筑波大学硬式野球部のブログ

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2019年 ラストシーズンにかける想い(22)

2019年08月22日 10時28分54秒 | 2019年 4年生ブログ

こんにちは! 

マネージャーの大木です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。 

今回は、堀田優介(知識情報4・豊田北)の文章を紹介いたします!

 

こんにちは、まず始めに平素より筑波大学硬式野球部を応援していただきありがとうございます。

SSD 4年 堀田優介です。

 

今回は、ブログという形で私の大学野球と秋リーグに向けての意気込みを書かせていただきます。

野球を始めて約14年が経ちましたが、今までの野球人生を振り返って、整理し文章にしたことは一度もなかったので競技として野球人生に幕を降ろす最後の年にこのような機会をくれた広報部に感謝をしています。

 

私が野球を始めたきっかけは当時黄金時代の真っ只中である中日ドラゴンズの影響が大きかったです。

プロ野球選手になりたいと始めた野球人生ですが、小中高大と様々な指導者や関係者の方に支えられて、野球の技術面と精神面を鍛えてもらいました。

ただ、私の野球人生で最も濃いのが筑波大学での野球でした。

 

浪人を経て入学・入部した直後の利き肩の手術や、周囲との価値観の違い、選手からスタッフへの転身と様々なことがありました。

肩の手術をした時は、元どおり投げることができる保証はなく、精神的にも体力的にも苦しいリハビリの2年間でした。

ただ、根気よくリハビリを支えてくださった理学療法士の方や大学院生の方たちのおかげでバットで勝負することができるまで回復し、手術をして本当に良かったと思っています。

 

また、リハビリ期間中はグランドになかなか行くことができず、正直行きにくくなってしまった私に頻繁に連絡をくれて心配してくれた先輩のコーチのおかげで野球部を辞める事なく復帰できました。

しかし、復帰後に戦力になることができず選手かスタッフの選択を迫られました。この選択を決めるにあたって、同期からの客観的に見た自分に対する意見を聞いて考えさせられることが多くありました。

その中で、選手として評価されるためには自分を変える必要があると知り、自分を変えてまでも野球を続けるのははしんどいと思ったこと、日本一を目指す集団の先頭で自分が活躍できる場所でチームに関わりたいと感じSSDになることを決めました。

 

データから何か課題を見つけ出すことや、現場で起こっていることを数値化していくことで、チームが変わっていくことにやりがいを感じ今では充実した日々を送ることができ、あの時の選択は間違ってなかったと思います。

川村監督をはじめとする首脳陣の方々や選手がデータに対して興味を持ってくれる環境があるからこそ自分の仕事が大切だと誇りに感じています。

 

 秋リーグの意気込みは、なんとしてでも東海大学から勝ち点を取ることです。

そのために、データからバックアップできることを死ぬ気でしていきます。

そうすれば、チームが掲げる「リーグ優勝・日本一」の目標にも近くと考えているので、残り1ヶ月を切っていますが映像や数値から少しでも選手の力になれるように頑張っていきます。

 

 

本日は、ここまでです。

明日は、松本将史(体育4・奈良)をご紹介いたします!

どうぞお楽しみに!!

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 ラストシーズンにかける想い(21)

2019年08月21日 13時35分43秒 | 2019年 4年生ブログ

こんにちは! 

マネージャーの大木です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。 

今回は、福元孝太郎(知識情報4・桐蔭学園)の文章を紹介いたします! 

 

こんにちは。

主務の福元です。

 

日頃より、筑波大学硬式野球部へのご支援とご声援を賜り、誠にありがとうございます。

 

普段、主務という立場でチームについて文章を書くことが多いため、自分について書くとなると変に緊張します。

ですが、ラストシーズンを間近に控え今の気持ち・思い素直に書きたいと思います。

 

 

野球が大好き。

その気持ちは野球を始めた時から全く変わりません。

 

自分が野球を始めたのは小学1年の時。

父に地元の少年野球チームの練習に連れて行ってもらったのが最初でした。

 

身体が大きいだけの自分に野球の基礎を徹底的に指導してくれたこと。

夜遅くまで素振りや羽打ちに付き合ってくれたこと。

心底ランニングが大っ嫌いなを監視下に置き、強制的走らせてくれたこと。

当時は本当に嫌でしたが、今になって父に本当に感謝しています。

 

