人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

東京シティ・フィル「ドイツ音楽の神髄! 飯守泰次郎のワーグナー」を聴く~フェスタサマーミューザ

2016年08月11日 07時33分02秒 | 日記

11日(木).わが家に来てから683日目を迎え,仲間たちとリオ・オリンピックの模様をテレビで観て 日本選手に声援を送るモコタロです

 

          

           日本選手 やる時はやるじゃん 4年後が楽しみだ(早っ!)

          

  閑話休題  

 

昨夕ミューザ川崎で東京シティ・フィルの「ドイツ音楽の神髄! 飯守泰次郎のワーグナー」公演を聴きました  これは7月23日から本日まで開かれている「フェスタサマーミューザ」の一環として開かれたコンサートです.プログラムは①ワーグナー「歌劇”ローエングリン”」から「第1幕への前奏曲」,②モーツアルト「クラリネット協奏曲イ長調K.622」,③ワーグナー「歌劇”タンホイザー”」序曲,④同「楽劇”トリスタンとイゾルデ”」から「前奏曲と愛の死」,⑤同「楽劇”ワルキューレ”」から「魔の炎の音楽」「ワルキューレの騎行」です.②のクラリネット独奏はペーター・シュミードル,指揮は飯守泰次郎です

 

          

 

午後7時からの本公演に先立って,3時から同じ会場で公開リハーサルが開かれました 最初に事務方から,リハーサルは最初にアンコール曲のワーグナー「歌劇”ローエングリン”」から「第3幕への前奏曲」を演奏し,次いで同「歌劇”タンホイザー”」序曲,同「楽劇”トリスタンとイゾルデ”」から「前奏曲と愛の死」,同「楽劇”ワルキューレ”」から「魔の炎の音楽」「ワルキューレの騎行」,最後に同「歌劇”ローエングリン”」から「第1幕への前奏曲」を演奏し,休憩後にモーツアルト「クラリネット協奏曲」のリハーサルを行う旨の説明がありました リハーサルのしょっぱなからアンコール曲を演奏する,という考え方が新鮮でした

オケのメンバーはもちろん,指揮者の飯守氏もカジュアルな服装でリハーサルに臨みます オケを見渡すと,コントラバスの首席の位置に読響の西澤誠治氏がスタンバイしています.結構ありますね,オケ同士のレンタルが コンマスは客員の松野弘明氏です

飯守氏が楽譜を抱えて登場,会場に向かって,

「みなさん,今日は暑い中ようこそお出でくださいました これから本番に向けてリハーサルを行いますが,協奏曲もあるので,喧嘩になるか,仲良くなるか,やってみなければ分かりません

とユーモアを交えて挨拶しましたが,いざ指揮をしようとして指揮棒が無いことに気が付き,

「〇〇さ~ん,指揮棒がないよ~

とステージ・マネジャーに叫びます.この場面で私は「指揮棒は指揮者が自分で持ってくるべきものではないか,あまりにも無棒だ」と思いました.さすがステージ・マネジャー〇〇さんはタクトを2本持ってきました.飯守さんは二ホン人ですから

さっそくアンコール曲の歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲を通して演奏しました 次に歌劇タンホイザー序曲を通して演奏した後,数か所オケに修正してほしい点を口頭で伝えますが,その場でやり直して演奏させることはありませんでした 飯守氏と東京シティ・フィルの深い関係ですから口頭で言えば分かるのでしょう

次に楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」の演奏に入りますが,これは途中で止めて数か所,演奏上の注意を与えました そして楽劇「ワルキューレ」から「魔の炎の音楽」と「ワルキューレの騎行」を,最後に歌劇「ローエングリン」から「第1幕への前奏曲」を通して演奏し,前半の部を終わりました ワーグナーだけで1時間半の時間を割きました.いかに飯守氏がワーグナーに重きを置いているかが伺えるリハーサルです

リハーサル後半はクラリネットのペーター・シュミードルを迎えて,モーツアルト「クラリネット協奏曲」の演奏に入ります オケの規模を縮小し,飯守の軽快なタクトで第1楽章から入ります.全体を通して演奏した後,飯守氏が何カ所演奏上の注意をしましたが,そのうち1か所について,シュミードル氏に楽譜を見せて,タクトで指摘箇所を指し示すと,シュミードル氏は「そんなこと分かってるよ」と言わんばかりの態度で軽くメロディーを吹きました それに対し,飯守氏は楽譜を譜面台に叩きつけた,ように見えました 部外者としては「ああ 指揮者とソリストのプライドを賭けたバトルが始まったな」と興味半分で見ていましたが,片や天下のウィーン・フィルの元首席奏者,片やドイツで経験を積んだ日本を代表する大指揮者,火花が散っていました リハーサルが始まる前に飯守氏が「喧嘩になるか,仲良くなるか分からない」と言っていた意味を この時初めて理解しました このバトルは本番の前兆であったことが後で分かります.たっぷり2時間半の実に興味深いリハーサルでした

 

          

 

さて本番です.1曲目はワーグナーの歌劇「ローエングリン」から第1幕への前奏曲です かすかなヴァイオリンの響きが浮遊感を感じさせます これが次第に弦楽全体と管楽セクションを巻き込んで大管弦楽に拡大していく高揚感は何とも言えません ワーグナーの中では好きな曲です.演奏を聴いていて,飯守氏が自ら芸術監督を務める新国立オペラで今年5月に振った「ローエングリン」を思い出しました

オケの規模が大幅に縮小し,2曲目のモーツアルト「クラリネット協奏曲K.622」の演奏に入ります リハーサルのバトルを引きずっているのでしょうか,シュミードルは譜面台を指揮者側でなくコンマス側に斜めに傾けて設置しています.まるで指揮者と目を合わせたくないかのようです

飯守の指揮で第1楽章「アレグロ」に入ります ソリストが途中で高音部が苦しそうな場面があり心配しました ”息苦しい”感じです.第2楽章「アダージョ」はまだマシでしたが,第3楽章「ロンド(アレグロ)」に入ると,音飛びがひどくなり,とうとう破たんしてしまいました それでも飯守+東京シティ・フィルは何とか曲を完成させなければならないので,途中で音楽を止めることなく献身的にシュミードルをサポートして演奏を続行させました

演奏が終わると,シュミードルは自分のクラリネットを手で叩き,「こいつが思うように鳴ってくれないんだよ」とでも言いたげな顔付きを見せました.日本の聴衆は優しいので,栄光のウィーン・フィルのかつてのクラリネットの名手に拍手を惜しまないのでした

私から見ると,シュミードルはリハーサルの一件を引きずって本番に臨んだのだと思います リハーサルで全体を通して演奏した時はこんなことは起こらなかったのですから,テクニック上の問題ではないと思います 私はこれほど破たんした演奏を聴いたのは今回が生まれて初めてです.コンサートは何が起こるか分かりません

 

          

 

プログラム後半は飯守泰次郎お得意のワーグナー特集です 歌劇「タンホイザー」序曲,楽劇「トリスタンとイゾルデ~前奏曲と愛の死」,楽劇「ワルキューレ~魔の炎の音楽,ワルキューレの騎行」と聴いていくと,やっぱり飯守泰次郎のワーグナーはいいなあ,と思います ホルン,トロンボーンといった金管楽器を思う存分咆哮させ,弦楽器を力の限り弾かせ,打楽器には破壊力を求めます ワーグナーの求めたもの,それは指揮者・飯守泰次郎が求めたもの,カタルシスです

お約束通り,アンコールには歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲が華々しく演奏され 万雷の拍手を浴びました

 

          

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ゲルギエフ+PMFオーケストラでショスタコーヴィチ「交響曲第8番」他を聴く/「独裁者と小さな孫」を観る

