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意欲的にね

2007-05-27 23:11:27 | B3
次のタイトルへむけて予習をはじめましょう

はじめなくてもよさそうですね
欲の種類をあげましょう
食欲
睡眠欲
性欲
労働意欲
いっぱいありそうですね
この中で一番大事なのが労働意欲ですね
労働意欲の阻害要因を排除することはもっとも効果が高いと考えられます
なぜかというと欲を実現する中で労働意欲が低下した場合すべての欲の達成から遠ざかるからです
労働意欲や勤労意欲を減退させるものはなんなのかということです
勤労意欲を失わせるものとはいったいどのようなものなのでしょうか
元気を奪われたときにやる気をなくします
元気を奪われたとはどのような状況をいうのでしょうか
あなたのまわりに元気を奪ってしまうような人はいませんか?
労働意欲が低下するには理由があるのです
他者の存在が原因であると考えられます
どのような人を見たら元気がなくなりますか?
元気がない人をみたら元気がなくなるような気がしませんか
子供が一番元気でなければなりません
元気のない子供を見ることほど元気を失うことはありません
元気のない子を見かけたらどうしましょう
元気のない子の親も元気がなかったらもっと悲しくなります
親の元気を奪っている人は悪い人ですね
元気のない親をみたら子供も元気がなくなるではありませんか
いろいろな親と仕事をしている人は親が元気をなくすようなことをしてはいけません
まわりの親が元気ないのに自分の親だけが元気いっぱいでもこれもまた不思議なもので子供の元気がなくなるものなのかもしれません
とっても難しいですね
今まで元気だった人が急に元気がなくなることもよくありませんね
欲がかなわないからといって元気がなくなるようなことはあってはいけませんね
欲がなければずっと元気でいられるのにねと思っている人もいるかもしれません
やりたいようにやっている人はなぜか元気です
やりたいようにやっていいない人は当然元気がありません
したいことをしないことで交換を実現しているのであるのにできないからといって元気をなくしている人もいるのかもしれませんね
したくないことをやっても元気でいることが集団生活そのものですね
やりたいことはやりたいしたくないことはしたくないというのが欲そのものですね
みんながみんな欲をもっているからしたくないことそのものに価値が発生してしまうのですね
みんながやりたいことには価値を認めないことでバランスをとらないといけないのですね
やりたいようにやっている人を見たら元気がでるのですよ
好きなことをなるべく小さなときにみつけて好きなことができるようになるために集団生活を送っているのですよ
好きなことが見つからなければ集団生活がつまらなくなるのは当然なのですよ
好きなことをはやくみつけてそれを職業にしてしまえるようにがんばらないといけないのです
この文章の閲覧者は中高生に限定したいですね
大人が大人にむかって元気を出そうねといっても大人の世界は単純じゃないのですね
先生や親は元気であって当然ですね
でも元気のない親がいるかもしれないから大人の世界もっとがんばということになるのですね
子供がいつまでも元気でいられるような社会のしくみをつくるのが大人の役目ですね
どうしてここでいわないといけないのかというと
子供がいつまでも元気でいられるように大人の社会のしくみをよくしていこうと努力している人が少ないからですね
子供がいつまでも元気でいられるようにと願うことよりもっと別なことを願っている大人が多すぎるということですね
子供がいつまでも元気でいられるようにするためには子供が大きくなるまでのうちに大人の社会を元気にしておかなければならないのです
簡単なことほど大人になるとわからなくなるものなのです
子供が元気でいられるように本気で大人の社会をよくしようとしている人が少ないだけなのです
大人の社会があまりよくないものであれば子供がいつかよくない社会に巻き込まれてしまうのは当然のことです
自分の家族だけはうまくいくと思っている人もいるかもしれませんが子供はいつしかあまりよくない大人の社会にいる人と接触をもつようになってしまうものなのです
難しいですね
大切に育てれば育てるほど大切に育てられなかった人との境界が明確になって大切に育てられなかった人は嫉妬し大切に育てられた人に危害を加えることで充足を得ようとしてしまうのです
平等社会じゃなかったということがばれたら報復行動が発生するということですね
元気を失う原因というのがこういう場面で発生しそうですね
大切に育てられていなかったというような認識を子供が持ってしまったら大切に育てられている人を知ったときに元気をなくすのかもしれませんね
やはり他者の存在というのは気力の低下の一要因であることが多いと思われます
他者とは異なる境遇であるためにやる気が起きないということではないかと思います
圧倒的な境遇の差は無気力を引き起こすものなのかもしれません
勤労意欲を失う原因は身内の者の行動にもあるのかもしれません
身内のものがとる絶望的な行動に対して無気力が発生するのかもしれません
身内が絶望的な行動をとると家族の存在意義の1つである共同作業を行うことの意味を失ってしまいます
共同作業を行なっている家族の1人が破壊的な行動をとるときです
家族である必要がまったくなくなってしまいます
家庭内暴力をふるう身内と共に社会生活を送るということは並大抵の忍耐力をもってしても困難なことであると思います
浪費癖も家庭における破壊的行為のひとつであると思います
家族を支えているすべてのものが家庭の外で社会生活を営んでいるのに不要不急と感じられる金銭浪費行動をとると安定した家族運営を共同作業で行なうという大義名分が崩れてしまいます
浪費者がいるということは家族の一員の勤労意欲を削いでしまいますね
常軌を逸したお酒の消費や賭け事への出費や購入者の欲の充足にしかなりえない浪費をするものと家族としての共同生活は送りたくないけども家族の枠組みでしばられているので勤労意欲をなくしてしまうということですね
拡大解釈し会社などの組織でも一部門で浪費者が現れたら平等に共同作業を行なっているという前提が崩れてしまいますね
一部の者がいじめをはじめたり暴力的な野蛮な行為をはじめると組織の誰もが共同作業を行なう意欲を失ってしまいますね
少し説明がおかしくなってきました
たてまえで平等という言葉をふりかざしてしまっているから実際に存在する本質的な平等差について不平不満が発生してしまうそして集団の中に存在する差異のために勤労意欲が低下している層が存在するということです