そして、底知れぬ愛情を持って育ててくれた母。

息子はこんなに大きくなりすぎました。

いい意味でごめんなさい。ありがとう。

 

 

中学の野球部監督は私の人生に最も強く影響を与えてくださいました。

「まだまだの気持ちで」

この言葉は自分の中に常にある言葉です。

 

高校の監督は監督であり、みんなの親父でありました。

高校の仲間と寮で過ごした3年間は自分にとって財産であり、一生の家族です。

みんなの活躍を耳にするたび本当に嬉しく思い、自分にとって大きな刺激になってました。

 

大学入学以降、ケガで思うように大好きな野球ができない日々が続いていました。

選手としては勝利に貢献できない自分が、チームの力になれる役割は何か。

どうしたらチームの勝利に貢献できるのか。

悩み苦しんだ2年秋、マネージャーという進路を選択しました。

 

マネージャーという立場は目立たない裏方の役職です。

ですが、自分はこの仕事に誇りを持って、ここまでやってきました。

正直、降りかかってくる仕事量が膨大でえげつなく、身体が爆発するんじゃないかと思うくらい苦しい時期もありました。

その上、同期のマネージャーがいない私は、誰かに頼ることできていませんでした。

 

そんな自分に、同期の仲間はいつも

お疲れ様。ありがとう。

と言ってくれました。

んな自分を信頼し、チーム運営を任せてくれた仲間には感謝しかありません。

 

みんなのために。

 

みんなと共に戦うラストシーズン、最高の環境を整えます。

 

 

小学校から始めた野球。

自分にとって、野球はなくてはならないものであり、

これまでの人生。日々の生活。全て野球が中心でした。

 

そんな野球に全力で取り組めるのも残り1シーズン。

野球を通して出会い、お世話になった方に、

ここまで自分を育ててくださった先生方に、

そして、大好きな野球をここまで続けさせてくれた両親に。

「勝利」という形で恩返しができるよう、全力でチームをサポートしていきます。

 

みんなで笑おう。最後こそ。

 

福元孝太郎


 

本日は、ここまでです。

明日は、堀田優介(知識情報4・豊田北)をご紹介いたします!

どうぞお楽しみに!!

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 ラストシーズンにかける想い(20)

2019年08月20日 15時46分57秒 | 2019年 4年生ブログ

こんにちは。

マネージャーの大木です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。

今回は、橋永貴郁(体育4・三鷹中等教育)の文章をご紹介いたします!

 

こんにちは。

4年投手コーチの橋永貴郁です。

平素より弊部へ向けたご支援、ご声援のほど、本当にありがとうございます。

 

今回のブログリレーで「ラストシーズンにかける想い」というテーマをもらいました。

拙い文章になりますが、紆余曲折あった自分の大学野球人生を振り返り、どんな想いで最後のシーズンに臨んでいるかを記したいと思います。

 


大学入学時、自分の下手くそな実力からすると身の丈に合っていないチームに入ることはわかっていながらも、「チームの最前線で選手として戦い、勝ちたい」という想いを持ち、野球部へ入部しました。

なんとなく野球を続けるという気持ちではありませんでしたし、同期は友達ではなく全員ライバルだと思っていました。背伸びはせず、下手なりに誰よりも努力して、上手い人達に何とか食らいついて、抜かしていこうという気持ちで過ごしていました。

しかし、気持ちが続かなかったり、怪我をしたり、自分の実力は伸びませんでした。3年夏にスタッフになるまで数回Aチームに喰いつきましたが、選手として、チームが勝つために何もできませんでした。

 


選手を引退しスタッフになった際は、「何か新しいことがしたい」「選手でなくても野球の知識は得られるから、スタッフやろう」くらいの気持ちでした。

しかし、入学時に抱いていた「チームの最前線で選手として戦い、勝ちたい」という気持ちがだんだんと変化し、立場は変わっても「チームの最前線で戦い、勝ちたい」と感じるようになりました。この想いのもと、自分にできることは何でもやってみようという想いで、現在行動しています。

 


