気付かされて、少し、「ムッ」とした。
最近、読む本、買う本が、今の時世に合わない本ばかりである。
一冊、一冊手に取った「友」に云われて、
「ウン?まぁ~」であった。
しかし、ずけずけ言うのは、嬉しく感じるが、
年を感じさせる意味合いの、言葉を平気で言う環境を、
生涯引きずっていくのかと思うと、
「極めて不幸である。ウン!」
どうにか、会わずに済む方法はないものだろうか?
たまには、ブログの記事での「悪態」にめげてほしいものだが!
若い頃、パラパラとめくっては、こんなの「読まない」と、
バッサリ切り捨てた本が、いまは手の届くところに、積みあがっています。
「日陰の村」を読み終え、改めて奥多摩湖」の夕暮れ目指して、遠出した。
一昨日の銀杏並木の後でした。
景色を写真に収める方も沢山いて、迫力に気後れしたけど、
小説の、昭和の初めを湖水の奥に照らしてみた今回、
もっと感傷に浸るかなと思ったのに、
村民は、この閉鎖された村から「抜け出したかったに違いない」に、たどり着いた。
東京都の事業が、村人の利害とうまくかみ合ったのかもしれない!と。
スッキリした。
そこで帰り、陽射しからバスを待っていた老夫婦が気になって、声をかけ、
青梅の町へ・・・・。
湖畔の案内看板から。
湖畔から見える山の中腹、昭和の初めから変わらない風景です。が、
今も周りは、店は無く日常品は車で20分程の町まで行くのです。
昔は大変だったろうな、と!
今は、町域のすべてが秩父多摩甲斐国立公園の指定されていて、
甲府、秩父に通じる奥地に入ると、
観光地として、ハイキングコースや、キャンプ場などがあって、
静かに時を過ごすには、いいところでしょうね!
このダムは、奥多摩湖に行く前に撮ったのですが。
高いところはダメ!尻の間が緊張して、プルプル震えてきます!
下流にある第二ダムで、水量の調整をしているようです。
水道局と東京電力の職員がパトロールしていたけど、
笑声もあったから、平気なんだろうね!
帰り道。
こんなトンネルをいくつも潜り抜けます。
乗ったおばちゃん、車を止める寸前なので、
「おいはぎ、と思ったかもしれない」
おいはぎ?なら、墓参りに使った、お寺の水桶を
車の中に置きっぱなしなど致しません、って!
では、また!
※※ここからはくどいので・・・・・スルー
「日陰の村」は石川達三の作品で発行当初、
黒く塗られた箇所が、
のり弁よろしく、塗られていたようで!
この一年、石川達三氏の著書には
だいぶお世話になってしまった。
「日陰の村」は東京都の行政との、
利権に翻弄される昭和5年から数年の小河内村の村人を描いた小説。、
「日陰の村」の題名を、東京の都心の生活の為に、
「国家の無慈悲」の犠牲になった小河内村は「日陰」ともじる方、
「権力への憤り、村人の善意に涙する」までの記事もあります。
が、小河内村、陽のあたる時間は、10時30分から午後2時30分まで。
小説は、ダム建設の話がなかった頃を村人が、
自然の環境で生きる不安、
谷から吹き上げる風、雨、地震で崩れる土地。
陽が当たらない・・・・・
猜疑心、生きる為には依怙地なまで、手段を択ばない人間、
人間の醜さ・・・・・
利権が発生すると遠慮なく語り始める描写があります。
土地買い上げの損得の情報集めが日常の会話になった村。
「おれの骨は、水の中に埋まってもいい、みんなはこの村から出たが、いい」
病臥に付しも家人に、けしかける老人。
ページの多くは行政が、何年かかっても、
スッキリさせられない、やり取りに村人が翻弄される内容ですが、
村人の会話の中からは、
村を犠牲にして、都心の水亀ダム建設を造る、
建設に反対する「怒り」の描写がない。
「村が、村人が犠牲になる怒り」がなかったダム建設。
案外、この計画は、
「都心の水瓶」になり、「小河内村の村人」をも救ったのではないだろうか!
この村の景色の美しさは、村人にとって、
しがみついても住みたい、
土地ではなかったのだろう!
昔の写真を眺めていると、
そう、思えて仕方がない!
村人がぽつりと、外部地上げ屋に、漏らした言葉
この村は「日陰の村」と、俺は勝手に思っているんだ・・!
別な意味もあるんだが・・・・
冷たいが、
ここはすんなり自然が作る「日陰の村」そのまんま!
今は、観光客が訪れる、綺麗な町になって・・・・。
2016.11.22「日陰の村」から卒業。