差があってそれが縮まることがないととらえた人は勤労意欲が低いであろうということです
格差を意識している限り生き生きとはふるまえないようなってしまうのかもしれないということです
みんなが元気にならなければいけないから格差とは何なのかとしておきましょう
ここの地域の特性は事業者の家族と従業員の家族の間で相当の格差を設定しているということです
中規模以上の事業者は存在しません
事業者は事業者の家族すら守ることができない状況であるといえます
それでも事業者の家族はまだましなほうです
従業員の家族より事業者の家族を優先しているということは事実です
ここでそんなことを書く必要があるのかどうかはわかりませんが格差を説明するには事業者の家族を話題にすることが一番公正であると考えられます
守るべき対象が従業員であるので当然です
従業員は生き生きとしていなければならないのです
事業者は従業員を本気で守りたいのであればはるか昔に行動をおこして今現在あるような状況には到らせなかったはずであります
事業目的と家族運営をいっしょくたにしているからいつまでたっても従業員を守れないのです
しかし事業者のこともフォローしておかないとばちがあたるかもしれませんね
事業者は誰に守られるべきかということですね
事業者は相談相手が減って当然のようなことを重ねていることを気づいてはいないと思います
従業員を所有しているという感覚がよくないのかもしれません
従業員を所有していないという感覚もよくないのかもしれません
最初から責任をとる能力がないという現実も考慮しなくてはならないのかもしれません
儲かることは実行して儲からないことには手をつけないのが事業者であるから誰もフォローしてくれないのでしょう
やりたくないことをやっている人にはフォローがまわりやりたいことだけをやっているようにみえる人にはフォローがまわらないということです
従業員を抱えることはやりたくないことですね
銃乗員に対して責任をとることは難しいことですね
やりたくないことをやらないで難しいことに手をつけないからフォローが入ってこないのでしょうね
事業者を支持するのは従業員しかいませんね
事業者の能力を越える従業員を多数抱えていることで万事うまくいきますね
能力の高い従業員はほおっておいても契約をとってきたり顧客を創造したりするのでしょうね
権限を制限されている従業員が仕事をとってくることはありえませんね
事業者が与えている不自由な環境が従業員の成長を阻んでいるのでしょうね
事業者の分類は個人完結型と家族経営型と零細企業型に分類したほうがよいのでしょうね
小規模企業まで存在するけれども地域特有の企業論しか展開することができませんね
個人事業主は全国どこへいっても多数存在するわけだから共通事項が多く見出せます
小規模企業・零細企業の中でも家族型経営が含まれる零細企業に対しての言及となっていますね
零細企業の従業員の立場は全国共通で厳しいものがあるでしょう
地域において大多数を占める零細企業の従業員がおかれている環境を解明してもよいのでしょうか
全国の零細企業の従業員と比較してということになりますね
率の悪い作業であるようにも見受けられますね
全国区でとらえても零細企業の従業員より待遇の悪い環境が存在するのかとなってしまいますね
やめたほうがよいですね
農家ははっきりいって零細企業ですね
零細企業には税金負担は厳しいものがあります
事業者は税制について少しでも発言したことがあるのかということですね
もっと担税力がある法人に外形標準課税の適用を受け入れてもらうよう税金分担をお願いするなどの行動をとらないといけないということですね
話題が飛躍しすぎていますね
担税力がある大きな法人は零細企業の立場をとことん弱めてくれるものでありましたね
零細事業者にフォローの風はふきようがありませんね
事業主の立場を堅持することだけが存続意義となっている企業が多いからなかなか強みを見出すことはできませんね
いったん中規模以上の組織の枠組みから旗揚げし独立を実現してしまうとなかなか独立を支援してくれる御時世にはありませんね
ないものが多すぎるのです
金ないネットワークないテクノロジーない人脈ないのないないづくしでは立場が悪すぎますね
結局独立していることだけに意義があるのかもしれないので少しでも早く存在意義を確立する必要がありますね
負債を負っても継続する社会的意義とは
やりたいことをやっているわけでない場合だけが壁に直面するのですね
独立していることがやりたいこととなってしまっては社会に対して存続することの意義をアピールすることはできませんね
やりたいことを実現するために存在しているといいきってしまわないとよくないですね
やりたいことをやっているのでなければ社会のどの分野に対して確実に貢献しているということを強くアピールしなければならないですね
やはり一番やりたいことを強くアピールしないと誰にも何も伝わらないということですね
儲からないことをやって廃業する人ははじめから事業にはむかない人ですよね
儲かることをやって儲けている人はやはり事業者ですよね
儲かるからやっていると堂々といえばみんなに伝わりますね
儲かるからやっている人に難しい理念を要求すること自体本末転倒であるといえるのかもしれませんね
儲かりだしたらいったん立ち止まって立場の再確認を行なうことや足の洗いどころを見極めることをしないと従業員に負担をかけてしまうのでしょうね
零細企業に神の祝福を
としかいいようがないですね
零細企業がんば
楽しくなきゃ零細企業じゃない
まじめに考えるからうまくいかないという不思議な世界ですね
永遠に面白いことや楽しいことだけを考えておかないとトータルで損ですね
零細企業という言葉すら使いたくもない単語ですね
このような言葉が生まれてくること自体おかしなことですね
ポジティブの粋を極めたものが企業です
きれいごとばっかりいってる企業はしらけてしまうものですがぐちぐちいっている企業はどこにも相手にされなくなってしまいますね
ポジティブのかたまりが企業です
世の中をおもしろおかしくしていくことが使命です
従業員が生き生きしているのが企業です
活きのいい企業には活きのいい人材が集まってきます
活き活きした連中で世の中を活き活きさせることが使命です
活きのわるい連中のところには近づかないことで生きながらえましょう
活き活きしている人がつぶれることはありえませんね
やはり零細企業の事業者は何をみると元気がなくなるのか大きな声でいってまわるのが一番でしょう
元気がなくなるものをみるたんびに一発かますことがお仕事ですね
勤労意欲を失わさせる事象について文句をかまし続けましょう
元気が一番です