今振り返ると、選手、スタッフの時期に関わらず、何のために筑波大学に入学し、硬式野球部に入ったのかを見失っていた時期が非常に長かったです。

目の前のことで一生懸命になれた経験でしたが、身も心も追いつかなかったと感じています。結果にはつながりませんでしたが、学びの多い時間でした。

 


そんな時期を経ての現在ですが、大学野球は自分の大学生活の全てであると、自信を持っています。

4年間の中で考えると時間にしてみれば短いですが、学生コーチとしてチームの最前線の戦いに身を投じ、選手と共に戦える今の時間は非常に充実していますし、苦しくともなんとか頑張ろうと思わせてくれます。

 


ラストシーズン、何としても勝ちたいという想いだけです。

筑波大学硬式野球部の一員として力を発揮し、「リーグ優勝、日本一」を達成して笑えるように。

支えてくれたすべての人に、結果でこれまでの恩返しができるように。

自分に出来ることを少しでも増やし、チームの目標達成へ向けて全力を尽くします。

 

ご声援のほどよろしくお願い致します。

 

 

 

本日はここまでです。

次回は、福元孝太郎(知識情報4・桐蔭学園)をご紹介いたします!

ぜひご覧ください!!!

 

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 夏の甲子園企画 第7弾!(最終回)

2019年08月20日 14時08分52秒 | 2019年 夏の甲子園企画

こんにちは。

マネージャーの大木です。

 

夏の甲子園企画 最終回である本日は、

篠原涼(体育4・敦賀気比)と加藤三範(体育3・花巻東)へのインタビュー内容を紹介いたします!

 

ーー出身高校を教えてください。

 

篠原 「敦賀気比高校です。」

      

三範 「花巻東高校です。」

 

 

ーー夏の甲子園はいつ出場しましたか。

 

篠原 「2年生、そして3年生の夏に出場しました。2年のときはファースト、3年のときはサードを守っていました。

2年の時は準決勝まで進出し、大阪桐蔭に9-15で負けました。当時の大阪桐蔭には正隨選手(現広島カープ)や香月選手(現千葉ロッテ)を筆頭に強打の選手が多くいました。3年の時は2回戦で現チームメイトの三範がいる花巻東に負けました。」

 

三範 「2年生の夏に出場しました。3回戦で平沢選手(現千葉ロッテ)がいた仙台育英に負けました。自分はピッチャーでベンチに入っていました。」

 

 

ーー甲子園で印象に残っている試合はありますか。

 

篠原 「3年の夏の初戦だった明徳義塾戦です。それまでの明徳義塾高校は夏の甲子園を16年連続で初戦突破していました。その連勝記録を自分のサヨナラタイムリーで止められたことは印象に残っています。」

 

三範 「自分は敦賀気比戦です。その試合が甲子園で初めての登板でした。また、春の選抜を優勝したの敦賀気比が相手だったのでびびっていました。」

 

ーー2人は実際に甲子園で対戦していますが、その対戦のことは覚えていますか。

 

篠原 「三範は打ちづらそうなイメージがあり、また、真っ直ぐと変化球の腕の振りが一緒でその軌道が似ていて良いピッチャーだと思いました。

ただ、インコースをあまり攻めてこなかったので思い切って踏み込んで打つことができ、結果としてはホームランを打てました。センターフライだと思ったのですが、伸びてくれました。」

 

三範 「篠原さんにはこわくてインコースを投げられませんでした。アウトコースなら危なくないだろうと思っていましたが、ホームランを打たれました。」

 

 

ーー甲子園で対戦している2人が現在チームメイトなのはすごいことですよね。甲子園と地方大会の違いは何か感じましたか。

 

篠原 「甲子園のほうがプレッシャーを少なく感じ、何をしていても楽しいです。

地方大会は勝って当たり前の風潮があるので、逆にプレッシャーを感じました。スタンドが高く、最前列が低いという球場は甲子園特有だと思います。

また、球場の外の建物がグラウンドからは見えないので、その場だけ異空間でした。全国放送だったので下手なプレーは出来ないという思いがありましたが、それより多くの人に見てもらえる楽しさが勝っていました。」

 

三範 「甲子園の観客の多さには圧倒されました。360度観客がいるので、歓声がすごいです。篠原さんにホームランを打たれたときの歓声は震えました。」

 

ーー甲子園での試合以外での思い出はありますか。

 

篠原 「とくになにかしたということはありません。試合のない日はホテルで休んでいました。」

 

三範 「試合のない日は練習があったのですが、その時間が短かったのは印象に残っています。また、次の試合に向けて相手チームの対策をしていました。」

 

 

ーー2人ともどこかに出かけたりというのはあまりなかったんですね。それでは、あなたにとって甲子園とは?