2016年08月10日 07時34分26秒 | 日記

10日(水).昨日は「猛暑~がない」ほど暑い一日でしたね 太陽が真上にある時は建物の陰が出来ないので直射日光を避けるすべがありません.太陽燦々と~ なんていい気になって歌っている場合じゃありません ということで,わが家に来てから682日目を迎え,白ウサちゃんと体操日本復活を喜ぶモコタロです

 

          

             白井くんの ひねり技 は凄いねえ! おひねり が飛んできそう

 

  閑話休題  

 

昨日,神楽坂のギンレイホールで映画「独裁者と小さな孫」を観ました これはモフセン・マフマルバフ監督による2014年,ジョージア・仏・英・独合作映画(119分)です

 

          

 

ある独裁政権国家で,ある日大規模なクーデターが勃発する 家族が海外逃亡を図る中,地位を追われた年老いた大統領は幼い孫を連れて逃亡を余儀なくされる 行く先々で住民の衣服を奪い,変装して逃亡を続ける.逃亡中,自分が大統領だと気が付かない住民が,自分のために家族が殺されたりひどい目にあったりしたと非難する声を聞くうちに,次第に人間性を取り戻していく

最後に大統領と孫が人々によって捕らえられ銃殺されそうになると,「もっと苦しませてから死なせろ.首を吊れ」「孫がひどい目にあった.孫から首を吊れ」「苦しんで死ぬように火あぶりにしろ」と叫ばれる中で,一人だけ「大統領を殺せば,負の連鎖が起こる.殺すべきではない」と主張します.しかし,それまで家族や知人がひどい目に遭ってきた住民は納得しません 映画は大統領の首をめがけて斧が振り下ろされるシーンで終わるので,大統領の命の行方は分かりません.が,孫は助かる予感があります

ところで,私が関心があるのは この映画でどんな音楽が使われているかです 映画の冒頭はきれいに飾られた目抜き通りを車が走っていくシーンが映し出されますが,バックに流れるのはヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく碧きドナウ」です また,宮殿の広間で孫が少女と踊るときの音楽は同じシュトラウスの「皇帝円舞曲」でした 孫はいずれ皇帝(大統領)になる身分ですからね

 

          

 

  も一度,閑話休題  

 

昨夕,サントリーホールで「PMFオーケストラ日本公演」を聴きました プログラムは①メンデルスゾーン「交響曲第4案イ長調”イタリア”」,②ブラームス「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」,③ショスタコーヴィチ「交響曲第8番ハ短調」です このプログラムを見たとき「これは3時間かかるな」と思いました.チラシによると②のコンチェルトが後から追加されたようです その②のヴァイオリン独奏はレオ二ダス・カヴァコス,指揮はワレリー・ゲルギエフです

PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)は故レナード・バーンスタインが1990年に札幌に創設した国際教育音楽祭で,今回が第27回になります PMFオーケストラはオーディションで選ばれた世界27か国・地域出身の20代の音楽家90人で構成されています.7月から8月の約1か月間,芸術監督ゲルギエフをはじめ,超一流の教授陣から指導を受け,演奏活動を展開します

 

          

 

今回はゲルギエフの指揮ぶりを正面から見たいのでオーケストラの後ろのP席を選びました.P6列17番,センター左ブロックの最後列です.WEBでチケットを手配する時に最前列と最後列を間違えてしまった席です.しかし,決して悪くはありません.会場はほぼ満席です

オーケストラは舞台に向かって左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,その後ろにコントラバスという態勢です.コンミスは日本人らしき女性です.ステージ上には指揮台もなければ譜面台もありません.指揮者のゲルギエフがタクトを持たずに登場します.ご存知の通り,ワレリー・ゲルギエフはマリインスキー劇場芸術監督・首席指揮者です 2015年にはミュンヘン・フィルの首席指揮者に就任,同年から6代目のPMF芸術監督を務めています

1曲目のメンデルスゾーン「交響曲第4番イ長調」は「イタリア」の愛称で知られていますが,これは作曲者が1830年10月から31年7月までイタリア各地に滞在したときの印象を音楽にしたことから名付けられたものです ゲルギエフは両手で指揮をとりますが,手の指を細かく動かして指揮をします.まるでピアノのトリルを弾いているかのような動きです こういう指揮をする人は他にいません.そうした細かな動きからメンデルスゾーンのイタリアの印象を音として紡ぎ出します ゲルギエフは,演奏に緊張感を保たせるためか,楽章間をあまり空けずに次の楽章に移ります.したがって,遅刻してきた人たちは後方の扉に釘づけされて席に着けません.しかたないですね

管楽器のメンバーが一部入れ替わり,ヴァイオリン・ソロのためのスペースが空けられ,譜面台が置かれます.さすがのゲルギエフも協奏曲では楽譜を見て指揮をするようです ギリシア出身の長身のカヴァコスが指揮者と共に登場します カヴァコスは1985年のシベリウス国際ヴァイオリン・コンクール,1988年のパガニーニ国際コンクール等で優勝している実力者です 

 

          

 

ブラームス「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」は1878年に作曲されましたが,当時の三大ヴァイオリニスト,レメーニ,サラサーテ,ヨアヒムからアドヴァイスを受けています ゲルギエフの合図で第1楽章に入り,スケールの大きな音楽が展開します カヴァコスのヴァイオリンが入ってきますが,1724年製のストラディヴァリウスが良く鳴り響きます カデンツァは泣く子を黙らせる見事な演奏でした.第2楽章はオーボエの息の長い旋律が続きますが,この演奏が素晴らしかった P席からは演奏者の後ろ姿しか見えないのですが,日本人らしき女性が吹いていました.第3楽章は情熱的なロマ風(ジプシー風)の音楽が展開します カヴァコスのヴァイオリンがますます冴えわたります

満場の拍手とブラボーに応え,カヴァコスはバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番BWV1003」から「アンダンテ」をしみじみと演奏し,聴衆を唸らせました ここでプログラムの前半が終わったわけですが,この時点で午後8時半です.しかし,これから20分の休憩に入ります.ますますオペラ並みの3時間コースに突入です

 

          

 

プログラム後半はショスタコーヴィチ「交響曲第8番ハ短調」です 彼は15曲の交響曲を作曲しましたが,このうち第7番,第8番,第9番は作曲時期が,ソ連から見ればファシズムとの闘いである第二次世界大戦と重なっていたことから 戦争3部作と呼ばれています この第8番は1943年夏という世界大戦の真っただ中に作曲され,その年の11月にモスクワで初演されました

オケは拡大してフル・オーケストラで臨みます.ゲルギエフの前には譜面台があります.ステージに登場したゲルギエフの手には短いタクトが握られています 割りばしよりも短いと思われます.さすがに1時間を超える超大作を指揮するのにはタクトによる明確な指示が要求されるのでしょう 第1楽章は,第5番”革命”の出だしに少し似ていますが,極めて暗く思い雰囲気の曲想です 終盤ではコーラングレ(イングリッシュホルン)によるソロがありますが,これが素晴らしい演奏でした 第2楽章は暴力的とでも表現できるような激しい曲想です.第3楽章はヴィオラの激しい刻みから入りますが,切羽詰まった感じの曲想です トランペットの独奏が冴えています 全体的に,ますます戦火が拡大していくような感じがします

第4楽章は暗く沈んだ葬送行進曲のような曲想です.そして最後の第5楽章を迎えます 「国家と労働者に奉仕する社会主義リアリズム」の立場から言えば,勝利の音楽ではなくてはなりませんが,フィナーレに向けて,穏やかである反面,何となく奇妙な感じのする曲想はいったい何なのでしょう まるで,ショスタコーヴィチが最後に皮肉を言っているようです 1時間にも及ぶ深刻な音楽を展開してきて,最後に「なんちゃって」と言っているような