よめるもんなら

2007-05-27 19:47:41 | B5
ぺんぎんさんはかわいいですね
キティーちゃんもかわいいですね
ペンギンさんはひとシーズンはなればなれになっている相方を本当に判別することができるのでしょうかね?ペンギンさんの子供はなきごえだけで親を見分けることができるのでしょうかね?ペンギンさんの肩から出ているあれはなんなのでしょうかね?羽なんでしょうか?手なんでしょうか?人間の腕は昔はねだったのでしょうか?翼であったのなら足の指が発達しないと不自由でしょうね。手なんかがあるから空を飛べないんでしょうね。いつか肩甲骨のあたりに翼が生えてきたりはしないのでしょうか?力学的にエネルギーの消耗が著しいことが考えられるから本体の質量が軽くないといけないんでしょうね。自由にとびまわることを可能とするならばエネルギーの摂取量は膨大なものとなるんでしょうね。水陸両用の心肺機能を得ることはできないんでしょうね。エラがついてたらすごいことですね。水中の酸素を摂取することができるなんて素晴らしいことですね。人魚姫が本当にいたらもえることもあるんでしょうか?人魚姫はなんかよくわからないけど美しく描写されることが多いですね。人魚姫に足があったら幻滅するかもしれませんね。人魚姫にはやはり腕がないともえませんね。腕のない人魚姫なんて想像もできませんね。髪の長さは長くてストレートじゃないほうがよいんでしょうね。ショートヘアの人魚姫はかっこいいのかよくわからないですね。人魚姫なのに丸坊主というのは興ざめかもしれませんね。少しはまともなことを言いそうな感じもしますね。人魚姫は肺呼吸ができるのでしょうか?海辺でこっそり会うにしても男のほうは足がはえていないとせつなさを感じることは難しいことだと思います。やはり男は肺呼吸しかできないからつかのまの人魚姫との出会いを惜しまないといけないのでしょう。いっしょに海にはいったら当然どざえもんになってしまうのでしょう。できることなら海岸に漂着することだけは避けたいものですね。直射日光にあたりながら腐乱してさらに微生物にたかられる姿なぞ想像もしたくないものです。海底の深くをゆっくり漂いながら太平洋戦争時に撃沈され海底で眠っている戦艦のキャビンあたりにいきついてほしいものだと思いますね。人魚姫は泡にならないかぎりいつまでも生命を持ち続ける不老不死の存在なのでしょう。出逢った男がことごとく短命に朽ち果てる姿など見飽きてしまって感情の発生すら起こらないとしたらこれほど嘆き悲しむべきことはないでしょう。人魚姫だけが取り残されても人魚姫が泡になり男が取り残されてもどちらも悲劇であるといえるでしょう。出逢った瞬間が二人にとって永遠であったかどうかということがすべてなのでしょう。浦島太郎を乗せて龍宮場へ案内した亀さんは無責任なものだと思います。玉手箱の中身を教えてやるべきであったのかどうかはなんともいえませんが両者の合意のあとがみえない片務的取引をさせてしまったということは事実でしょう。亀さんを助けた浦島太郎にとって現実世界は不必要であったといわんばかりではないですか。現実世界の他者との関係性をすべて断ち切られてしまっているのですよ。しかも玉手箱を受け取ったがゆえに余命そのものが大幅に短縮されたではありませんか。玉手箱を開けたのち数年と生きることはできなかったでしょう。それでも浦島太郎にとってはよい人生であったのです。弱っている亀さんを助けて亀さんはとても喜んだので生きているうちは楽しむことだけをして楽しみが終わった時には次の世界へ逝きやすくなるようにとりなしてくれたわけです。現実世界に価値を認めて依存している考え方からすれば他者はみんな死んでしまって周囲との関係性をすべて失ってしまったではないかという関係性を財産とした基準でとらえると亀さんって無責任ねともいえるわけです。それでも亀さんは現実世界の関係性より龍宮場での生活をよりよいものとして案内してくれたわけだから亀さんの考え方には自信があったのでしょう。ここの世界のほうが素晴らしいよと言いたかったのでしょう。龍宮場へはよいことをしないと案内されることはありません。万人に1人として案内される可能性は低いのだから現実世界での他者との関係性をおろそかにしてはいけませんよということです。実際私たちは龍宮場の亀さんが受けたほどの感激を誰かに与えたためしなんかはっきりいってないはずです。いじめられている亀を見て見ぬふりをみなさんなさっているのですよ。それどころかいじめるほうに加担するそぶりすら感じさせているのですよ。いじめられている人間を見たらまずいじめられているなと感じましょう。そしてこの人はなぜいじめられているのかを想像しましょう。そしていじめている人たちはいじめることにより何を守ろうとしているのかを見抜きましょう。いじめておかないと継続的に得ることができない何かがあるからいじめているのです。その場かぎりの気分であるのかもしれません。人間はいいかげんなものでたまたまいらいらしていてとりあえず手当たり次第にいじめてみたというようなこともあるのかもしれません。いじめることにより客観的に優位な立場を演出したいだけなのかもしれません。いじめるにはいじめた先にある快適感の獲得を伴なうものだと考えられます。快適な状態へ到るためにとりあえずまずは弱そうな者をいじめて快適な状況が拡がってゆくように仕組んでいるのかもしれません。いじめる側にたっていれば当面の快適な状況は維持できるのかもしれません。