奈良市菅原町にある721年に建てられた喜光寺は、奈良時代に架橋、土木工事などの
社会事業に携わり、東大寺大仏造立にも貢献した行基が住まいにしたところで、
ここで病人の治療をしたり、貧しい人たちの面倒を見たりしながら、
全国にも行脚していたそうです。
行基は東大寺大仏殿を建立する時、喜光寺の本堂を参考にしたと伝承され、
現在も本堂は「試みの大仏殿」と呼ばれています。
その喜光寺の戦国時代に焼失した南大門が、約450年ぶりに復興されました。
この南大門を建てたのが、世界で一番古い会社組織である金剛組です。
同時に文化勲章受章者の中村晋也氏が制作した金剛力士像も安置されました。
高さは、阿形像、吽形像ともに3.2mのブロンズ像で、富山県内で鋳造されたそうです。
5月1日に喜光寺南大門の落慶法要があり、参加してきました。
このような人生にとって貴重な経験が出来たのも、奈良に勤務になったおかげです。
開始予定時刻が11時でしたが、10時40分くらいに始まり、式典が終了したのが
13時半を回っておりました。3時間の厳粛な法要でしたが、素晴らしい五月晴れの
日差しが強く、ご年配の方々には少々きつかったかもしれません。
東大寺から、行基菩薩を運び、間近に拝見することが出来ました。
■本日のアルバム(46枚)
・画像一覧
社会事業に携わり、東大寺大仏造立にも貢献した行基が住まいにしたところで、
ここで病人の治療をしたり、貧しい人たちの面倒を見たりしながら、
全国にも行脚していたそうです。
行基は東大寺大仏殿を建立する時、喜光寺の本堂を参考にしたと伝承され、
現在も本堂は「試みの大仏殿」と呼ばれています。
その喜光寺の戦国時代に焼失した南大門が、約450年ぶりに復興されました。
この南大門を建てたのが、世界で一番古い会社組織である金剛組です。
同時に文化勲章受章者の中村晋也氏が制作した金剛力士像も安置されました。
高さは、阿形像、吽形像ともに3.2mのブロンズ像で、富山県内で鋳造されたそうです。
5月1日に喜光寺南大門の落慶法要があり、参加してきました。
このような人生にとって貴重な経験が出来たのも、奈良に勤務になったおかげです。
開始予定時刻が11時でしたが、10時40分くらいに始まり、式典が終了したのが
13時半を回っておりました。3時間の厳粛な法要でしたが、素晴らしい五月晴れの
日差しが強く、ご年配の方々には少々きつかったかもしれません。
東大寺から、行基菩薩を運び、間近に拝見することが出来ました。
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