 

篠原 「永遠のあこがれであり、最高な場所。何回行っても、また行きたいと思います。それに甲子園は最高の思い出ができるから最高な場所です。」

 

三範 「自分は通過点です。日本一に向けてやっていたので甲子園は通過点でした。」

 

ーー最後に甲子園に出場する選手へメッセージをお願いします。

 

篠原 「自分のやりたいように思い切ってプレーしてほしいです。」

 

三範 「選手みんなに頑張ってほしいですが、まだ東北地方は優勝していないので、東北地方の選手には頑張ってほしいです。」

 

 

インタビュアー:中田(応理4・小松)

 

 

 

回にわたってお伝えしてきました、夏の甲子園企画も今回で終了です!

8月6日に開幕した第101回全国高等学校野球選手権大会もいよいよ8月22日が決勝戦です。

選手たちには、最後まで思いっきりプレーしてほしいと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 ラストシーズンにかける想い(19)

2019年08月19日 10時47分20秒 | 2019年 4年生ブログ

こんにちは。

マネージャーの大木です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。

今回は、西原大揮(体育4・大阪府立高津)の文章をご紹介いたします!

 

こんにちは。日頃より、弊部へのご支援、ご声援ありがとうございます。筑波大学硬式野球部4年、西原大揮です。

ブログリレーも半分を過ぎましたが、今回は私が担当させていただきます。拙い文章になると思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

私自身、このような場で何かを伝えたり、言葉にするという機会が滅多にないので、まず始めに、私自身のことについて、少し書かせてもらおうと思います。

私が野球を始めたのは幼稚園の頃でした。兄が行き始めた少年野球のチームに一緒に行き、参加していました。バントのサインに首を振ることもあったことも今でも覚えています。そこから、中学ではシニアチームに入り、高校・大学でも野球を続け、いつしか家族でも1番の野球好きになっていました。

 

そんな大好きで続けた私自身の大学野球生活は、うまくいかないことがほとんどでした。「レギュラーになる」「リーグ戦に出て活躍する」といったことを目標にして取り組んできましたが、叶えることができませんでした。

冬の練習を乗り越え、今年はやれるというような自信がついた時に、怪我をすることも多々ありました。大学野球を最後まで選手として、やり続けたかったという悔しい想いは、少なからず残っています。それでもやるだけやったという思いもあります。

 

現在、私は選手をサポートする立場として、チームに関わらせてもらっています。このような立場になってみると、これまで当たり前にしていたことが、誰かのおかげで成り立っているものだと、つくづく感じます。

また、親元を離れて暮らしてみて、特にユニフォームの洗濯など、親が兄弟3人分洗ってくれていたことも、本当に大変なことだったなと実感しています。

 

そのようなことも踏まえて最後に、この文章を読んでいるかはわかりませんが、この場を借りて、普段言えない感謝の気持ちを述べさせてください。

 

「高校の監督」

野球の基礎から徹底的に教えていただきました。筑波大学の存在も知らなかった僕に「筑波で野球しろ」と言ってくれたことには、本当に感謝しています。

筑波大学に来れたことが、自分自身にとって1番良かったことと思っています。大学4年になってからも、試合を見にきてくれたり、応援し続けてくれて本当にありがとうございます。期待に応えられず、申し訳ありませんが、筑波大学という存在を知ったおかげで、充実した大学生活を送ることができました。

 

「両親」

何一つ不自由なく小学1年から野球をさせてくれてありがとう!小学生の頃から、弁当・おにぎりを作ってくれたり、朝早くから、送迎をしてくれたこと。大学に入ってからも、いつも気にかけてくれたり、つくばまで足を運んでくれたりしてくれたことには、本当に感謝しています。

大学に入ってからは、野球している姿を見せることができなくて悔しいです。けど、ここまで野球を続けることができて本当によかったです。

 

ラストシーズン、私自身は選手として貢献することはできません。それでも、リーグ優勝・日本一を達成するために、これまでと違った立場で、選手を支えてチームに貢献していきます。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

今後とも筑波大学硬式野球部の応援の程、よろしくお願いいたします。

 

 

本日はここまでです。

次回は、橋永貴郁(体育4・三鷹中等教育)をご紹介いたします!