それでもいつまでも快適な状態が続くと思ったら大間違いであるということです。いつまでも快適な状態にあるようでいても実際にはいじめられている人といじめられている人を助けた人同士だけがもっともかけがえのない快適な状況を手に入れたということが起こりうるのかもしれません。しかもこの両者はいじめている側には絶対に気づかれない方法で快適さを共有しているのかもしれません。いじめている側というのは価値観が硬直的であると考えられるので本当の快適というものを知らない可能性があります。いじめている側の者が取るに足りないものと認識して捨て置いている事象こそに価値があったということも起こりうるのかもしれません。いじめる側にまわっている限り誰も本当の価値を教えてくれる人など現れないということです。人はほおっておけばそのうち誰かをいじめはじめるものだからいじめはじめたものには価値を知らないものが大勢よってたかって群がってくると考えられます。本当に価値を知っているものはいじめはじめたものたちから遠ざかる習性があると考えられます。いじめることによって当面の安定を築きあげているもののまわりには価値のないものであふれかえってしまうということです。今日ここでいじめをテーマにして記述していますがこのような文章を読んでも読まなくてもいじめをしない人はこれからもいじめをしないしいじめをしている人はこれからもいじめをするのです。他者の内面に触れたぐらいで性向がかわるような人間はいません。すべての人がありのままの世界と接触していて人間世界は悲しくも美しいものが希少であるのが現実だから当面の関係性に変化をもたらすような行動を起こすことが困難なようにできているはずです。昔からいじめるものといじめられるものがおる以上どちらの立場もとれないという状況にそうぐうしてきたわけです。いじめられる側はマイノリティーです。いじめられるものの側にまわった時点でマイノリティーとしていじめられてゆくものです。あまりにもそうした状況に多く直面したため見てみぬふりをする層という新しい立場が生まれたのです。意思を明確にしないことによりいじめる側からも距離を保ちつつ当事者とならないことで当面の安全を確保しているという無関心な層です。誰がみてもいじめる側が有利な立場にあることは明白です。いじめる側に加担すれば多少の実益は得られそうにみえますがいじめる側というのはたいした実益もないのにいじめる立場を維持しなければならなくなっているという面白悲しい状態になっているとも考えられます。実益を分担できなくなったいじめっこは無関心層の支持をえることも難しくなっている世の中であると考えられます。いじめる側には新たな動きが予想されます。結局いじめたほうが正しかったんだよねという既成事実を構築しなければならなくなるので無関心層に対してある種のアプローチを始めることが考えられます。話をそらしたら永遠といじめる側といじめられる側とどちらでもない側の解説が続いてしまうのでこの辺で休憩します。鯛やひらめの舞い踊りとあるが普通に泳いでいるだけなのではないかとふと疑問に思ったりします。それでも普通に泳いでいることがどれだけ美しいのかということが理解されなければなりません。普通に泳ぐということがどれだけ素晴らしいことなのかという意味です。すべての生物が普通に生息しているということはとても自然なことなのですが生物世界が自然に営まれている小宇宙の世界はとても魅力的であるのです。普通を邪魔するのはいつも人間です。最初から人間は普通でないのです。まともであれば普通に存在している生物の生態系に影響を与えるような罰当たりな真似は絶対にしません。それでも生態系に影響を与えているのです。生態系に影響を与えるときはいつだって大義名分を口にします。大義名分を与えている主体だって今さらどうすることもできないでしょう。人口が60億いてうまくやっていけるようにはできていないわけだから減らさないといけないなどとは誰も言わないでしょう。平均寿命が延びていることも悪いことだなんて絶対口にしないでしょう。天命を人為的に変化させたわけだけれども最終的な審判を下すのは天であるから寿命を延ばしたことの評価をいつか間接的に下す時がくるでしょう。自然界に異変を起こすなどとは言いませんが人が殖えたら確実に他の生態系が傷つくということで人類はこれから先数世紀にわたり他の生態系の終焉を見せつけられることになるでしょう。それでも人は殖え続けるのです。
ぺんぎんさんはとてもあたたかそうでぎゅーとしたくなりますね。ぎゅーとした瞬間目をくちばしでつつかれそうですね。ぺんぎんさんの子供もあたたかそうですね。亜熱帯地方につれてくることは残酷なことですね。寒冷地仕様なんだからのぼせてふらふらするんじゃないですかね。お酒を飲んだぺんぎんさんはふらふらしますかね。ぺんぎんさんとこんどゆっくりお酒でも飲んでみたいですね。なにかを語ってくれそうな気がしますね。そばにいるだけでぺんぎんさんになれそうな気がしますね。ぺんぎんさんのスタイルは不思議です。キティーちゃんはかわいいですね。太くて長いひげが両方に3本づつ生えているのにむさくるしさがまったくないのはなぜなんでしょうね。キティーちゃんにお酒を飲ませたらにゃーっていいますかね。いきなり日本語をしゃべりだしたらすごいですね。キティーちゃんはにゃーとかいわないんでしょうね。にゃーとかないたらかわいくなくなってしまうような気がします。何も言わないからかわいいのかもしれませんね。