曲が閉じて,ゲルギエフのタクトが下ろされるまで しばし会場にしじまが訪れました 物音ひとつしません.ずいぶん長い時間に感じました.ゲルギエフが力を抜くと,会場一杯の拍手とブラボーがステージを取り囲みました 演奏時間を図っていましたが,65分かかりました.終演は午後10時を回っており,まさに3時間コースでした

ゲルギエフは管楽器,打楽器を中心に立たせましたが,最後に全員で会場に一礼し,今後は後ろを振り返ってP席の方に一礼しました これは嬉しかったです.両手を上にして大きな拍手を送りました 多くのオーケストラは会場に向かって一礼をするけれど,後ろを振り返ってすることは滅多にありません 指揮者で言えばコバケンこと小林研一郎は必ずこのパフォーマンスを実行します オーケストラでは日本フィルがやるかな.これは良いことだと思うので是非,他のオーケストラもマネしてほしいと思います

なお,この曲についてはこの1週間,ベルナルト・ハンティンク指揮アムステルダム・コンサルトへボウ管弦楽団によるCDで予習してきました それが良かったと思います  こういう手ごわい曲は予習なしでは理解不能です

 

          

 

ところで,今回驚いたことがあります それは隣席(通路側)の中年男性がコンサートの最初から最後まで一度も拍手をしなかったことです こういう人を間近で見たのは40年以上にわたるコンサート人生で今回が初めてです しかも,コンサートが終わって席を立つ時,椅子の座面を上に畳まないで帰ってしまうので通路に出にくいのです.さらに椅子の下を見るとチラシの束が置きっぱなしでした どういう神経をしているのでしょう 私には理解不能です.長い間コンサートに通っていると色々な人に出会います.家でCDを聴いていたら経験できません

          

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「ゴジラ」でお馴染みの作曲家 伊福部昭著「音楽入門」を読む

2016年08月09日 08時02分35秒 | 日記

9日(火).昨日,左の奥歯に被せてあった金属が取れてしまったので,歯科医に行きました 昨年までは勤務先に一番近い歯科医に通っていたのですが,交通費が初診料と同じくらいかかるので,自宅から歩いて行けるS歯科医に14年ぶりに行きました 診療用の椅子に座る時に 目の前に設置されていたテレビ・モニターの角に 心ならずも 頭をぶつけ,モニターが傾いて画面が消えてしまいました 歯科衛生士の女性が「あら,消えちゃいましたね 大丈夫かなあ」と不安そうな声を出します.こちらも不安になって「大丈夫ですかね」と言っていると,先生が来て「モニターがいかれちゃったかもしれないなあ」と止めを刺します しかし,画面に「しばらくお待ちください」という表示が出て,テレビ番組が再び映り始めました これがホントのハイシャ復活線,なんちゃって 関係各方面には多大なご迷惑をおかけいたしました 本人になり代わってお詫び申し上げます (本人はお前だろ の声あり).

ということで,わが家に来てから681日目を迎え,相変わらず空中浮遊する白ウサちゃんと戯れているモコタロです

 

          

            茶色のカーペットの上にある茶色の丸い玉は何? ぼくの・・・

 

  閑話休題  

 

息子が高校生の時,どこかのガラス工房の体験製作で作ってきた風鈴を窓に飾りました 「風鈴の音がうるさい」という理由で事件が起こったニュースが過去にあったので,「寝る前には窓を閉めるか,風鈴を外す」と決めて取り付けました.風が吹くとチリンチリンと良い音がします 風鈴とは風流な鈴と書きますね

 

          

 

  も一度,閑話休題  

 

伊福部昭著「音楽入門」(角川ソフィア文庫)を読み終りました 伊福部昭(いふくべあきら)と言ってもピンとこない人でも映画「ゴジラ」の音楽を作った人と言えばすぐに分かるでしょう 1914年,北海道生まれ.北海道帝国大学農学部林学実科卒業といった変わった経歴の持ち主です.1935年に北海道庁の林務官として勤務する傍ら作曲した「日本狂詩曲」でチェレプニン賞第一席入賞を果たしています.アイヌなどの民族音楽を研究し独自の作風を確立,43年に「交響譚詩」を発表しました.戦後は東京音楽学校(現・東京藝大音楽学部)で教鞭をとり,芥川也寸志,黛敏郎,矢代秋雄などを育てました また,「ゴジラ」シリーズや「ビルマの竪琴」などの映画音楽を数多く作曲し,2006年に死去しました.今年は没後10年に当たります

 

          

 

この本の初版は何と65年前(1951年)で,作曲者が37歳の時に出版されました.作曲家の書いた「音楽入門」という点に照らしてこの本を読んで驚くのは,譜例を一つも用いず,文章だけで高度な音楽論を分かり易く展開しているところです この本は,第1章「音楽はどのようにして生まれたか」から第11章「音楽における民族性」まで11の章から構成されています

65年前に書かれたことから,「なんじゃこりゃ?」という単語が出てきたりします 例えば第1章「音楽はどのようにして生まれたのか」の中に,「律動」「旋律」「和声」という単語が出てきます.これは言うまでもなく,音楽の3要素「リズム」「メロディー」「ハーモニー」のことを表しています この3つの要素のうち,伊福部昭が作曲する上で最も重視していたのは「リズム」だということが分かります

第8章「音楽観の歴史」の中でバッハとヘンデルを比較していますが,興味深い分析をしています 伊福部によると,ヘンデルは「作品にむらのある作曲家で,非常に優れた作品と,あまり優れない作品とが平気で配列されています」としています それに対しバッハは「あまりに完全に出来ているのです.その作品も数多く,もし文献が不十分であったら,恐らく一人の人間によってなされた業績として考えることができ得なかったほどなのです・・・バッハの音楽は古典的,浪漫的,印象派的,形式主義的,また写実的等々すべての特徴を完全にもっているといってもいいのです」と最大限の評価を加え,後世の作曲家に大きな影響を与えて来たことを指摘しています

そうした中で,伊福部が65年前にすでに,リヒャルト・シュトラウスの誇大妄想的な音楽よりも”家具の音楽”で有名なエリック・サティのシンプルな音楽を評価していたことには大いに驚きます

この本には41年前のインタビューが新たに付け加えられていて,映画音楽の裏話が語られています  その中で「『ゴジラ』(1954年)の音楽ではご苦労なさいましたか」という質問に対して,伊福部は次のように答えています

「そうなんですね.結局 ハ虫類のでかいのが出てくるもんですから.まあ困ったんですけど,どういう風に苦しんだか今憶えていないんですよね.ただ,ゴジラの鳴き声というのは,コントラバスの絃を糸巻きから離して,皮の手袋に松ヤニをつけて引っ張る『ヴァ―』ていう音が使ってある訳です 私だけでなく擬音の人も居たんですが,何で作ってもそれらしい音が出ないですから色々怪物の声を合成しても,本来ハ虫類というのは声出さないですからね それから江戸川さんという方が今の東宝におられますけど,音を増量する不思議な機械を持っておられて,それが故障が来て,たたくとバーンバーンとなかなか良い音がするので,その音をゴジラの足音にしたんです.あれもう一度作れといわれても,出来ないですねえ

さらに,「『ゴジラ』の音楽は力強い繰り返しの音ですね」と訊くと

「そうなんですね.音っていうのは繰り返すことによってだいたい力というものが出てくるんですからね 音楽的に言えばひとつの音に沢山の楽器が集まって,セーヴというんですが,声を少なくして沢山の楽器を使い込むという,書く方の技法ですけど意識してやってます.それでないと,オルガンみたいに音を沢山分けて,いろんな楽器でいろんな音を出すと,幅は広くなるけど力は弱くなりますね

と答えています.このあたりにも伊福部の作品の秘密がありそうな気がします 私は伊福部昭の「交響譚詩」他のLPレコードを数枚持っていたのですが,探しても見つけられませんでした どこにいってしまったんだろう

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バボラーク+日本フィルでベートーヴェン「交響曲第3番」他を聴く~フェスタサマーミューザ

2016年08月08日 07時53分27秒 | 日記

8日(月).わが家に来てから680日目を迎え,未確認 未飛行物体に遭遇し,どう対処すべきか考えているモコタロです

 

          

                                君はいったい何者だ? 笑えばいいってもんじゃないぜ!

