新笠通信 奄美電信版

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長期間にわたる信用を付与する際に生じる判断の目安となる判定分岐点と判定基準が有する問題点

2007-05-25 12:58:40 | 4F
みなさんおはようございます

本日の調子はいかがでしょうか こちらは気温が30℃を超えるのではないかというような日差しが朝から降り注いでいます

前回の女性論は男性読者を対象とした内容に感じられましたか?女性読者は女性全体を客観視した講義などを受けられた経験があるのでしょうか?
戦後の女性ほど社会身分が細分化された属性はないと考えられます
女性自身の手による社会身分階層化構築の歴史であったのではないかとも考えられます

究極には自分の居場所構築なわけです
男性社会と共存しながらの居場所を構築してきたわけです

これ以上進めると人間の存在意義にまでいきついてしまいます
一般の女性などが見向きもしないような文章になってしまうわけです

それでは閲覧したことにより何かが得られるのかという疑問が生まれるわけです
細分化されてきた女性の社会身分階層の解説を受けたらためになるのか? ということです

そればかりは読み終えてからでないと誰もなんともいえません 私にもよくわかりません

冠婚葬祭の話をします
私の地域ではお年寄りがなくなると例外なしで集落の住民全員でお葬式をあげます
地域外の人に説明すると集落のお年寄りがなくなるたんびに血縁的に近いわけでもない隣人のためにお葬式の準備から告別式から片付けまでの一通り全てを集落すべての人が参加して運営するわけです

反対に結婚式は集落に若者がほとんど存在しないので数年に1回あるかないかです

私たちの地域では個人個人の特別な思い入れの存在という点では形式的であるが最後だけは亡くなられた方全てが平等であったということになっています

私たちの地域の社会身分は年功序列型といったほうがわかりやすいかと思います
若者は社会的地位が低いということになっているので自分の考えを表現しません
まわりは全て年上の身分が高い人に囲まれているということになっているからです
出生年齢順の社会身分が通用しています

私たちの地区で育つと自己というものの概念をなかなか養うことは難しいのではないかと思います
他者を気にする時間が長すぎるのです
他者を気にして他者の行動を模倣している自分が自己であるのでオリジナルの自己というものが存在しないのではないかと考えられます

地域の生徒がおかれている環境はサービス提供者の先生ではなく師範としての先生と出生が先であるということだけが根拠として身分が高いとされている先輩に囲まれているといえます

偉いとされる人々に囲まれた状態での思考を要求されているのです
まわりが偉い人ばかりであれば生徒はいくら思考してもとるにたりないこととして相手にされなさそうという感想を持つかもしれません

まわりに偉い人ばかりいたら偉い人が説得できそうな言動をとろうとする思考がうまれるでしょう
生徒の時期から偉い人の顔色を気にした発想だけが向上していくかもしれませんね

誰かの目を気にしている生徒ばかりであれば自由な発想を持つ生徒はほとんどいないということです
県内を生涯にわたり生活の拠点とすることが望まれている人であれば自由な発想に若干かけても難儀することはないでしょう

自由な発想にかけた人は県外の人と共存する場合必要以上に苦労する可能性があります
他者の目ばかりを気にしがちないなかの人を見て不自由であるとの印象を受けるでしょう

この人は人の目にかなったとしてどのような恩恵を受けることができるのであろうか
というような漠然とした疑問を抱かせてしまいがちであるといえます

都会では思考が単純です
世の中のしくみはほとんどが形式的なものであると理解されているので結果だけを要求してきます
あまりにも大勢の人達により社会が営まれているので結果や実績だけで他者を評価しないと時間がいくらあっても足りないのです

他者を説得させることが可能な結果や実績は個人差があります
ありとあらゆる年代から実績を残す人物が現れます
結果や実績を重視する社会には出生順に信用を無条件で付与するという基準はありません
先に生まれたからといって結果や実績と同列に先輩後輩の識別による評価を行なっていれば結果や実績の絶対的な価値が低下してしまうのです

結果や実績だけを信条としている世界の人種は上下身分関係社会では共存が不可能であると考えられます
無条件で年上を敬うということの概念を持っていないと考えられるからです

出生別の上下関係を重視するのは学業期間だけにとどめておかないと一般社会での現実にそぐわなくなる可能性があると考えられます

私たちの地域では出生別の上下関係意識が重い比率を維持しています
一般社会で上下関係意識を利用した契約を要求された場合を考えます
金銭消費貸借契約を要求してくることが考えられます
労働契約締結を要求してくることが考えられます