あなたの身近にはにゃーにゃーいってる人とかいませんか。ときとばあいによりにゃーもかわいいかもしれませんがにゃーばかりではね。あまり疲れているときにゃーってこられたからといっててめーぶっころすぞこんにゃろとかゆっちゃいけませんよね。どういうシチュエーションなのかさっぱりけんとうつきませんけど。表参道沿いにあるキティーちゃんショップ「キディーランド」へ行ったことがありますか?そこで等身大のピンクパンサーを買ったことがあります。ピンクパンサーはあまりにゃーとかはいわないでしょう。そもそもピンクパンサーとは何なのかいまだによくわかりません。10年前に買ったピンクパンサーは今もどこかで生きているのでしょうかね。どらみちゃんもかわいいですね。どらみちゃんのような女の子がどのような人かうまく説明することはできませんが悪くはないでしょう。そろそろ本題にうつらないといけないと思うのですが本題そのものを忘れてしまいました。ぼけるまでには安心できる環境を残しておきたいですね。いつ植物人間になるかもしれないのかわからないのが人間であるので常にベストを尽くさないとぼけてからは後悔のしようもないということですね。ぼけるまでの間にまわりを立派な人間だらけにしないといけないのです。まわりが立派な人間だらけであればいつだってぼけることができるじゃないですか。まわりにおかしな人ばかりいるうちはぼけても誰も笑ってくれないのですよ。おかしな人ばかりいるなかでぼけたとき誰かがつっこんでくれる人は幸せな人なのではないかなと思います。おかしな人ばかりでもぼけるだけの懐の広さがほしいですね。おもしろい若者がふえてくれないですかね。みているだけで幸せな気分になれることが増えないですかね。こういった考えは贅沢ですか?少しずつ思い出してきました。元気を与えてくれる人の存在というのは財産であるということです。その人がいるだけで元気になり勇気をもらえるということが素晴らしいということです。誰かが元気な姿が一番エネルギーのもとになるのです。私は元気でいてほしい人がたくさんいるわけです。連絡こそそれこそ長い期間とったこともない人もいます。身内が元気でいてほしいのは当然です。身内でないけど元気でいて欲しい人がたくさんいるわけです。その人達が元気にやっている姿を思い浮かべるとすごく元気がでてきます。これ以上深入りすると危険なわけだから元気でいてほしいわけです。欲をいうときりがないわけだからお元気ですかと言える事はとてもすごいことなのです。これを見ている人もお元気であってほしいわけですがあまりにも身近に感じるでしょうから特には強調しません。それでも元気でいてほしいわけだから伝言をよろしくお願いします。となるわけです。これからもお元気でとお伝えくださいという表現にはとても大切な意味が込められているということです。このような表現を形式上でしか使用していないということはとても悲しいことなのです。決まり文句にはすべての意味が込められているのです。ここぞというときにきれいな表現を使ってこそ日本語の存在価値があるというものです。そろそろおいとまします。元気を与えてくれるすべてのものに感謝しましょう。あなたが無理をしてまわりを元気にしてくれないから生き生きしている人はなおいっそう生き生きと生きていかなければならなくなるのですよ。無理なく元気を与えられる人がふえたらとても楽しいことだとおもいます。元気を与えてくれる人は相当つらい世界も理解しているかもしれませんよ。つらい世界を知らないと生き生きとしていることの意味がわからないという皮肉にもつながるのかもしれません。人間の内面の精神的な部分だけでも生き生きとかえてみましょう。誰に気づかれなくたって自己の内面が生き生きとしていたらとても充実した時をおくれるのかもしれません。ここまで読んでくださったどうもありがとうございました。何か得ることができましたか?ものごとには道筋があるのだからある過程をたどらずに結果を求めたとしてもその結果を自分のものとすることは難しいと思います。むやみに結果を示している人をみかけてもあまり信用できないと思われます。今ここで時間を共有しているかもしれない人とは何かの縁があるのでしょうが誰一人同じ過程をたどって現在地点にたっているわけではないので一字一句をまったく共通の感覚として共有できる瞬間は訪れないような気がします。それでも共有している時間そのものには価値があったと思います。完成の状態を維持できる人間は存在しないわけで誰もが過程の途中であると考えられます。誰もが道半ばではあるが道程で交差したというこの事実に価値は発生しているものだと考えられます。道半ばでのふれあいというものはなかなか魅力的なものであるように感じます。みなさんここまでどうもありがとうございました。これからもお暇であればお時間ちょうだいいたします。みなさんはほんとうにちょうだいしたいものがなんなのであるのかたまには考えてみることも必要だと思われます。ほんとうにちょうだいしたいものを理解することが最初のステップであると思います。ほんとうにちょうだいしたいものがはっきりしたら折り返し地点ぐらいには到達するものなのかもしれません。いらないものであふれかえっているのでしょうから全部整理したとき最後に何を残しますかということです。最後に残したものが一番大切なものであるということです。大切なものがいつまでも残るようにするためにいらないものであふれかえっているということの確認をしなければなりません。それでは