 

  閑話休題  

 

昨日,ミューザ川崎で日本フィルの「オーケストラの醍醐味 バボラークの『英雄』」公演を聴きました これは7月23日から8月11日までミューザ川崎で開かれている「フェスタサマーミューザ」の一環として開かれた公演です.プログラムは①ウェーバー「歌劇”魔弾の射手”序曲」,②クーラウ「ピアノ協奏曲 ハ長調」,③ベートーヴェン「交響曲k第3番変ホ長調”英雄”」です ②のピアノ独奏は仲道郁代,指揮はホルンの第一人者で有名なラデク・バボラークです

 

          

 

午後3時からの本公演に先立って,午前11時半から同じ会場で公開リハーサルが開かれました 2階センターブロックの前方に座りました.指揮者も楽員もラフなスタイルでリハーサルに臨みます プログラム順に最終の仕上げをするようです.ステージ中央には2曲目のピアノ協奏曲に備えてグランド・ピアノが置かれています

最初にウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲を演奏します 序盤のホルンの入りが揃いませんでした 本番では修正してくるでしょう.バボラークはホルンのスペシャリストということもあって,ホルンに演奏上の指示を出します

次いで仲道郁代がワンピース姿で登場,2曲目のクーラウ「ピアノ協奏曲」のリハーサルに入ります ピアノ椅子を見ると後ろの脚にゲタを履かせて高くしてあります.つまり演奏者は自然に前かがみになるように設置されています 演奏中,仲道はさかんに椅子の高さを調整していました.座る位置が斜めになっているので調整が難しいのではないかと思います 最初から最後まで通して演奏します

15分の休憩を挟んでリハーサル後半に入ります.今度は2階の後方の席に座りホールトーンを確認しようと思いました 第1楽章から順番に第4楽章まで演奏しますが,長い曲なので,それぞれ途中で止めて修正の指示を出し,再度演奏して次に移ります そしてもう一度,第1楽章の冒頭を演奏して切り上げました.休憩を含めて2時間のリハーサルでした

 

          

 

さて本番です.会場は8割以上は入っているでしょうか 申し訳ないのですが,日本フィルはコンマスを含めて目の前で演奏している楽員の一人も知りません.コンマスは客員だと思います

オケの態勢は左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,その後ろにコントラバスという配置をとります.バボラークがタクトを持って登場,早速ウェーバーの「魔弾の射手」序曲に入ります バボラークはタップリとしたテンポで音楽を進めます.終盤で一旦全休止がありオケが爆発するところがありますが,その休止のタイミングで,曲が終わったと勘違いした数人の聴衆が拍手をしたのは残念でした なぜ拍手を焦るのでしょうか.他の人が拍手をしてからでも決して遅くはないのに,と思います

2曲目はクーラウの「ピアノ協奏曲ハ長調」です.フリードリヒ・クーラウ(1786ー1832)はベートーヴェンとほぼ同世代の作曲家です 軍楽隊の息子としてドイツに生まれ,10歳の時に事故で右目を失明したそうです ベートーヴェンは耳の難聴でしたね.ナポレオン戦争の混乱期,24歳の時にデンマークに亡命し宮廷楽長になりピアノやフルートの作品を残したそうです このピアノ協奏曲は1810年の作曲ですが,ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番((1801年出版)の影響を受けていると指摘されています.この点について,プログラムのインタビューの中で仲道郁代が

「ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第1番』のアイディア,調性の変化など,今の時代だったら『真似した』と言われれてもおかしくないほど似ているのです

と語っています.

仲道郁代が茶系のシックなドレスで登場,ピアノに向かいます バボラークのタクトで第1楽章が開始されます.聴いていると,なるほど,ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番に似ているな,と思う箇所がいくつかあります しかし,曲想は異なります.ベートーヴェンよりも単純明快な感じを受けます やっぱり似ているな,と思ったのは第3楽章のロンドです.軽快でリズミカルな曲想はそっくりです

 

          

 

休憩後はベートーヴェン「交響曲第3番変ホ長調”英雄”」です この曲は第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」,第2楽章「アダージョ・アッサイ(葬送行進曲)」,第3楽章「スケルツォ」,第4楽章「フィナーレ(アレグロ)」から成ります

ご承知のように,この曲は当初,市民革命を進めるナポレオンを讃えてベートーヴェン(1770-1827)が1804年に作曲したのですが,ナポレオンが皇帝に即位したことを知った彼は激怒し献呈を取りやめたという曰くつきの交響曲です 第2番までの交響曲の世界を打ち破り,スケールの大きな大交響曲となっています

第1楽章冒頭はオーケストラ全体で力強い2つの和音が鳴り響いて曲を開始しますが,バボラークは調和のとれた美しい音楽を響かせることに注意を払っているように思われます 私としては,もっとメリハリを付けて力を入れて演奏してほしかったと思います ベートーヴェンは時に美しくなくても良い,なりふり構わない”前進あるのみ”のような唯我独尊的な演奏でも良いと思っています 

演奏としてはオーボエが素晴らしい そしてフルートとクラリネット

第2楽章「葬送行進曲」は,この楽章だけを取っても名曲です 昭和天皇が崩御された時,NHKーTVはN響の演奏によるこの楽章をずっと流していたことを思い出します この楽章でもオーボエが冴えわたっています.全体的に平板な音楽に,ティンパ二の炸裂がカツを入れます

第3楽章「スケルツォ」ではメリハリのある演奏が聴かれました ホルンのトリオも活躍しました.そして第4楽章「フィナーレ」を迎えます.ピッツィカートでテーマが奏でられ,変奏が続きます

この曲を聴くと,人間の一大ドラマを感じます.当初の想定がナポレオンだったからでしょう バボラーク+日本フィルはベートーヴェンの描いた一大ドラマを力強く再現しました 

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松居直美+森麻季で「真夏のバッハ~パイプオルガン・リサイタル」を聴く~フェスタサマーミューザ

2016年08月07日 08時11分15秒 | 日記

7日(日).わが家に来てから679日目を迎え,リオ五輪開会式を報道する夕刊を見るモコタロです

 

          

             始まったね ドーピングの採点が  違った!  スポーツの祭典が

 

  閑話休題  

 

昨夕,ミューザ川崎で「真夏のバッハ~松居直美パイプオルガン・リサイタル」公演を聴きました これは7月23日から8月11日までミューザ川崎で開かれている「フェスタサマーミューザ」の一環として開かれたコンサートです プログラムは①バッハ「トッカータとフーガ ニ短調BWV565」,②同「シュプラー・コラール集」より「目覚めよ,と我らに呼ばわる物見らの声BWV645」,③バッハ/グノ―「アヴェ・マリア」,④バッハ「トッカータ,アダージョとフーガBWV564」,⑤同「マタイ受難曲BWV244]より「レチタティーヴォ”あの方は良いことだけをされました”」,「アリア”愛ゆえに主は死にたもう”」,⑥同「パッサカリア ハ短調BWV582」,⑦同「フーガ ト短調(小フーガ)BWV578」,⑧ヘンデル「フーガ ホ短調 HWV429/1」,⑨同「メサイアHWV56」より「大いに喜べ,シオンの娘よ」,⑩バッハ「いと高きところでは神のみ栄光あれBWV662」,⑪同「前奏曲とフーガ ハ長調BWV547」です.③⑤⑨のソプラノ独唱は森麻季,⑤「アリア」のフルート独奏は東響の濱崎麻里子,パイプオルガンは松居直美です

