新笠通信 奄美電信版

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交流相手として除外度が高い人種との間合いの取り方

2007-05-16 22:11:33 | B4
あらためてみなさんこんばんは

いったいこのテーマはなんなんでありましょうか?日常生活において今回のテーマに見られるような表記がなされるようなことが起こりうるのでしょうか?
あらかじめ設定してしまったものは仕方ありませんから続行します。

人口が1億2000万人もいれば全員と親しくすることもないでしょう。というところからはじめます。あの世からお迎えがくるまでの間に発生する対人関係でなおかつ密度をなるべく薄くしておきたいという人種が身近に現れたという場面設定でよろしいでしょうか?

細心の注意を払わないと実害が及ぶであろうと予測される人物との付き合い方です。何かを強要してくる人物すべてがあてはまるのではないのでしょうか?
公正な視点でここ数十年に起きた事件を例に考察すると、最も不当利得を得たであろうと考えられる人物を定義したいと思います。

不況の発生後に責任をとらなかった人物が真っ先に挙げられます。債務を放棄して責任追及を逃れた人物の存在は何を招いたでしょうか?不良債権の発生ですね。債務者の身柄を押さえることができなかったということは財産を管理していた機関は1円の価値も持たない債権を保有していたということです。
大手金融機関が破綻したら国そのものが破綻します。そういうわけで湯水のように公的資金の注入が実行されました。その額3年間にわたり70兆円近くで間違いないでしょうか?この額だけがあれば鹿児島県1県の年間財政を100年分まかなうことができます。

債務者が責任さえとっていれば税金をもっと有効活用することができたというわけです。
公的資金は金融機関がその後返済したわけですから金融機関は一応面目がたったと言えるでしょう。
問題は債権放棄を成功させることができた組織であるといえるでしょう。
この20年間で多額の債権放棄を成功させることができた人や法人というのが最も悪であるといえるでしょう。
安易に自己破産した人や法人の責任者は今後とも永遠に監視していかなければいづれまた債務を放棄する可能性があるといえるでしょう。
債務から自由になる志向にある人物が本日のテーマである除外度が高い人物であるといたします。

まじめに仕事をすればするほど踏み倒しを平然と行なう人物の存在がうっとおしくてしょうがないでしょうよというお話でありますね。
正直者が馬鹿をみないようにするためには債務を踏み倒す傾向にある人物を抽出しておかなければならないということです。

今日もありがとうございました。少しでもお役に立てているでしょうか?記述内容で誤った事実の存在などが確認されましたら遠慮なくご連絡くださいますようよろしくお願いいたします。

それではおやすみなさい。あと1本ほど記事をまとめるかもしれません。

会員制クラブ

2007-05-16 20:24:40 | B4
こんばんは 私はいったい誰なんでしょうか?

今晩もやってまいりました。記事のカテゴライズのお時間です。
私はこれまで1個人としてさんざん各分野の記事を発行してきたわけです。
ここへきて閲覧が希望される対象者別に個人として発言している記事と匿名の立場をとり発言している記事とに分割してゆく作業が望ましいという結論に達しました。
個人として発言できるテーマは限られているということです。自己規制を行なわなかった場合に発生が予想される閲覧者への影響を考慮しなくてはならなくなったと言えます。
私という1個人が持つ属性は男という性に始まり、日本人という属性に行き着いてしまうわけで、男という視点からだけで発言することや日本人という視点だけで発言することも適当でないという分野があまりにも多すぎるということです。
プライベートな発言を行なった場合、私は男性であるので女性の閲覧者が不快感を禁じえない事態が生じるということです。同様に私は日本人であるので外国人の閲覧者が不快感を禁じえない事態が生じるということです。私という1個人のプライベートな発言のために男性という属性すべてがネガティブな印象を受けてしまうことは望ましくないことだということです。同様に日本人という属性すべてがネガティブな印象を受けてしまうことは望ましくないということです。
奄美についてもダイレクトに持論を展開することはネイティブな市民がネガティブな印象を受けることになるかもしれないのでよろしくないであろうということです。
そこで、ネイティブな市民と利害関係の発生が起こり得ない第三者の言及というのが最も効果が高い貴重な診断結果となりうるでしょう。