上下関係意識を悪用した上での契約が横行しないともいいきれないわけです
後輩の立場からしてみれば自由意思による契約のつもりではないのかもしれません
上下関係意識の濫用は脅迫行為そのもであるということです
先輩が後輩に絶対やってはいけないことが確実に理解されていなければなりません
女性に乱暴してはいけないということを誰かが教えてやったほうがよい大学のクラブチームなどが存在するかもしれません

昔は後輩が先輩に対してやってはいけないことや先輩が後輩に対してやってはいけないことといったことの伝承がうまくいっていたと考えられます
都会では先輩後輩間の接触がまったくとれません。地域社会そのものが個人志向です。下校後に塾に通い夜遅くまで起きて朝登校して学校で一日中寝るような生活を小学校の時から経験している人だっています

自由な発想を必要とする職業がなかったら自由な発想などは不要なのかもしれませんね
制度的に職業とされている職種へ就けば余計なことを考えなくてもよいという思想が強いのかもしれませんね
公的な職業に就くことが期待された教育体系がとられていると考えられますね
考えられる様々な教育体系から考えてみれば幾分ましであるとも考えられます

今日のタイトル 長期間にわたる信用を付与する際に生じる判断の目安のとなる判定分岐点と判定基準が有する問題点 でありますが誰が信用を付与してもなかなかうまくいくものではないということが確かであるといえます。
長期間にわたる信用を付与したとたん手のひら返したかのようなふるまいをはじめる集団に豹変してしまうというのが俗世間の実体であるといえます
集団としても個人としても大差はないと思われます
信用を付与したのちの行動を予測したつもりであっても期待通りにはいかないのが人間社会そのものであるということです
信用付与基準の考案にウェイトをかけることは間違ってはいないが信用を付与された人物ののちの行動というのは幼年期からの人生経験の積み重ねが如実ににじみ出てくるものであると考えられます
信用を与えた人物が高い志を維持した状態で行動を継続することが期待されているわけです
信用を与えたのちに志の浅さを露呈しはじめた人物を抽出し公開の対象として次第に分離するような動きが出てくるのかもしれません

個人間の世界では双方円満の婚姻を実現するために信用を与えるのでしょう
組織と個人間では双方円満の社会身分関係を実現するために信用を与えるのでしょう(学校に在籍すること)
組織と個人間では双方円満の労使関係を実現するために信用を与えるのでしょう(雇用関係を結ぶこと)
もうひとつは双方円満の金銭消費貸借契約の実現であるともいえるでしょう(融資を受けること)
個人が組織に信用を付与することで資本関係を実現するでしょう(出資などの投資)
組織が組織に信用を付与することで資本関係を実現するでしょう(出資などの投資)
組織が組織に信用を付与することで融資を実現するでしょう(債権債務関係)

信用付与がうまくいっている人のことを人生がうまくいっているとの見方があってもよいのではないかと思います
誰もが実現困難なことが理想的な婚姻であったり理想的な就職であったりすると考えられます
組織の中でみたら理想的な上司や部下に囲まれているかということであったりすると考えられます
組織運営の立場で見たら安くて丈夫で長持ちするタイプを確保したいと考えるでしょう
究極には長期にわたり利子や配当をもたらす組織との関係を望んでいるといえるでしょう

一般には利子や配当の動向に左右された行動をとる人生より婚姻や就職がそこそこうまくいっている人生のほうが後悔もなく有意義な人生であると考えられます

全てを手に入れようとしたら全てが手にはいらないのが人生であるといえるので婚姻でも就職でもなにか1つだけでも信用付与に成功すればよい人生であったといえるのではないかと思います

個人や組織を信頼して関係性を構築していくということはそれほど長くはない時間の間に個人や組織を選択するという究極の行為であると考えられます

究極の選択のことばかり考えていては少しも前進しないことが考えられるのでたまには人を褒める練習をしましょう
私は人を褒めるのが下手です
人を褒めたら責任が発生すると考えられるからです
人を褒め他者に同意を求めたら褒められた人は期待はずれの行動をとれなくなります
褒めた人によっては長期にわたるプレッシャーとなることが考えられるのです
他者に人を推薦するという行為は3者の間で信頼関係が構築されていないとなかなかできるものではないということです
推薦された人が期待はずれの行動をとった場合推薦した人は紹介した人の期待を裏切ったことになってしまいます

褒めるにしても信頼関係に変動が発生しないことが確認された場合でないとなかなか人を褒めるということはできないのです
それでも褒めることはよいことに違いはないのですが地域によっては目上の人ばかりが褒めるという行為をしているのかもしれません

