旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

晴耕雨読日記 平成28年7月16日土曜日

2016-07-16 16:38:09 | 晴耕雨読日記
 基本的に土曜日と日曜日は、農作業を休んでいます。
 今日は、「天竜浜名湖鉄道の旅」の投稿ををしたり、物を片付けたりしながら、先日気になって買った雑誌を読んで過ごしました。

天竜浜名湖鉄道の旅2~三ヶ日駅から気賀駅へ

2016-07-16 15:47:47 | 天竜浜名湖鉄道の旅
三ヶ日駅10:42発普通掛川行に乗り旅を続けます。


 三ヶ日マリーナが見えます。浜名湖は、湖の面積としては日本で10番目の大きさですが、形は複雑で、引佐細江湖、猪鼻湖、松見ヶ浦、庄内湖の4つの枝湾があり、これらの面積は湖全体の面積の4割に達するそうです。尾奈駅から見てきた浜名湖は猪鼻湖と呼ばれているところです。




猪鼻湖を離れ、林の中を下っていくと都筑駅に着きます。


都筑      10:45着 10:45発
 都筑駅前のトイレは象さんの形をしていました。


 木々の間を通って、東都築駅に向かいます。


東都筑     10:47着 10:48発


 東都筑駅の側には、ゆりかもめ駅長の店「笹すし」がありました。


 駅前のトイレは、みかんの形をしていました。


 再び、浜名湖が見えてきました。


 間もなく、浜名湖佐久米駅に到着します。


浜名湖佐久米  10:50着 10:50発
 ここがゆりかもめ駅長のいる駅です。
ゆりかもめが飛来するシーズンに、ボランティアで餌付けを行う、「笹すし」を営む笹田順嗣さんがその人です。テレビで紹介されたこともあるそうです。
 この駅の目の前に浜名湖が広がっていることに加え、笹田さんのお嬢さんが駅舎内で経営する喫茶と食事「かとれあ」があり、そこで余ったパンをゆりかもめに食べさせていたことがきっかけだそうです。残念ながら今はシーズンではありません。


 次に見えてきたのが引佐細江湖です。


寸座      10:52着 10:52発
 寸座という地名は、今から年も昔、坂上田村麻呂の東征に由来する地名や言い伝えはたくさんあります。この地名もその一つで、東征の際この峠で小休止したことから一寸と座ったという事に由来するそうです。


西気賀     10:55着 10:55発
 西気賀駅本屋とホームの待合所が、登録有形文化財に指定されています。
 駅舎には、フランス料理の「グリル八雲」が入っています。
 西気賀駅は通称プリンス岬とも呼ばれている五味半島の付け根に位置します。今の天皇が、皇太子時代に御一家で、夏にこの半島の先端にある別荘で過ごされたことから命名されたそうです。


 ここのトイレは、洋風の建物でした。


 気賀駅に向かう途中、奥浜名湖サイクリングコースのシンボルとして造られたローズレッドの自転車専用の橋、「みをつくし橋」が見えます。
 「みをつくし」とは、往時の灯台の役目と湖水の深浅を知らせる標識のことで、万葉集にも詠まれていて、現在の浜松北区の一部となった細江町の町章としても使われていました。


気賀      10:59着


 気賀駅本屋、気賀駅上屋及びプラットホームが登録有形文化財に指定されています。
 説明には次のように書かれてありました。
 「本屋は、木造平屋建、寄棟造、赤色の洋瓦葺が北面する。外壁はモルタル塗り、腰タイル張り。外部には、布基礎状にタイルが張られ、正面入口及び改札口にもタイルを貼って意匠的な枠となっている。待合室内部に、木製ベンチ、木製改札口が当初のまま残っている。駅務室の中には営業開始当初の『昭和拾参年四月壱日 気賀驛営業開始』という札が張られている。
 上屋は、木造平屋建、切妻造、波形ストレート葺の建物。柱2本の上の部分にトラスが組まれた小屋組と、棟木・母屋・桁からなる。柱に窓の敷鴨居仕口の痕跡が見られるので、東端の2間は、もとは乗降場待合室であったことが判る。」










 ここ浜松市北区は、平成29年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公井伊直虎が城主を務めた井伊谷城があったところです。


 列車を降りたら、「昭和食堂」の大きな看板が目に入りました。


 夕方5時から朝3時までのお店でした。


少し時間があったので、「気賀関所」に行ってきました。
 慶長6年、徳川家康により気賀関所が創設されたと言われています。関所は気賀宿の入口にあり、浜松市北区役所の西に再建されていました。












 この後、天竜二俣駅に向かいます。

 つづく