新日本言語を求む

2007-05-27 17:09:53 | 6F
東京優駿の冒頭に意味不明な一句がありましたね

目標に向けて努力することは素晴らしいことです
何かを実現するために周りが見えなくなるほどの執念を遺憾なく発揮している姿はすさまじい光景であるということを言いたかったのですね
男性と女性に区別してしまうと同じ執念という言葉を用いるにしてもまったく同様のものとして使用することはとてもできないということです
何かを実現する時に執念を発揮した場合あたかもまわりを血の海にかえてしまうかのような露骨な作為をおこしがちな性向を示す場合があるようにみうけられるのでとても用心深い記述をしているというわけです
直言することがはばかられるということです
馬鹿正直に記述するのもほどほどにせいよということです
今書いている内容はわかりづらくて当然です
少しでも理解したいと思ったら韓国ドラマのチャングムの誓いでも見てみてください
女官を巡るトラブルだけはなにがなんでも避けたいものだと常人であれば誰もが思うはずです
あまり詳細な記述を行なうと身の危険となってかえってくるのが面倒なので新しい言語を用いて表記しなければならなくなるのです
わざわいを回避するために言いたいことも言えないというつらい状況に陥ることが多々あるということです

力士

2007-05-27 16:12:37 | B2
郷土力士の里山が今日も勝ちました
隣の集落ようあん(用安集落)の人です
7勝8敗という素晴らしい結果を残しています
今日の取り組みの内容はとても素晴らしいものであると感じました

号外

2007-05-27 15:48:46 | Diaries
2枠3番のウォッカが圧勝しました
64年ぶりの牝馬優勝です
2004年に誕生したサラブレッドの頂点にメスである牝馬が君臨してしまいました
号外記事とはこういう時に発行するものです
ありえないことがおこってしまいました
競馬界に激震が走り続けています

東京優駿

2007-05-27 15:39:32 | Diaries
自立した女性で構成される集団は快適か?

今日は日本ダービーが行なわれる日です
府中にある東京競馬場でサラブレッドのレースが開催されています

毎年1万頭ほどの競走馬が生産されます
誕生した競走馬は生涯に1度だけ競走馬としての頂点を争うレースを目指すことができます
日本ダービーというレースに出場し優勝した馬は日本の競走馬の最高名誉である日本ダービー優勝馬としての栄誉を人間社会が存続する限り記録に残すことができます
競馬界に所属している競走馬は能力に応じた階級分けが明確に行なわれています
産まれてから2年は産地の牧場で管理されます
その時に競走馬としてある程度の資質が判断されます
スピードやスタミナや気性を評価し判断することができます
競走馬は1000メートルから3600メートルの間で細かく区分された距離のレースを経験することになります
スピードが十分あっても長距離には向かない馬などがでてくるわけです
最大18頭で競争が行なわれるので気性が荒い馬はスタート直後に暴走して体力を使い果たしてあっというまに減速したり周囲を気にしすぎてレースになかなか集中してくれなかったりするのでレースにならないのです