褒めるということはよいことですが評価が発生しています
褒めちぎっている人というのはむやみに高い評価を与えているように見えるのでそのうち信用を落としてしまうような気がします

それでも褒めないと人は喜ばないかもしれないから褒めることはよいことです
かんじんなことは褒められたい人から褒められたかが問題となるのです
褒められたい人から褒められた時が一番嬉しい
というのが自然な感情であると思います

誕生日に弟の嫁からカジュアルシャツをプレゼントでもらいました
嬉しいとはこういうことをいうのですね
少し違うかもしれませんが少なくともよいお嫁さんでよかったということです

青森県出身の一人っ子ですね
まあよく青森―鹿児島間の婚姻を実現してくれたものだと思います
当人達の現役時代の生活拠点は関東であるので青森も鹿児島も事実上関係ありません

弟の話はこれくらいで
うちの弟や妹達は立派であるということですね

現代ほど安易に他者や組織を信用することが難しい時代はないように思えます
しかし昔のほうがもっと難しかったといえるでしょう
現代は各種データの蓄積により統計情報の精度が格段に向上しています
統計的に予測可能な現象が増えてきているということです

突然変異的な珍しいことが発生する可能性が低下している画一的な社会環境が構築されたといえます
予想外や想像外の出来事に対する関心が高まるのも自然なことであると考えられます

あまりにも情報が揃いすぎてしまっているので前もって人間行動が予測されてしまっているのではないかとも思えます
将来が容易に予測されるような社会では生き生きとした住民が減少してしまうのではないかと考えます

予想外のストーリを持つ作品はやはり付加価値をもっていると考えられます
社会の基盤に変化はないが変化がみられないことに起点を発するエネルギーの流れが創造の世界へ移動し細分化された創造世界の中で多くの人の充足感に影響を与え続けることに価値が見出せるのではないかと考えます

男性は積極的に信頼関係の構築を実現したほうがいいですね
どういうことをすれば信用を得またはどういうことをすれば信用を失うのかということです
どうして所属以外の集団からの理解を得られているのかもしくはどうして所属以外の集団から理解を得られていないのかを要点を絞ってまとめておくとどうしたいからどうするという流れをつくることができるのではないかと思います

同様に女性も信頼関係の構築の手続きが向上したほうがよいのかもしれません
あまりにも他者の目を意識していない女性に対してはいつまでおよそ自己中心でいられるのか終了する時から期間を逆算する作業を勧めたいともいえます
現実世界での不確実性事象に対する期待から面白可笑しく遠くから見ている人が多いと言い換えることもできます

ということで漠然と個人を信用してうまくいった人や漠然と組織を信用してうまくいっている人にはかなわないのかもしれないということです
社会通念や各種統計資料に基く確実性を重要視してしまった場合には確実性は実現されたとしても不確実性は実現することができないのかもしれないということです
不確実性が強い機会遭遇のロスが発生してしまうということですが不確実性が持つリスクを許容することが変化への歩み寄りだともいえます
不確実性を楽しむことが冒険であるとも考えられます。しかしリスクの負担に上限を設定しがちなため真の冒険者からの理解を得られることはなかなか難しいともいえます
信用を与えた先の長期にわたる共存の過程で平行線をたどれることが理想なのかもしれません
ひきつけあうのも反発しあうのも当事者同士の勝手ですが長期にわたる安定を実現するために信用を与えたのは双方とも共通しているはずです

信用を与えることとは長期にわたる安定した共存を実現することが目的なのです
長期にわたる安定した共存の実現を双方が希望しているかどうかが問題なのです

長期にわたる安定した共存を実現したいと強く願ってみましょう
そうすれば信用を得られやすくなるなるかもしれませんね

おんなの人論

2007-05-25 05:28:46 | B4
みなさんおかげんいかがでしょうか

好評につき新日本女性論を続けます

戦後もっとも身分変動が起きたのは女性社会であります
本当のことです

家父長制的精神概念拘束から自由になったのです

男女平等社会の理念を占領国がもたらしたのです

冒頭にある新日本という表現は戦後と言い換えられます
かけことばとして終戦直後に用いられていた意味の新日本女性が昨今増化傾向にあることを憂いての表記ともなっています

平等になると不平等であるといわれていた時代に有利であった男性の各種権限が低下したということです
平等になって不平等におかれていた女性はありとあらゆる制約条件の限界に挑戦してきているということです

