旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

旅の小窓~札沼線

2015-05-06 04:56:54 | 旅の小窓
 平成27年2月14日午前6時過ぎの札幌駅。これから、札沼線に乗ります。


 札沼線とは、札幌市の桑園駅と雨竜郡沼田町の石狩沼田駅を結ぶ鉄道として昭和10年に開通しましたが、昭和47年に赤字のため石狩沼田駅と新十津川駅の間が廃止されました。路線名はそのまま札沼線となっていますが、平成3年に「学園都市線」の愛称が付けられました。
 桑園駅・北海道医療大学駅間は平成24年に電化されたためすべて電車、石狩当別駅・十津川駅間を走る列車は気動車となるため、必ず石狩当別駅で乗り換えなければ、新十津川駅までは行けません。


 6時20分発、石狩当別行に乗ります。


 土曜日の1番列車ということもあってか6両編成の電車は、各車両2、3人の乗車です。


 札幌駅を発車した電車は隣の桑園駅を過ぎたところで函館本線と分かれて札沼線に入ります。右手には新しくなって札幌競馬場が見えます。


 八軒駅、新川駅、新琴似駅までは複線高架区間。比較的新しい住宅地でのためか、校外で見かける三角屋根の住宅はほとんど見られません。


 平地区間に入って太平駅、百合が原駅、篠路駅、拓北駅と進むと、駅周辺は新興住宅街でその周りには農地が広がるという景色になってきます。



 あいの里教育大駅。「あいの里教育大学」という大学は存在しません。ニュータウン「あいの里」の中心にあり、北海道教育大学札幌校の最寄り駅でもあることから付いた名前のようです。ここからは単線になります。


 あいの里公園駅と石狩太美駅の間には、北海道最大の河川の石狩川が流れていて、そこに架かる石狩川橋梁は道内一の長さだそうです。
 鉄橋の両側には風よけが設置されていて石狩川を見ることができないのは残念です。


 石狩太美駅・石狩当別駅間は、札沼線の中で駅間距離が最長となる区間で、両側は雪一色。


 間もなく石狩当別駅到着。新十津川方面へはここで乗換えとなります。
電車の中にあった札幌近郊路線図には、同じ札沼線でありながらこの先新十津川駅までの区間は書かれていませんでした。


 石狩当別駅には、定刻6時59分に到着しました。


 石狩当別駅のある当別町は、仙台は岩出山の領主が家族と家臣を率いて入植し開拓したところだそうです。その大きな橋上駅には、町内にある北海道医療大学の掲示板がありました。掲示板を囲むのは、町の木「白樺」と町の鳥「フクロウ」。


 
 当別高校の掲示板もありましたが、なぜかパンダが。


 駅の階段や駅前の案内板にも「フクロウ」。



 岩出山の領主が拓いたところということで、岩出山のある大崎市とは姉妹都市となっているようで、臨時列車のヘッドマークも飾られていました。


 次の列車まで少々時間があるので、札幌駅で購入した駅弁の朝食。





新十津川行きの列車は1日3往復だけ。その始発列車7時45分発に乗ります。


 改札口には、過去に行われた「北海道デスティネーションキャンペーン」のキャッチフレーズ「はなたび北海道」にちなんだ、当別高校製作の花の駅長さんが今でも飾られていました。


 一両の車輌で、8人を乗せて発車しました。


 北海道医療大学の大きな看板が見えてくると、間もなく北海道医療大学駅。ここまでが電化区間です。



 ここから列車は、国道275号と並行して進みます。


 石狩金沢駅は、貨車の再利用駅。


 途中、よく見る「パン」の赤い看板が。店の名前は「ノルトエッセン」。


 このあたりから左側には山が迫ってきて丘陵地帯に入ります。本中小屋駅、中小屋駅、月ヶ岡駅と停まり、知来乙駅に着きます。「チカン・変質者に注意!」と大きく書かれた看板が目に付きます。


 次の石狩月形駅には8時17分に着いて、8時40分の発車です。


 ホームからは、月形樺戸博物館が見えます。NHK大河ドラマ「獅子の時代」の舞台にもなった、樺戸集治監に関する博物館で当時の建物もいくつか残されているようです。


 信号機には、吹雪でも雪が着かない工夫も見られる北海道特有の物です。


 上り、石狩当別行の列車を待って定刻の出発です。


 次の豊ケ岡駅はホームが沢の崖の所に有り、待合室が少し離れた道路沿いにありました。秘境駅ランキングでも上位に入る駅で近くに人家もみえませんが、ホームがきれいに除雪されていることから、それなりに利用客がいるようです。



 豊ケ岡駅からから丘を下ると、再び開けてきます。


 次の札比内駅を出て間もなく右に大きなな銅像が見えてきました。列車からは後ろ姿しか見えませんが、台座に「御臨末の御書」が刻まれているようですから、親鸞聖人の像ではないかと思われます。


 晩生内駅はかつて交換駅であったことをうかがわせるホームのと、駅舎もそれなりのものが残っていました。


 次の札的駅は、古い木造モルタル待合室があるだけの駅でした。


 その次の浦臼駅は対照的に、「ふれあいステーション」という立派な建物でした。
 新十津川までは3往復ですが、ここ浦臼駅と石狩当別駅間には3.5往復の列車が走っています。


 畑の中の鶴沼駅を過ぎ、錆び付いた駅名票の残る於札内駅。


 雪野原を進むため、車窓を楽しめないまま南下徳富駅、下徳富駅と過ぎ、いよいよ終点新十津川駅です。


 今は終着駅ですが、新十津川駅・石狩沼田駅間が廃止までは単なる通過駅だったため線路が1本しかない駅に定刻9時28分に到着しました。


 駅では4人の子どもが遊んでいました。正しくは、お出迎えです。


 絵はがきをもらいました。4人の子どもに対して降りたのは3人。一人の子があげることができないとべそをかいていましたが、渡すことができたらみんなと仲良く遊んでいました。



 駅舎の中にはスタンプも置かれていました。途中の石狩当別駅、石狩月形駅にもありましたが、デザインが同じで味気ない物でしたが、ここのは従来のスタンプでした。




 駅前には、立派な空知中央病院がありました。


 向には、「おやすみどころ寺子屋」。立ち寄ってみたかったのですが、ここから滝川に出るバスの時刻が分からないので、とりあえずバス停を探すことにします。


 新十津川役場のバス停とうことしか分からないので役場を目指しました。


 役場の前を左に曲がったところにバス停を発見。間もなくバスもきて、無事滝川に向かうことができました。


 札沼線の旅はおしまい