サラブレッドは自力で交配を行なうことができないので人手により交尾を行い受精させます
過去に優れた記録を残した馬同士の交配が行なわれれば水準以上の確率で競争能力の高い馬が登場します
しかし優れた能力を持つ種牡馬の種付けには高額の資金を必要とし1頭のサラブレッドが種付けシーズンに実現できる交配の回数も限られているのでよほど資金力に余裕のある生産者しか人気種牡馬と自前の繁殖牝馬との交配を実現することは不可能です

サラブレッドにももちろんオスとメスの性があるわけで今現在活躍しているサラブレッドの1頭1頭にもはるか数世紀前からの血統の流れを汲む伝統があるわけです
競走馬として活躍させたいのであれば牡馬の生産を期待したいところです
これまでのレースデータからも雄と雌の競争能力を比較した場合雄のほうが有利ということがはっきりしています
今日行なわれる日本ダービーは牡馬牝馬両馬に出走権がある混合レースとなっており今年は1頭牝馬が出場するようです
過去50年以上にわたるレース結果からも明らかなように牝馬が優勝したことは1度もありません
牝馬には牡馬と比べてハンデがあると考えられるので牝馬限定の女王決定戦があるわけです
それが先週行なわれたオークスです
牝馬限定戦のオークスが存在するのに牡馬混合のダービーに出走してくるということはオークスで優勝することがもしかしたらできるのかもしれないのにあえてオークス優勝馬という栄誉を得られたかもしれないという可能性を捨ててまでダービーに出走してきたというわけです
11年前ビワハイジという牝馬がダービーに出場しましたが残念ながらよい結果は残すことができませんでした。

競馬を語りだすと人生を語るのと同じぐらいの説明が必要となってしまいます
ある意味人間界の縮図ともいえるのでギャンブルの範疇としてひとくくりにできない性質も若干あるといえます
今日何かを伝えることができるとすれば基本情報だけでしょうね
馬券を買う人がいてレースの主催者がいて競走馬の生産者がいて牧場の管理者がいて競走馬を管理する厩舎の人がいて競走馬をあやつる騎手がいてレースを放送するテレビがあって競馬場以外の場外馬券売り場があって競馬新聞販売者がいて出店を出している人がいて馬券予想をして買い目を売りつけている情報屋の紳士がいてラジオ短波がありラジオ日本があるという世界なのです
競走馬は主に2歳から5歳ぐらいまでの数年間しかレースには出場しません
10歳ぐらいまで出場している馬もいますがそれぐらいの年までには確実に引退しています
レースは細かい階級区分がなされており競走馬が与えられている階級を2クラス以上超えて出走する権利はありません
たいていの馬が年間10レースまでは出走しません。そのレースの中で年に1勝か2勝することしか現実には不可能です
優勝賞金が高い最高格のレースをG1といいます。最高峰のクラスなのでもちろんG1レースの回数は多くありません。G1レースに出場するためにはG1レースの数週間前に行なわれるトライアルレースで入賞しなければなりません。トライアルレースに多くの馬が参加するので出走を希望するのであればトライアルレースの直前までに一般のレースで何回か優勝しておかないとデビュー以後の総獲得賞金額がトライアルレースに多くの馬が出走申込をしてきた場合に出場を参加可能であるかどうかの判断基準となるので賞金不足で出走ができない場合があるのです。
まあ一般に年間1勝することもとても難しい世界だから上を目指さないでも上位入賞を重ねたり年間3勝もできれば収支的には見合うのではないかと考えられます。
レースの運営母体は農林水産省監督下のJRA(日本中央競馬会)と地方公営事業である地方競馬があります
中央競馬といわれるものが一般には知られていると思います
競馬場は大きく区分し東日本と西日本に分けられます。どうしてこの区分にするかといえば生産された競走馬の現役時代の管理を行なっている厩舎は関東と関西の2箇所だけに存在しており中央競馬主催のレースに出走する予定の馬は全てこのいずれかの厩舎に所属しているからです。
札幌、函館、福島、東京、中山、新潟、中京、京都、阪神、小倉の10競馬場が中央競馬が行なわれているレース場です
中央競馬のレースに出走して優勝するなり上位入賞を果たし続けないと競走馬の維持にはものすごい費用がかかるので馬の所有そのものが不可能になります。
中央競馬で賞金を獲得できる見込みがなければ早い段階で地方競馬に転籍し地方競馬主催のレースで賞金を稼ぐという行動をサラブレッドの所有者はとらないといけません。
競走馬の所有というのは遊びではないのです。馬が食えなくなる以前に所有者が食えるかどうかという世界なのです。
なので競走馬が生産されたのち所有馬の適正を判断して中央競馬で通用するのかどうかを判断することはとても重要なことなのです。
適正を無視してまで中央競馬へ所属させレースに出走させ続けるということほど見苦しいことはないということです
G1レースで優勝したいのは所有者であって競走馬ではありません。競走馬の所有者誰もが憧れる栄誉がG1レースでの勝利ということです。年間に生産される総頭数の1万頭のうちのほんの数頭だけがG1レースで勝利することができるのです。
競走馬の所有だけが目的であるのならば中央競馬で年間確実に2勝ほどあげられる競走馬を多頭数保有していることが理想ともいえるかもしれません。