限界に挑戦するという行動は男性の専売特許であったわけです
限界に挑戦しないと集団の安定化が実現できない時代が長く続いたからです

女性が限界に挑戦するということは事実上男性社会への新規参入が起きたということです
男性世界全体の権益は各時代を通じほぼ変動がないとみなせるので新規参入した女性の人数だけの男性が男女世界から撤退を余儀なくしたということです

戦前の家父長制理念時代は1人の男性を多くの人がサポートする時代でした
戦後の男女平等社会は1人の人間がより多くの人からの支持を得ようと競争するようになってしまいました

今まで支援に専念していたであろう人たちが男女を問わず私が私がと我先を争うようになりました

みなさんが個人の限界を追及するようになってしまったのでそのエネルギーの分だけ集団の限界を追求することから遠ざけられることになりました
同盟国は私たちの地域の民族が集団の限界を追及したときに発揮する破壊力を十分に理解しているので個々のエネルギーが集団に向かわないようにとなるべく個人の限界を追及するように方向性を与えたといえます

個人が能力の限界に挑むには社会理念の再構築から着手しなければならないでしょう
男尊女卑の流れにあった理念を崩壊し男女平等社会を実現すると女性は際限なく自分の限界に向けてチャレンジをはじめました

男性が限界に挑戦するということの意味を理解した上でないと女性は破滅に向かうと思われます
男性といっても全員が全員限界にチャレンジするわけではありません
男性は限界に挑戦した時からもうすでに全てを失うことと常に隣り合わせの状況にいるのです
廃人になる可能性を覚悟した上での挑戦なのだから間違いなく潔い姿であるわけです

女性が限界に挑戦することがよくないとは言いません
もし男性と競合している状況になったとした場合男性は全てを失うことや廃人になることを覚悟した上での行動をとっているわけだからあなたに最初からその心構えがなければ最初から太刀打ちすることは不可能であるということです
女性が超人的な能力を発揮し競合した男性を打ち負かした状況が多発した場合は男性の精神的な死をもたらします
限界に挑む男性は今後発生しなくなるということが考えられるのです

今日は女性の節度の考慮がなされていなさそうな自由への挑戦をテーマにしています
個人の限界へ挑戦する方向を多くの男女のどちらもがとってしまうと集団全体のエネルギーが低下するということです

1人の男性を大勢で支えていた時代との違いはそこにあるということです
個人の限界への挑戦を継続している限り集団の最小構成単位である家族へはエネルギーの配分が及ばないということです
家族へのエネルギー配分が不十分であるということは地域へのエネルギーも配分されないということです
個人の理想実現のために家族や地域の健全な成長を犠牲にすることができる人などは限られたほんの一握りの少数であるはずです

誰もが集団に煩わさせられることなく自分の限界にチャレンジしたいと思う時代がとっくの昔に訪れています
そんな選ばれた小数の人間でいられる時間は短いのだからいずれ長期にわたり誰かの役にたつことができる環境におちつかないとちまたには全てを失った人や廃人であふれかえってしまいます

そしたら地域の出番となるわけです
個人主義の行き着く先には社会的セーフティーネットの待遇が待っています
地域は社会的費用を配分しなければならなくなるというわけです
話はかわりますが母子家庭よりは通常世帯家庭のほうが断然好ましいということです
通常世帯を目指して一生懸命努力をしている人や美しい通常世帯の増加のためにありとあらゆる努力を行なっている人のほうが断然多いわけだから男性にもっとしっかりしてほしいということです

地域は母子家庭比率の数値的目標を掲げ通常世帯の増加を促進し数値目標を実現したらお見事です
いつまでも高比率な母子家庭地域であってはいけません
ここの地域の女性が国内で一番弱い立場にあるということになってしまいます
といっても男性を見る目を養ったとしても期待できる男性の絶対数だけは増加するものではないから困ります

今日の女性論はいかがでした
個人主義には時間的制約がある人が多いということです
いずれ個人主義から集団主義に移行するタイミングが発生するということです
若い時に時間的期限を設定して個人の限界に挑戦する時間的制約を自分で設定したほうがよいということです
比較的早い段階から集団に貢献した者はのちのち個人の限界に挑戦する時間を与えられるものであるともいえます

個人主義とは社会制度への挑戦であるといえますね
婚姻の選択と出産の選択を迫られます
死に場所を選んでこの世から去ることは困難であると考えられるので次世代へバトンを渡さなかった場合は社会福祉団体の世話になりながらお別れになることが考えられます