかったのですが、せっかくのチャンスなので観ることにしました

この世に居場所がないと思っている生島(大西滝次郎)は流れ流れて尼崎にたどり着いた。焼鳥屋「伊勢屋」の女主人・勢子ねえさん(大楠道代)から古いアパートを当てがわれ、串1本につき3円、1日に1000本を鶏肉に指して糊口をしのぐようになる 同じ古アパートに住む綾(寺島しのぶ)と知り合うようになり、関係を持つが、彼女は刺青師(内田裕也)の若妻だった 彼女の背中には夫が彫った刺青があった。綾は自分を連れて逃げてほしいと生島に懇願する。生島は綾とともに尼崎、天王子、赤目四十八瀧をさ迷う 二人は死にきれず大阪に戻るが、綾はひとり博多へ向かうことになる

 

          

 

生きる気力のない生島は、多分、作者の車谷長吉自身なのだろうな、と思います 彼は数年前に朝日新聞の「悩みのるつぼ」コーナーの回答者の一人でしたが、回答はいつも「人生に救いはない。愚かな自分を自覚して生きよ」といったものでした

寺島しのぶの女優主演賞は分かりますが、生島を演じた大西滝次郎の愚直で寡黙な演技が光っていました また、勢子ねえさんを演じた大楠道代は「ツィゴイネルワイゼン」の時と同様、存在感が抜群でした 

 

          

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「サントリーホールチェンバーミュージック・ガーデン」のコンサート・チケットを買う

2016年02月14日 08時08分34秒 | 日記

14日(日)その1。わが家に来てから504日目を迎え、子ども部屋のドアでたたずみ、リビングに行っておやつを食べようか、ゲージに戻って一休みしようか思案にくれているモコタロです

 

          

 

  閑話休題  

 

昨日は6月に開催される「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン」のメンバーズ・クラブ会員先行発売日でした 午前10時から受付開始ということだったので、10時ジャストにネットで15公演の予約を開始しました

 

          

 

最初に6月21日、23日、25日の「キュッヒル・クァルテットのシューベルティアーデ1、Ⅱ、Ⅲ」の3公演を押さえました 3つの公演で演奏されるのは、シューベルトの弦楽四重奏曲第9番、第12番、第13番「ロザムンデ」、第14番「死と乙女」、第15番、弦楽五重奏曲D667「ます」、同ハ長調D956です

 

          

 

次に6月5日、9日、12日、15日、18日に開かれる「クァルテット・エクセルシオ ベートーヴェン・サイクルⅠ~Ⅴ」の5公演を予約しました 5つの公演で演奏するのは弦楽四重奏曲第1番から第16番までと「大フーガ」です

 

          

 

そして、6月4日のオープニング・コンサート(チェロ:堤剛、ピアノ:野平一郎)と13日の「ノーブス・クァルテット」の公演を押さえました 4日はマルティヌー、シュ二トケ、野平一郎の各「チェロ・ソナタ」が、13日はドヴォルザーク「弦楽四重奏曲第12番”アメリカ”」、シューマン「ピアノ五重奏曲」(ピアノ:萩原麻未)が演奏されます

 

          

 

次に19日の「室内楽アカデミーファカルティの名曲選」を予約しました この公演は東京クヮルテットのメンバーだった池田菊衛と磯村和英のほか、チェロの毛利伯郎、ピアノの若林顕らがベートーヴェン「ピアノ四重奏曲」、フランク「ピアノ五重奏曲」他を演奏します

 

          

 

最後に、6月10日と24日の「Enjoy!ウィークエンド」公演、17日と22日の「Enjoy!ディスカバリーナイト」公演を押さえました 10日はシンガポールのヨン・シュー・トー音楽院とサントリーホール室内楽アカデミーとのコラボによる3時間のマラソン・コンサートです 24日はキュッヒル・クァルテットによるシューベルトの弦楽四重奏曲の抜粋が演奏されます