ぜひご覧ください!!!

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 ラストシーズンにかける想い(18)

2019年08月18日 19時13分44秒 | 2019年 4年生ブログ

こんばんは。

マネージャーの大木です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。

今回は、中真慶大(体育4・首里)の文章をご紹介いたします!

 

はいさい!体育専門学群4年、沖縄県立首里高校出身の中真慶大です。

筑波大学硬式野球部のブログに足を運んでくれてありがとうございます。

 

今の私を作ってくれた野球への想いと、その道中で私を支えてくれた方々、切磋琢磨してきたチームメイトに向けてこの文章を書こうと思います。

 

私の野球人生を振り返る上で、絶対に避けては通ることのできない一人の男がいます。

それは、私の父です。私が野球を始めたのも、野球を大好きになれたのも、すべての源は父です。私の父は野球が大好きです。小・中・高のいずれかで、私と同じチームになった人たちならすぐに分かると思います。それくらい、父は野球が大好きで、それ以上の情熱と愛情を私に注いで、野球を指導してくれました。

 

二人で試行錯誤しながら行ったピッチング練習や、家で動画を撮りながら畳を何枚もぼろぼろにした素振り。終わるまで食事をすることすら許してくれなかったストレッチ。中学校のナイターが点いていたらわくわくしながら向かった夜の練習。

 

と、私と父と野球の話をすると、何時間もかかってしまうので、大学野球人生を終えたら、二人で語り合おうと思います。本当に、感謝しています。

 

かなり厳しい父とは対照的に、母は精神的に私を支えてくれました。

私の不安なことや不満などはすべて傾聴して、私を落ち着かせてくれました。

 

そんな、母はいわゆる天然な性格で、

私が小学1年生の時、「野球部に入部する!」と宣言すると、

母は「必ず全部の試合応援に行くからね!」といって、

さっそく最初の試合に来なかったことを今でも覚えています。

それに対して父は「いつも考えもせずに発言するな!」と、厳しめのツッコミを入れる。

こんな、会話を毎日。今でも続けているそんな仲の良い家族です。

 

その他にも、たくさんの指導者の方に野球の技術的指導をいただきました。今でもそのアドバイスを思い出すことがあります。どのアドバイスも私が上達する上で欠かせない貴重な言葉でした。

ここまで、野球を続けてきて思うことがあります。それは、どのアドバイスも成長の種であるという事です。助言は食わず嫌いせず、やってみた上で、取捨選択する。これは野球をやめて、社会人として働くうえでも大切にしていきたい価値観です。

 

 

沖縄のチームメイトの皆は、最高の仲間です!年末に帰ると当然のように集まってご飯に行きます。毎年それをモチベーションにして沖縄に帰っています。

大学野球人生は苦しいことの連続でしたが、私が野球を続けていることをいつも応援してくれるチームメイトに何回も救われてきました。

今年も、皆が元気な顔で、面白い話をもって年末に集まろう!

 

最後に、書くまでもないですが筑波大学硬式野球部の仲間も最高です!

このメンバーで野球人生最後の戦いに挑めることを幸せに思います。

 

そんな、最高な野球人生の最後は、納得のいくまでベンチでは叫んで、マウンドでは冷静に、グラウンドでは喜びたいと思います!

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

本日はここまでです。

次回は、西原大揮(体育4・大阪府立高津)をご紹介いたします!

どうぞお楽しみに!!!

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 夏の甲子園企画 第6弾!

2019年08月18日 13時54分38秒 | 2019年 夏の甲子園企画

こんにちは。

マネージャーの大木です。

 

夏の甲子園企画 第6弾といたしまして、

吉本孝祐(体育2・彦根東)へのインタビュー内容をご紹介いたします!

 

――出身高校を教えてください。

彦根東高校です。彦根城の中に学校があります。

 

――城内に学校があるのは珍しいですね。

そうですね。景観を守るためにネットは低く、敷地が狭いのでグラウンドも狭いです。

 

――グラウンドが狭いと出来るメニューも限られたのではありませんか?

