新笠通信 奄美電信版

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思い出に残りました

2007-05-26 02:10:25 | B3
こんばんは

おやすみ前の日記などはつけられましたでしょうか?
こうやって毎晩日記を公開するということは夜の繁華街に赴きおしゃべりをしているのとなんらかわりがありませんね

今夜は夜のお仕事について考察でもしましょうか?
夜の盛り場などではいつも決まった人が一方的に語っているのではないでしょうか?
おしゃべりを楽しむといっても同等の価値観を持つお店の人やお客さんと遭遇することなんてまずないんだから価値観の違いを楽しむのに向いているのかもしれませんね
ひとそれぞれが多種多様な価値観を持つので共通認識が一致していることを確認できる瞬間などはまず訪れないのでしょうね
お店の空間を構成している人全てが周波数の同調を試みます。周波数を調整するのです。空間内の面子によってジャンルを想定して選曲しカラオケを歌ってみることもあるのかもしれません。まわりを意識した選曲とストレートに好みの曲を歌う選曲があります。好みをの曲を選んだら歌っている人の周波数を具体的にアピールすることができます。まわりを意識した選曲で歌うと聴いている人達は自分達が客観的にどういう周波数にみられているかを感じ取ることができます。自分の好みをストレートに選ぶことと周囲の面子を意識した選択を組み合わせることによって空間全体の周波数をお互いが探っていきます。最終的に同調した周波数の選曲に落ち着くわけですが、この周波数帯域が心地よかったかそうではなかったかがこの空間における時間の流れと行動を供にしたという事実の客観的評価基準となるわけです。空間にいる面子すべてが曲を通じて快適な時間と空間を共有したという認識に至れば漠然とであっても楽しかったとなるわけです。
カラオケを媒介として同一時間同一空間において価値観の異なる者同士で雰囲気を演出する共同作業を楽しんでいる風景です。
ひとそれぞれ価値観は異なるわけだから同じ時間同じ場所に居合わせた以上雰囲気を楽しもうといろいろな話題を試してみるものです。おしゃべり一辺倒でもなかなか雰囲気のよい空間を演出することは難しいことだから文化的な要素の手助けをかりるわけです。カラオケを文化といいきってしまうのも多少無理があるかもしれませんが人々の生活の中に曲がいつもとなりにあったというわけです。
ありとあらゆる年代を通じて歌謡曲などの影響をあまりうけなかったという暗黒時代というのはないようです。
カラオケは文化として改めて評価を受ける時期がくるのかもしれません。
日常生活を継続する上で文化の消費が行われていたということです。曲はひっきりなしに生産されているのでもはや消耗品です。その場しのぎの満足感にとどまろうが次から次へと消費されているわけです。消費され消化され記憶に残ることができたものだけが記憶にある人の中だけで永遠に存在するわけです。
出版物とはもはや消耗品でその場しのぎの充足感をも得られないと人々が印象を受けたのなら最初から見向きもされないものであるといえます。
文化作品には一時的な充足感が目指されているものと長期にわたる視聴者の記憶への格納が期待されているものがあると考えられます。両方の要素を兼ね備えたものだけが文化としての価値を与えられるものなのかもしれません。
出版物の価値は人々の記憶への格納実績にあるのかもしれません。
記憶に残っていることで認知しているという実感を伴なうものかもしれません。
記憶に格納されている文化が同じ時間同じ場所で面識の薄い人と一致したのならばそれは発見そのものであるといえます。
価値観がほぼ同一でありそうだということです。この周波数の一致を楽しむ出会いというのもありといえそうです。

価値観の確認作業を対話だけで行なうのではなく側面にある文化要素を経由して好みの共通点の一致を探るというのもなかなか効果的なアプローチのひとつであると思います。
まったく認識の薄い他者と時空を共にする機会が訪れた以上楽しめなかったというのは時間のロスでしかないので価値観が一致しまいが周波数が同調できまいがなにがなんでも楽しんだ者が賢いということです。それでも楽しいという概念に到りそうでなければ店を出ればよいだけのことです。

毎日日記を書くということは毎晩お酒をおいている店にいって誰かに語っているのとまったく同じような効果が出ているように感じますね。
これまで書いてきたような記事の内容を話題としておしゃべりしようと思ったところでこのような話題に対応できるお店などはまずないということです。
意図しているテーマでの会話がはずみそうなお店の人やお客さんがいそうなお店が快適と考えられるお店であると思います。
やはり世間話がおもしろいお店の人がいる店にはかなわないでしょう。世間話が上手なお客さんが集まるお店も楽しいでしょう。
ひとそれぞれ価値観は異なるわけだから世間話がおもしろいお店の人といってもいろいろな価値観を持つ人がいるわけです。価値観というのはおもしろいもので一致を楽しむこともできるし相違を楽しむこともできる不思議なものであると思います。
遠い将来価値観の一致や相違を楽しむことができるお店を持つという希望が理解できそうな気がします
お店の空間をプロデュースすることはもしかしたらとても楽しいことなのかもしれません。
同じ空間に同じ時間が2度と訪れることはない一期一会の世界というものに魅力があるのかもしれません。
一期一会の記憶が日常生活における財産となるのかもしれません。
出版物以外による記憶に格納されることに価値が発生するビジネスは空間サービスと観光サービスであるのでしょう。
お客さんの記憶に格納されることを十分に意識した上での充足感を提供するサービスを担っているということを自覚して充実したサービス内容の考案が期待されるのでしょう。