 

          

 

午後6時からの本公演に先立って,5時20分からホール2階ホワイエでロビーコンサートが開かれました 最初,松居直美がポジティブ・オルガンで,バッハ「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」から「メヌエット」「コラール」「アリア」の3曲を演奏しました どれもメロディーは聴き覚えのあるものです.次に東京交響楽団入団2年目のフルート奏者・濱崎麻里子と共にバッハ「フルートとオブリガードチェンバロのためのソナタ ロ短調」から第1楽章を演奏しました.ロビーには多くの聴衆が詰め掛け,オルガンとフルートの美しいアンサンブルに耳を傾けていました

 

          

 

さて本番です.自席は1階C4列30番,センターブロック右通路側です.会場はパイプオルガン下のP席とその左右両サイド・ブロックを空席にしていますが,そのスペースを除くとかなりの聴衆が詰めかけています 

会場が暗転し,松居直美が登場,パイプオルガンと彼女だけに照明が当てられます.1階席から見上げると,暗い世界の中に浮かび上がる松居直美は神の使いである巫女のように見えます

バッハのオルガン曲では一番有名な「トッカータとフーガ ニ短調」が神々しく会場に響き渡ります 彼女はこの曲で開始することによって,いち早く聴衆をバッハの世界に引き入れます 次にコラール「目覚めよ,と 我らに呼ばわる物見らの声」で厳粛な世界から解放し,聴衆の心を穏やかにします

次にパイプオルガン席近くにソプラノの森麻季を迎え,バッハ作曲グノ―編曲「アヴェ・マリア」の演奏に入ります 松居は水色をベースにピンクをのせた衣装,森は白をベースにブルーの花模様,薄紫の花弁模様の衣装を身にまとっていますが,衣装の色彩がマッチしています

バッハ・コレギウム・ジャパンで歌うソプラノ歌手陣はノン・ヴィブラートで歌いますが,森麻季はヴィブラートをかけて歌います それにしても透明感のある美しい声です

再び松居のオルガン独奏に戻り,バッハの「トッカータ,アダージョとフーガ ハ長調」が演奏されます 最初のトッカータの序盤では 足だけによる演奏が聴けますが,パイプオルガンの低音部は足の操作で音を出すことを今更ながら思い出しました ついでに,ン十年前にヤマハ音楽教室でエレクトーンを習っていた時,先生から『それじゃ,明日から足に入りましょう』と言われ,翌日から教室を辞めたことを思い出しました.両手で精いっぱいなのに足が加わったら確実に気が狂うからです

松居がP席脇の階段を下りてきて,1階のステージで森麻季とフルートの濱崎麻里子を迎えます.1-2-3階席の間を自由に移動できるのがミューザの特徴です 最初に松居のポジティブ・オルガンの伴奏で森が「マタイ受難曲」のレチタティーヴォを歌い,次に濱崎が加わってアリアを歌います.フルートが加わることによって歌に色彩感が加わりました

前半最後はバッハの「パッサカリア ハ短調」です 再び松居が階段を上がりパイプオルガンの操作卓に着きます.充実したオルガンの響きが会場を満たします.聴衆はにわかクリスチャンに変貌します

 

          

 

プログラム後半はバッハ「フーガ ト短調」,いわゆる「小フーガ」で幕を開けます 演奏時間5分程の短い曲ですが,傑作です 演奏後,松居がマイクを持って

「バッハとヘンデルは同じ年に中部ドイツで生まれましたが,二人が会うことは生涯で一度もありませんでした.バッハは生涯ドイツから離れず主に教会音楽を作曲したのに対し,ヘンデルはイタリアやイギリスに出向き,オペラまで作曲しました.二人はまったく違う音楽人生を歩みました」

と解説し,ヘンデルの「フーガ ホ短調」を演奏しました やっぱりバッハとは違う曲想です

再び松居が階段を下り,ステージに森麻季を迎えてヘンデルの「メサイア」から「大いに喜べ,シオンの娘よ」を演奏しました ここで,松居が

「森さんは宗教曲を歌う機会が多いと思いますが,どういうきっかけで歌うようになったのでしょうか」

と尋ねたのに対し,森は

「ヨーロッパに留学中,現地で歌った時にマエストロ達から,”あなたは宗教曲に向いている”と言われました また,教会で歌われる讃美歌などを聴いているうちに,歌ってみたくなりました

と答えていました.

松居は再びパイプオルガンに戻り,最後の曲,バッハ「いと高きところでは神のみ栄光あれ」と「前奏曲とフーガ」を力強く演奏しました

聴衆の熱狂的な反応に,松居はコラール風のオルガン曲をアンコールに演奏,さらにカンタータ「主よ人の望みの喜びよ」を演奏しコンサートを締めくくりました

午後6時に始まったコンサートが終わったのは8時半でした.充実の2時間半のコンサートが2,500円で聴けたのはラッキーでした 来年も是非続けてほしいと思います

 

          

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川瀬賢太郎+神奈川フィルでR.シュトラウス「バラの騎士 組曲」他を聴く~フェスタサマーミューザ

2016年08月06日 09時33分42秒 | 日記

6日(土).昨日は,朝ブログをアップしたはずなのに,夜チェックしたらアップされていないことが分かり慌ててアップしました アップした後は必ず直後に確認しているのですが,原因不明です.それともこの暑さでボケたか

ということで,わが家に来てから678日目を迎え,リオ・オリンピックの開会式前日に行われたサッカーの試合で日本が敗退した原因を分析するモコタロです

 

          

             ブラジル入りが遅れたナイジェリアに 油断したんだろうな

 

   閑話休題  

 

昨日,ミューザ川崎で神奈川フィルの「モーツアルトへのオマージュ」公演を聴きました これは7月23日から8月11日までミューザ川崎で開かれている「フェスタサマーミューザ」の一環として開かれたコンサートです プログラムは①モーツアルト「歌劇”フィガロの結婚”序曲」,②同「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」,③リヒャルト・シュトラウス「オーケストラのための歌曲集」~「花束を摘みたかった」「あすの朝」「セレナーデ」「万霊節」,④同「歌劇”ばらの騎士”組曲」です.②のヴァイオリン独奏はコンマスの崎谷直人,ヴィオラ独奏は首席の大島亮,③のソプラノ独唱は二期会会員・高橋維,指揮は若き常任指揮者・川瀬賢太郎です

 

          

 

午後3時からの本公演に先立って,午前11時から同じ会場で公開リハーサルが開かれました 背番号12のブルーのサッカー・ウエアを着ている若者が指揮台近くで話をしていたので,誰だろうと思ったら指揮者の川瀬賢太郎でした.進行係りのお兄ちゃんだと思っていました 楽員もカジュアルな衣装でリハーサルに臨んでいます 演奏曲目順に行う旨のアナウンスがあり,早速 1曲目のモーツアルト「フィガロの結婚」序曲から始まりました 今まで何人かの指揮者のリハーサルをこの会場で見てきましたが,ベテラン指揮者が指揮台の上に椅子を設置して座って指揮をしていたのに対し,川瀬は立ったまま指揮をしました.さすがは若さです この序曲では,何回か指揮台の上でジャンプしていました.リオ・オリンピックも始まることだし,良いことです

次にモーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364」のリハーサルに移ります コンマスの崎谷直人とヴィオラ首席の大島亮が普段着で登場しますが,大島は何と阪神タイガースのユニフォームを着用しています ものすごく親近感を感じました 8月第1週で すでに自力優勝の芽がなくなったタイガースをどう思うよ,えっ?大島君 もちろん阪神半疑だよね

第1楽章から第3楽章まで途中で止めることなく通します ソリストの二人はリラックスして臨んでいます.川瀬はオケが弱音になると後ろを振り返って,(たぶん)副指揮者に音のバランスが問題ないかを目と目で確かめ合います