17日はメシアン「世の終わりのための四重奏曲」がピアノの萩原麻未ほかにより演奏されます 22日はギターの大萩康司ほかによりヴィヴァルディ「ギター協奏曲ニ長調」他が演奏されます

 

          

 

このシリーズで有難いのは、多くの公演で「指定早割」があることです 例えば「クァルテット・エクセルシオ ベートーヴェン・サイクル」では、1公演4,000円のところ、指定早割は2,500円です。全5公演では20,000円のところ12,500円となり、超お得です

私の場合「コンビニ決済」を選んでいますが、支払い期限が16日(火)なので、それまでに支払わないと予約が無効になってしまいます。何とかしなくっちゃ

さて、昨日は「読響アンサンブル・シリーズ」の読響会員先行発売日でもありました 6月から来年1月まで全4公演ですが、年間会員券は12,800円です。「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン」の15公演の予約が済んでから すぐにネットで予約しました 現在の席は通路側ではないのですが、今回は申し込みが早かったせいか現在の席より前方の通路側席が確保できました

 

          

 

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カンブルラン+読売日響でマーラー「交響曲第7番ホ短調」他を聴く

2016年02月13日 08時24分11秒 | 日記

13日(土)。一昨日、上野にコンサートを聴きに行ったとき、上野公園で「寒桜」が咲いていました。いま思い出したのでここに掲載しておきます

 

          

 

数日前から左手がすごく痛みます 最初のうちは手の平だったのが、今では腕が痛みます 昨年末から今年にかけて、どうも手の負傷に悩まされる運命のようです。パソコンを打つのも若干辛いところがあります。早く治ればよいのですが ということで、わが家に来てから503日目を迎え、相変わらず狭いスペースで後ろを警戒するモコタロです

 

          

          

  閑話休題  

 

昨日は、夕食に「キャベツとソーセージのスープ煮」、「生野菜とスモークサーモンとシラスのサラダ」を作りました。左腕が痛いので超簡単手抜き料理です

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨夕、サントリーホールで読売日響第555回定期演奏会を聴きました プログラムは①モーツアルト「セレナード第13番ト長調K525”アイネ・クライネ・ナハトムジーク”」、②マーラー「交響曲第7番ホ短調」で、指揮は読響常任指揮者シルヴァン・カンブルランです

 

          

 

コンマスは長原幸太。オケは左から第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン、その後ろにコントラバスという態勢をとります。同じ対向配置でもヴィオラとチェロの位置が独特です

1曲目のモーツアルト「セレナード第13番」はモーツアルト自ら『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』と名付けたお馴染みの曲ですが、日本語で言えば「小夜曲」です 何の予備知識もなしでこの曲を聴けば、何と明るく喜びに満ちた曲だろうかと思うところですが、実は、父レオポルトの死後2か月しか経たないうちに作曲されました カンブルランは軽快に弦楽合奏を進めます

 

          

 

休憩後はマーラーの「交響曲第7番」です この曲は5つの楽章から成りますが、第2楽章と第4楽章に「夜曲」というタイトルが付けられているところから、通称「夜の歌」という愛称で知られています

第1楽章「ゆっくりと(アダージョ)~アレグロ・リゾルート、マ・ノン・トロッポ」が長い序奏で始まります この曲を聴いていつも思うのは、「どこか捉えどころのない、音楽の縦と横をそろえるのが非常に難しい曲ではないか」ということです 素人考えですが、指揮しにくく演奏しにくい曲ではないか、と思うのです。第3楽章「スケルツォ」は不気味です。まるで幽霊が踊っているような音楽です 一転、第4楽章は、マーラーが名付けた通りの「夜の歌」つまりモーツアルトの曲名を借りれば「ナハトムジーク」です。ヴァイオリン独奏はセレナーデのような甘いメロディーを奏で、ギターとマンドリンも顔を出します