もう5年以上馬券を購入したことはないですが今日はひさしぶりに競馬を見てみようと思います。
もうすぐ第74回東京優駿(日本ダービー)の出走時間です。
15時40分の発走です。
2枠3番 紅1点の牝馬の結果はどのようになるのでしょうか?
それではレース後にでも

いじってはいけないもの

2007-05-27 03:57:24 | B3
欲の発生メカニズム
不特定多数の生活者が実感するようになっては危険なこと
欲の充足直後には欲の存在そのものが消滅することについて
他者との比較が行なわれ続ける限り欲の対象が明確になり欲が発生することについて
記憶への格納という一般には認識されていない無体財産について
ほどよい管理を受けているということが真に快適であるということについて

次回のテーマを設定しました

他者の存在なしに欲が発生することはないということと多数の生活者に快適な環境が存在しているということを情報として提供することがどれだけ危険なことなのかということと欲が達成されてしまった直後には動機付けの対象というのが消滅してしまっている事実が発生するということと快適な状況にありそうな他者の生活を認知すると欲の発生につながるということと貨幣や不動産といった明確な所有者が存在する財産と同様に格納された記憶は価値がある財産として記憶の保持者が価値を設定しているということと快適度が高い拘束というものが存在しその拘束とはどのようなものであるかそしてどのような不快な事象からまぬがれることができるのかといった考察です

女性社会に限定して属性の異なる集団に分類してそれぞれの属性が持つ長所短所を記述してみても上記のテーマを解説したのと同様な解明がなされるのではないかと考えます

究極には欲の追求と達成と新たな欲求の発生という限りなく壮大なテーマとなることも考えられます
経済学的に最短距離で論破してしまっては面白くもなんともない味気ない内容となるでしょう
しかし大衆者の目に留まることが望ましくないテーマであるので解釈に幅が発生しそうな文体としなければならないでしょう
こうした場面において日本語が持つあいまいさの美しさが発揮されるのでしょう
冒頭にあるテーマ一覧はあいまいさがまったく除去されているので美しくないということです
真実の管理者には責任があるということです
大衆に真実を伝えるときは必ず翻訳をして伝えなければならないということです
伝承者間以外では明瞭な真実の交換を行なってはいけないということです
翻訳していない真実の頒布は害にしかならないということです
真実の矢を持って大衆の要所要所を射抜いたなら大衆は崩壊してしまうということです
自然治癒能力を集団の中の個々は十分にもっていないわけだから大衆全体の価値観に致命的な影響を与えたら再び集団を再構築した際に結局いびつな集団社会が形成されてしまうということです
まずはありのままの大衆をよいものともわるいものともせずただそこにある事実としてとらえ好ましいものと好ましくないものの具体化からはじめなければならないと考えられます
人口に対する遊技場の数ははたして問題とされるべきなのか否なのかということに似ているかもしれません
ただ単に大衆に対して方向性を与えられそうな意思決定者が無為無策であったといえるかもしれないし代替案がことごとく否定され続けてきたといえるかもしれません
新しい現象を起こすことが特に苦手とする地域的な属性が反映されたといえるかもしれません
遊技場利用者がある日を境に行動特性を180度変えてしまうということは現代における晴天の霹靂といえるものなのかもしれません
遊技場利用者の行動特性に影響を与えることははたしてよい行いであるのかどうかと考えてみることは面白いことかもしれません
遊技場利用者に対して新たな価値観の導入をもたらすことは面白いことなのかもしれません
欲の性向という生活環境によってもたらされた人間の無意識を利用したサービスなのであるから遊技場に対抗できそうなサービスも欲の性向という人間の無意識を利用するという概念を応用したサービスになる可能性が高そうです
遊技場利用者が新たに価値を認め行動特性を変化させてくるという現象はとてもすごいことなのです
新たに欲を充足させうる対象物を発見したということにほかならない事実ともいえます
結局欲の管理が産業になっているということです
産業従事者から見れば欲を発生している人物すべてが顧客であるとみなすことができます
欲のコントロールができていない人物以上に優れたお客さんは存在しないであろうと考えられます
人の欲が集まるところに産業は発生するといってもよいのかもしれません
欲を実現するときには代替物との取引が確実になされるわけだから現実にはプラスマイナス0なわけです
遊技場で現金の額が増えようが減ろうが利用者が最初から持っていた代替物は交換により減少しているわけです
代替物との交換という概念をもたない人種が奴隷といえます
他者との共存には交換が必要であるということを認識させられることもない人生を歩み交換なしで労務を提供しているような人種です
ボランティアはまた話がかわってきます。代替物の交換などという低俗な世界とはほぼ無縁の充たされている環境にある現代の人類の選択によって物質界とは異なる次元での交流が実現されている世界であるといえます

それでは冒頭にあるテーマに着手するのはいつのことになるやらまったく予測がつきませんがこのへんでいったんお別れとさせていただきます
本日もどうもありがとうございました