毎年1月の中旬の土日は大学入学のための共通テストが実施されます。
共通テストの歴史は古くなり、名称も3度変わってきています。
1979年から1989年までの
大学共通第1次学力試験、略して「共通一次」、
次が1990年から2020年までの
大学入試センター試験、略して「センター試験」、
そして2021年から現在までが
大学入学共通テスト、略して「共通テスト」です。
1979年1月が第1回目の共通試験だったので私の1978年卒業後の実施です。
ただし、大学3年生の時の1976年10月10・11日に約1万人の高校3年生が参加して
大学共通第1次学力試験を想定した模擬試験が行われ、大学4年のとき
クラブに入ってきた1年生に「共通一次世代はなんか違うなぁ!」と言った記憶がありますが、
まだ模擬試験段階でした。
私は1974年に大学に入学したのでその年の2月から3月に各大学の試験を受けました。
兵庫県の高校だったので、東京の私大2校の2学部、国立の2校2学部を受けるべく
祖父、おばの家にお世話になり、母が付き添いで来てくれていました。
1ヶ月弱滞在しましたが、最初に受けた私大の商学部は英語は必須で残りの1科目は
日本史、世界史、数学から4問選択して答える方式で、国立文系が第1志望だったので
日本史と世界史からできそうな問題を1問ずつ選択し、残り2問を数学にしました。
したがってできそうな問題を選んだのでほぼ完璧に答えられたと思います。
受験終了後、予備校が帰り道で模範解答を配っており、いつの間に問題を入手して
答えたのだろうと不思議でしたが、模範解答見て合格を確信しました。
次の私大も商学部で珍しく数学が必須で、あと英語も必須、選択科目は日本史を選びました。
数学は完璧に解答できたのを覚えています。
高校野球の怪物ピッチャーが受験に来ていると噂が流れましたが、
見ることはできませんでした。
3月3日は第1志望の大学受験です。
場所が祖父の大田区からすごく時間がかかるので、事前にした見に行き、
そのキャンパスの美しさに「来たいなぁ!」と胸を膨らませたものです。
当時では珍しく、1次試験と2次試験に分かれ、1次試験は英語と数学で
合格者数の3倍程度に絞るようになり、英語のヒヤリングもありました。
3日に受験して5日位に1次合格発表があって確か7日8日が2次試験だったと思います。
英語、数学、社会2科目選択で日本史、世界史、理科は1科目選択で生物を受験しました。
社会は記述式試験で当時としては珍しかったと思います。
現行の大学入学共通テストが記述式を重視するようになったとのことですが、
先行していたと思います。
合格発表は3月15日前後だったように思いますが、すっかり記憶が薄らぎました。
二期校の試験日が3月20日頃だったと思いますが、その前に一期校の合格が決まったので
二期校の受験はやめました。
そのような日程だったので、高校の卒業式に出ることができなかったのが残念です。
高校時代は帰宅部で、それ以外に受験に関係ない科目の授業に受験勉強したり、
授業や行事を抜け出して高校のそばの公民館の冷房の聞いている部屋で勉強したり、
伊丹市の図書館が冷房効いて勉強できるので夏休みに通ったりしていたのが懐かしいです。
真剣に勉強したので、今での年に2-3回は受験の夢を見ます。 (^_^;)
さて、2017年7月から2019年3月末まで
1年9ヶ月ほど大学の職員で勤務しました。
その間、2回ほどセンター試験のお手伝いをしました。
といっても戦力外なので、試験当日の校門での入校者者チェックと交通整理係です。
とても寒いので、バイクのオーバーパンツを履いて、コートの下にもウィンドブレーカーを
着込んで、万全の体制で臨みました。
隣接の私学中学校の入試時期を重なり、その受験生の親がマイカーで子供を送迎するので
バス通りで渋滞するので、そのさばきが大変でした。
親は子供のことしか頭になく、自己中になっており、公共のことを考えない
情けない人種と感じてましたねぇ・・・・
その情けない人物の対応で一番苦労したのが試験終了のタイミングです。
朝は来て降ろしたらすぐに立ち去りますが、お迎えの夕刻はいつ出てくるのか
分からないので路上停車して待機します。
その車を別の場所に誘導するときにひと悶着あります。
一旦、止まると動く際に文句が多いので、途中でコツを掴み車が泊まる前に路上に出て
誘導するようにすれば、たいてい止まらずに去っていきました。
今となっては懐かしい思い出です。
今も、車の交通整理に職員が駆り出されているのでしょうねぇ。
【参考】
※
大学入試の方法が昔と様変わり - KOfyの「倍行く」人生 2017年7月22日
※
37年ぶりの母校大学祭訪問 - KOfyの「倍行く」人生 2014年11月3日