はい。バッティング練習はできないので、守備練習やバント練習がメインです。バッティングをする際は近くのバッティングセンターまで行っていました。

 

――そんな中で甲子園に出場したのは凄いですね。

3の夏に出ることができましたが、その時は滋賀県で優勝して甲子園に行ける自信がありました。

 

――それはもっと凄いです!その自信はどこから来たのですか?

いいメンバーが揃っていた新チームで臨んだ秋大会で初戦負けでした。それが悔しくて悔しくて冬の練習に本気で取り組みました。

春大会では優勝し近畿大会では龍谷大平安に勝つことができました。さらに自分たちの想像以上に大阪桐蔭とも善戦することができました。

この近畿大会の経験が自信となり優勝できると思いましたね。

 

――甲子園での思い出は何ですか?

開幕試合でできたこととホームランを打てたことですね。

 

――まず、開幕試合についてからお聞きします。開会式のすぐ後に行われますが当日はバタバタしますか?

はい、もちろんバタバタでした。開会式前にベンチに荷物を入れて軽くアップをします。

開会式後はベンチ前でのキャッチボールのみでシートノックに入ります。甲子園という舞台の影響もあってか勝手に体は動くので何とかなります。

ピッチャーには少し負担があるようには感じました。

 

――そうなんですね。次にホームランについてお聞きします。あの有名なバスターでのホームランはどういった経緯で生まれたのですか?

バスターについてはサインではありません。春先から調子が上がらず、監督のアドバイスでタイミングの取りやすいバスターで打っていました。

近畿大会の大阪桐蔭戦でもバスター打法に手ごたえを感じたので継続していました。

 

――そのほかに甲子園の裏話などありますか?

ベンチ裏や室内練習場は冷房が効いていてとても寒いです。

また、ホーム裏の観客席が低いので地方球場にはない変な感覚があります。夏ということもあり白い服を着た人や単純に人が多すぎるからだと思います。

シートノックの時に感じたのですが、距離感が掴みにくいです。なので、暴投してしまう理由が少し分かった気がしました。

 

――甲子園本番にしか分からないことですね。それでは「あなたにとって甲子園とは」どういったところか教えてください。

ご褒美として与えられた場所だと思います。甲子園での経験は他のどの試合でも置き換えられません。

甲子園で野球がうまくなる、実力以上の力が出るのは本当だと感じました。それほど不思議な場所です。

 

――最後に高校生にメッセージをお願いします。

甲子園という舞台に最初は緊張もあるけど、いざ試合が始まれば楽しさしか感じないと思います。最後まで全力プレーで精一杯、甲子園を満喫してください!

 

インタビュアー:岸川(体育2・洛南)

 

本日はここまでです。

次回は、夏の甲子園企画最終回!

篠原(体育4・敦賀気比)と加藤三範(体育3・花巻東)へのインタビュー内容をご紹介いたします!

ぜひご覧ください!!

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 ラストシーズンにかける想い(17)

2019年08月18日 07時32分24秒 | 2019年 4年生ブログ

こんにちは。

マネージャーの磯部です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。

今回は、中田裕真(応理4・小松)の文章をご紹介いたします!

皆さん、こんにちは、こんばんは。

4年の中田裕真と申します。多くの人は僕のことなど知らないと思われますが、このブログを読んでいただけたら幸いです。

 

はじめに、少し自分のことについて書かせていただきます。僕は野球部の多くが所属している体育専門学群ではなく、理工学群応用理工学類というところに所属しています。よく、文武両道という言葉を目にすると思いますが、ぼくは理系の道を究め、そして野球でも日本一になるという“究極”の文武両道を求めて、この筑波大学に入りました。しかし、目標への道は険しく、思うようにいかない、結果が出ないと幾度となく挫折を味わいました。そんなとき、高校時代の監督さんが言っていた

努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している

という言葉が何度僕を奮い立たせてくれました。文武どちらとも目標はまだ達成できていませんが、最後まであきらめず努力を続けたいと思います。

 

今までの人生、野球をするために、時間、もの、お金.etc 様々なものを失い、そして犠牲にしてきました。

なぜ、そこまでして野球をするの」と笑われることもありました。自分もなぜ野球をやっているのかなかなか言葉で表すのは難しいですが、ただ、大学生になってまでも本気でそして真摯に野球に取り組むこの生き方については誰に笑われようとも自分で自分を誇りに思っています。