前半が45分で終了し,15分の休憩後に後半のリハーサルが再開されました 最初はリヒャルト・シュトラウスのオーケストラ伴奏による歌曲集です.ソプラノの高橋維(ゆい)がカジュアルな衣装で登場し,4つの歌曲を通して歌います

最後にリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲の仕上げをします 通して演奏した後,何カ所かやり直しをしました.後半は50分かかりました

 

          

 

さて本番です.自席はいつもと同じ2階センター右サイドです 会場は約半分埋まっている感じでしょうか.地元神奈川県民はもっと聴きに来るべきです オケがスタンバイします.コンマスは一見気障な石田泰尚です

川瀬賢太郎の指揮で「フィガロの結婚」序曲が軽快に演奏されます リハーサル通り,終盤では指揮台の上で飛び上がっていました 5分もかからない短い曲ですが,川瀬はメリハリを付けてエネルギーをぶつけます

ソリストの崎谷直人と大島亮が登場,モーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K,364」の演奏に入ります オケの編成は弦楽5部と管楽器はホルンとオーボエが各2本ですが,このホルンとオーボエがソリストをサポートする素晴らしい演奏を展開していました

若い二人ですが,情感豊かな演奏で,とくに第2楽章「アンダンテ」の中盤でヴァイオリンがソロで出る部分は,ビックリするほどの最弱音で演奏効果を高めていました 一方,ヴィオラは雄弁に語っていました

 

          

 

後半の最初は,リヒャルト・シュトラウスのオーケストラ伴奏による歌曲集です ソプラノの高橋維が淡いパープルの衣装で登場します.普段着の時とは別人のように輝いています 衣装は”その気にさせる”力があるのかも知れません 前半でソリストを務めた崎谷直人がコンマスの隣に座ります

「わたしは小さな花束を編もうとした」はシューベルトの「野ばら」のような内容の歌です 「明日には!」はコンマスの独奏ヴァイオリンとハープの美しい伴奏に載せて”明日の幸せ”を歌い上げます 「セレナーデ」は恋人を強く思う歌です 「万霊節」はいわばカトリックのお盆とのこと.感動的な歌です 高橋維の美しいソプラノが会場いっぱい広がりました

最後はリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲です 歌劇「ばらの騎士」は,モーツアルト「フィガロの結婚」へのオマージュとして作曲されました.これを組曲として編集したのは指揮者のアルトゥール・ロジンスキーだろうと言われています

良くも悪しくもこの曲は誇大妄想の極致を行くリヒャルト・シュトラウスによる大管弦楽曲です 「私が音に出来ないモノは何もない」と豪語していた作曲家の集大成とでも言うべき作品です なにしろ家族のことを音楽にした「家庭交響曲」まで作っているのですから驚きます 神奈川フィルは河瀬健太郎の精力的な指揮のもと,リヒャルト・シュトラウスの誇大妄想の世界を鮮やかに描き出しました

会場一杯の拍手に,川瀬+神奈川フィルは「ばらの騎士」組曲のフィナーレ部分をアンコール演奏し,コンサートを締めくくりました

神奈川フィルは他のオーケストラと比較して平均年齢が若いと思われますが,70人の構成員の中には,若き川瀬から見れば先輩格の演奏家も数多くいると思います そうしたオーケストラを束ねていくのは並大抵のことではないと思いますが,堂々とチャレンジしています おそらく若き日の小澤征爾も最初はそうだったに違いありません.若くして老成したような指揮者よりも,若ければ若いなりの元気はつらつとした指揮者の方がよほど好ましいと思います 神奈川フィルともども これからも頑張ってほしいと思います

 

          

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飯森範親+東響でポポーフ「交響曲第1番」,ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を聴く

2016年08月05日 19時39分40秒 | 日記

5日(金).わが家に来てから677日目を迎え,仲間たちと第3次安倍内閣の布陣について議論しているモコタロです

 

          

           新内閣の顔ぶれはど~よ? 内角を攻めた方がいいって?

 

  閑話休題  

 

昨夕,サントリーホールで東京交響楽団の第643回定期演奏会を聴きました プログラムは①ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」,②ポポーフ「交響曲第1番」(日本初演)です ①のピアノ独奏はオルガ・シェプス,指揮は飯森範親です

 

          

 

オケはいつもの東響の編成で,左サイドにヴァイオリン・セクションを集め,右サイドに中低音のチェロ,ヴィオラ,コントラバスを配置します コンマスはグレヴ・二キティンです

1曲目のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」でピアノを独奏するオルガ・シェプスはモスクワ生まれ,後にドイツに移住,ソニークラシカル専属ピアニストとして活躍しています 私は2015年1月の日経ミューズサロンで彼女のピアノ・リサイタルを聴いているので,今回が2度目となります

ファッション誌の表紙から抜け出したようなオルガ・シェプスが真っ赤なステージ衣装で颯爽と登場します 飯森の指揮で第1楽章「モデラート」が開始されます.冒頭の和音の連打はラフマニノフが幼少のころ耳にしたロシア正教会の鐘の響きです それに続いてロマンティシズムの極致とも言うべき有名なメロディーが奏でられます 第2楽章「アダージョ・ソステヌート」を経て第3楽章「アレグロ・スケルツァンド」に移りますが,シェプスのロマンに満ちた演奏が冴えわたります

日経ミューズサロンの時はショパン中心のプログラムでしたが,何となく引っ掛かりを感じました しかし,今回のラフマニノフは水を得た魚のように生き生きと演奏していました

会場いっぱいの拍手に,シェプスはエリック・サティの「3つのジムノぺディ」から第1番をしみじみと演奏,聴衆のクールダウンを図りました それでも鳴り止まない拍手に,一転して激しい曲,プロコフィエフ「ピアノ・ソナタ第7番」から第3楽章を,怒涛の如く演奏,聴衆を再びヒートアップしました

 

          

 

休憩後はガヴリイル・ポポーフの交響曲第1番です ポポーフ(1904-72)はショスタコーヴィチと同時代を生きたソ連の作曲家で,「交響曲第1番」は1935年にレニングラードで初演された際に,スターリン政権下の政府当局から批判を受け,演奏禁止になった作品です 今回は日本初演となります

ステージに所狭しと詰めかけた演奏者を見渡すと,軽く100人を超えています とくに管楽器群は通常2列で並びますが,4列に配置されており,作曲者の楽器指定によるとホルンは8本となっていますが,数えてみると2倍の16人います.同じくトロンボーンは3本のところ6人います.飯森範親はこの曲の初演に当たり,金管楽器の力強いトーンを重視したようです

この曲は1時間近くも要する大交響曲ですが,4楽章ではなく3つの楽章から成ります 第1楽章冒頭は管楽器と打楽器による大きな爆発で始まります その後,目先がくるくると変わり,先の読めない曲想が展開します 同じ時代にソ連で活躍したショスタコーヴィチとはまったく曲想が異なります.強いて言えば映像が頻繁に変わる映画音楽を聴いているような感じです

例えば,ショスタコーヴィチの曲を聴くと,いかにもショスタコーヴィチらしい曲想というものを感じます モーツアルトの曲を聴くとモーツアルトらしい曲想を感じるのと同じように.言わば「ショスタコーヴィチのDNA」「モーツアルトのDNA」というものを聴きとることが出来ます その意味では,このポポーフの音楽のDNAを見い出すのは極めて困難です もちろん,この曲は日本初演で,初めて聴く曲であり,ポポーフの他の曲(全部で117曲 作曲した)を聴いたわけでもないので,ポポーフならではの特徴=DNAを把握することは困難であることはムリのないことです

第2楽章「ラルゴ・コン・モート・エ・モルト・カンタービレ」では荒絵理子のオーボエ,甲藤さちのフルートが抒情的に奏でられます.グレヴ・二キティンのヴァイオリン・ソロも美しく響きます

