Brookwoodの駅を降り、墓地の中を歩きだしたところまで、前回書きました。
整然とというかんじはなく、あちらにこちらに、余り手入れのされていないお墓が見られる中、
歩いていくと、大きな道路が通っていて、それを横切って進みます。
振り返ると、宗教によって、区切られたところもあるようで、
そんな看板がありました。
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ヒイラギの木に赤い実がなっていました。
よくクリスマスのリースに使いますが、かなり大きな木でした。
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セルビア人の墓地の案内板がでてきました。
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実は、日本人のお墓が見つかったのは、
セルビア人の人たちが、自分たちのお墓を建てるため、
この墓地の一角を購入したことに始まっているのです。
買い取った墓地は、草がおいしげり、そこにお墓があるとは
分からない状態だったようで、整備したら日本人のお墓らしいと
日本領事館に連絡があって、その後その子孫探しがはじまったとのこと。
それが30年以上前のことのようです。
また、看板がありました。
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やっと、セルビア人のお墓の入り口につきました。
セルビア人のお墓は、きれいに整備され、まわりを塀で区切って、
青い芝生が敷き詰められ、小さな小屋があって、
そこで宗教行事も行えるようになっているようです。
トイレもあって、それまでの他の区域とは
全く違う雰囲気です。
真ん中に道がつけられ、両側に同じ形のお墓が整然とならんでいます。
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先程の門をあけるのに、朝お会いしたSさんからカギをお預かりしたのでした。
入ってすぐの左側に、日本人の墓が4基あり、
その四人のことが説明された碑があります。
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これが今回、文字を刻みなおした守人さんのお墓です。
初めてこのお墓を目にしたとき、我々の一番の疑問は、
この守人さんだけに、マタイ伝の文があったことです。
和訳
福岡守人を記念して
土佐出身の福岡健三の息子 1873年3月3日
ロンドンで死去、21才
深い道徳をもって、慎み深さ、洗練さ、礼儀正しさ、
誠実は真実を追い求めた。
幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
マタイ伝
これについては、後でかきます。
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日本から持参した守人さんが生きていた頃から続いているお酒「司牡丹」と、
やはり、その頃からあっただろうケンピを供えました。
お花は、Paddington駅にあったお花屋さんで手に入れました。
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墓石の側面に書かれた番号は、探すときの目安になるものかもしれません。
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これは、四人の日本人の世話をしてくれたイギリスに感謝する記念碑となっています。
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横から、写した日本人のお墓、後から思ったのは、これらにもお供えを用意すればよかった。
多分、そうそう関係者が来ることはないと思うのです。
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セルビア人の区画からでると、そのそばに
お世話くださっているSさん(九州の正行寺のご住職で、
三輪精舎主管、ロンドン正行寺トラスト理事)の関わっている仏教の碑があります。
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帰り道では、四人をお世話してくださった、そして当時の日本からの留学生を
世話してくれた、ウィリアムソンさんのお墓を探しました。
5年前に来た時は、すべてお膳立てされて、
案内に従って行動すればよかったので、自分たちで探すのには苦労しました。
覚えていた位置の記憶があやしくて、
探すのにかなり時間が掛かってしまいました。
ちょうど、雨が激しくふっており、足元は苔むしていて
一歩ごとに2~3センチ沈むようなな地面だったので、
なかなか見つからないときは、もうあきらめようかと思ったほどです。
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イギリスの日暮れはかなり早く、帰りの汽車に乗る頃は、
すっかり暗くなっていました。
最後に、またSさん宅により、報告と鍵の返却をしました。
その場で、日本人のこのお墓についての架け橋となってくださった
ホワイト教授と、7日夕方の会食をセットいただき、この日は帰りました。
人気ブログランキングへ
ロンドン墓参とクリスマスマーケット3! クリック!
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おかはんをよろしく、ブログもあります! クリック!
整然とというかんじはなく、あちらにこちらに、余り手入れのされていないお墓が見られる中、
歩いていくと、大きな道路が通っていて、それを横切って進みます。
振り返ると、宗教によって、区切られたところもあるようで、
そんな看板がありました。
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ヒイラギの木に赤い実がなっていました。
よくクリスマスのリースに使いますが、かなり大きな木でした。
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セルビア人の墓地の案内板がでてきました。
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実は、日本人のお墓が見つかったのは、
セルビア人の人たちが、自分たちのお墓を建てるため、
この墓地の一角を購入したことに始まっているのです。
買い取った墓地は、草がおいしげり、そこにお墓があるとは
分からない状態だったようで、整備したら日本人のお墓らしいと
日本領事館に連絡があって、その後その子孫探しがはじまったとのこと。
それが30年以上前のことのようです。
また、看板がありました。
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やっと、セルビア人のお墓の入り口につきました。
セルビア人のお墓は、きれいに整備され、まわりを塀で区切って、
青い芝生が敷き詰められ、小さな小屋があって、
そこで宗教行事も行えるようになっているようです。
トイレもあって、それまでの他の区域とは
全く違う雰囲気です。
真ん中に道がつけられ、両側に同じ形のお墓が整然とならんでいます。
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先程の門をあけるのに、朝お会いしたSさんからカギをお預かりしたのでした。
入ってすぐの左側に、日本人の墓が4基あり、
その四人のことが説明された碑があります。
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これが今回、文字を刻みなおした守人さんのお墓です。
初めてこのお墓を目にしたとき、我々の一番の疑問は、
この守人さんだけに、マタイ伝の文があったことです。
和訳
福岡守人を記念して
土佐出身の福岡健三の息子 1873年3月3日
ロンドンで死去、21才
深い道徳をもって、慎み深さ、洗練さ、礼儀正しさ、
誠実は真実を追い求めた。
幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。
マタイ伝
これについては、後でかきます。
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日本から持参した守人さんが生きていた頃から続いているお酒「司牡丹」と、
やはり、その頃からあっただろうケンピを供えました。
お花は、Paddington駅にあったお花屋さんで手に入れました。
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墓石の側面に書かれた番号は、探すときの目安になるものかもしれません。
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これは、四人の日本人の世話をしてくれたイギリスに感謝する記念碑となっています。
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横から、写した日本人のお墓、後から思ったのは、これらにもお供えを用意すればよかった。
多分、そうそう関係者が来ることはないと思うのです。
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セルビア人の区画からでると、そのそばに
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帰り道では、四人をお世話してくださった、そして当時の日本からの留学生を
世話してくれた、ウィリアムソンさんのお墓を探しました。
5年前に来た時は、すべてお膳立てされて、
案内に従って行動すればよかったので、自分たちで探すのには苦労しました。
覚えていた位置の記憶があやしくて、
探すのにかなり時間が掛かってしまいました。
ちょうど、雨が激しくふっており、足元は苔むしていて
一歩ごとに2~3センチ沈むようなな地面だったので、
なかなか見つからないときは、もうあきらめようかと思ったほどです。
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イギリスの日暮れはかなり早く、帰りの汽車に乗る頃は、
すっかり暗くなっていました。
最後に、またSさん宅により、報告と鍵の返却をしました。
その場で、日本人のこのお墓についての架け橋となってくださった
ホワイト教授と、7日夕方の会食をセットいただき、この日は帰りました。
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