さて、問題は最後の第5楽章「ロンド・フィナーレ」です。第4楽章までの静かで不気味でロマンティックな”夜”の雰囲気を一掃するかのように、ティンパ二の連打がさく裂します そしてホルンとトランペットが、まるで勝利のファンファーレのように高らかに鳴り響きます

この曲を作曲している当時、マーラーはウィーン宮廷歌劇場総監督であり、アルマとも結婚したばかりの、いわば公私ともに絶好調の時期でした その意味では、このフィナーレは人生の勝利宣言と受け取れないこともないのですが、私にはどうもしっくりきません この曲は1908年に作曲者自身の指揮により初演されました。当時の聴衆の理解は得られず成功を収めることは出来なかったと言われていますが、何となく分かるような気がします マーラーの全交響曲の中で最も分かりにくいのが第7番ではないか、と思います

「どうもしっくりこない」という気持ちを突き詰めていくと、私の頭の中にある基準となる演奏としてオットー・クレンペラーの指揮による第7番の演奏が大きく立ちはだかっています 一度でも彼の指揮による第7番の最終楽章を聴いたことがあれば、今にも止まりそうな超スローテンポに驚いたはずです あの演奏では、とても”勝利のファンファーレ”どころではなく、むしろ、”葬送行進曲”のようです。いったいどっちの解釈が正しいのか・・・・と疑問が出てきます。それが「しっくりこない」理由になっているのです

カンブルラン+読響は渾身の演奏でしたが、私としては、曲に対する解釈が整理出来ないままフィナーレを迎えてしまったような気がします

 

          

 

休憩時間に、当ブログに時々コメントを寄せてくださるNさんから「遅ればせながら退職祝いとして」ということでコーヒーセレクションをいただきました Nさんとは休憩時間にホワイエで待ち合わせをしましたが、モーツアルトの演奏が終わってすぐにホワイエに行くと、すでにNさんがそこに立っていました。Nさんの最初のひと言は「モーツアルトいかがでしたか?」でした。遅刻して1曲目が聴けなかったのです

コーヒーを飲みながらしばしお互いの近況報告をしました。NさんはN響の会員であることは知っていましたが、読響の会員でもあることは初めて知りました N響と読響の会員は客層が違うとか、渋谷のオーチャードホールはあまり音響が良くないとか、そういった話をしているうちに あっという間に休憩時間が終わってしまいました 私はいま風邪気味なので、体調が回復したら飲みに行きましょう と約してそれぞれの席に戻りました

Nさんからいただいたのは、Nさんの知人が脱サラして立ち上げた「ブロワ珈琲焙煎所」(千葉県館山市)のコーヒーで、箱を開けたら「コロンビア ウイラティピカ」など5種類のコーヒーが入っていました コーヒーは大好きですが、当分買わなくても5種類の美味しいコーヒーが飲めそうです それはそうと「ブロワ珈琲焙煎所」って たしかどこかで見たことあります。結構その方面では有名なのでは? 

Nさん、ありがとうございました。大事に飲ませていただきます

 

          

 

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東京藝大チェンバーオーケストラ第26回定期演奏会を聴く~指揮者なしで

2016年02月12日 07時31分13秒 | 日記

12日(金)。昨日はまだ風邪が抜けきれず体調不良だったので午前中はベッドに寝転んで、クララ・ハスキルの弾くモーツアルトのCDを聴きながら新聞や本を読んで静かに過ごしました 午後コンサートがあるので体力を温存しておこうというわけです ということで、わが家に来てから502日目を迎え、狭いところで委縮するモコタロです

 

          

               おいらは 狭いところが好きなんだよ

 

  閑話休題  

 

ということで、昨日は午後3時から上野の東京藝大奏楽堂で東京藝大チェンバーオーケストラ第26回定期演奏会を聴きました プログラムは①メンデルスゾーン「弦楽のためのシンフォニア第10番」、②モーツアルト「フルート協奏曲第1番ト長調K313」、③メンデルスゾーン「交響曲第4番イ長調”イタリア”」です 演奏は、フルート=高木綾子、管弦楽=東京藝大チェンバーオーケストラで、指揮者なしでの演奏です