第3楽章「フィナーレ:スケルツォ・エ・コーダ プレスティッシモ」に入ると,打楽器群が俄然活躍します この楽章は力強く,ポポーフの作曲家としての”野心”を感じます

飯森範親のタクトが下されると拍手とブラボーの嵐がステージを取り囲みましたが,この曲は1度聴いただけでは,その本当の価値が分からないというのが正直な感想です

ちょうど,ホール入口で配布された1kgもありそうなコンサートのチラシの束の中に,「オーケストラ・ダヴァーイ」というアマチュア・オーケストラが8月28日(日)にすみだトリフォニーホールでこの曲を演奏するというチラシが入っていました.興味のある方はトリフォニーホール・チケットセンター(03-5608-1212)まで問い合わせてください

 

          

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群馬交響楽団をモデルにした「ここに泉あり」を観る/「米原万里 ベスト エッセイ Ⅱ」を読む

2016年08月04日 07時32分33秒 | 日記

4日(木).息子の通う大学から大学院授業料”後期分”の請求書が届いたので,銀行振り込みしました そこで一句

     後期分 払い終わって 好気分 

線路は続くよどこまでも 授業料は続くよ卒業まで という訳で,わが家に来てから676日目を迎え,授業料がない代わりにエサ代がかかるモコタロです

 

          

             主食もオヤツも授業料に比べたら安いもんじゃん

 

  閑話休題  

 

昨日,夕食に「コンソメポテト ウインナー炒め」「生野菜とサーモンのサラダ」「冷奴」を作りました 「コンソメ~」はレンジ活用レシピです

 

          

 

  も一度,閑話休題  

 

池袋の新文芸坐で「ここに泉あり」を観ました これは今井正監督による1955年製作のモノクロ映画(150分)です.敗戦直後,高崎に誕生したアマチュア交響楽団の実話を基に製作した作品です 題名だけは何度も聞いたことがあるものの,映画を観るのは今回が初めてです

 

          

 

終戦直後の群馬県高崎市に生まれた高崎市民フィルハーモニーのマネジャー伊田(小林桂樹)は,市民に美しい音楽を届けようと楽団員を集め,練習をさせることに奔走していた しかし,楽団員の生活も成り立たないほど貧しい経営状態だった.楽団で唯一の女性・佐川かの子(岸恵子)は音楽学校を出たばかりのピアニストだが,田舎では腕が落ちることに悩み,コンマスとして招聘されたヴァイオリンの速水(岡田英次)も同じ苦しみを抱いていた 生活上の理由から脱退する者もあったが,山奥の小学校や,鉱山や,ハンセン病療養所などに出掛けて演奏し,人々の喜ぶ顔を見ると苦労も報われる思いがした 速水とかの子は結婚し子供も生まれたが,生活は苦しくなるばかりだった.仲間はチンドン屋になったりして生活を確保しながら市民オケの練習に励んだ 伊田は東京から山田耕作,東京交響楽団とピアニスト室井摩耶子を招いて合同大演奏会を開いた あまりの実力の違いに彼らは落胆する その2年後,山田耕作は旅の途中で彼らの練習所に立ち寄った.彼らは,生活と闘いながら立派な楽団に成長していた

 

          

 

この映画は現在の「群馬交響楽団」の前身 高崎市民フィルハーモニーをモデルにして,アマチュア・オーケストラとして発足時の活動を描いているだけあって,クラシック音楽がふんだんに出てきます 市民フィルハーモニーが演奏する曲としてシューベルト「ロザムンデの音楽」,ビゼー「カルメン」,ハイドン「メヌエット」,コンマス速水の弾く曲としてベートーヴェン「ロマンス」,シューマン「トロイメライ」,かの子が弾く曲としてショパン「エオリアン・ハープ」が演奏されていました

山田耕作の指揮,東京交響楽団+市民フィルハーモニーと室井摩耶子のピアノ独奏によるチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」,山田耕作指揮市民フィルハーモニーと かの子のピアノによるグリーグ「ピアノ協奏曲」のリハーサル,山田耕作指揮東京交響楽団+市民フィルハーモニーによるベートーヴェン「交響曲第9番”合唱付き”」が演奏されました

本物の山田耕作の表情が間近で見られる貴重なフィルムです 凄いと思ったのは,チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」を弾く室井摩耶子の目力です.演奏する時の集中力に満ちた鋭い目つきが印象に残ります このシーンだけでもこの映画を観る価値があります

 

  最後の,閑話休題  

 

昨日に続き「米原万里 ベスト エッセイ Ⅱ」(角川文庫)を読み終りました この本は1991年9月から2006年1月までの間に,角川,文春,新潮,ちくま,中公,講談社の各文庫に収録されたエッセイの中から選りすぐりを集めた傑作集です

 

          

 

米原万里はロシア語の通訳の第一人者として世界的に活躍しましたが,「同時に二人の旦那に仕える従僕」と題するエッセイの中で,通訳の微妙なニュアンスについて次のように語っています

「外交官が yes と言ったら,それは maybe の意味である.外交官が maybe と言ったら,それは no の意味である.外交官が no と言ったら,その人はすでに外交官としては失格である 女性が no と言ったら,それは maybe の意味である.女性が maybe と言ったら,それは yes の意味である.女性がyes と言ったら,その人はすでに女性としては失格である ところで,最近女性の外交官が増えてきたが,では,女性の外交官が yes と言ったら,あるいは no と言ったら,それはどういう意味なのだろうか

この話に続いて「どこでやっても非常に受けるので,私の友人がいたく気に入っている小咄がある」として「退職願い」という話を紹介しているのですが,実はこの方が面白いのです 引用すると長くなるので,興味のある方は本を買ってください.49~50ページに書かれています

この本では,旧ソ連やロシアの要人の裏話がいくつも出てきます 話し出すと長いゴルバチョフ(10分の予定が3時間20分に),大酒のみのエリツィン(お酒を飲んでろれつが回らない舌で深夜までしゃべりまくった)等々.読み始めたら止まらない面白さです.お薦めします

コメント (2)
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今井正監督「にごりえ」を観る~新文芸坐/米原万里「ベスト エッセイ Ⅰ」を読む

2016年08月03日 07時56分33秒 | 日記

3日(水).わが家に来てから675日目を迎え,何かを期待して上を見ているモコタロです

 

          

                何かって オヤツに決まってるじゃん!

 

  閑話休題  

 

昨日の夕食は「豚肉のスペアリブ」「生野菜とタコのサラダ」「冷奴」にしました ボリュームたっぷりに見えますが,半分近くは骨ですから

 

          

 

  も一度,閑話休題  

 

昨日,池袋の新文芸坐で「にごりえ」をみました これは,樋口一葉原作の「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の3つの物語のオムニバスで,今井正監督が1953年に映画化(モノクロ.130分)したものです

「十三夜」は,貧しさゆえに何も分からぬまま銘家に嫁いだ せきが主人の仕打ちに耐え切れず実家に帰ったが,父親に説得されて 嫁ぎ先に置いて来た太郎のもとに帰る せきが乗った人力車の車夫は幼馴染みの落ちぶれた録之助だった.二人はそれぞれが置かれた立場を考え,幼いころの恋心を打ち明けることなく別れる.中秋の名月の晩だった

「大つごもり」は,心優しい みねは資産家・山村家に奉公しているが,育ての親である伯父から大晦日までに2円の前借りを頼まれ,山村家の後妻あやに頼んだが断わられ,出来心で引き出しから2円を盗んでしまう  しかし,幸か不幸か,当家の放蕩息子が親の留守中に金を無断拝借したため,みねに疑いはかからなかった