 

いよいよ91日から僕たち4年生にとっては最後のリーグ戦が始まります。最後のリーグ戦を迎えるにあたって、最近、「キミシダイ列車」という曲をふと思い出しますこの曲はONE OK ROCKというバンドの曲で、下級生の頃にたまたま練習中に流れていたのがきっかけで知りました。この曲中の歌詞こんな一節があります。

 

『過去の自分が今 僕の土台となる

 

筑波大学硬式野球部に入部し、今まで7度のリーグ戦を経験しましたが、2位になること5回、優勝はまだありません。リーグ優勝まであと一歩、いや、半歩という悔しいシーズンもありました。しかし、今まで味わってきた過去のあらゆる感情そして験がこの秋リーグに臨むチームの土台となっていると僕は信じています。

 

最後はボクラシダイ!!

本日はここまでです。

次回は、中真慶大(体育4・首里)をご紹介いたします!

どうぞお楽しみに!!!

 

マネージャー

磯部友以乃

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2019年 夏の甲子園企画 第5弾!

2019年08月17日 06時49分28秒 | 2019年 夏の甲子園企画

こんにちは。

マネージャーの磯部です。

 

本日は、夏の甲子園企画 第5弾といたしまして、

篠田健太(体育3・花咲徳栄)へのインタビュー内容をご紹介いたします!

 

Q出身高校を教えてください

 

篠田:花咲徳栄高校です。

 

Q夏の甲子園にはいつ出場しましたか?

 

篠田:3年生の夏に出場し、ベスト16でした。1回戦は大曲工業高校(秋田)に6-1で勝利し、2回戦は樟南高校(鹿児島)に6-3で勝利しました。しかし、3回戦は同年甲子園で優勝した、作新学院高校に2-6で敗れました。

 

Qベスト16はすごいですね!印象に残っている試合はありますか?

 

篠田;3回戦の作新学院戦です。今井投手(現埼玉西武ライオンズ)がとにかくすごかったことを今でも鮮明に覚えています。またこの試合は自分自身、甲子園初出場の試合でした。

 

Q今井選手は確かにいいピッチャーでしたよね。自分もこの試合をテレビで見ていて、彼のような選手がプロに行くんだなぁと思ったりもしました。話が逸れてしまいました、本題に戻りたいと思います。初出場はどのような場面でしたか?

 

篠田:9回1死1塁で代走として出場しました。出場する直前、1死ランナー無しの場面で、代打の選手が四球を選びました。その瞬間、「来た、俺の番や」と思いました(笑)

まぁでも、次の打者がサードゴロを打ってダブルプレーで試合が終わってしまったんですけどね。ここだけの話、打った瞬間、「あー終わったー。」と思いながらセカンドベースへスライディングしました(笑)。試合自体は負けてしまったのですが、出場できたことはとても嬉しかったですし、一生の思い出になりました!

 

Q甲子園で実際試合に出たことは高校球児にとって一生の思い出ですよね。そういった意味でも、多くの高校球児が目指す場所ですもんね。では次の質問に移ります。当時、篠田君は新聞の記事にもなっていましたが、その時の話を聞かせてください。

 

篠田:懐かしいですね、とりあえず恥ずかしかったです(笑)。掲載していただいた写真に関してですが、練習中にライトのファールゾーンに置きベースを置いて、スライディングするということを何度かやりました。チームメイトがみんな見ていたこともあり、余計恥ずかしかったです。記事の内容に関しては、徳栄で主に分析を行っていたことについてでした。詳しく話すと、相手投手の分析です。ストレートと変化球の割合、インコースアウトコースの割合、変化球の中でも、スライダーなどの横変化とフォークなどの縦変化の割合などを試合の動画から分析していました。実際この分析が自身やチームの走塁に生かすことができたのでやりがいはありましたね

 

Qそこまで分析していたですね!それは相手投手からしたら怖いですね(笑)。試合以外での思い出はありますか?