利害関係が発生しえない第三者評価機関の存在価値が今後ますます重要視されてくる時代になると思われます。
日常市民生活における第三者機関の活用といえばトラブル発生時に各種公的機関の利用が真っ先に思い浮かびます。
警察や裁判所は間違いなく客観的な事実をもとに公正な判断を下してくれるでしょう。
落とし穴として裁判所を活用する人種というのは概して強い対場にある者だけが事実上効率的に活用しているという現実があります。
あらかじめ高い勝算が予想される強い立場の人間が一方的に活用してしまうであろうということです。
これでは弱い立場にある一般の人からみれば強い立場にある者が強力な権限を行使する組織と一体になって強い立場にある者の意思表示を認めるよう強制してきているようにしか見えないでしょう。

話がそれました。公的な各種第三者機関というのは責任の範囲が明確であるため事件が発生しない限り余計な監視は行なっていないということです。
国内のいたるところに市民生活を監督している機関が存在するわけですが、市民生活を監督している機関を監視している機関が存在していないように見受けられるというのが一般市民の本音であるといえます。
行政機関を監視する機関が機能していないという評価をされたら上位機関が関与してくることは時間の問題であるということです。
行政機関の各種承認を行なう機関の機能充実が求められているということです。予算の編成や執行に伴なって発生した不信感を払拭する役目は議会にあるということです。
議会に監査能力がなかったのではないのかという疑問を一般市民の誰もが感じているということで間違いないですね。

一方的に議会の構成員を責めるのもよくないですね。議員を骨抜き同然に利用して実利を得てきた人種の定義から始めないといけないということです。
議員を取巻く集団の行動から観察を始めないといけないですね。一部の特定受益者の生活の安定のために議員は利用されてきたという視点は有効であるとしてもよろしいですね。

こういう話が得意である機関に後述は委ねたいと思います。

冒頭の話題に戻ります。記事の分割をしなければならないと思っています。個人名をさらして面白おかしく表現するのにも限度があるということです。
今後分割して記事を発行する際に匿名で取り組む分野においては鹿児島や奄美といった地域が特定されようのない記事で構成していこうと思います。
キーワード検索の上でも地域属性が解明されることがないような構成にしようと思います。

ブログごとに特定のアイデンティティーを設定し個人とは別個の立場をとる手法が考えられるためテーマごとに一貫性のある語り手の存在が期待されるのではないかと考えます。
私がこれまで記述してきた記事はどうみてもある特定年代女性を閲覧対象とするには不向きな血なまぐさい内容に偏っていたのではないかと感じます。
出版されている雑誌を見ても購読対象者がある程度設定されているわけだから男性閲覧者に向くブログ、女性閲覧者に向くブログ、外国人閲覧者に向くブログとあらかじめ予定した選定ターゲットにあわせたブログを構築していきたいと考えます。
歴史は女性には不向き、育児は男性には不向き、周辺国歴史観は外国人閲覧者には不向きといったようにそれぞれの記事が長短あわせもつものであると考えます。
万民受けするブログが存在するのであれば何度でも拝見してみたいものだと思います。
スーパーマンではないのだから万民受けは困難なはずであると考えます。

特定業界に対してストレスをかけてほしいというような要望があればその都度投下物の選択を行い不発弾のようなものを落下させることもそう悪いことではないような気がいたします。