「にごりえ」は,蒲団屋の源七は落ちぶれた今も小料理屋「菊之井」の酌婦お力のことが諦めきれないでいた お力は気前の良い客 結城に憧れるが,心の底では源七のことを振り切れないでいた.内職をして一家を支えていた源七の妻お初は,お力に嫉妬して悪口を言い,源七に離縁されてしまう お盆も過ぎたある日,袈裟懸けに切られたお力と,割腹した源七の死体が草むらで発見された

 

          

 

 この3つの物語は貧しく生まれたがゆえに苦労する女性の運命を描いていますが,「時代の変遷」を感じます この物語の描かれた時代の女性はいかに社会的に弱い立場に置かれていたか,ということです それに比べて,現代社会は自由が溢れています.能力と先見の明さえあれば東京都知事にだって,アメリカの大統領にだってなれるのです

 

          

          

 

  最後の,閑話休題  

 

「米原万里 ベスト エッセイ 1」(角川文庫)を読み終りました この本は1994年9月から2004年2月までに米原万里が新聞や雑誌に寄せたエッセイをまとめたものです 米原万里は1950年生まれ.ロシア語の通訳者として世界的に活躍した後,作家活動に入り2006年5月,56歳で死去しました

 

          

 

この本に収録されたエッセイは,通訳時代の失敗談,当時の政治家の堕落振り,次から次へと繰り出す下ネタ,と幅広い範囲に渡って毒舌を交えて書き綴っています

私の場合はどうしても音楽や音楽家のことに興味があるので,「ムスチスラフ・レオポルドビッチ・ロストロポービッチ」が一番面白く読めました

「『芸術論が,その作品を凌駕している芸術家は不幸だ』という至言を吐いたのは,セザンヌだったかマチスだったか 絵描きは絵で,舞踏家は踊りで,音楽家は音楽で勝負するのだから,さらにそのうえ作品の構造や技術について言葉を弄してアレコレ云々するなんてのは,なくても十分,良くて付録,悪くて蛇足

と論理を展開しながら,次の行からは,

「実際にお会いした超一流と目される芸術家たちのおのれの芸を語る言葉の豊かなこと,巷の評論家もマッツァオの腕前だ

「音を言葉で描写させたら,ムスチスラフ・ロストロポービッチ(注:世界的なチェリスト)の右に出る音楽家をわたしは知らない.・・・・その一端を紹介しよう

打楽器に対して・・・・・『東京中のビルのガラスが砕け散り,東京中の老婆がショック死するような音を頼む!』

間の抜けたピッチカートを弾いたヴァイオリン奏者に対して・・・・・『君の指は,1時間以上ゆでたスパゲティーみたいだね

お気づきのように,極力形容詞をさけ具体的でイメージ豊かな比喩を多用する その多様多岐にわたる比喩の採集現場に立ち会えるのだから,通訳は3日やったら止められない

と続けます.さらに,ロストロさんの大好物について語ります

「ロストロポービッチには,来日の度に必ず訪れる場所が2つある.一つは,築地の魚市場 「大トロ,中トロ,ロストロ」というほどマグロのトロに目が無くて,贔屓の店で仕入れたヤツを,公演中ホテルの冷蔵庫に入れて毎日食す ある日,週刊誌の取材があった

『なぜトロがお好きなんですか?』

『君には好きな女がいるだろう.その女のことを,君はなぜ好きなのか,なぜ愛しているのか?』

質問され慣れていない相手が答えに窮してしどろもどろになったところで,釘を刺す.

『愛とは,そういうモノなのだよ.理由はいらない.好きだから好きなんだ

要するに病膏肓の口の和食狂いで,そんな『教養』が子供たちの作曲作品を審査するときに顔を出す

『そりゃトロの刺身も天婦羅も兜煮も大好きだけど,全部いっぺんに出されたら,ウンザリしちまうよね 君の伴奏の部分がまさにそうなんだ.テーマが多すぎやしないか?欲張らずにどれか一つに絞ってごらん

という具合に紹介します.ロストロさんがもう一カ所必ず訪れるのは相撲部屋だそうですが,これは割愛します

一つ一つを紹介していたらきりがないので,あとは書店でご購入下さい.本体価格640円です.買って後悔しません

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「マネー・ショート 華麗なる大逆転」「スティーブ・ジョブズ」を観る~早稲田松竹

2016年08月02日 07時24分11秒 | 日記

2日(火).わが家に来てから674日目を迎え,白ウサちゃんと東京都知事選の立候補者を振り返って,感想を述べているモコタロです

 

          

            今年もマック〇〇が立候補してたな マックは後で出てくるよ

 

  閑話休題  

 

昨日は,夕食に「豚もやし炒めのおろしポン酢かけ」「小松菜のお浸し」「生野菜とタコのサラダ」「冷奴」を作りました 「豚もやし~」は,もやしのヒゲを取り除くのが結構面倒でしたが,出来上がりを見ると,取っておいて良かったと思います

 

          

 

  も一度,閑話休題  

 

昨日,早稲田松竹で「マネー・ショート 華麗なる大逆転」と「スティーブ・ジョブズ」の2本立てを観ました 「マネー・ショート」は監督・脚本 アダム・マッケイによる2015年アメリカ映画です

 

          

 

この映画は,アメリカのサブプライム・ローンの破たんによる「リーマンショック」の裏側で,いち早く経済破たんの危機を予見し,空売りを通じてウォール街を出し抜いた4人の男たちの実話を描いています

時は2005年のニューヨーク.金融トレーダーのマイケルは,住宅ローンを含む金融商品が債務不履行に陥る危険性を銀行や政府に訴えるが,まったく相手にされない そこで「CDS=クレジット・デフォルト・スワップ」という,債券価格が下がれば下がるほど儲けが出る金融取引をウォール街の金融機関に持ち掛け,彼らを出し抜く計画を立てる そして,ついに2008年に住宅ローンの破たんに端を発した市場の崩壊の兆候が表れる

この映画を観て思うのは,「バブルの絶頂期においては,誰も株や債券が暴落するとは思っていない.いや,実際には思いたくない 信用格付けが異なる金融商品が複雑に組み合わされたサブプライムローンの仕組みを理解したうえで住宅を買った人はほとんどいなかったのではないか.高く買っても,より高く売り抜ければ勝ちだ,と思っていたのではないか」ということです.これはかつて日本が経験したバブルそのものでした

もう一つ「ああ そうだったのか」と思ったのは,低い信用格付けを巧みに組み込んだ金融商品が暴落しても,スタンダード&プアーズ(信用格付け会社)は評価を下げなかったために,債券所有者は「格付けが高いからまだ大丈夫だ」と思い込み,犠牲者が広がったということです

この映画では,最後に「最近 同じような金融商品が売り出されている」と警告しています アメリカは,ウォール街は,日本に学ばず,リーマンショックにも学ばない,ということでしょうか 

2本目の「スティーブ・ジョブズ」は監督・製作 ダニー・ボイルによる2015年アメリカ映画です この映画は,アップルの共同設立者スティーブ・ジョブズの生きざまを描いた伝記ドラマです

 

          

 

スティーブ・ジョブズは1984年に「マッキントッシュ」を,88年に「NeXT Cube」を,98年には「i Mac」を世界にリリースし現代社会に大きな衝撃を与え続けてきました この映画では,この3つの新作発表会に焦点を当て,伝説のプレゼンテーションの舞台裏を描いています

映画の中で,ジョブズが指揮者の小澤征爾に「演奏家と指揮者の違いは何か?」と問うた時,小沢は「演奏家は楽器を演奏する.指揮者はその演奏家を指揮する」と答えたエピソードが紹介されています.このシーンは『新商品を開発するのでなく,新商品を開発する一連の作業を指揮するのが自分の役割である』ことを主張しています エンジニアではなくマネジャーやコーディネーターに近いかもしれません 映画の中で一番印象に残るシーンでした

 

          

コメント (2)
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