愛猫・西子と飼い主・たっちーの日常

亡き西子とキジロウ、ひとりっ子を満喫していたわおんのもとに登場した白猫ちくわ、その飼い主・たっちーの日常…です。

招き猫

2006年07月07日 | たっちーの部屋
 最近の僕のブログの常連・氷花さんが「まねきねこ」について「なぜ、そんな名まえがついた「もの」があるのかわからないけれど」とコメントを入れてくださいました。
 僕もこれを読んで、「聞いたことがあるような気がするけど、なんでだろう?」と思い、早速、ネット検索。というわけで、今回は、招き猫について。
 招き猫の由来は、諸説ありますが、もっともポピュラーと思われるのが「豪徳寺説」です。
 江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝さんが、鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかったとき、門前で手招きするような仕草をしていたお和尚さんの飼い猫に引かれて、寺でちょっと休憩することに(お殿様も猫好きだったんでしょうね)。すると、間もなく雷雨が―。雨に降られずにすんだことを喜んだ井伊直孝さんが、後日、多額の寄進をしたことをきっかけに、それまで荒れていた豪徳寺が盛り返したそうです。お和尚さんは、この猫が死ぬと墓を建てて弔い、後世には境内に招猫堂が建てられて、猫が片手をあげている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになったというお話。
 次いで、紹介されることが多いのが「自性院説」です。
 室町時代の武将・太田道灌さんが、戦で劣勢に立たされて道に迷ったときに猫が手招きして自性院にご案内(武将も猫好きだったんでしょうね)。これをきっかけに、劣勢だった戦を盛り返した太田道灌さんは、この猫の地蔵尊を奉納したことから、猫地蔵を経由して招き猫が成立したというお話。
 ウィキペディアでは、この2つのお話が紹介されていますが、このほかにも
①江戸吉原の遊女・薄雲さんが、飼い猫に命を救われたのを感謝して、西方寺に猫塚をつくって供養したというお話。
②江戸小石川の豪商の娘の冥福を祈るため、自性院に猫面(なぜ?)の地蔵尊を奉納したというお話。
③江戸両国の2軒の遊女屋さんが、金猫と銀猫の置物を飾ったら繁盛したというお話。
④江戸浅草花川戸の老婆が、夢に出てきた飼い猫のお告げで、今戸土人形の裏に「丸〆」の印を付けて売り出したところ繁盛したというお話。
などがあって、探せばもっとありそうな予感です。
 しかし、残念ながらどの説も手招きする猫の置物の「招き猫」に繋がっていかないとのこと。中国の「猫が顔を洗うと客が来る」という故事も影響しているようで、諸説入り乱れているのが現状です。
 いずれにしろ「猫好きは得をする」ってことはたしかなようです。
コメント (5)
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