知夫里島の後半。
人口600人たらずのところなのに、
一の宮神社(天佐志比古命神社)
古くから大事に保存されている所がいっぱいある。
それぞれに、皇室ゆかりの方が訪れていて、
こういう方々は、それでなくても忙しいのに、
大変だなとの感想を持った。
知夫里島から中の島へ船で。
菱浦港(島前・中ノ島/海士町)着10:50
海士町(あまちょう)
面積:33.4平方キロ
周囲:89.1キロ
人口:2317人
牛:約600頭
ここでのガイドさんは、若い男性で、いろいろと資料を見せながら
マイクを付けての説明。
ガイドになって日が浅いのか、見守り役の男性がついていた。
一生懸命さが、あふれていた。
御火葬塚/行在所跡/隠岐神社(後鳥羽上皇を祀る神社)11:15/12:20
狛犬、出雲式。
お尻があがっている。
ここにも、土俵。
隠岐は、何処に行っても土俵があって、
奉納相撲が、年中行事として自然に行われている。
お相撲さんも多く輩出している。
この鳥居についても、何か説明があったのだけど、
思い出せない。
隠岐神社前のバス停。
しゃもじ。
隠岐民謡「キンニャモニャ」にあわせて
2本のしゃもじを打ちながらの踊りが有名とのこと。
マンホール(模様)、やはりキンニャモニャ踊りを図案化している。
金光寺山(146m)(昼食・弁当支給)12:30/13:00~金光寺13:02/15
ここでのガイドは、NPO法人隠岐しぜんむらの方。
この組織の詳しい説明はなかったが、
・子供を預かる施設がある。
(道中、この近くに子供たちがいるんですが
今は多分お昼寝中です、の説明があった)
・お弁当もここで作ってくれたのか?
・ガイドさんは、ここが気にいって、居付いてしまったようで
他県の出身者だった。
今、こうして思い出して旅の記録を書きながら
隠岐しぜんむらのHPを拝見していたら
ユニークな活動をされているようで、
ガイドしてもらっている時、こういうことを話題にできたら
面白かっただろうなと、思う。(森のようちえんとか。)
島の中を案内してもらっている時、
新しい住宅がいっぱいあった。
この町は、一回は財政破綻寸前で、将来が危ぶまれたのに、
今では、移住してくる人が増えて、
様々な場面で「まちづくり」の画期的な施策がなされ
人口の2割近くが増えたそうだ。
そのまちづくりに携わった人の話は、心躍る。
旅行前に、隠岐高校が島の外からの留学生が増えて、
活性化している文章を読んでいたので、
(前川喜平・寺脇研ーこれからの日本、これからの教育)
町が活気づくしかけが、あるんだろうと朧げに感じていたので、
廉価で住める住宅を目の当たりにし、とても興味を持った。
金光寺
明星(あきや)海岸。
入り口にキャンプ場があって、奥にハート岩がある。
(ハート岩)見学13:30/50
見る角度によって、ハート型の穴が見える。
こういう、ただの岩に何か意味を込めて、名所にしてしまうのは、
よくあることだが、写真などにおさめれば、それはそれで旅の思い出かな。
奥右手に見えるのが、ハート岩のある岩。
良く見える場所まで、近づくためには、
時々波で洗われる小径を行かなければならない。
振り返るとこんな道。
で、しょっちゅう水がかぶるので、こんな虫がいる。
フナ虫。
私が先頭を歩いていたら、
百匹をこえるフナ虫が、一足ごとに石の陰から現れて、右往左往。
写真のような数センチの大きいのから、
数ミリの小さいのまで、びっくりするほどの数。
ちょっとした見ものだった。
(フナ虫を検索したら、ゴキブリみたいと形容している人がいたが
ゴキブリにキャ―という人は、いやかもしれない。)
明星(あきや)海岸入り口に戻り、
写した写真を確かめようと、カメラをいじっていたら
手がすべって、カメラがコンクリートの上に落ちた。
慌てて拾ったものの、形がひしゃげて、
ビスがはずれたりして、悲惨。
一瞬頭をよぎったのは、何か衝撃でメモリーカードの中味が
消滅したんじゃないかという不安。
ここ数年の画像が全部なくなってしまう恐怖。
帰って、早速カメラをチェックしてもらいに行ったら
メモリーは大丈夫とのことで、ほっと安心。
カメラは修理不能と言われ、同じような機能のあるものを購入。
菱浦港14:10/15:15=(汽船)
七類港(松江)着17:55=(バス)
米子空港(夕食)発19:00/20:25
ANA390便=羽田空港着22:00。
ーーーー 完 -----
隠岐
・手つかずの自然(海・緑・ジオパーク)
・古から伝わる、信仰と結びついた慣習
(流人が貴人であったことからの、文化的遺産)
・海の幸のおいしさ
・牛との共存
魅力あふれる隠岐を堪能した旅でした。
出会ったガイドの方々もそれぞれに、素敵な方々でした。
同行した方からの、旅行記がA4にして30枚ほど届いており、
それはまだ半分だそうです。
この方は、文化的な歴史を織り交ぜて書いていらっしゃいます。
もし、隠岐にいらっしゃる方がいらしたら、それらの資料を
お見せしたいと思いますので、どうぞ、お声かけを。
長々お付き合い有難うございました。
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人口600人たらずのところなのに、
