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隠岐の旅7ー焼火(たくひ)神社

2018-09-23 21:01:29 | 隠岐の旅
隠岐に出かけたのは、八月のはじめだったのでしたが
後半のことを書いてなかったので、改めて続きを。

隠岐に行ったと話したら、
行ったことのある人が三人現れました。

Aさん、もっぱら釣りで過ごしたそうで、
針をいれれば、くいついてくると、いっていたような。
実家が神戸なので、関西だと近く感じるのでしょうか。

もう一人は、ブログでつながっている
もと同じアパートに住んでいて、子育て時代を一緒にすごした
「吾妻橋の母ちゃん」

やはり、関西出身、京都に住んでいて、学生時代に行ったとか、
感想はなんもないとこ、だそうです。

もう一人は、勤め先の同僚。
松江が実家で、つきあっていた彼の家が隠岐で、
泊まりにいったことがある(←??、泊まった?)

やはり、何もないところ、
信号もないから、彼は本土に来て、信号を始めてみたと言っていた等々
話をしてくれた。

そこで、これは、同僚に見せようと撮った普通に信号がある風景。


その6では、午前中、牛や馬のいるハイキングコースを歩いたところまででした。

ハイキングの後半、海のそばまで降りてきて、
そそり立つ岸壁を横から見る。



自然が作ったトンネル状の所を上から、


海面近くに降りてきて、トンネルの向こうに船が見える。



空は良く晴れて





岩にはいろいろ名前がつけられている。
このとんがったのは、見る角度によって観音像に見える。

ほら



通天橋/天上界の観音塔見学
国賀遊歩道経由 → 国賀駐車場

由良比女神社により、



お参り、



いかの飾り物、



もう一つ、木をいかにみたてたもの



街に降りてきて、地元の人が普通にいく食堂(あすか食堂)でお昼を食べてから午後の行程。


焼火(たくひ)神社入口でガイドの松浦さんと合流、
そして焼火神社まで坂をのぼる。

松浦さんは焼火神社の宮司さんで、
観光協会の会長さんと、他のガイドさんから聞いていた。

めったに松浦さんがガイドしてくれることはないそうだが、
我々はラッキー!

足取りも軽くどんどん坂をのぼっていく松浦さん、
学校へ行く前は、その神社に住まっていたという。

道中、「隠岐の文化財」のことを尋ねた方に
お父様が、教育委員会でその編纂をなさったということだった。

そういうことを質問する人がいると、やはり
いろいろ詳しく教えてくださる。

かなり歩いて着いた神社は、まるでお城のような土台。





途中には、廃仏棄却の時に、頭をおとされたお地蔵さんとか、
神仏混淆の後が見られる。







隠岐の島は、北前船の航路にあって、四国の金毘羅神社とならんで
航海の安全を祈るために、皆が立ち寄った場所だそうで、

灯りがともっていると、
灯台の役目も果たしたそうだ。

北前船の盛んだったころには、このあたりは、大いににぎわったのだそうだ。



岸壁に食い込むように建てられた神社は、幾層にもなっている。







ちょっと休憩してから焼火山(452m)の頂上展望台まで歩いていく。
展望台からの眺め。







林の中の道だが、やはり山登りに近い。





広重の浮世絵にも登場し、
その図を、社務所の中で見せてもらった。

神社の入り口から外を望むと、海が見える。
眺望のよいことこのうえなし。



2階にあげていただいて、お抹茶をいただく。
手慣れた手つきで、お菓子は松江の有名なところからとのこと。

なんか、とても素敵なおもてなしを受け。
帰路につく。



神社入り口に戻ったところ、
頼んであった車の運転手さんが、すごくあわてている。

集合写真でも撮ろうかと思っていたのに、
あと5分、あと5分と、怖い声で言う。

なんだかよくわからないが、車に飛び乗り、
港へ。

すると、本土に向けてのフェリーの出発時間。

いやいや、我々は今夜は島前・知夫里島に行くと言ったら
運転手さんは、今日は終わりの日と勘違いして

もう間に合わないと、気が気じゃなかったらしい。
みなさんの荷物は、宿にいってもう積んであります、と
早手回しに、荷物ものせて待っていてくれたらしい。

それなのに、我々はのんびりやっていて、かなり気をもんだらしい。

それからしばらくは、「あと5分」がキーワードになって、随分話題になっていた。

別府港(内航船)から来居(くりい)港まで行き、その夜の宿は、ホテル知夫の里。

続く。


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