今度こそ本日のテーマに参ります。それではみなさんごきげんよう。今後ともよろしくお願いいたします。

特定社会背景において生活している者の交流相手である人種の選択

2007-05-16 16:59:23 | 4F
みなさんこんにちは
先日のテーマをまだ消化しておりませんでしたから超特急で仕上げたいと思います。

私たちは産まれた時すでに両親が存在しているわけです。
両親が保護者である社会に出るまでの期間においては両親が存在している社会背景の影響を強く受け続けるということです。
父や母が生活の中心として身を寄せている集団の潜在能力が子供が将来実現可能とする潜在能力の幅の初期設定値として影響してくるというわけです。
誰もが誰も平等な被保護時代を送れるというわけではないということです。
最初から赤ちゃんポストを利用する人種が存在するというわけです。
あらゆる選択肢を考慮することなしに児童福祉施設へ一任する人種が存在するというわけです。
社会は強制力を持つ処罰手段を構築することができていないために、女性の受胎後になんら興味関心を示そうとしない責任逃れを実現しようとする性があとを絶たないというわけです。
責任逃れを実現してしまった男性が発生させた生というものは出産直前の段階からもうすでに取り返しのつかないほど根の深いハンデを背負わされているということになります。
受胎させた男性の有する責任遂行意思のレベルが社会的身分そのものであるとします。
受胎させた生に社会的身分を付与するのは男性の役割であると考えます。
男性の社会的身分は固定されていると考えることが妥当であるため、父親の社会的な属性が子供の社会的身分の初期値として反映されることが考えられます。
各種学校の選択とは遠まわしに表現すると社会的身分の選択行為であるといえます。
人口が集中している都市部においては両親がもつ社会的身分の総合値において児童の生活環境が設定されているといえます。
都市部ではあからさまに児童が所属している社会的階層がはっきりしているのです。
都市部と比較した地方の特色はありとあらゆる社会的属性を有する両親の子供が公教育という場において一元管理されていることが特徴としてあげられます。
都市部と異なり極端に思想信条の異なる両親の子供が時空を共にするわけです。
学生時期の制服着用が象徴するものは上辺だけの平等意識の付与にあると異国の人はみるでしょう。
制服着用時期が終了した時になってはじめて両親が有する社会的身分の意識化が進むことが考えられるため、一見平等を装っている学生時期において関係していた社会の関係者に疑問がよせられるものであると考えます。
両親が有する社会性の枠組みに縛られている世界から離脱することをチャレンジとよんでも構わないものだと思います。
両親が有する社会的身分より高度な次元へステップアップしてゆくことを両親は望んでいるものであると考えます。

自己の有する専門分野もしくは専門分野の周囲に該当すると考えられる者との交流が妥当であるという結論にいたしたいと思います。
専門外の人物との交流は利害関係が発生しない限りにおいては良好な交友関係が保てるものだとも考えます。
圧迫感や威圧感がなければどの分野の人物とでも交流は可能であると思います。
交流にあたって相手のどのような言動が不愉快であるという項目の調査は有意義なものになると考えます。
現時点で継続しているおつきあいを丁寧にしてゆくだけで何も問題はないと考えます。
不特定多数の女性に受胎させて消息を絶つタイプの人種を監視することは有意義であるといえますしつかず離れずの距離を保って責任の所在を気づかせていくべきであるとも考えます。

それでは本日のテーマに移ります。

ちゅーかみんこく

2007-05-16 15:18:17 | B6
今日は中華民国の歴史についてみなさんに興味を持ってもらいたいと思います。

1945年昭和20年8月15日の正午を境に直前までは周辺国経営に熱心であった全ての人々が試行錯誤することを辞めてしまいました。
全ての人々が興味関心の対象を見失った瞬間であったといえます。
曲がりなりにも他地域の市民生活に強制力を伴なった影響をぎりぎりまで与えていたはずであります。
ある時点を境にまったく無関心の立場を維持するという思考態度の選択をした時であったといえます。
横から手出し口出しするだけしておいてある時を境に完全撤退する集団もめずらしいものであるといえます。
少しでもよい状態へ導こうという気持ちがあったのならば、手出し口出しを終えてからも関係があった人々のその後の歴史を客観的な視点で見つめ続けていく姿勢が求められるでしょう。
急に来て急に去っていきその後まったく興味関心を示そうとしない集団の人々とはいつまでたっても友好関係を構築していくことは難しいと思います。
私たちはもう少し周辺の人々に興味を持つ姿勢が求められていると思いますし、興味を持たれて喜ばない人々もそういるものではないと思います。
どの地域の人々も他地域の人々から関心を持たれることはそう悪いことばかりではないと考えていると思います。

日本人が周辺国に対して極端に興味関心を失った直後からの数10年間にアジアに何が起こっていたのかを客観的な歴史事実として認識してゆく作業が求められていると思います。
周辺国以外の国がどのような行動をとりアジアに対してどのような影響を与えてきたのかということも中立な立場で正確に記録してゆく必要があると思います。
本国の人々が研究テーマとする内容に相応しくないのであれば客観的視点を維持できるアジア以外の第三者的立場の国の学術研究機関に歴史事実の調査の委託を行なうことが最も合理的であると考えます。
客観的な評価というのはどの分野においても利害関係を伴なわない第三者の視点にかなうものはないと考えます。

それではおとなり台湾の基本情報を紹介します。中華民国という国名があまり流通していないように感じるのはなぜでしょう。

しばらくお待ちください。