一の宮神社(天佐志比古命神社)
古くから大事に保存されている所がいっぱいある。
それぞれに、皇室ゆかりの方が訪れていて、
こういう方々は、それでなくても忙しいのに、
大変だなとの感想を持った。
知夫里島から中の島へ船で。
菱浦港(島前・中ノ島/海士町)着10:50
海士町(あまちょう)
面積:33.4平方キロ
周囲:89.1キロ
人口:2317人
牛:約600頭
ここでのガイドさんは、若い男性で、いろいろと資料を見せながら
マイクを付けての説明。
ガイドになって日が浅いのか、見守り役の男性がついていた。
一生懸命さが、あふれていた。
御火葬塚/行在所跡/隠岐神社(後鳥羽上皇を祀る神社)11:15/12:20
狛犬、出雲式。
お尻があがっている。
ここにも、土俵。
隠岐は、何処に行っても土俵があって、
奉納相撲が、年中行事として自然に行われている。
お相撲さんも多く輩出している。
この鳥居についても、何か説明があったのだけど、
思い出せない。
隠岐神社前のバス停。
しゃもじ。
隠岐民謡「キンニャモニャ」にあわせて
2本のしゃもじを打ちながらの踊りが有名とのこと。
マンホール(模様)、やはりキンニャモニャ踊りを図案化している。
金光寺山(146m)(昼食・弁当支給)12:30/13:00~金光寺13:02/15
ここでのガイドは、NPO法人隠岐しぜんむらの方。
この組織の詳しい説明はなかったが、
・子供を預かる施設がある。
(道中、この近くに子供たちがいるんですが
今は多分お昼寝中です、の説明があった)
・お弁当もここで作ってくれたのか?
・ガイドさんは、ここが気にいって、居付いてしまったようで
他県の出身者だった。
今、こうして思い出して旅の記録を書きながら
隠岐しぜんむらのHPを拝見していたら
ユニークな活動をされているようで、
ガイドしてもらっている時、こういうことを話題にできたら
面白かっただろうなと、思う。(森のようちえんとか。)
島の中を案内してもらっている時、
新しい住宅がいっぱいあった。
この町は、一回は財政破綻寸前で、将来が危ぶまれたのに、
今では、移住してくる人が増えて、
様々な場面で「まちづくり」の画期的な施策がなされ
人口の2割近くが増えたそうだ。
そのまちづくりに携わった人の話は、心躍る。
旅行前に、隠岐高校が島の外からの留学生が増えて、
活性化している文章を読んでいたので、
(前川喜平・寺脇研ーこれからの日本、これからの教育)
町が活気づくしかけが、あるんだろうと朧げに感じていたので、
廉価で住める住宅を目の当たりにし、とても興味を持った。
金光寺
明星(あきや)海岸。
入り口にキャンプ場があって、奥にハート岩がある。
(ハート岩)見学13:30/50
見る角度によって、ハート型の穴が見える。
こういう、ただの岩に何か意味を込めて、名所にしてしまうのは、
よくあることだが、写真などにおさめれば、それはそれで旅の思い出かな。
奥右手に見えるのが、ハート岩のある岩。
良く見える場所まで、近づくためには、
時々波で洗われる小径を行かなければならない。
振り返るとこんな道。
で、しょっちゅう水がかぶるので、こんな虫がいる。
フナ虫。
私が先頭を歩いていたら、
百匹をこえるフナ虫が、一足ごとに石の陰から現れて、右往左往。
写真のような数センチの大きいのから、
数ミリの小さいのまで、びっくりするほどの数。
ちょっとした見ものだった。
(フナ虫を検索したら、ゴキブリみたいと形容している人がいたが
ゴキブリにキャ―という人は、いやかもしれない。)
明星(あきや)海岸入り口に戻り、
写した写真を確かめようと、カメラをいじっていたら
手がすべって、カメラがコンクリートの上に落ちた。
慌てて拾ったものの、形がひしゃげて、
ビスがはずれたりして、悲惨。
一瞬頭をよぎったのは、何か衝撃でメモリーカードの中味が
消滅したんじゃないかという不安。
ここ数年の画像が全部なくなってしまう恐怖。
帰って、早速カメラをチェックしてもらいに行ったら
メモリーは大丈夫とのことで、ほっと安心。
カメラは修理不能と言われ、同じような機能のあるものを購入。
菱浦港14:10/15:15=(汽船)
七類港(松江)着17:55=(バス)
米子空港(夕食)発19:00/20:25
ANA390便=羽田空港着22:00。
ーーーー 完 -----
隠岐
・手つかずの自然(海・緑・ジオパーク)
・古から伝わる、信仰と結びついた慣習
(流人が貴人であったことからの、文化的遺産)
・海の幸のおいしさ
・牛との共存
魅力あふれる隠岐を堪能した旅でした。
出会ったガイドの方々もそれぞれに、素敵な方々でした。
同行した方からの、旅行記がA4にして30枚ほど届いており、
それはまだ半分だそうです。
この方は、文化的な歴史を織り交ぜて書いていらっしゃいます。
もし、隠岐にいらっしゃる方がいらしたら、それらの資料を
お見せしたいと思いますので、どうぞ、お声かけを。
長々お付き合い有難うございました。
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