 

          

 

全自由席ですが、開場時間の2時半には長い行列が出来ていました。それでも1階18列11番、左ブロック右から2つ目の席を確保できました 祝日の昼間で入場料が1,500円とあって老若男女を問わず文字通り満席状態です

1曲目のメンデルスゾーン「弦楽のためのシンフォニア第10番」は、作曲者が12~15歳の間に作曲した12曲のシンフォニアの中の1つです お大臣のメンデルスゾーン家では、その頃、隔週日曜日に「日曜音楽会」が開かれており、そこで初演されました

弦楽奏者のみ25人が登場します。ヴァイオリン・セクションは立って演奏します。男子学生はヴァイオリンとヴィオラに各1人、チェロとコントラバスに各2人の計6人のみです。コンサートミストレスは武田桃子さんです

コンミスの合図でアダージョの序奏から入りますが、メンデルスゾーンらしい躍動感あふれる音楽に移ります 若い演奏家たちによる若きメンデルスゾーンの作品の溌剌とした演奏で、とても良かったと思います

2曲目はモーツアルトの「フルート協奏曲第1番ト長調K313」です この曲は1777年の年末にマンハイムに滞在した時に、フルート愛好家の裕福なオランダ人医師フェルディナント・ドジャンからフルート協奏曲3曲とフルート四重奏曲2曲の作曲を依頼されたうちの1曲です モーツアルトはその当時 音程が不安定だったフルートを良く思っていなかったようで、ドジャンの要求すべてに応えることが出来ませんでした もっとも、旅先でアロイジア・ウェーバーに熱を上げて作曲に身が入らなかったことも原因の一つと考えられているようです(結局彼はアロイジアに振られて、その妹のコンスタンツェと結婚することになるのですが)。

ホルン、フルート、オーボエが各2人が加わります。高木綾子が空色のステージ衣装で登場、後ろを振り返って第1楽章の冒頭部分を指揮し、会場の方を振り返ってフルートの演奏に入ります モーツアルトってなんて軽やかなんだろう、と思います。高木綾子による終盤のカデンツァは鮮やかでした

 

          

 

休憩後は、メンデルスゾーンの「交響曲第4番イ長調”イタリア”」です コンサートミストレスが三輪莉子さんに代わります。この人はどこかで見たことがあると思ったら、1月11日に上野学園石橋メモリアルホールで開かれた「プロジェクトQ・第13章」でモーツアルトの「弦楽四重奏曲第22番変ロ長調」を弾いた「クァルテット・ジョイア」のメンバーです。ということは彼女は藝大の大学院生です

同じメンデルスゾーンでも「交響曲」を指揮者なしで演奏するというのは、どんなものでしょうか しかも学生オーケストラが

クラリネット、トランペット、ファゴット、そしてティンパ二が加わりフル・オーケストラの形をとります。三輪さんの合図で第1楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」が開始されます 冒頭からイタリアの明るい空が広がるような爽やかな演奏が展開します。一転、第2楽章は厳かな雰囲気を醸し出します。そして、第3楽章は弦楽合奏が美しいメヌエットです 第4楽章は激しく踊り狂うようなプレストです。メンデルスゾーンはこの楽章を「今まで作曲したもののなかで最も愉快な曲」と姉宛の手紙に書いています

メンデルスゾーンの曲は、この曲や弦楽八重奏曲などのように、前へ前へと前進する推進力の魅力に溢れていますが、この日の指揮者なしでの藝大チェンバーオーケストラの演奏は、若さ溢れる素晴らしい演奏でした

若者たちはアンコールに第4楽章のプレストを演奏し、満場の聴衆から拍手喝さいを浴びました

 

          

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