 

篠田:ご飯を食べすぎて太ったことですね。村木君もこの企画で同様のことを言っていたのですが、ホテルのご飯は本当においしかったです。それで食べ過ぎてしまいました。

あとは、負けたら甲子園の土を持ち帰るじゃないですか。甲子園の土を入れるケースが本当はあるのですが、購入するのを忘れていて、現在でもスパイクケースに入ったままです(笑)

 

Q篠田君らしいですね(笑)。花咲徳栄高校と言えば「サスケ」をはじめとした応援歌も有名ですが、グラウンドに立っていて力になりましたか?

 

篠田:はい!試合中は歓声が混じっていたり、試合に集中しているためあまり聞こえなかったのですが、チャンスの時の一体となったスタンドの応援はとても心強く、攻撃の後押しをしてくれました。そういった面でも吹奏楽部をはじめとするアルプスの応援団には感謝しかないです!

 

Q応援が選手に与える影響は大きいですよね!では、篠田君にとって甲子園とは?

 

篠田:聖地です。よく言われている当たり前のことですが、甲子園は普通の球場でやる試合とは全く違います。様々な要因がありますが、特別な場所だと思います。

 

Q最後に現在甲子園で戦っている高校生にメッセージをお願いします!

 

篠田:甲子園は、どれだけ平常心でプレーすることができるかが一番大事です。練習で身につけたこと以上のプレーは基本的にできないと思います。ですがそういった面では、今まで練習してきたことを自信に変えてプレーしてほしいです。せっかく甲子園に出場することができたので、勝つためにやることはもちろんですが、ミスを恐れずに精一杯楽しんでください!

インタビュアー:大山(体育3・秋田南)

 

本日はここまでです。

次回は、吉本(体育2・彦根東)をご紹介いたします!

どうぞお楽しみに!!

 

マネージャー

磯部友以乃

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2019年 ラストシーズンにかける想い(16)

2019年08月16日 18時32分04秒 | 2019年 4年生ブログ

こんばんは。

マネージャーの磯部です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。

今回は、田見康一郎(体育4・鳥取西)の文章をご紹介いたします!

 

 

こんにちは。四年の田見康一郎です。

ブログをご覧の皆さま日頃から筑波大学硬式野球部へのご支援、ご声援ありがとうございます。

 

高校3年の夏、筑波大学硬式野球部の練習に参加させて頂き、強い憧れを抱き飛び込んだ大学野球生活も残すところあと1シーズンとなりました。

大学野球を通じて様々な経験をする事が出来たと思います。沢山失敗し、野球を少しだけ嫌いになり、自分の力以上の成功が出来たりと。そんな中、最後まで真剣に野球に取り組む事が出来たのは同期や、いつも慕ってくれる後輩、そして地元の鳥取から応援を続けてくれる友人や両親のお陰だと思います。本当にありがとう。

 

Bチームの後輩へ。選手を辞め、みんなのサポートをする立場になってから、大好きな野球にとことん向き合える事は本当に幸せだっんだとつくづく感じます。今はまだ日の目を浴びる事が出来ていないかもしれないけど、最後まで腐らず自分の生きる道を見つけて欲しいです。上手くいかない事、理不尽な事、沢山あります。それでも今しか出来ない大学野球をとことん楽しんでやってください!んなの活躍を本当に期待しています!

 

小さい頃、野球へ導いてくれた両親。本当にありがとう。野球を通じて沢山の大切な人達と出会う事が出来ました。いつも応援に行きたいと言ってくれている両親に最後まで満足に活躍する姿を見せる事が出来なかった事だけが心残りです。自分が上手くいかない事が沢山あった中、いつも陰で支えてくれていたのはあなたたち2人だと思っています。最後のシーズン、チームの勝利に尽力するこの姿を見届けてください。

 

4年生へ。このメンバーで4年間野球が出来て本当に良かったと思います!このメンバーでリーグ優勝、日本一を掴み、そしてビールかけをやろう!

 

学生野球最後のシーズン、選手としてプレーでチームの勝利に貢献する事は出来ませんが、どんな立場でも筑波大学硬式野球部の勝利へ尽力したいと思います。チームの目標であるリーグ優勝、日本一を達成し、みんなで桐の葉を歌いましょう!!

 

本日はここまでです。

明日は、中田(応理4・小松)をご紹介いたします!

どうぞお楽しみに!!!

 

マネージャー

磯部友以乃

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